第二十話 地獄の釜、覚悟しやがれ。
オズワルド通りにはカンパニー所属のアサシンたちがレストラン〈ライオン亭〉を開いていて、表向きはソーセージと焼き肉を売っているが、本当は殺しの腕を売っていた。
こんな島だから、そのカモフラージュに意味はないのだが、ともあれ、ここには五人のアサシンがいて、事実上、カンパニーの暗殺下請けをしている。
最近、不安定な爆弾をターゲットに投げることに快楽を覚え始めたクレオは火薬ネズミの尻尾をファイアドレイクのよだれが入った壜に突っ込んだだけの、簡単だが不安定極まりない爆発物三つをお手玉しながら、オズワルド通りを下っていた。
爆発物に詳しくないなら問題はないが、詳しいアサシンが通りすがりに見たら、不安で吐く。
もちろん、爆弾エルフ姉妹よりはずっと安定した爆発物なのだが。
午後三時。クレオは鼻歌を口ずさみながら、問題の〈ライオン亭〉まで行く。そして、そこで両手を閃かせると、三本の爆発壜は〈本日休業〉の立て看板をきれいな曲線で飛び越えて、慌てて手を振っているカンパニー・アサシンの上も飛び越えていった。
――†――†――†――
午前十時。
〈ライオン亭〉で爆弾が破裂してから十九時間後。
手あたり次第に殺っちまえ!の手紙が伝書鳩で届いてから、四時間後。
カラヴァルヴァのサン・イグレシア大通りにある古い屋敷の前でウェティアとフェリスがパーカッション式リヴォルヴァーのハンマーをハーフコックにして、シリンダーに雷管がハマっていることを確かめていた。
前庭に短いアラモの並木があり、水が緑に濁った噴水があった。
エンリケ四世様式の屋敷は煉瓦と石材の層が交互に重なっていて、屋敷の中央には玄関のかわりに塔があり、玄関はその塔の左に小さく開いている。
自分たちの最大の武器が〈ずっこけ〉であることを知らない戦術ミスもそのままに屋敷のドアをノックした。
エンリケ四世はイタズラ好きの王さまだったのだろう。
奇妙な位置にあった玄関扉はそのまま厨房につながっていた。
「しーっ、ですわ」
出てきたコックの顔にウェティアが銃を突きつけると、コックは物分かりがよく、二階に〈石鹸〉が隠されていること、なかにいるのは五人で、そのうちひとりは厨房を出て、すぐの控えの間にいて、残り四人は二階の寝室にふたりずついることを話して、大急ぎで短いアラモ並木を走って逃げていった。
燃える石炭の上ではどろどろになった豆シチューがぐつぐつしている。
逆さ吊りのハムや香草の束をくぐると、控えの間に剣を下げた男が「殴ってください」と言わんばかりに後ろを向いていたので、フェリスが銃の台尻で思いきりぶん殴った。
そこで撃鉄が勝手に落ちて弾が発射されて、二階の床を抜いた。
「ごめんね! ごめんね! お姉ちゃん、ドジで!」
塔のなかの螺旋階段の上と下で撃ち合った。
フェリスはリヴォルヴァーをしまって、単発のフリントロック・ピストルを取り出して撃った。それは跳弾特化の弾丸で二階に飛び込んだ弾丸はいたずら好きの妖精のように跳ねまわった。
その弾が二階寝室の隠し戸のバネを断ち切り、〈石鹸〉が五キロ、十個に分けた包みが落ちてきた。
「おい、ブツを拾え!」
そのブツのひとつが青い包み紙から滑り出て、階段をつるつると落ちていく。
そのブツは両手にリヴォルヴァーを手に突撃しようとしているウェティアのブーツの下へと静かに滑り込んでいった……。
――†――†――†――
屋敷の上半分が吹き飛び、灰色の煙が暴れ狂うように空に噛みつくのが遠くに見える。
「やっぱり吹っ飛んだか」
グラムが言った。
「一緒に行かなくてよかったぜ」
〈インターホン〉がそう言って、赤シャツがうなずく。
甲冑職人街に並ぶ法律家の事務所のうち、五階建てのものに三人が入っていき、グラムが足を引きずりながら、一番上の事務所を目指す。
石段は大理石に皿に絨毯を敷いたもので、法律家たちは三人を見ると、どうしてこんな場違いな連中がこの法律家の塔にやってきたかといぶかしんだ。
そのくせ、ここの法律家の顧客のほとんどは彼らに税金のごまかしや判事への違法な仲介を頼みに来るのだが。
法律家と代言人の差は客筋の良さであり、代言人は犯罪者の弁護をするが、法律家はしない。
代言人の顧客は盗人や人殺しだが、法律家の顧客は少しだけルールを破った実業家なのだ。
〈商会〉の仕事ですら、嫌々やる。
黒ずんだ血の跡が残るペイズリーのチョッキや、色の褪せた赤いシャツ、いかにも用心棒ふうの大男の仕事など、誰が受けるのだろう?
