第二十話 ラケッティア、墓地のスケッチ。
「〈十一時〉と〈十二時〉のあいだで、二番と三番のあいだ」にはグラナダ墓場と呼ばれる共同墓地があり、その墓地の壁にある小さな木製の扉の前で〈杖の王〉が一人で待っていた。
カールは〈杖の王〉に連れてきたことを報告すると、六角銀貨を一枚もらって、素早く退散した。
「ここにいるのか?」
おれがたずねると、〈杖の王〉はうなずいた。
「ほぼ間違いないが、念のため確かめてくれ」
「このなかに入るのか?」
カルデロンは一年ほったらかしにしたゴキブリホイホイを取って来いと言われたような嫌そうな顔でたずねた。
〈杖の王〉はぶっきらぼうに、そうだ、とだけ答えた。
墓地のなかで光と言えるものは壁に寄りかかった掛小屋の出入り口から漏れる光くらいのものだった。
そこにおれのしょぼくれたランタンを加えても、墓石の輪郭くらいしか分からない。
おまけに歩いていると、浅く埋められた死者の骨が軋む音がする。
どこからも死者のすえた臭いがして、たまったもんじゃない。
墓地のなかには年を食った娼婦や膀胱売りが亡霊みたいにさまよっている。
膀胱売りというのは豚や羊の膀胱でつくったポコチン袋を売るコンドーム屋だということだ。
「正直、そんなので性病予防ができるとは思わないが、まあ気休めにはなるだろう――ん?」
なんか、死臭が濃くなったな(腐臭じゃない。臭いとしては別物)、と思ったら、あちこちの墓場からむくむくと死者が甦り始めた。
ギャーッ! ゾンビぃ!
と、思ったら、顔を隠して短剣を握る黒ずくめの男たちだった。
ギャーッ! 危険人物ぅ!
骸党か、と〈杖の王〉がこぼすと、
「ヨシュア。いるなら出てきてくれ」
すると、一つ影が立ち上がり、ほっそりとした黒装束のシルエットが見えてきた。
ウェットスーツ並みに余裕のないシルエットに短剣を二本身につけていて、んでもって、容姿は――おっと、要注意のイケメンロン毛。
「〈杖の王〉か。珍しいな」
「寝ていた棺桶を踏んだか? なら、すまんな。ここに隠れているある男に用がある」
「名前は?」
「クルフォー。元は密輸屋らしい」
「よそものは大勢ここに来る」
「顔を知っている人間がいる。そいつを見つけて捕まえたら、とっとと退散する」
「その男は何をした?」
〈杖の王〉はおれに説明するよう促したので、食堂を吹っ飛ばされたこと、街じゅうの大物たちが魔族の居留地を囲んで一触即発になったこと(少なくとも人間サイドはだけど)、そして、そのクルフォーが騒動の黒幕につながるやつであることを話した。
ヨシュアはさほど興味もない様子できいていたが、説明が終わると、
「魔族の居留地に妹がいる」
と、こぼした。
あーっ! わかった! こいつ、サアベドラの兄貴だ!
蒼白い顔はサアベドラを思わせるつくりをしているし、髪もサアベドラ同様の銀で、なるほど容姿全体を総合すると、魔族と人間のハーフに見える。
と、いうことはだ、
「あんた、ヨシュアとか言ったが、この墓地にイドか〈蜜〉を売るものはいるか?」
「いる。それが?」
あれ? ヤク憎んでない。ひょっとして違うのかな。
「まあ、いい。とにかく早めに今回の騒動にケリをつけんと、本当に人間と魔族がぶつかることになるかもしれん。あんたの妹だって巻き込まれるだろう。だから、わしらにクルフォーを捕まえさせてほしい」
「……わかった。好きにしろ」
黒ずくめの男たちが一人また一人と闇のなかに沈んでいき、最後にヨシュアの蒼白い顔がすうっと消えた。
「今のは骸党だ」
〈杖の王〉が説明する。
「ここはやつらの縄張りでな、もしやつらの機嫌を損ねたら、即座に喉を掻き切られる」
「暗殺組織か?」
「そうだ。一人金貨三十枚でやっつける。だが、相手が白騎士党ならタダで殺す」
「そこまで仲が悪いのか?」
「白騎士党の連中は人間至上主義に凝り固まってるからな。ヨシュアのような魔族と人間のハーフにとっては天敵だ」
そんな物騒なやつがいる場からはさっさとトンズラするに限るな。
墓石のあいだをうねり、骨がパキッと音を立てる小道を進むと、また人影が飛び出してきた。
「王さま。待ってました」
二人の物乞いのうち年かさのほうが言った。
「お探しの野郎はあの居酒屋にいますぜ」
あの居酒屋、というのは壁によりかかった粘土つくりの掛小屋で狭い窓から黄色い光がちらついていた。
「ナイフを持ってやす。あっしらがやりましょうか?」
若いほうの物乞いがたずねたが、〈杖の王〉が首をふった。
「いや、わしらでやる。お前たちは念のため、外を見張っていてくれ」
居酒屋に入る。
天井の低い部屋に汗と垢の臭いがたちこめ、それをかき消そうときつい煙草が大火事でも起こしたみたいに客の口先から煙を吹いていた。
おれたちが入ると、なかの客たちは顔を上げ、すぐブリキのカップに入ったどぶろくに目を落とした。
カルデロンがおれに耳打ちした。
「いた。あのカウンターのそば、樽に腰かけている緑のチョッキだ。髪は赤毛だったが、どうやら黒く染めたらしいな」
おれはその男を見た。
頬がこけ、切りそろえた前髪が額に垂れる男は泥炭で温めたエールを口にしながら、机――というより二つのバケツに差し渡した一枚板をナイフで削って何か文字を掘り込んでいた。
「わしの顔はやつに知られているから、わしが行けば途中で気がつく」
