第二十四話 アサシン、地元のラケッティア。
「役人さんにお金を払って、マスターを外に出してもらいましょう!」
「ああ。そうだな。行くぞ」
「はいっ」
「ククク。ところで、どうやって役人を買収するんだい?」
「それは、お金が好きな役人さんを見つけて、買うんです」
「問題はどうやってお金が大好きな役人を見つけるかなんだけど」
こんなとき、来栖ミツルはどうやったか、三人で思い出そうとする。
だが、思い浮かんだのは来栖ミツルが麻薬犬のごとき嗅覚で汚職役人の居所を難なく突き止め、カネを握らせる様子だった。
「……どうしましょう」
来栖ミツルがあまりにも簡単に行っていたので、誰でもできると思ったわけだが、実はいろいろコツがある。
自分を大きく見せて必要以上のカネをせびるくらいならいいが、ときどき法に奉仕することでしか性的興奮を得られないアブノーマルな役人がいて、この変態たちが汚職キャッチャーとして、自分を汚職役人に見せかけて検挙を行う例外もある。
こうなると、やることはひとつ、この島の来栖ミツル、つまりラケッティアを見つけることだった。
この島での犯罪は暗殺を除くと、数当て賭博があるようだった。
小規模な区域でもできるラケッティアリングとして人気のある数当て賭博は集金のために多くの素人を使うことになるため、この集金役が官憲とトラブルにならないために賄賂を用意する。
この島では賄賂を払うことを『剣に毒を塗る』と古くは呼んでいたようだ。
つまり、役人が暗殺用の剣を持っていたら、ラケッティア側は恭しく、その剣に毒を塗って差し上げる。
カラヴァルヴァくらいの犯罪都市なら、ちょっとした権限を持つ中級役人でも家の頭金を賄賂で作り出すことが可能だが、アサシン・アイランドではそこまで高額にはならないのだろう。
それに何より、この島は全員がアサシンである。
人を殺して小遣い稼ぎができるのだから、ラケッティアリングに見向きもしない。
純粋な教育を受けたアサシンが暗殺以外の犯罪でカネを稼ぐのが苦手なのは、ヴォンモたちが生きた証拠である。
今ごろ、おたふく風邪でひいひい言っているガールズだって、類まれなる暗殺の腕があっても来栖ミツルと出会うまでは餓死寸前だったのだ。
さて、数当て賭博の司令部がどこかにある。
そこにこの島のラケッティアリングの元締めがいて、来栖ミツル釈放のためになる賄賂のアドヴァイスを送ってくれるだろう。
誰が言うわけでもなく、三人はバラバラになってラケッティアを探すことになった。
三人とも実力はあるから、無頼漢に絡まれたら、奥歯ガタガタいわせることができるのだ。
ヴォンモはある雑貨店を見た。
いろいろな木の実やキノコの油漬けを壜に詰めて売っている店なのだが、そこの店主が集金人らしいスカーフを首に巻いたアサシンに貨幣と賭け札が入っているらしい袋を受け取って、それを大きな手提げ箱に入れて、握手をしているのを見たからだ。
島では数当て賭博は犯罪だから、「いまのは集金人ですか?」とはきけない。
そこで尾行するわけだが、相手もアサシンでよく気をつけているらしい。
しかし、尾行を気をつける行動と効率のよい集金は両立しない。そのうち、スカーフのアサシンはボスがたっぷり賄賂を払っているのは何のためかを思い出したのだろう。集金に集中することになった。
そして、ついに街外れのプリンツィプ通りにある集金所を見つけた。
それなりの大きさの建物で右側の屋根が斜めに地面まで届いていて、滑り止めの板が斜面に打ちつけられて、屋根の上に登れるようになっていた。
屋根に登るとシーツが何枚も干されていて、人の影が風にバタつくシーツのなかでぶるぶる震えていた。その影はみなツバの広い帽子をかぶっていて、大きな剣を下げている。
屋根からの侵入はもめそうなので諦め、集金人のふりをして、堂々と正面から入ることにした。
かつて、来栖ミツルはヴォンモにこう言ったのだ。
