第十五話 ラケッティア、残骸のスケッチ。
事の次第はこうだ。
おれが酔っ払いだらけの回廊食堂から西棟一階の将来〈モビィ・ディック〉になる予定の店の厨房へ降りて、鋳鉄製のコンロにかかっている濃いめのミネストローネを寸胴鍋にたっぷり取り、チキン・ソテーの乗った大きなフライパンを火床の上からどけて、陶器の入れ物に移して、フライパンの肉汁をかけているころ、襲撃者たちはマスケット銃の銃身を百本束ねた悪魔の装置を荷馬車にセッティングしていた。
銃身一本一本に取り付けられた火蓋を開け、砲尾ネジを時計回りにまわして、その照準を通りをまたぐ二階の回廊食堂に合わせていたのだ。
やつらはおれが料理を取りに来たのを見ていたに違いない。
そして、おれが食堂に戻ると、開いた火蓋に火縄を突っ込んだ。
轟音。百連発の雷のお出まし。
窓が吹き飛び、チキンが皿の上でスピンした。
そこから先はひたすら音、音、音。
床に伏せて手で頭をおさえ、目をつむって歯を食いしばった。
正常性バイアスがもたらす奇妙な落ち着きのなか、同じように伏せるジルヴァや〈インターホン〉を眺めながら、『いや、これでも最悪とは言えないぞ。〈モビィ・ディック〉がやられれば、最新型の鋳鉄コンロやあのカウンターの石材がパアになったんだからな。お前はラッキーだ』と思ったりしていたが、頭に漆喰片がシャワーみたいに降り注ぐと、そんなクソ落ち着きは雲散霧消した。
「なにがラッキーだ、このバカ野郎! てめえなんざくたばっちまえ!」
おれの正常性バイアスに死んでもらいたいなら簡単。
おれ自身が立ち上がれば、後は鉛の弾丸が引き受けてくれる。
ちきしょう、いつになったら弾が切れるんだと思っていたが、終わるときはあっという間だ。
銃声とそれの付随音声であるガラスの割れる音、木材が削られる音、そして襲撃者たちの馬車が逃げるガラガラッという車輪の音がなくなると、耳鳴りのキーンという音が取って代わった。
そろそろと視線を上げると、たったひとつ生き残ったランプの光のなか、エルネストの髪が床の上に黄金の海のように広がっていた。
「エルネスト。生きてる?」
「なんとか」
エルネストが頭を持ち上げると、髪に絡んだ手羽先だの曲がった真鍮だのがぼろぼろ落ちてきた。
おれは暗闇のなか点呼を取った。
みなかすり傷一つなく、元気いっぱいにハーイと返事をしてくれました。
先生、嬉しいです。
と、思ったら、トキマルが返事をしない。
『彼はついに生きることがめんどくさくなった』という墓碑銘が思い浮かんだが、なんてことはない。
変わり身の術だ。トキマルのかわりに銃弾がめり込んだ丸太が転がっている。
まもなくアサシン娘たちがトキマルの部屋を襲撃し、そのまままんまと寝てしまおうとしていた脱力忍者を引きずってきた。
アレンカに照明の魔法を使って、光の玉を浮かばせると、真っ白な燐光のなかにえぐりだされる破壊の爪痕。
あー、もー、ほんと、ひでえ。
回廊食堂めちゃくちゃじゃねえか。
肉片が天井にまで飛び散っていた――といっても、生きた人間のではなく、調理済みの牛や鶏の肉片だが。
ああ、くそっ! 窓は全滅だ。窓枠からもげてやがる。
壁にいたっては〈インターホン〉の拳がらくらく通る穴が開いている。
テーブルと椅子はもう焚きつけにしかなんねえな、こりゃ。
皿も陶器から銀まで素材を問わず砕かれ引き裂かれバラバラになっている。
おまけにくそったれどもは一階の高さから下から上へと弾をお見舞いしてきやがったから、天井と床にも穴が開いている。
こりゃ取り壊して一から作り直しだ。
ふぁっく。マジで頭にきた。