「あんたは扉のところで待っていてくれ。わしら二人で行くから」
と、いうわけで〈杖の王〉と一緒に、というより、〈杖の王〉を前にしてクルフォーに近づく。
「おい、クルフォー」
呼びかけると、いきなりナイフで突いてきた。
ナイフが〈王〉の杖にぶつかったときにはクルフォーは蟹のように横歩きして、おれと〈杖の王〉のあいだをすりぬけ、ご丁寧に〈杖の王〉の足を払ったので、〈王〉の巨体がおれの上に倒れ込み、おれは押し花みたいにぺちゃんこになった。
「カルデロン! そっちに逃げた!」
だが、知らせる必要はなかった。
クルフォーがナイフで切りかかろうとしたら、次の瞬間、こめかみに渾身のフックをもらってぶっ倒れていた。
これでも学生だったころは、とまくった袖をもとに戻しながら、カルデロンが言った。
「拳闘で鳴らしたもんさ。よし、こいつを縛って、一つ尋問してやろう」
――†――†――†――
グレゴール・ザムザは目を覚ますと、自分が虫になったことを発見するわけだが、被告クルフォーの場合は自分が深く掘られた墓穴の上に逆さ吊りにされていることを発見することになった。
「な、なんだ、こりゃ! おい、てめえ、このクソジジイどもめ! おれを放しやがれ!」
クルフォー、クルフォー、とカルデロンがなだめるように言う。
「お前、わしらに話すことがあるはずだろう? 正直、市場で相手をしていたころはそんな大それたことをするやつだとは思わなかった。だが、お前さん、どうも破産したのは嘘だったらしいじゃないか。マスケット銃の銃身を百本買うくらいのカネがあったんだってな。傷つくねえ。わしとお前の付き合いはそれくらいのもんだったのか?」
「おれを放せ、この野郎! おれにはなあ、デカい後ろ盾がいるんだぞ!」
「そう、それだよ。それがききたいんだ。お前の後ろ盾。その名前をぜひとも欲しい」
「誰が話すか」
「それじゃ道理が通らん。お前さん、わしらを心底怯えさせるだけの名前を知っているんだろ? よし、その名前を言って、わしらを心底怯えさせてくれ。わしらがお前に手を出したのが大変な過ちだったと思わせてくれ」
「それなら言うがな、おれの後ろにはマルセリがついてるんだ。あ? どうだ、ちったあこれで懲りただろ。おれを下ろせ」
「マルセリというと、治安裁判所の長官のマルセリか?」
「他に誰がいるってんだよ? いいか、おれたちはもうじき街を牛耳るんだ。そうなったら、てめえら、皆殺しだぜ」
カルデロンはクスクス笑い出した。
「クルフォー。もし、わしが現役のころ相手にした犯罪者どもがお前ほど素直で頭が空っぽならなあ。ずいぶん楽をさせてもらえたはずだ。ドン・ヴィンチェンゾ。どうぞ」
「それでは言おう。クルフォーくん。まずは初めまして。お前に百発の弾丸をぶち込まれたヴィンチェンゾ・クルスだ。きみには非常に悪い知らせだが、マルセリの名前はわざわざ上げるまでもなかった。街じゅうの顔役たちが襲撃を食らって、その集まった席でマルセリのやつがいきなり魔族の仕業だと言い出した時点で、わしはやつが裏で糸を引いていると思っていたんだ。まあ、仮に間違いでも相手がマルセリなら心がちっとも痛まないという理由もあるんだがね。そこでききたいんだが、クルフォーくん、これは個人的な興味だが、マルセリはお前に何を約束した? わしらが魔族と相討ちになったら、何をくれると言ったんだ?」
クルフォーは自分の仕出かした間違いに気づいて絶句していた。
絶句したいのはこっちのほうだ。
こんなトンマに翻弄されるなんて、おれたちはクソバカだ。
「クルフォー。お前はマルセリと直接会う約束をしてるはずだな? まさか、カラベラス街にほったらかしということはあるまい。しかるべきとき、しかるべきものをもらうためにはマルセリと直接顔を合わせる必要があるもんな。その待ち合わせ場所を教えて欲しい。それにお前が会いたいときにすることになっている合図めいた手紙か何かがあったら、それも出すんだ」
「おれを放せ!」
おいおい、とカルデロン。
「お前は逮捕されたわけじゃない。解放してもいいが、紐を切ったら、穴に真っ逆さま。首の骨が折れて、死者の仲間入りだ。ほら、先輩方にご挨拶しろ」
カンテラをかざすと、穴のそこに固まった白骨死体たちが緑色に光り出した。
「おれを放さないでくれ!」
「そうだ。クルフォー。それが正しい。そして、お前を放さないためには、さっきも言った通り、マルセリとの秘密会合をお前がセッティングしないといけない。でなきゃ、プツン、ゴチン、ボキッ、だ」
クルフォーは場所と書状の在り処を吐いた。
書状はクルフォーのナイフの柄のなかの空洞になったところに巻いて入っていた。
「よし、クルフォー。わしらは満足した。お前を放さないでおいてやろう」
「ちょっと待て。おれをこのままにしていく気か?」
「約束だからな。お前を放さないでおく」
それと、とおれ。
「お前らのケチな陰謀のせいで妹が危険にさらされたと怒ってるやつがいる。なに、夜は長い。じっくり話し合えば許してくれるさ。じゃあ、さようなら。あんたと話せてよかったよ」
おれたちと入れ替わりに闇のなかからヨシュアの白い顔が浮かび上がり、怒れるお兄ちゃんは逆さまになって赤くなり出したクルフォーの顔を凍えるような視線で青くしてみせた。




