第二話 ラケッティア、料理屋街のスケッチ。
魚市場の出口はサンタ・カタリナ大通りに開いていた。
エスプレ川沿いのこの通りが北河岸通りとぶつかるところからロデリク・デ・レオン街がはじまる。
王立施療院の柱廊入り口を通り過ぎ、ロデリク・デ・レオン街へ入ると、ありとあらゆる料理屋が並んでいる。
どの店も派手な旗と一緒に看板を張り出し、ロデリク・デ・レオン街をトンネルみたいにしてしまっていた。
「ちょっと止まれ」
「どうしたの、マスター?」
「じっくり見たい」
街路の空は櫛やシチュー鍋、水鳥、交差した剣の形をしたユニークな看板であふれ、刺繍をした大きな幟が風にゆらゆら身を浸している。
肉屋の軒先に真っ二つにした豚がぶらさがったり、年寄りたちがパイプを吹かしながらチェスをしたり、白くてつやつやしたティーポットの専門店があったり、侍女を連れた上流婦人や休暇中の軍人、天秤棒に鵞鳥を吊るした鳥屋、鉤のある杖を手に物乞いをしてまわるじいさん、箱馬車が仲買人を乗せて走り回ったりしている街並みの猥雑さが何ともいえない。
まるで1920年代の上海。そこにパレルモとセビリアが足して二で割られた感じ。
通りを渡る。
うまいもののためにカネを惜しまない様々な国の人々がロデリク・デ・レオン街の料理屋街に出入りしていた。
そして貴賤を問わない外食産業たち――安レストラン。リゾット専門店。ワイン商。ごった煮食堂。コーヒー・ハウス。スープ窟。屋台に毛が生えたもの。川魚料理屋。ローストマトンの吊るし切りを出す外国人の焼肉屋。茶館。黄色い脂がふるえる豚肉専門店。スッポンを出す店まであった。
「みんな何が食いたい!」
「リゾット!」
「ムニエルがいいのです!」
「グラタン一択!」
「……オニオンスープ」
「スッポンにしようぜ」
「ぼくはコーヒーがおいしければどこでも」
「ケーキが食べたいっす」
「じゃあ、ローストマトン」
「えー」
「あうー」
「それじゃ何のために意見をきいた」
「横暴だ。特権濫用だ」
「しゃらっぷ、だまらっしゃい! ローストマトンだってぜったいうまい!」
扉はなく、暖簾みたいな布が床すれずれまで垂れ下がっている。
店主は太鼓腹をしたバルブーフ人で通りに開けた大きな窓に炉をつくり、吊るした羊肉を焼けた場所から順番に切り落として、集客に利用していた。
商用でここの市にきたバルブーフ人のほかにも多くの人々がここのサンドイッチをうまいと言っている。
ナンに似た小麦の平たいパンにニンニクと赤ワインをたっぷりつかったどろりと濃厚なソースをかけたマトンを挟んで、がっつくのだが、なかなか行ける。特に焼き加減が絶妙。通行人に見せびらかすだけのことはある。
カラヴァルヴァか。
メシは選り取り見取りで、雰囲気も最高。
そして、悪徳がはびこっている。
長く腰を据えるのにいい土地だ。
ただしカネがあればの話。
カラヴァルヴァとはカネを燃料に動く巨大機械なのだ。
その機械のなかでロンドネ人はもちろんのこと、アルデミル人、バルブーフ人、アズマ人、ガルムディア人、壁に閉じ込められた魔族などなど、様々な国、様々な民族の人間がその燃料を少しでも多くかすめとってやろうと虎視眈々としている。
そんな国際都市へやってきたわけですが、スタートとしては上々だ。
カラヴァルヴァへ一攫千金を夢見た男たちのほとんどは沖仲士、つまり船から荷物を卸したり、逆に積んだりするハードな肉体労働を出発点にするのだ。
それに比べると、おれには金貨一万七千枚相当の財産がある。
「ねえ、マスター」
「うん」
「この街では何をするの?」
「まだ決めてないけど」
「じゃあ、カジノ! カジノを開くのです!」
「それもとびっきりのやつを頼むよ、マスター」
