第十一話 ラケッティア、〈モビィ・ディック〉のスケッチ。
「それにしてもさっきのは気持ち悪かった」
「不気味……」
加工済みの石を運ぶ四頭立ての荷馬車はケルベロス通りをゆく。
その馭者台に揺られながら、マリスとジルヴァが話しているのは例の石のなかの心臓のことだ。
なんと、あの心臓、動き始めやがったのだ。
おれは魔族たちが切りだした石を金貨八十枚の即金で買い、売買契約書にサインをした。
そのとき、例の心臓入りの石をテーブルがわりに使って、署名を書きなぐったら、ピカッ!
なんと石が光って、なかの心臓がバクバク動き始めてるじゃあーりませんか。
いやあ、不気味なんてもんじゃなかったね。
カルリエドは、このハートのブラッダ、ヒューマンのブラッダのこと気に入ったんだや、これも持っていってもいいんよ、とか言い出す始末。
もちろん、受け取ったりしませんでしたよ。ええ、そうですとも。
基本的にもらえるものはもらえる主義だが、あれはご遠慮させてもらいたい。
ケルベロス通りが、デ・ラ・フエンサ通りと名を変える。
おれは馬車を御するのを二人にまかせ、石の上に寝そべり、妄想力をかき集めて頭のなかで酒場をつくる。
まず、カウンター。樫材。スツールのてっぺんは綿を入れたビロード。
カウンターと天井のあいだを支柱が三本。その三本に魔法材料を使ったミスリル・ランプを下げる。
厨房には最新型の鋳鉄製箱型コンロを使う。火床で石炭を燃やし、オーブンではパンだって焼ける。あと需要の多いホットワイン専用の平炉も忘れちゃいけない。
酒棚にはワイン、蒸留酒、果実酒が地酒舶来問わず、ずらりと並び、ビールの入った小さな樽が三つ、エールの入った樽が一つ、どれも真鍮の蛇口をつけて棚板の上で横にずらっとなっている。
そのうち密輸されたリキュールも取り扱う予定だから、このバ-はカラヴァルヴァで最もリキュールが豊富なバーになるだろう。
カウンターにはスツール一つにつき、酒のツマミにかける香辛料が小さな陶器の船に入っていて、銅のスプーンが差してある。同じものはテーブルにもある。
テーブルは丸テーブルで元からあったのを使うが、全部ニスを塗り直させておく。椅子もしかり。
だが、このバーの主役はなんといっても、カウンターの天板だ。
長さ五メートル幅七十センチの曇り一つない艶やかな黒曜石に白くて巨大なクジラの姿がのっている。
尻尾が銛打ちのボートをバラバラに砕き、その顎のなかで二隻の捕鯨船が飲み込まれそうになっている。真っ二つに裂けたマスト。クジラの波にのまれる都市。背中に打たれた銛の樹海。偉大な魔法使いでもその怒りを鎮めることのできない巨獣。
これら全ては白結晶系鉱石の影響で描かれた自然現象であり、地球画伯の手によるものということになる。
この星を地球と呼ぶのかどうかはいまだ知らないが。
とにかく、このすげーかっこいい天板にちなんで、バーの名前は〈モビィ・ディック〉に決めた。
そうだ。クジラをモチーフにした看板風目印を職人に頼もう。鋳鉄製で、店の柱にくっつけるやつ。
「マスター……楽しそう」
「ん、ジルヴァさんにもわかりますか、そうですか。いや、楽しいんだよ。ファミリーの本拠地だからね。気合入れて、妥協のないものをつくりたい。金貨で五千枚までかけるつもりだから」
「そ、そんなに! いくらお金があっても足りないよ」
「なに、カネなどまた稼げばいい……と威勢のいいこと言ってはみるが問題がないわけじゃない」
麻薬だ。
クルス・ファミリーは絶対麻薬は扱わない。
でも、カラヴァルヴァの他の商会は扱っている。カラベラス街に近いほうでは〈蜜〉を吸わせるキセル窟がいくつもあるようだし、イドは市内全域に出回っている。
サアベドラ怒りの折檻も地震雷火事サアベドラと、たまに発生する天災扱いであまり効果がないらしく、レリャ=レイエス商会やオルギン商会といった既存のファミリーはサアベドラに邪魔された分を差っ引いても、かなりの額をイドと〈蜜〉で稼いでいるようだ。
麻薬を扱わずにいれば、いずれ資金力で差をつけられ、それはクルス・ファミリーの過小評価につながり、抗争が勃発する可能性がある。
「でも、マスター、カノーリやボクシングですごい稼いだじゃないか」