「マリス、アレンカ、ツィーヌ、ジルヴァ、それにトキマル。二十四時間以内に犯人を見つけて、生かして連れてこい。いいか、生かしてだぞ。こんな真似したクズども、簡単に死なせるんじゃ甘い。肉屋の鉤で吊るして、じわじわ嬲り殺しにしてやる」
三つの「了解!」、一つの「へーい」、も一つ「おまかせなのです!」
クルス・ファミリーの抹殺おしおき部隊が夜のカラヴァルヴァに飛び出そうとしたときだった。
りん、りん、りん。
ドアベルのジャックポット。
どこかの誰かが最悪の夜の訪問者になろうとしていた。
――†――†――†――
夜の〈モビィ・ディック〉。
テーブルの上にひっくり返った椅子たち。
ミネストローネを煮る静かな石炭の燃える音。
ファミリーのメンバーがカウンターから興味深く見守るなか、おれはゴッドファーザー・モードの状態でイヴェス判事とランプを置いた丸テーブル一つ隔てて、向かい合っていた。
イヴェスが会話の口火を切る。
「死者は?」
「出ていない。ここにはどうしてやってきた?」
「犯人探しなんてバカな真似をやめさせるためだ」
「宴を邪魔され、危うく殺されかけ、お気に入りの食堂を駄目にされても犯人は捜すなと? 判事さん、ずいぶんとまた法外な要求を持ち出したものだ」
「襲われたのはあんたのところだけではない」
「ほう」
「レリャ=レイエス商会本部に〈魔法の小瓶〉が投げつけられた。王立漁業会社は手持ちの快速スクーナーを二艘焼かれた。盗賊教会に覆面をした男が三名乱入して銃を乱射して、助祭が大怪我をしている。商業地区の〈銀行〉三軒が襲われて金貨二千枚が奪われ、カラベラス街では〈杖〉の配下である物乞い二人が殺された。オルギン商会でも発砲騒ぎがあり一人死亡。ケレルマン商会は賭場を襲われ、金を奪われた。他にも盗賊団や密輸団が襲撃を受け、品物を奪われるか、団員が負傷するかしている。そして、治安裁判所では――」
イヴェスは言葉を止め、ため息をつきながら、
「百発の弾丸。警吏が一人、捕吏が二人死んだ」
なんてこった、ぱんなこった。つまり――、
「つまり、街の顔役たち全方位に喧嘩を吹っかけている馬鹿者がいるということか」
「そうだ。そして、わたしの役目はそれぞれの組織が疑心暗鬼になり、抗争を引き起こすことを防ぐことだ」
「だが、わしの立場も分かってほしいものだな。もし、わしが自分の本拠地に百発弾丸を撃ち込まれたにもかかわらず、自分では動かず、治安裁判所に被害届を出して終わりにすれば、やつらはわしをそれだけの人間とみくびり、今度は千発の銃弾を撃ち込んでくる。対抗手段を考えなければいけない。それは他の顔役たちも同じだと思うがね」
「その通りだ。だから、会合を開く。カラヴァルヴァの主な顔役を集め、対策を講じる」
おやおや。
眼鏡をかけていたら、もったいぶった態度で外して拭くシーンだな。
「それはずいぶんリスクが大きい。こんな真似した馬鹿どもにカラヴァルヴァの大物全員をまとめて消すチャンスをくれてやっているようなものだ」
「安全は治安裁判所が保証する」
「どうやって?」
「カラヴァルヴァの全警吏と捕吏が集結し周囲を警備する」
「そのあいだ泥棒は好きな家に入りたい放題か」
「それはもとから変わりはない」
「場所は?」
「公営質屋だ。連れてこれる護衛は一人まで。それで、出席は?」
しなけりゃ、別件逮捕の雨あられなのが見え見えだよ、判事さん。
それにゴッドファーザーでもそんなシーンあったし、何より来て二週間で顔役の一人に数えられたのも悪くない。
問題は連れていける護衛が一人ってことだな。
こりゃもめるぞ。
アサシン娘たちのあいだで血の雨が降るかもしれん。ウーム。




