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ラケッティア! ~異世界ゴッドファーザー繁盛記~  作者: 実茂 譲
アサシン・アイランド 名探偵は真犯人編
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第二十三話 ラケッティア、出廷。

 蚕棚みたいな仮眠室を抜けると、役人たちが住むいいかげんな造りの区画に入った。

 壁の漆喰が剥げて、レンガや木組みが見えたり、裸の子どもがタオルを手にした母親に追いかけられたり。

 あるときは通路が共同炊事場になっていて、魚の頭が煮立っている鍋とぽたぽた雫を垂らす洗濯物のあいだを器用に通り抜けなければいけなかった。


 しかし、裁判にかかわる役人たちの生活レベルがあまり高くないというのは被告にとってはいいことだ。

 毎月の支払に追われる下級司法官なんて、金貨一枚で何でもしてくれる。


 例えば、おれの案内係だ。


 着ているお仕着せはすっかり型崩れしていて、肩がへこみ、生地の黒さにムラがあり、埃が絡んだみたいに白っぽくなっている場所が点々としている逆パンダ状態だ。

 外套の後ろのウェストベルトを留めるはずのボタンが片方とれていて、ボタンを買うカネも惜しいのか、焼き肉で発生する骨の欠片を縫いつけてある。


「なあ、あんた」


「なんですか?」


 と、案内係。


 おれは案内係の手に金貨を一枚握らせた。


 これはなんですか?ときかず、案内係は横のドアのひとつに入って、この水準の生活で持ち出せる最も高級な椅子を持ってきた。


 ひじ掛けは左右で違う材質の木を使っていて、背もたれに蔓草と花の模様があるクッションがあるが、継ぎ布で穴を塞いだ跡がひい、ふう、みい、で五つほど、歪な果実みたいになっているのがある。

 ケツを置くクッションはぺちゃんこだ。脚の長さも違う。


 でも、案内係はおれを法廷に案内する以外に、おれが座るための椅子を持っている。

 これは大きなアドヴァンテージ。


 完全アウェーの法廷闘争で、おれは監禁場所から法廷に行く短い時間におれのための椅子を持ってくれる役人を作り出した。

 裁判官と陪審員(そんなものがいればの話だが)と傍聴人(これは確実にいる)は被告が油断ならないずる賢さの持ち主であることに気づくだろう。


 もちろん椅子はひどくお粗末でカラヴァルヴァの一番貧乏な貸家だってもっとマシな椅子を置いているが、大切なのは椅子そのものではなく、椅子を持つ役人なのだ。

 おれのために便宜を図る役人がいて、しかも、その役人はただの案内係なのだ。

 それなら、もっと大きな便宜を図れる裁判官と陪審員は案内係よりもたくさん払ってもらえる。


 カネで転ばない役人なんて架空生物っすよ。


 案内係は突然、横に曲がった。

 非常に短い廊下の行き止まりに扉があり、それを開くと、また台所があった。居間らしい部屋に大きなまな板が置いてあって、赤ん坊を背負った若い女が大きな肉切り包丁を豚の骨付き肉に叩きつけて、バラバラにしている。女の頭上には木の板が吊るされていて、〈肉屋〉と書いてあった。


 女は親の仇を討つみたいに包丁を叩きつけていて、案内係は椅子を持ちながら、女のふりまわす包丁と壁のあいだを苦労して通っていく。

 よく見ると、女の後ろにまた別のドアがある。


 緑色に塗ったドアを開けると、さほど天井が高くない中くらいの部屋が待っていた。


 なかは人でいっぱいで、右隣と何か話していたかと思ったら、次の瞬間には左隣と話している。その話の内容はおつまみ用干し肉みたいに細切れで会話に意味があるように思えなかった。まるで、自分は口がきけることを証明したいだけにも思える。


 部屋の人間のラインナップは老若男女のどのサイズも取りそろえなのだが、服については、どいつもこいつも同じの地味な格好をしている。女は生地のよれた黒いドレスに白い前掛け、男は黒い余所行きの服に白い大きなカラー。そして、男女共通なのが黒くツバが広い帽子。


 こいつらが仮にアサシンだとして、もっと稼げないのかと疑うレベルに質素な服だが、むしろ人を殺したカネで着飾るのを好まない、倫理観の持ち主なのかもしれない。


 そうなると、数々の殺人教唆にまみれた我が半生はなかなか不利な位置に立たされるかもしれないが、さっきも言ったようにカネで転ばない役人はいない。


 ともかく法廷に行って、審判とやらを受けなければいけない。


「法廷はまだか?」


「これが法廷です」


 これが法廷?


