第六話 ラケッティア、賄賂のスケッチ。
〈ちびのニコラス〉に戻ると、西棟の入り口に黒くてぴったりとしたアサシンウェア姿のツィーヌとマリスが澄まし顔で立っていた。
「お前ら、何してんの?」
「おかえりなさいませ、マスター。お客さまがお見えです」
ああ、なるほど。
マスターの一声でどんな殺戮もやってのけるけど、それ以外のときは感情を殺し、どこまでもマスターに忠誠をつくすクールなアサシンごっこしてるんだ。
部外者がいるからって見栄張っちゃって、まあ。
おれは窓をちらっと見た。
酒場になる予定の部屋に若い怜悧系のハンサムな男が座っている。
ケープとテイルが付いた黒い外套、シミ一つないクラヴァット、ゆるやかにウェーブしているが控えめに整えられた黒い髪、あまり高そうには見えない折り返しのあるブーツ、刺突剣とピストル。
十キロ離れたところからでも、切れ者タイプのサツと分かる。
「伯父さんの客?」
「はい」
はい、だってよ、ツィーヌのやつ! 気取ってら!
「伯父さんは今、どこに?」
「二〇八号室です」
二〇八号室においてあった薬をあおり、ゴッドファーザー・モードになりながら、このクスリもあの女の子からすると、ヤクに位置付けられるのか考える。
いや、これは別に中毒性はないぞ……たぶん。
酒場に降りる。
棚は空っぽで、テーブルの上に椅子がひっくりかえっていて、例の切れ者サツがついているテーブルだけ椅子が下ろしてあった。
椅子の一つに腰かけて、相手が名乗るまで待つ。
「治安判事のコルネリオ・イヴェスだ」
「ヴィンチェンゾ・クルス。ごらんのとおり、ここに越してきて、まだ二日目なんだ。もてなしができなくてすまんが」
「構わない。長居するつもりはない」
「それで治安判事どのの御用件は?」
つーか、治安判事ってどのくらい偉いんだろ?
若くしてなるには実力かコネか、あるいはその両方が必要な役職なのか。
「そっちの噂はきいている」
「よい噂だといいのだがね」
「少なくともイドと〈蜜〉は扱わないそうだな」
「ああ」
「だが、それ以外の商売は?」
「わしが提供するのは健康にはちきれそうな男たちのための遊興だ」
「アルデミルでは菓子職人ギルドとカトラスバークの運輸ギルドを支配下におさめている」
「菓子職人ギルドはきちんと購入したし、カトラスバークのギルドは設立に甥がかかわっただけだ。支配だなんて大げさなものではない」
「だが、毎月の上納金を得ている」
「わしが行ったアドバイスに対するささやかな礼をもらっている。何が心配なのかね? わしが沖仲士のギルドをつくって荷揚げの実権を握って荷主を恐喝するのが怖いのか? それとも馭者ギルドを牛耳って、号令一つで市に麦一粒も入ってこなくなるのが怖いのか?」
イヴェスは首をふった。
「好きなようにやればいい。だが、司法には値段がある」
「司法の世話になるようなことをした覚えはまだないが、これからするかもしれないな。値段は?」
「裁判所長官が月に金貨で五十、治安判事が十、警吏が三、捕吏が銀貨で三十枚前後。警吏は捕吏の分も受け取り、配分することになっている」
「いい商売だな。まあ、分かった。こっちも知らないわけではない。金は甥にもたせる。治安裁判所に届けよう。一つ、質問があるのだがいいかね?」
「なんだ?」
声がいらついている。あんま気の長いほうじゃねえな。
「他人の賄賂のために使い走りをするのはなぜだ?」
「……どういう意味だ?」
「汚職役人はこれまで大勢見てきたが、あんたの靴、安物だ。高くていい靴を履かない汚職役人なんて絶対にありえない。チョッキを飾る金の鎖もないし、大きな石をはめた指輪もない。剣は武骨な軍人用で、その外套、袖口がすり切れかけている。つまりだ、どう見ても、あんたの格好は安月給で働く法の番人にしか見えない」
「……狂った王の物語をきいたことはあるか?」
「あるかもしれないし、ないかもしれない」
「ある国に聡明な国王がいた。民もまた聡明であったが、その飲み水が汚染され、飲むと頭が狂う病気が流行り始めた。狂人の数は増え、正常な人々が一人また一人と狂っていく。国王をはじめとする正常な一握りの人々は水を飲むのをやめるよう狂人たちに言うが、狂人たちは自分が狂っているとは思っておらず、むしろ正常な人間が狂っているのだと糾弾した。数で負けた正常な人々は抵抗をあきらめ、水を飲み、狂い、最後は王だけとなった。民は水を頑として飲まない王を狂人だと決めつけ殺害してしまおうとし始めた。王妃が泣きながら、王に水を飲むように懇願した。この国ではもう水を飲んで狂うことこそが正常なのです、だからどうか王も水をお飲みください、と。王はついに水を飲み、狂人となった。民は王がまともになったと喜び、王国は長く栄えた」
「ふむ」