「これからの長い人生でナンバーズの集金所に忍び込みたいときが出てきたら、『ビリー・バスゲイト』を思い出すんだ。さも、カネが入っているふりをして菓子パンを入れた袋を持ち込むんだ。もちろん、袋の中身はすぐにひっくり返される。カネじゃないとバレる。でも、入れるんだ。それが『ビリー・バスゲイト』よ。それに裏切り者にコンクリートの靴を履かせて川に沈めたいときも当てにできる。それが『ビリー・バスゲイト』よ」
近くで買った揚げパンを手に集金所に入ると、入ってすぐカウンターにぶつかった。ドアを開けたら、二歩先にカウンターがあったのだ。
その後ろでは計算係が賭け札の額と実際の額を計算して、あとで元帳に記帳するために孫帳簿に数字を綴っていた。
集金係は持ってきた袋をカウンターにひっくり返し、それを受けつけの強面がチリトリで集めて、計算係の机にざらっと落とす。集金係は報酬の小銭をもらって、また外に出ていく。
ヴォンモの番がきて、カウンターに中身を開けると、揚げパンが七つ転がり出た。
カネのかわりにパンが出たら、強面は殴りかかるかと思ったが、強面はパンのひとつをつかんで、噛みつき一撃で半分以上を食べてしまうと、残り六つのパンを袋のなかに入れて、カウンターの扉を開け、なかに入るよう促した。
ヴォンモは羽根ペンが数字を綴るテーブルのあいだを歩いたが、計算係のなかでも上役らしい男が何も言わず、ヴォンモの袋に手を突っ込んで揚げパンをとった。
そうやって歩いているうちに集金所の裏口までやってきた。
そのころには揚げパンはひとつだけだった。
裏口には剣を二本差した目の鋭い剣士が座っていて、最後の揚げパンを袋ごと取り上げた。
そばの机に揚げパンを転がすとナイフを出して、揚げパンをふたつに切り、引き出しにしまってあった壺からクリームをたっぷり塗って、ビロードの内張がしてある小さな木箱に揚げパンサンドを入れた。
そして、裏口の扉を開けると、ヴォンモの背中をポンと押して、すぐに扉を閉めてしまった。
そこは公園の森みたいなところで、潮風に緑樹が揺れ、木漏れ日が踊っていた。
馬車が通れそうな幅の道がついていたので、ローファーの底で砂利を鳴らしながら歩いていると、二頭立ての箱馬車がヴォンモを追い越した。ヴォンモの鍛えた目は艶出し仕上げの扉にスターリオ商会という飾り文字が騎士を貫く槍の紋章の上に書いてあるのを見つけた。
騎士の目にはいわゆる騎乗槍が刺さっていて、槍試合でしくじってしまったように見えた。そんな絵を紋章にするスターリオ商会がどんなものか、まあ、おそらく〈商会〉なのだろうと思いつつ、静かな森の小道を歩いた。
そのうち、スターリオ商会の箱馬車が停まっているのが見えた。
馭者席には煙草を噛んでいる若者がいて、その隣の男はラッパ銃を膝の上に置いて、裸婦の本をじっと真面目な顔をして眺めていた。
そこから手入れされたシダのある小道を進むと、少し開けた場所に半分木造で半分煉瓦の古い家が見えた。階段を上がった先に両開きの扉があり、開けると、いきなり広間に入った。
槍を目に差した騎士のタペストリーがひとつかかっている他には何もなく、右の壁に扉のない出入口があり、
「どうぞ」
と、声がした。
ヴォンモはちょっとムッとした。
自分だって修行中とはいえ暗殺者である。
何かの約束の来訪と勘違いしているのかもしれないが、こんなにあっさり入れると、まるで「お前なんかいつかかってきても倒せるんだ」と言われているようだ。
そこでヴォンモはポケットの小さな手鏡で確かめながら、善悪の判断を捨ててしまったように見える微笑みを浮かべ、それを維持したまま、ナイフを、といっても小さめのスローイング・ダガーだが、ともあれ、刃物を手に、ゆっくりと事務室に入っていった。
事務室はガランとしていて、大きなテーブルに三十代くらいの男がひとり、何かの絵を描いていた。
テーブルの他には外套かけと今の季節には用のないストーブがあるだけで、壁には細長い大きな窓がいくつかあり、緑の葉が揺れているのが見えた。
ちょっと見ると、出入口やドアはヴォンモが入ってきたもの以外にない。
つまり、この建物は玄関広間とこの事務室しかないのだ。