「そんなバーボンダブル頼むみたいに言われてもなあ。それにまず本拠地を定めなきゃいけないし」
「そんなのすぐ見つかるって」
「そんな簡単に――ん?」
おれたちの座っていた大きめのテーブルから見て、奥。
大きなくぼみのなかの席に二人の老人――ロンドネ人とバルブーフ人――がマトンのシチューをスプーンでかき回し、肉をバラバラにほぐしながら、不動産の後始末について話しているのがきこえた。
「じゃあ、まだ売れんのか?」
「売れんよ、あの旅籠は。あんな奥に引っ込んでるんだもの」
「そんなにひどいか?」
「料理屋の裏口から迷路みたいな路地をしばらく歩かなきゃならん」
「馬車工場の隣だったな」
「ああ。工場を拡張する気はないかきいたが、仮に拡張するにしても北河岸通りかリーロ通りに近いほうを買うとよ。あの土地はいらんそうだ」
「馬車屋が生意気言い腐る」
「でも、仕方がない。馬車つくってるんだから。完成した車は表通りに出さなきゃいけない。なんで街区の奥の旅籠を買うかって話だ」
「そう捨てたもんじゃないかもしんねえよ?」
会話に割り込んだおれを二人のじいさんは何だ、こいつ、って感じで見上げる。
「なんで捨てたもんじゃないんだ?」
バルスーフ人のほうがたずねた。
「おれが買うかもしれないし」
「お前さんが? 買ってどうする? まさかかくれんぼに使うんじゃないだろうな」
二人のじいさんはゲラゲラ笑い出した。
そして、お子様特価で金貨三百枚で土地付きで売ってやると言った。
「どうだね。お買い得だぞ?」
「帰って、かあちゃんと相談してこい。あっはっは」
おれは黙って席を立ち、仲間の席に戻り、バルブーフ風マトン・サンドイッチを食べ終え、粉を飲まないよう気をつけながらコーヒーをすすると、旅人が食器だの大具道具だの旅先の思い出の品だのを入れる袋をテーブルの下から引きずり出し、袋の中身――目いっぱい詰まっていた金貨をジジイ二人のテーブルにぶちまけた。
「三百枚ちょうど。交渉成立だな。知ってたか? 近ごろのガキは金貨三百枚くらいならかあちゃんに相談しなくても動かせるんだぜ」
――†――†――†――
料理屋街の裏手は込み入った路地で二棟続きの長屋や洗濯物が張り渡された裏庭、焼きイワシの屋台がスラム独特の物理法則にのっとって存在している。
つまり、一かける一のスペースには一かける一の大きさのものしか入らないが、スラム街においては一かける一のスペースには一日大銀貨一枚で暮らしている貧乏な家族が十入ることができるのだ。
このスペースの許容量は物理法則ではなくひとえに家主がどれだけ強欲で情け容赦ないやつかで決まる。
家主が本物のクズだと三十家族くらい入れることもある。
建物の持ち主――ロンドネ人のほうだ――が案内している場所は間違いなく低所得者層の居住区だ。
子どもは裸足で泥の上を走り回り、首にスカーフを巻いたポン引きたちが木造の教会の前にたむろし、司祭と一緒にサイコロを振っている。
問題の旅籠だが、思ったより好ましかった。
東西二つの土地にまたがっていて、二つをつなぐ回廊がそのまま食堂になっている。
東棟と西棟に分けられ、どちらも三階建て。宿屋の正面は道に面しているが、それぞれが六十平米くらいの庭を有している。窓ガラスが割れてるのは三か所だが、なかは荒らされていない。
厨房もふくめて、家具その他はこれから買い揃えだ。
「じゃあ、じいさん。契約成立だな」
「あとで文句を言われるのが嫌だからきくんだがね。何に使うんだね、こんなとこ。旅籠をやっても儲からんよ。場所が悪いんだ」
「宿屋をするつもりはない」
「じゃあ、何をするんだね?」
「ラケッティアリングだよ」