これ、アル・パチーノの『セルピコ』できいたことあるぞ。あれも警察の汚職がテーマだったっけ。
「今度はこちらがききたい」
「どうぞ」
「なぜイドや〈蜜〉に手を出さない?」
「あんなもの売るなら、川底の泥をすくって売ったほうがまだマシだ。これでこたえになるかね?」
「……今日は引き上げることにする」
「さようなら、判事さん」
判事を外に送り出し、元の姿に戻って、金庫がわりの梱をあけて、役職ごとに金貨を袋に小分けしたところで、アッ、しまった、と舌打ちした。
あのヤク嫌いのブルトーザー少女のこときいてみればよかった。
イヴェス判事はどうやら清濁併せ飲み型の正義追及野郎だから、きっと相通じるところはあるに違いないし、何か知っていてもおかしくない。
質問するのにいいチャンスだった。
いかんなあ、来栖ミツル。お前、今日はどうも冴えないぞ。
しかし、治安裁判所に賄賂を取られ、たぶん騎士団からも賄賂を取られる。
仕方ない。この稼業、稼ぎの半分は賄賂に消えるから。
「そういうわけでこれから治安裁判所に賄賂持っていくけど、一緒に行く人、手ぇ挙げて!」
「はーい」
「はいなのです!」
いつもの四人か。
〈インターホン〉とエルネストは留守番で、トキマルは消えた。
どっかで寝てるんだろう。
――†――†――†――
カラヴァルヴァはロデリク・デ・レオン街によって東西に分かたれている。
東側が貧民街、西側がちょっとだけマシな旧市街になっている。
とはいっても、カラヴァルヴァというのは市全体が悪徳にどっぷり漬かっているから、この差別に意味はない。
たとえば西側には学校がたくさんあるが、そこで学ぶ学生たちはカネになるものなら何にでも首を突っ込む犯罪者予備軍であり、万引き、ポン引き、代理決闘からイドの密売まで何でもやる。
そして、カネには意地汚い。カラヴァルヴァに住む学生で本屋にきちんとカネを払って教科書を買っているのはほんの一握り、ほとんどはロデリク・デ・レオン街の西側にある〈棘魚亭〉の盗人に依頼してほしい本をかっぱらわせている。
このなかには高等法学院に通う未来の裁判官も大勢いる。
司法官の卵たちはもういっちょ前に犯罪者とやり合っている。
あと、西側には商業地区と呼ばれているところがある。
シデーリャス通り、甲冑職人街、赤ワイン通り、サンタ・カタリナ大通り、アルトイネコ通りに囲まれた五角形の街だが、ここにはたくさんの銀行がある。
ところが、カラヴァルヴァにおいて銀行とはカジノのことであり、商業地区で本物の銀行業務をやっているのは公営質屋だけだ。
ここでのギャンブラーの黄金ルートは〈銀行〉で有り金をスり、公営質屋に行って、カネに変えられるもの全部カネに変えて、リベンジしに〈銀行〉へ飛んで返って、今度こそホントのスッテンテンになる。
すると、ちょうどいいことにこの街区にはカザレス塔という十二階建ての塔があるから、そこに登って、紐なしバンジーを決行する。
ちなみにこれから賄賂を納めにいく治安裁判所はこのカザレス塔と向かい合って立っている。
我らがイヴェス判事も人間が地面に激突してトマトケチャップみたいになるのを見たのは一度や二度ではないだろう。
ここまで話せば、ロデリク・デ・レオン街の西側もまたとんでもねえくそったれた状態にあることが分かる。
もちろん、そういう市だからこそ、長く腰を落ち着けようと思い、そして、カネで手なずけられる役人や騎士はできるだけ手なずけるべく、シデーリャス通りを西へテクテク歩いているのだ。
ところで、道行く男たちのおれに向ける視線がめちゃ厳しい。
かわいい女の子四人と一緒に歩いているもんだから、嫉妬の対象になっているらしい。
かくいうおれも転生前はあっち側の人間だった。
でもね、彼らはおれが女の子たちとピクニックにでも行くと思ってるんだろうけど、違うの、おれ、これから治安裁判所に行くの。
それにほら、よく見て。この子たち、みんなぴっちりとした黒装束でしょ?
そ、アサシンなの。
おれは四人の職業的暗殺者を連れて、治安裁判所に行くんだけど、自首しにいくわけじゃないの。
賄賂払いに行くの。
専門用語でいうところ、国家による法に依らない収奪ってやつを受けに行くの。
ひでえ話だよね。
でも、今はまだ、そんなに悪いことしてないけど、たぶんこれから悪いことわんさとやるはずだから、転ばぬ先の杖でお金払いに行くの。
でも、ぱっと見にはそうは見えない。
女の子たちとキャッキャしてる。
でも、本当は法の番人にカツアゲされに行くの。
おら、ジャンプしろ。チャリンチャリン! まだ、あるじゃねえか!
いやーっ! やめてーっ! とらないでーっ! それ、ジャンプ買うためのお金なのーっ!
……世の中を楽しくするのは意外性とギャップだぜ、ベイビー。