ヴォンモ・スマイルと手の刃物を見れば、カタギだけではなく、それなりの悪党も『ヤバい!』と思うものだが、男はそれなりの研鑽を積んだ犯罪者らしく、恐れるようなそぶりは見せず、
「パンを」
と、手を伸ばした。
ヴォンモは何だか納得いかないなと思いながら、クリームを挟んだ揚げパンの入った袋を渡した。
じっとりと油の黒いシミのできた袋だけを返して、
「あそこに入れておいてくれ」
と、ストーブを指差した。
何だか納得いかないなと思いながら、ストーブの蓋を開けると、そこには紙くずは乾いた枝でいっぱいだった。
そのあいだ、男はというと、引き出しから小さなフライパン、小瓶、そして握りこぶし大の小箱を取り出して、全部をフライパンにのせて、ストーブとヴォンモのほうへやってきた。
「その刃物をしまって、この箱と小瓶を持っていてくれ」
何だか納得いかないなと思いながら、と思いながら、スローイング・ダガーを鞘に納めて、小瓶と小箱を持ったが、そんなふうにしていると、まる寓意画のモチーフになったようだ。
男はフライパンをストーブの上にのせて、右手をストーブのなかに突っ込むと、指をパチンと鳴らした。
すぐに火がついて、炎と言ってもいいくらいの大きさになったので、男は慌てて手を引っ込めて、黒鉛を塗ったドアを閉じた。
男はヴォンモの手から小瓶をとって、フライパンになかの油を垂らした。
徐々に熱くなるフライパンを傾けて、全体に油を行き渡らせると、また小瓶をヴォンモに持たせて、今度はヴォンモに持たせたまま、小箱を開けた。
なかはビロードの内張りをしてあって、卵がひとつ、きれいに鎮座してあった。
卵の殻をフライパンの縁で割り、フライパンに落として焼き始めたが、小箱の裏に折りたたんであった薄いベーコンを引っぱりだし、フライパンに投げた。
「それで、何のようだね?」
「ボスに会いたいんです」
「どうして?」
「役人さんを買って、マスターを釈放させるためです。あなたはボスですか?」
「いや」
男は首をふった。
「わたしは支配人代理だよ。あれを見たまえ」
ストーブのすぐそばの壁を指差した。
先ほどまで何もないと思っていたその壁にはひどく煤で汚れた大きな肖像画がかかっていたのだ。
汚れているから分からないが、そのなかの初老の男はひどく不機嫌な顔をしていて、剣の柄に手を置いていた。かろうじて見えるのは肩までかかる大きな白い襟だ。
「この人がボスですか?」
「いや、彼は支配人だ」
目玉焼きが出来上がると、フライパンをストーブから持ち上げ、一緒に来るようにヴォンモに言った。
男のテーブルには縄で編んだ鍋敷きがあり、それにフライパンをのせると、また引き出しを開け、赤い液体が入った小瓶を取り出したが、そのラベルには『馬鹿な真似はやめろ! おれを垂らすな!』と書いてあったが、男はたっぷり三滴垂らした。その液体がフライパンに落ちて、じゅう!と煙をあげると、目が開けていられないほどヒリヒリして涙が出始めた。
「その箱と小瓶はテーブルに置いていい」
箱と小瓶を置くと、ハンカチを取り出して、ヒリヒリした涙をぬぐった。
男はナイフとフォークで目玉焼きを丁寧に小さく切っては口に運び、赤い調味料がかかった場所も平然と食べている。
「ボスに会いたいんです」
男は口を拭い、うん、とうなずいた。
「分かっている。きみはわたしに揚げパンを持ってきてくれたし、卵の箱と油の瓶を持っててくれた。それにクルス・ファミリーの身内だし。できることはしたいが、この通り、わたしは支配人代理であって、ボスではない。支配人ですらない。ボスに会いたいなら、まず支配人に会わないといけない。わたしがきみに会わせることができるのは支配人なのだ。そして、これからすることは支配人に会う唯一の方法だ。悪意はないことを言っておきたい。分かってほしい」
そう言って、フライパンのすぐ横にあるボタンを押した。
すると、ヴォンモの立つ床がパカッと口を開き、ヴォンモは何だか納得いかないなと思いながら、落ちていった。




