第十八話 ラケッティア、長椅子のスケッチ。
その後、壁を取り巻く男たちをなだめるのに大いに骨が折れた。
おれは魔族たちも臨戦態勢に入っているとし、魔族の強さはハーフのサアベドラの比ではないとさんざん脅かし、包囲は続けても、こちらからは絶対に仕掛けてはならないと言いくるめようとした。
そうやって問答しているあいだに、トキマルとツィーヌに金貨四十枚渡して料理屋街へ走らせた。
おれの脅し文句の効力が薄くなり、それどころか火に注ぐ油となろうとしたそのときだった。
熱々の焼肉とワインを満載した六台の荷馬車が暴走機関車みたいに群衆へと突っ込んだのは。
「とにかく今日はお疲れさまだ。これはクルス・ファミリーから市民の義務を果たす本物の男たちへのちょっとしたねぎらいだ」
魔族リンチの参加者のうち、気合が入っているのは狂犬神父と紳士階級を自称する白騎士党員くらいのもので全体の一割もいない。
残り九割は野次馬であり、本気で魔賊と命のやり取りをする覚悟もない。
そいつらをタダ飯とタダ酒の大盤振る舞いで骨抜きにする。
烏合の衆とはいえ、九割が享楽に寝返ったら、残り一割だって士気が落ちる。
それもそのはずで、無料の肉を頬張り、無料のワインを飲むやつらのそばで命がけの戦いなど馬鹿馬鹿しくて、できるわけがない。
料理屋街から第二陣――焼きニシンとビールが届くと、最後の一割が溶けた。
紳士を気取るごろつき剣士たちは、なに、これはねぎらいだ。それに包囲は続けるのだから、こうしてメシと酒にありついて悪いわけがないと自分たちを納得させたらしい。
ドン・ウンベルトとドン・モデストはカンカンに怒っていたし、狂犬神父も同じだ。
手下を食い物で買収されては面子に関わる。
しかも、相手が十六歳のガキとあっては剣でひっぱたくくらいのことはしないと収まらない。
おれの頭がスイカみたいに叩き割られるのを防いだのは〈杖の王〉だった。
じいさんはおれと親分たちのあいだに入り、
「そこまでだ。あんたたちの言い分もあるだろうが、今日はこの小僧の作戦勝ちだ。今更何を言っても、あんたたちの手下は動かん。こんな状態で魔族に挑めば、吹っ飛ばされるぞ。それに何も撤退しろと言っているわけではない。包囲は続けられる。ただ、慎重になれということだ。小僧はわしら全員を魔族と争わせて得をする人間がいて、そいつが、ドン・モデスト、あんたの建物を〈魔法の小瓶〉で吹っ飛ばし、ドン・ウンベルト、あんたのカネを奪い、そしてプロチストゥ師、あんたの教会を襲ったのだ」
もし、そいつを捕まえたら、と、おれ。
「もちろんあんたたちにも知らせる。そいつをどうやってぶち殺すかはそのとき決めればいいさ」
――†――†――†――
「あー、しんどかった」
〈ちびのニコラス〉に戻ると、〈モビィ・ディック〉に置かれた長椅子に倒れた。
酒場に置かれる長椅子というのは、だいたい軽くヤスリをかけただけの木製のまな板みたいなやつで、せいぜい蝋引きのクッションが背もたれに縫い付けられているくらいだが、おれは今日みたいなこともあろうかと、寝心地抜群のビロード地の綿入り長椅子を用意しておいた。
寝椅子と一体化してしまいそうな心地よさにとろけていると、皆の衆がおれを半円状に囲った。
この陣形からそのまま足をふり出せば、簡単におれを集団リンチにかけられる。
「頭領、なかなかやるね」
「そうそう。マスター、かっこよかったよ」
「え? 何が?」
リンチのかわりに賛辞が飛んできてまごつく。
「商会や神父相手にやり合ったでしょ?」
なんだ、そのことか。
「あれは食欲の勝利だ。うまい飯と酒が目の前にあるのに戦う馬鹿はいない。そして、手下がいなけりゃ、ドン・モデストもドン・ウンベルトも何もできない。まあ、それはおれも同じだけど。狂犬神父のほうは〈杖の王〉が押さえてくれる。だから、こっちの言い分が通る確信があった。そんな確信がなきゃ、おれ、ケツに帆をかけて、あの場からトンズラしたさ」
「じゃあ、何がしんどいの」
「カルリエドだよ、カルリエド」
「魔族のほうが押さえるのが大変だったの?」
「いや、やつらは警戒心ゼロ。ぜんぜん緊張感がない。人間が自分たちの居留地に乱入することはあり得ないと高をくくってるし、入ってきたら、そのとき考えればいいくらいにしか思ってない。問題は、ほら、カルリエドのとこにある心臓入りの石だよ。あー、もう、思い出しちまった。あのグロ映像」
あの後、カルリエドに呼ばれて、石切り場に行くと、例の博物館に通された。
そこで見せられたのは、キャー! 成長して神経と血管の網が絡まり合った例の石だった。
「ほら、ハートのブラッダ。成長しとるんだや。脳みそ、あるだや。ヒューマンのブラッダが来たら、ハートがあんなに動くんよ、これ、ブラッダ、ハートのブラッダはヒューマンのブラッダのこと好きな証なんよ。これ、マジでサタンな話な!」
うげー。理科室の人体模型よりもグロいもの見せられて、おれのその日一日の活力は消えてなくなった。
「うえっ。今、思い出しても、気色悪っ」
「その調子じゃ、お料理もできそうにないのです」
「それどころか食欲がない。メシはロデリク・デ・レオン街の料理屋から取り寄せよう」
「食べに行かないの?」
「ここを空けたくない。〈杖の王〉から使いが来るかもしれないし――と言ったら、ほら」
窓の外。ぼこぼこにへこんだパイプみたいな帽子をかぶった浮浪児が窓ガラスにべたーっと顔をくっつけていた。