 予想外の搦め手だな。

 法廷ってのは普通、司法サイドが犯罪者サイドに「お前はとんでもないやつを敵にまわしたんだ、バカめ」と思い知らせるために荘厳でカネのかかったものになる。

 横に広く、天井が高く、奥行き十分で、陪審員席なんてちょっとした雛壇になっていて、一番後ろの席の陪審員ともなると、霞んで見えるし、天井と頭がぶつからないために法服帽子に綿のクッションを詰め込まないといけない。

 そして、たいてい、ステンドグラスが裁判長席の真後ろにあるが、これはたいてい秤を持った年老いた神さまのステンドグラスで、犯罪者から搾り取った罰金があるから、大聖堂をつくる最高のステンドグラス職人を呼んできたってわけだ。


 しかし、この法廷はどうだ?


 広さも高さも足りないし、何よりステンドグラスがない。

 まるでおれの起訴内容がひどくありふれていて、このくらいの法廷で十分だと言われているみたいだ。


 現代日本では『生まれついての詐欺師』と呼ばれ、こっちに来てからは犯罪王として知られるこの来栖ミツルが、そんな軽犯罪専門の裁判所みたいなところで裁かれたんじゃあ、舐められる。


「おれはここで裁かれるつもりはないぞ」


 案内役にそう言ってやった。


「しかし、あなたの審判はここで行われる予定です」


「伯爵殺しの裁判するにはせこくないか? この法廷?」


「先ほども言いましたが、あなたは伯爵殺害で裁かれるのではないのです」


「じゃあ、何の罪なんだ? 起訴状を見せろよ」


「何の罪で裁かれるかは審判が明らかにしてくれます」


「じゃあ、ここは何で裁かれるかを明らかにするための法廷で、もっと立派な法廷があるってことか?」


「わたしは案内係なので詳しくは知りません。しかし、あなたは起訴内容が明らかになっても、ここで裁かれるでしょうね」


「なんで、そんなこと知ってるんだ?」


「知っているわけではありません。これまでの裁判から予想しているだけです」


「まあ、いいや。じゃあ、何で起訴されたのか、明らかにしてもらおうじゃんか」


 おれは判事席を探した。すると、入ってきたドアとは反対側の場所に細長いテーブルがあって、三人のヒゲの男が座っていた。左から頬ひげ、口ひげ、顎ひげで、傍聴人たちと同じ黒い礼服にツバの広い帽子、そして白いカラーをつけていたが、他の連中よりも大きいし、レース装飾が縁にくっついていた。


 テーブルにはデカすぎる書物、羽根のペンを差した金属の輪っか、それにディベート大会で長々としゃべるやつを黙らせるときに叩いてチーンって鳴らすベルがあった。書物は判事ひとりにつき、一冊。


 真ん中の口ひげが一番偉い判事らしいことがなんとなくうかがえた。


 口ひげが最初に一発。


「なぜ、ここに呼ばれたか分かっているかね?」


 知らねえよ馬鹿、と言いそうになったが、ここでちょっと立ち止まって、


「それを知るために来ました。裁判長閣下」


 両サイドの顎ひげと頬ひげが叫んだ。


「それを知るために来たのだ!」


 傍聴人だか、見物人だかが音痴な社長のカラオケにやるみたいにパチパチと拍手した。


 口ひげが言った。


「きみは代言人がいないようだが」


 確かにおれには弁護士がいない。

 こういうとき、『何をきかれても、憲法修正第五条を繰り返せ』とアドバイスしてくれる専門家がいない。


「そんなもん雇う暇がなかったのです。裁判長閣下」


 と、言いながら、おれの後ろに椅子があると思って、そのまま尻餅をついた。


 ケツの骨が割れたかと思ったぜ、ベイベー。


 おれが座るはずの椅子を案内人が座っていた。


 フィラデルフィアのリトル・ニッキー・スカルフォは三度のメシより殺しが好きな殺人鬼みたいなボスで、派手に血の雨降らせて、他のボスからひかれていたが、それでも自分から賄賂をもらいながら、有罪判決を下した判事を殺したときは、他のボスたちは当然だと擁護した。


