第二十話 弐号社畜、詰む詰む。
イスラントの見たところ、外の植木職人と片足のない物乞いが秘密警察のスパイだった。
クレオは閉まったポーション屋のそばの老婆と鍛冶屋の見習い、茂みのなかを進むカタツムリがスパイだった。
「でんでん虫が?」
「ククク。きみ、カタツムリのこと、でんでん虫って呼ぶのかい?」
「なっ。た、たまたまだ」
「でんでん虫まで使って僕らの動向を探るということは、原因はあれかな」
「そうだろうな。それとでんでん虫はもういい」
「分かったよ。ククッ」
いま、ビヘッデッド・マン通りの半分が〈あれ〉の影に入っている。
バジル卿が保存していた空中戦列艦である。
プロペラやオールのようにまわる推進機の引き起こす風が王都に近づく雲を飛び散らかし、艦底の扉を開いて、火薬樽を投下する真似をしたりして、セールスポイントをアピールしている。
すでに空中艇はこの戦争に導入されているが、ボストニアとセブニア合わせて五隻しかなく、それに大きさも火力もずっと小さい。
住人はこの空中戦列艦を手に入れたものが戦争を制すると言っても過言ではないとヒソヒソ噂し、「なあに、こちらの勝ちさ」と付け加えるのを忘れなかった。
どこで秘密警察の手下がきいているのか分からないからだ。
カジミウス王はあの戦列艦をどうやって手に入れるかを考えているが、値段が金貨五万枚。
そんなカネは逆立ちしたって出てこない。
ところが、バジル卿はこの艦をボストンの空にも飛ばしている。
死の商人は両陣営に二股をかけるが、ここまで露骨な二股はちょっとなかった。
ふたりがビヘッデッド・マン通りにいるのは兵器商たちの集まる高級レストランに呼ばれたためだ――エンリケ・デ・レオンとイウナス・バスティアン――カンパニーの最高幹部〈将軍〉と秘密警察のトップ。
話はこの空中戦列艦だろう。
バジル卿は少し偏屈なところがあるから、直接交渉してもなかなか進まない。
そこで最近、原石呼ばわりされ、気づいたら居候しているイスラントとクレオと話してみようということになったのだ。
「こういうことは来栖ミツルに任せるべきだろう」
「でも、いないしねえ。クックック」
「暗殺者でこういう話ができるやつをきいたことがない。おれのいた組織は殺す人間と交渉する人間を分けていた」
「僕のところもそうだった」
「なぜなんだろうな?」
「まあ、僕らはまともじゃないからね。物心ついたときから殺すことだけ教えられた人間が人の命を奪う金額の交渉できるわけがない。命をあっけなく吹き消すことを知ってる僕らじゃあ、安い値段で納得してしまう。クックック」
「だが、いまは自分で仕事をとって、殺して、商売として成り立っているだろう? あのテュロー屋敷の借り賃だって安くはない」
「これはミツルくんのファミリーに入って、人の命は尊いってことを覚えたせいだね。尊いと知ったから高く売る交渉もできるわけさ。クックック」
「命は尊い? お前の口からきくとはな」
「きみはどうだい?」
「さあな。ただ、交渉事は苦手だ」
「僕もこういう交渉はちょっと」
――†――†――†――
そのレストランには何でもあった。
ミディアムレアの厚切りステーキ、ハマグリやエビがふんだんにのったパエリヤの大皿、スモークサーモンのサラダ。本物のコーヒー。
値段は目が飛び出るほど高かったが、そこの客たちは簡単に払うことができた。
彼らは一枚の金貨を落としてもかがんで拾うのが面倒だから、無視してしまうほどに金持ちだった。
もちろん、イスラントとクレオは拾う。この場にはいないがバジル卿も拾う。
だが〈将軍〉が拾うかは怪しかった。
ロンドネ王国の軽騎兵旅団長はドルマン式の青いジャケットに金モールと赤いリボン、磨いたボタンはプラチナ製で、毛皮の半外套をマントのようにして左に垂らしていた。黄金拵えのサーバルは反りが普通の騎兵が持つサーベルよりも激しかった。
こういう格好の軍人が道に落ちたコインを拾う姿は様にならない。
〈将軍〉は現在、四十一歳だが、三十五歳までに戦死できない軽騎兵はクズだ、と公言している向こう見ずな男だった。
「それについては僕らは協力できるかもしれない」
「見事、戦死させてやれる。しかし、あんな後先考えない男に武器――じゃなくて、兵器が売れるのか?」
「兵器売買にはひとつの正解が存在してないからね。割とアリなのかもしれない」
一方、イウナスは黒い外套と帽子、秘密警察長官としてはありの服装だが、宮廷に呼び出されたら、その色のなさで悪目立ちしそうだ。
「今日はご足労ありがとうございます」
イウナスが彼らと〈将軍〉のあいだを取り持つ形で紹介した。
「こちらはエンリケ・デ・レオン騎兵大将」
むすっとした〈将軍〉がクレオを睨んだ。
目を先に背けるか瞬きしたほうが負けのゲームが始まったらしいが、クレオはさっさと瞬きして、不戦勝を相手にくれてやった。
「お名前はご存知ですよ。あなたの御先祖さまの名を冠した通りで二度、仕事をさせてもらってます。ククッ。この仕事というのは武器の販売じゃありませんよ。暗殺です。ひとりは売春組織の幹部でもうひとりはなんと軽騎兵士官です。ククク」
「それで」
と、イスラント。
「カンパニーの〈将軍〉が我々に何の用があるのかききたい。クルス・ファミリーとカンパニーの関係を考えると、奇妙な話だ」