「あれは一発ものだからなあ。何度もできることじゃない」
「ダンジョンの素材……売る?」
「それじゃ完全に合法。麻薬のために闇商売以外のやり方で稼がなきゃいけないなんて本末転倒だし、ラケッティアとして負けてる。カネ稼ごうと思えば、宝石や土地の転売で稼げるが、それじゃラケッティアじゃないんだ。ディルランドでは戦争のせいで若干ラケッティアから外れたこともした。だから、このカラヴァルヴァでは麻薬に対してはあくまで闇商売で対決したい」
「でも、麻薬はすごい儲かるんだろう?」
「うん。すっげー儲かる。それは確かだ」
「それに匹敵する闇商売……そんなものあるのか?」
「うーん。まあ、ヒントみたいなものはあるんだ」
1946年、キューバのハバナに集まったマフィアのボスたちはヘロインを大々的に扱うことに決めた。
この決議に唯一反対したのが、当時最大のファミリーのボスだったフランク・コステロだ。
なぜコステロはヘロインに反対したか。
いや、ヘロインに反対しながら、全米最強のマフィアとして君臨できたのか。
それは違法スロットマシンの稼ぎがあったからだ。
コステロはアメリカ東海岸じゅうにあるドラッグストアやバー、ダイナーなどなどにスロットマシンを置きまくった。
フロリダでは小さな町を賄賂漬けにしたし、ルイジアナ州知事のヒューイ・ロングにカネを払って、南部に大々的なスロットマシンの帝国を築き上げたりもした。
コステロが設置したスロットマシンはアメリカの東半分から五セント玉をまき上げまくり、コステロに天文学的なカネをもたらしたらしい。
だから、ヘロイン賛成派のボスたちの上に立つことができた。
つまり、麻薬に勝つにはスロットマシン帝国をつくらなければならないということだ。
カラヴァルヴァはもちろん、ロンドネ王国の他の都市、いや、他の国にもクルス・ファミリーのスロットマシンを置いていくのだ。
これについて、おれは今、非常に有利な立場にある。
ダンジョンやカトラスバーク、ディルランド王国南部の諸都市といった海外拠点があるのだから、ここをスロットマシン植民地にしない手はない。
ん? ファンタジー風異世界にスロットマシンは似合わないんじゃないかって?
でも、ドラクエのカジノにはスロットマシンがある。はい、論破。
とにかくスロットマシンだ。
料理屋に、雑貨屋に、ギルド館に、工房に、港に、居酒屋に。
古着屋に、市場に、厩舎に、立ち食い屋台に、裁判所に。
置いて置いて置きまくれ。
地平の果てまでスロットマシンを設置するのだ。
「ただ、最大の問題はこの世界にスロットマシンが存在しないことだ。なあ、二人とも、これまでの人生のどこかでスロットマシンを見たことなかった?」
マリスとジルヴァはふるふると首をふる。
「ですよねー」
「でも、そのスロットマシンがないと麻薬には勝てないのか? 他の方法は?」
「もう一つ考えているのが、自分用の市場を持つことだ」
「市場?」
「ほら、リーロ通りの向こうにある小さなやつ。あれが一つ欲しい」
「そんなものどうするんだい?」
「密輸品と禁制品売買、それに盗品の買い取りをやりたい。これはそんなにめちゃくちゃ儲かる商売ではないかもしれないが、ローカルな市場を支配し、そこでダベるのは非常にマフィアっぽい。それに密輸品の売買が軌道に乗ると、これも馬鹿にできない稼ぎになる。〈モビィ・ディック〉に出す酒の調達もできるし、うまいカノーリを売る屋台も一つ出店させる予定だ」
「……」
「ん、どうしたの、二人とも? 急に黙り込んじゃって。あ、おれ、何か無神経なこと言った? 知らないうちに。だったら、土下座して謝るよ」
真剣な顔つきをして、マリスが言う。
「マスターは、すごい……」
「へ?」
「息するみたいに闇商売を思いつくんだからな。ボクらには到底真似できない」
「それは相互補完ってやつだな。おれは二人みたいに戦えない。お互いさまだよ」
「そう言ってもらえると、アサシンとして殺し甲斐があるよ」
「わたしも……」
あれ? 『戦う』という表現が、息するみたいに簡単に『殺す』に繰り上がっちゃったけど。
……まあ、いっか。おれ、ラケッティアだし。