一番上の階には絨毯の道が一本だけあって、〈ヨゼフ・サロリアン法律事務所〉という金字に黒紅樹のボードが留めてあるドアが一枚ある。
「こういうドアは蹴破るためにあるんだと思ったんだがなあ」
「きっと、おれたちを門前払いしようとするぞ」
「金貨三千枚を間近に見ちゃあ、難しい」
〈インターホン〉は角に真鍮をかぶせたオークの箱をゆすった。
ドアをノックすると、〈インターホン〉ほどではないが、それなりに大きな男があらわれた。
立派なお仕着せをつけていて、三人の着ているもの全部を合わせたよりも男のチョッキ一枚のほうが高額そうで、それを誇ったところが大男の顔に出ている。
受付嬢が小さなテーブルに小さくついていて、小さな眼鏡を小さく直して、三人にたずねた。
「ご予約は?」
「ご予約? おい、グラム。あんた、ご予約したか?」
「いや、おれはしてねえな。赤シャツ、あんた、したか?」
赤シャツは首をふった。
「じゃあ、ご予約はしてないな」
「それでは先生はお会いできません」
「でも、この箱のなかの金貨たちがご予約してくれたかもしれないな」
〈インターホン〉が宝箱を開けると、日光が金貨に反射して、天井に黄金の光がばらまかれた。
「セニョール・サロリアンにきいてまいります」
おれたちみたいなご予約なしの懲役面でも、偉い法律家に会えるんだから、金貨三千枚はすごいなあ、と思いながら、執務室へ通された。
もちろん武器の類は全部、お仕着せの大男に取り上げられてだ。
サロリアンは思ったより若く、体を鍛えているのか肩のラインが仕立ての外套のなかで盛り上がっている。
口ひげは濃く、口の幅を出さず、金髪を力強く後ろへ撫でつけている。
「座りたまえ」
椅子がふたつしかない。赤シャツは両手をあげて、外の受付室に戻っていった。
〈インターホン〉が座ると、椅子がギシギシ悲鳴を上げた。
「それでどのような用で?」
ふたりはお互いの顔を見合わせた。そして、
「もちろん法律的な用だ」
「そう法律的な用だ」
「具体的にはどのような?」
「声がイライラしてるぜ。おれたちはお客さんだろ?」
「しかも、あんたに金貨三千枚をあげちゃうんだぜ?」
「何か勘違いがあるようだから、言っておこう。金貨三千枚など、わたしにとってははしたカネだ。道に落として拾う気にもなれない」
「そいつはおかしいなあ」
「ああ、おかしい」
「あんた、〈メダカ〉のミリーに払う白銀貨三枚を大銀貨三枚にケチろうとしただろ?」
「そんなミリーなんて名前の女は知らない」
「おれはミリーが娼婦だなんて言ったか?」
「いや、言ってないな」
「わたしも言っていない」
「いやいや、あんたは言ったよ。さっき。そんなミリーなんて名前の淫売は知らないって」
セニョール・サロリアンはため息をついて、
「――いいか、おふざけのつもりでここに来たのなら、お前らは大きな間違いをしている。お前らのようなゲスなポン引きがわたしに触れるだけでも許されないんだぞ?」
「まるで自分にはデカい後ろ盾があるって言ってるみたいだ」
「その後ろ盾ってのは、ひょっとしてケレルマン商会か? なら、屁でもねえな」
「いいか。〈将軍〉の名前をきいたことはあるか? カンパニーのだ」
すると、〈インターホン〉とグラムの顔が蒼ざめた。
「カンパニー?」
「そんな話、きいてないぜ」
ふたりの慌て方を見て、気分がよくなったのか、セニョール・サロリアンの言葉が法律家に許される基準を越え始めた。
「自分たちがどんな相手に喧嘩を売ったのか、ようやく分かってきたようだな。だが、遅い。お前たちのことはしっかり落とし前をつけてやる」
「そんなこと言わないでくださいよ」