〈将軍〉はちらりとイウナスを見て、うなずいたので、イウナスが代わりに話した。
「話は空の上の売り物です」
「それならバジル卿と話すべきでは?」
「もう話しましたが、愛国心に訴えてもきかないのですよ」
これについては本人からきいていた。
バジル卿はイウナスが愛国心と同じ部屋に一か月閉じ込められて生きていられたら、愛国心にもとづいて引き渡すと言ったのだ。
――愛国心でメシが食えるという証明が欲しいのですよ、閣下。
「それで?」
「口添えが可能な人物を探したというわけです」
「愛人がいる」
「そっちは試しましたが、さっぱりでした。あのメイドの目、どこかで見たことがある目なんですよ」
「炎使いの貴殿の部下だ」
「リーファのことですか? ああ、そうだった。リーファだ。忠誠心のある人殺しの目だったのだ。あのメイドの目は。愛人と護衛を同じ人物にするとは、バジル卿はなかなかの合理主義者だ」
「来栖ミツルがボストンにいるだろう」
突然、将軍がぶっきらぼうに言った。
「それが?」
「何が狙いだ?」
クレオが代わった。
「そういうことはもう少し会話を練ってからすべき会話じゃないかなあ?」
「お前らが〈頭取〉を殺したことは分かっている。だが、おれがあの両替屋のようにあっさり殺されると思ったら、お前らは大きな間違いをしでかしてる」
「軽騎兵さんはおっかない。ククク」
「イウナス。本題に入れ」
「はい。〈将軍〉。我々からある提案があるんです」
「きこう」
「あの艦をセブニアにもボストニアにも売らず、どこかよその勢力に売るよう協力してもらえませんか?」
「貴殿はセブニアの臣だろう?」
「もちろんです。しかし、もし、あの艦が国王陛下のものになれば、戦争は我々の勝利で終わります。しかし、それが困る人間がいるのです。もちろん――」
イウナスは〈将軍〉をちらりと見た。
「両陣営に武器を売る兵器商は困るでしょう。戦争が終わっては」
「フン」
「しかし、戦争が勝利に終わって最も困るのは国王陛下御自身なのですよ。つまり、こうです。我が国に兵器を売買した商人たちはそのほとんどを売掛金にしていて、現金はまだ手に入れていません。戦争が続いているあいだ、彼らは陛下に支払いを要求したりしません。強引に支払いをさせて、国力がそがれて、我が国が負けたら、ツケは全額取り戻せませんからね。だから、彼らは我が国が勝利した暁にはいっせいに請求をしようとしているわけです。しかし、戦争に勝っても、荒れ果てた国土の再建、新たに編入したボストニアの支配機構の確立、それにセブニア=ボストニア王としての戴冠式と現金は必要なのです。しかし、商人たちは情け容赦なく国庫の金貨を鷲づかみにしていくでしょう。なにせ、もうボストニア勢力はいないのだから、国庫の減少があったところで国は滅びはしないのです。最悪なのは国庫が尽きた後の彼らの決済方法です。おそらく徴税権や独占販売権の形で兵器の代金を取り立てるはずです。これでは戦争に勝利する前よりも貧しくなってしまいます」
「だから、セブニアは戦争に勝ちたくない、と?」
「ええ」
「国王はそのことを承知か?」
「他ならぬ国王陛下がわたくしにそう言われたのです。この戦争は勝つことも負けることもできないと」
ああ、詰んだな。
ボストニアも同じ事情と考えれば、この国は海が干上がり、世界が終わるその日まで借金をして戦争をし続ける。勝っても負けても滅ぶからだ。
本来なら来栖ミツルに方針の転換を進めるところだが、既にそれはなされた。
まさか、カンパニーも秘密警察も、愛に生きる小売王の挙兵は知るまい。
知ったとしても理解はできないだろう。
「バジル卿がおれたちの言葉に耳を傾けるとは思わないが」
軽くくしゃっとさせたナプキンをテーブルに置きながら、イスラントは立ち上がる。
「伝えることは伝えよう。ただ、もう既に分かっていると思うが」
「ええ。頼みます。ああ、それと陛下とセブニアの勝利のためにドラゴン戦車を三両。ご用意いただけますか?」
――†――†――†――
バジル卿の屋敷に帰る途中、戦争の勝利を目指す市民行進が行われていた。
カジミウス王の老いた肖像を先頭に戦争に使う剣のために鉄の鍋を供出しようとわめいていた。
鉄がなくなったら木の鍋をあぶり、木がなくなったら、手のひらの鍋をあぶるのだろう。
「哀れな連中だ。こんなことを続けていれば、いずれ革命だ」
「革命ならもう起きてる」
「ん?」
「幼女革命。クックック」
暮れかけた通りを歩いていると、馬車が一台やってきた。
屋根のない、馭者台のすぐ後ろにふたり用の座席がある軽馬車だ。
これは昼に知り合いの家を訪れるときに乗る馬車で、もうじき夜になるこの時刻に乗る馬車ではない。
その馬車はふたりのそばで停止した。
馭者台にはふたりの親衛隊員が乗っていて、秘密警察の腕章をつけていた。
「長官閣下とデ・レオン卿が話があるとのことで、お迎えにあがりました。バジル卿もそちらに出かけています」
怪しい。怪しすぎる。
さらに、武器の類を外して、車体の下にある箱に入れてほしいという申し出があったとき、その懸念は確信になった。
「わかった。応じよう」
この王国は狂っている。なら、自分も少しだけ酔狂なことをしてもいいではないか?




