第四十三話 アサシン、飛行船VS鍋。
ダンジョンにて、牙の生えたひとつ目のリンゴを切り刻むか、吹き飛ばすか、潰すかしながら、地底を目指すのは、とてもとても楽しい。
なんの生産性もなく、これで世界が救われるとか普遍的な社会福祉の達成があるわけでもなく、ヴォンモたちの頭にあるのは返り血よりもタチが悪いベトベトの果汁をかけられないよう素早く動くことと、あの領事への復讐だった。
来栖ミツルはゴッドファーザー・シリーズに通念しているスローガン『忠誠には恩恵を、裏切りには復讐を』をメイド、非メイド区別せず、念入りに言ってきた。
その手法はサブリミナルのような小さな工夫で刷り込むと言うよりは、もっと狂気じみていて、台所で夜食のソーセージを焼いていたら、突然、『忠誠には恩恵を! 裏切りには復讐を!』と発狂し、誰かがぶん殴って止めるまで叫ぶというものだった。
スラムで出会った、親切だが、アタマがおかしい片栗粉モグラが言うには、地底の奥底で大昔の飛行船のようなものを見たという証言がモグラたちから寄せられていて、それに乗れば、一撃必殺地上へ出られるのではないかと言うのだった。
親切だが、アタマがおかしい片栗粉モグラが言うには、あの領事はアタマのおかしいやつであり、モグラ社会はあの狂人を檻に閉じ込めるべきなのに、余った労働力の再配分で、自分まで閉じ込められたのは納得いかないとのことだった。
その晩、親切だが、アタマがおかしい片栗粉モグラと親切でないし、アタマもおかしい領事は壁一枚を挟んで、相手がいかにアタマがおかしいかを証明しようとして怒鳴り合ったという。
さて、飛行船があるというのはいいのだが、それに乗ったら、領事への報復ができず、また来栖ミツルが第六感でそのことを察知し、『忠誠には恩恵を! 裏切りには復讐を!』と発狂し、誰かがぶん殴って止めるまで叫ぶかもしれない(とはいえ、このとき、来栖ミツルはアサシンウェアをまとって、司法取引や裁判所への侵入などやりたい放題やっていたから、どのみち発狂はしていることになる)。
「発狂している人間を殺すのは楽しい。体にもいい」
クレオがそう言った。
「その発言自体が発狂の証であることに気づけ」
「ジャック。きみは発狂した人間を殺したことはないのかい?」
「分からない。相手が発狂しているかどうかなんて、どうやって分かる?」
「なんか、そんな感じのやつはいなかった?」
「そうだな……ピアノの鍵盤の上で盛りのついた猿みたいに踊り狂っているやつを殺したことがある」
「それは発狂とは違う。ただの新感覚馬鹿だよ」
「なら、おれに発狂は分からない。あるいは発狂している人間を殺したことがない」
「発狂した人間の第一の特徴を教えてあげよう。狂った人間は自分が狂っていることに気づかない。さらに症状が重いと、この世の人間は全て狂っていて、正気なのは自分だけだと思う」
「それなら分かりやすいな。だが、それだと――オーナーが当てはまらないか?」
「その通り。ミツルくんは狂ってる」
――†――†――†――
親切だが、アタマがおかしい片栗粉モグラの言う通り、地底の奥底には光る結晶に囲まれた魔導飛行船が鎮座していた。
よく見ると、祭壇のようなものがあり、お供えの末路らしき骨が転がっているところを見ると、この飛行船を偶像崇拝していた連中がいたようだ。
しかし、その骨はモグラのものではないし、人間にしては大腿骨が大きすぎる。
この点について、親切だが、アタマがおかしい片栗粉モグラは何も言っていなかった。
「シップがいたら、何とかなったと思うんですけど」
ヴォンモが魔導機関の燃料庫を開けると、中身は空っぽ。
機械に詳しくない面々だが、燃料がなければ飛べないくらいは分かる。
とりあえず、目につくものを全部燃料として窯に放り込むことにした。
お供えの骨、倒したベリー、それに光る結晶。
一番、放り込みたいのは領事だが、それは他の機会にすることにする。
まわりがきれいさっぱりしたところで、機械を蹴飛ばすと、飛行船はブルブル震えながら、なんとか浮かび始めた。
高度三十メートルあたりで操縦方法が分からないことに気づき、飛行船は竪坑の壁にぶつかりながら、上昇していく。
窯のなかからバンバンと扉を叩く音がするのはお供えの骨に憑依していた悪霊が燃えているかららしい。魔導機関というものは悪霊まで燃料にするのだ。
高度五十メートルほどのところで、空飛ぶ鍋があらわれた。
プロペラがパルパルまわっているその鍋にはあの領事が乗っていて、ヴォンモたちを意地でも地上世界に帰したくないらしい。
空飛ぶ領事鍋には弩砲がついていて、人間が食らったらふたつにちぎれるほどの矢が飛行船の気嚢を容赦なく突き刺さった。
「イヒヒヒヒ! 帰すものかぁ!」
飛行船には兵器がなかった。
きっと古代文明の観光船だったに違いない。
いや、観光船だって、魔物の襲来に備えて、大きなクロスボウくらいは装備するものだ。
古代文明の防犯意識の低さに文句を言いながら、領事が放つ矢から右へ左へ逃げている。相変わらず窯のなかからはドンドンと叩く音がする。
ジャックが一か八かやってみたいことがある、というので任せると、悪霊が現在進行形で燃えている窯の扉を開くというのだ。
「えっと、ジャックさん。それってまずいんじゃないですか?」
「ああ」
「ククク。ある種の賭けかい?」
「そういうことになるな」
ジャックが窯の扉を開けると、蒼白く燃える半透明の悪霊が腕を伸ばした。
その腕は怒り狂って手に青筋を浮かび上がらせ(悪霊にも血液が流れている。新しい発見である)、何か巻き添えにできるものはないかと手探りし、そして、空飛ぶ鍋をつかんだ。
ヴォンモがさっとフィッツの目を隠したのだが、その直後、半透明の巨大な手は領事ごと空飛ぶ鍋を握りつぶし、そのまま窯のなかに引きずり込んだ。
ジャックが扉を蹴って閉めると、魔導飛行船は急上昇を始めた。
生きた人間を『ボルサリーノ2』のラストみたいに窯に放り込むと、飛行船はほとんど垂直になり、それぞれが落ちたらミートパイだと、近くの固定物にしがみついていると、飛行船の舳先はモグラ地底帝国の天井へとぶすりと刺さり、土が波みたいにかぶさって――ヴォンモたちは地上に帰っていた。