「そうですよ。あんた、いや、あなたさまの後ろにカンパニーの〈将軍〉がいたなんて知っていたら、こんなことはしませんでしたよ」
「ひざまずけ。ひざまずいて、命乞いしろ」
ふたりはひざまずいた。
「お許しくださいというんだ」
「お許しください」
「なんだ、その命乞いは? もっと心を込めろ」
「なあ、グラム。びっくりした腰抜けごっこ、飽きちまったよ」
「おれもだ」
すると、ひざまずいた姿勢のまま、グラムが固めた拳を突き出した。
殴りかかったわけではなく、ただ突いたのだが、顔の真ん中を捉えた拳はセニョール・サロリアンにたたらを踏ませ、尻からデスクに乗っかって、鼻血を流しながら倒れるのに十分だった。
「き、貴様らぁ、殺す、絶対に殺す」
ふたりは立ち上がった。グラムは悪いほうの膝をかばうように立ち上がり、膝のついてもいない埃を払う真似をした。
「きいたか、〈インターホン〉。おれたちを殺すってよ」
「どうやって? あんた、鍛えてるみたいだけど、おれもグラムもあんたより目方があるぜ。それにあんたが法律を丸暗記してる時間、おれたちはどうやったら、相手の顔を自分の拳の形、そっくりにへこませられるか考えながら誰かの顔を殴ってきたんだ」
「ヘスス! はやく、こいつらを追い出せ!」
ヘススが扉を開けて入ってくると、そのままぶっ倒れた。
背中にはナイフが深々と刺さっている。
「待て。いいか、わたしがカンパニーに取りなしてもいい」
なにをだよ、このマヌケ!と言いながら、〈インターホン〉とグラムはセニョール・サロリアンに飛びかかり、殴りつけ、左の足首に持ってきたロープを結んで、もう一方で輪っかをつくり、帽子をかけるためのフックにかけた。
セニョール・サロリアンは逆さ吊りである。
「なあ、あんた」
グラムがカミソリでロープを撫でながら、にやにやしている。
「おれは大勢の馬鹿を、もっと高いところから落としたことがある。だから、分かるんだがな、あんたのアタマ、パンケーキみたいになっちまうぜ。頭蓋骨は砕けるんだが、人間の皮ってのは考えてる以上に、丈夫で弾力性がある。破れないんだよ、皮が。頭蓋は粉々なのにな。だから、頭がパンケーキみたいになるんだ。お前、パンケーキになりたいか?」
セニョール・サロリアンは、ぶるぶると首をふる。
「じゃあ、〈将軍〉の居所を教えろ。カラヴァルヴァにいるんだろ?」
「知らない!」
「おい、グラム。アレサンドロ、呼んでくるか?」
「そうだな。なんたって、世にも珍しいパンケーキ人間が一枚出来上がるんだ」
「本当に知らないんだ!」
「じゃあ、知ってるやつの名前を言えよ」
「言った後に殺すんだろ!」
「言った後に殺して、お前の言ったことが嘘だと分かったら、おれらは誰をぶっ殺せばいいんだよ? はやく教えろ!」
「デ、デ・ラ・フエンサ通り、三十一番地。イルデフォンソ・ゴメス」
「ああ。あのゴメスか」
「〈インターホン〉。知ってるか?」
「金貸しだ。それに賭博をちょっと」
「場所はカサンドラ・バインテミリャのシマだな」
「いや、カサンドラとはつながってない。独立系金融業者ってやつだ」
「じゃあ、行くか」
「おい、わたしを助けてくれ!」
「安心しろ、落としたりしねえよ。約束だからな」
グラムはセニョール・サロリアンを逆さにしたまま、窓枠にカミソリを置き、受付嬢が顔面蒼白でブルブルしている部屋で赤シャツと合流し、外へ出ていった。
それと入れ替わりに夏の暑いのにフードをかぶった女がやってきて、逆さ吊りにされたセニョール・サロリアンの顔を覗き込んだ。
フードが後ろへ落ちると、白銀貨三枚を大銀貨三枚に値下げすることに同意しなかった〈メダカ〉のミリーの紫に腫れた顔があらわれた。