 マフィアが警官や判事殺しを禁じているのは知っての通りだが、こっちから賄賂をもらっておきながら、仕事をしない、賄賂を返さない、結果はムショ入りとなれば、殺してもいいというのが暗黙の了解だった。


 つまり、この案内係を殺しても、カラヴァルヴァの各ファミリーはおれのことをガエタノ・ケレルマンみたいな殺人鬼と後ろ指を指すことはないのだ。


 おれのなかの死のリストに載ったことも知らず、ポケットから取り出したナッツの殻を爪で割っている案内係。

 そもそも、この馬鹿野郎が何も言わずにここにおれを連れてきたから弁護士がつけられなかったのだ。


「裁判長閣下」


 おれはこの尻餅で失われかけた尊厳を取り戻さんと立ち上がる。


「思うに、案内係の不案内のために、おれっちに代言人を雇う機会が失われてしまったのであります。もし、裁判長閣下がお許しになるなら、おれっちはおれっちを代言人に指名するものであります」


 テッド・バンディか原作版カリートの道のカリート・ブリガンテみたいでしょ?


「それは許可できない」


 まるで紙飛行機を叩き落すように口ひげが言った。


「裁判に代言人は必要だ」


「そう法律であるのですか?」


「ない」


「じゃあ、おれっちはおれっちを代言人に指名するのであります」


「法律はないが、慣習がある」


「慣習に拘束力はあるのでありますか?」


「ない。だが、我々、裁判官は民衆の正義と法の示す正義が不必要に接近し過ぎることがないよう努める義務がある。そして、同様に裁判官は民衆の正義と法の示す正義が乖離し過ぎることがないよう努める義務がある。この乖離に対応する際、慣習の存在が必要となるのだ」


「裁判長閣下。それはおかしいのであります。なぜなら、現在、おれっちはなぜ起訴されたか知らないのであります。それでは現在、自分に照らし合わされる正義が法と民衆にどのくらいの位置づけを行っているのかが分からないのであります。分からない状況で慣習によって、代言人をつける強制力はないのであります」


「被告人アルベルト・シュヴェマイヤー。慣習に対する態度はまさに未知の起訴に対して――」


「裁判長閣下! 裁判長閣下!」


「なんだね?」


「被告人の名前をもう一度言ってほしいのであります!」


「被告人アルベルト・シュヴェマイヤー」


「それはおれっちの名前ではないのであります」


 口ひげと頬ひげの顔が、ん?となった。顎ひげは目の前の書物を開いている。


「では、きみの名前は?」


「おぎゃあと生まれてこの方、ずっと来栖ミツルの名前で世のなか通ってきているのであります。裁判長閣下」


 ヴィンチェンゾ・クルスの名前を使ったことが何度もあるが、それはまあ、置いておこう。


 口ひげと頬ひげがひそひそやり始めた。顎ひげはあくびをしている。


 そのうち、口ひげと頬ひげは顎ひげに意見を求めた。

 顎ひげはこのなかで唯一ひげが白い。


 裁判長は口ひげだが、顎ひげは小さな村の長老みたいなもので、こういう困ったとき、解決策をずばり通してくれるらしい。


 顎ひげが重々しく口を開いた。


「被告人来栖ミツル。今日はもう帰りなさい」


 裁判長の知恵袋にしてはチンケな知恵だが、代言人も雇わないといけないのと、できることなら、刑務所内での殺人を請け負ってくれるアーリアン・ブラザーフッドみたいなやつらを見つけて、この案内係をぶち殺さないといけないのとがあるので、利害は一致している。


 そもそも、この裁判官たちはアルベルト・シュヴェマイヤーという男を裁くためにいるのだ。


 おれはアルベルト・シュヴェマイヤーに同情した。


 こんなみみっちい部屋で、不実な案内係と輪郭のはっきりしない傍聴人と被告の名前を間違えるトンチキな裁判官に裁判を食らうのだから。


 まあ、おれの裁判はもっとまともであることを祈ろう。


 それこそ、ステンドグラスがあるやつを。

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