第十二話 ラケッティア、初の契約。
ウェストエンドも二日目。
昨日よりいいわけでもないし、明日が今日よりも素晴らしくなる予定もないこの街。
変わるものがあるとしたら、文字通りネズミ算で増えるドブネズミの数くらい。
おれはこの街には暗殺者が自分を売り込むような殺しの腕の取引所みたいな場所があると睨んでいる。
さらに、その場所を気軽に教えてくれそうな人間に一人心当たりがある。
「やあ、あなたですか」
金貸しのゴルスのそばで店を開いている偽造屋だ。
整った容姿と小ぎれいな服装を見てると、このあんちゃんが文書偽造なんて悪事を行なっているなんて、夢にも思わないだろう。
「あなたにはお礼を言わないといけませんね。あれからゴルスは寝込んでます。評判の悪い人でうちの街区の恥さらしとまで言われた人です。彼がひどい目にあって、喜んでいる人間は大勢いますよ」
「あんたもその一人か?」
「あれは八か月前のことですが、ゴルスに言われて、カタリーノ銀行の預金証書を偽造したんです。ところが、あろうことかぼくの作品に不備があったと言って、そんなことあるはずないんですけど、あの守銭奴、とにかく証書を引き取らず、代金も払ってくれませんでした。数日後、ぼくがつくった預金証書の劣化版がカタリーノ銀行に持ち込まれて現金化されたとききました。ゴルスはこっそりぼくの預金証書の写しを取り、それを半値以下だけど仕事の精度は十分の一以下の偽造屋に預金証書をつくらせたのです。許せないのはぼくの傑作をけなして、さらにその劣化コピーをつくって、ぼくとあの子を侮辱して、おまけにそれをカタリーノ銀行が気づかず、現金化したことです。マヌケな偽造にマヌケな銀行だなんて、真っ当な仕事をする文書偽造屋に対する侮辱ですよ。そう思いませんか?」
「うん。そうだな。気持ちは分かるよ」
いや、全然分からないんだけどね。
「ところで、真っ当な文書偽造屋なら知ってないかな? その、人殺しを雇ったりできる取引所みたいなの?」
「あることはありますけど、それならいい子がいます。ほら、これ。聖ミロフス教会の地下墓地埋葬命令書です。これに死んでほしい人の名前を書いて、聖ミロフス教会の墓守の家に投げ込むと、融通の利かない墓守は相手がまた生きていてもおかまいなしにカタコンベに埋めてくれますよ。ゴルスを懲らしめてくれたわけですし、これ、差し上げますよ」
「いや、実を言うと、こっちが雇うんじゃなくて、雇われるほうなんだけど」
「ああ、そうなると、ぼくの専門外だ。〈果樹園〉に行ったほうがいいですね」
「〈果樹園〉って?」
「このウェストエンドにある大聖堂の中庭です。柑橘の類が植えてあるので〈果樹園〉と呼ばれます。大聖堂は古来王国に対する治外法権を持っているので、王国の役人はたとえそこに極悪非道な人殺しがいると分かっていても踏み込めないんです。で、それをいいことに殺し屋が集まるので、〈果樹園〉は自然と殺し屋たちの取引所になったわけです」
「でも、司祭たちは殺し屋たちを追い出そうとしないのか?」
「それどころか、成立した契約殺人一件につき、十分の一税を取り立ててますよ。殺人という罪深き行為を浄財で赦すということらしいです」
「坊主丸儲けだな。なんだか出家したくなってきた。貴重な情報、ありがとう」
「いえいえ。こちらこそ。また何かあったら、来てください。偽造してほしい書類ができたら、ぜひ、このエルネスト・サンタンジェリに御用命を」
エルネストはいいやつに思える。高い技術とそれに対する誇りを大切にする人間とは顔をつないでおいて損はない。
犯罪で稼ぐのなら、普通の仕事以上に信頼できる人間というのが必要になる――たぶん。
〈果樹園〉のある大聖堂までの道のりはエルネストに地図まで描いてもらったが、それがなくても、到着できただろう。でかい大聖堂は街のどこにいても見える。
正直、この建物からは暖かく見守るというより、厳しく見張るという印象しか抱けない。
とくにウェストエンドじゅうの小銭がチャリンという音を聞き逃すまいとして、鐘も鳴るのを自粛している。
いいねえ。そういう生臭さ。腐敗。大好きです。
日本にいたころは政治家のちんけな不正献金とおれおれ詐欺のニュースばかりだった。
でも、この異世界ではもっと大きなラケッティアリングが幅を利かせてる。
そこはあれ。水を得た魚どころか酸素魚雷のごとく邁進して、戦艦〈悪の既得利権〉の喫水線下にでかい穴開けて、がっつり稼ぐ。
ああ、こんなこと言ってると、さも、おれは悪人として、肝が据わっているようにきこえるかもしれない。
でも、実際は――、
「あ、ジルヴァさん。足元に水たまりが」
「あの、ジルヴァさん。ご気分はいかがですか?」
うん。小物。
いやね、ジルヴァの眼って、小四のときの担任を思い出させるんですよ。
あれはトラウマもんの恐怖政治だった。もう一年、あれが続いてたら、おれの精神は再起不能のダメージを受けてたに違いない。
四年二組のヒトラーめ。ポルポトめ。スターリンめ。
ほんとにひどい目に遭ったもんだ。
〈果樹園〉に着いた。
思ったより本格的な果樹園で、想像していたよりもずっと広い。
建物がごちゃついてるウェストエンドのなかの牧歌的な風景、になるはずなんだけど、そこいらじゅうに顔に疵のある髭むさい男たちがごろごろ転がっている。
たぶん全員が殺し屋なんだろう。それ以外にも娼婦、葡萄酒売り、完成品を入れた箱を背負う刀鍛冶など、殺し屋たちの需要を見込んだ連中もいる。
どいつもこいつも少なくとも三人は殺してそうな顔をしてる。
でも、ジルヴァの無言の圧力に比べれば、こいつらなんかチワワだよ。チワワ。
だから、変な度胸がついて、
「ここで仕事を取り仕切ってるやつに会いたい」
と、髭の男たちにたずねることもできる。
相手はこのガキ何しにきたんだ、といった顔をするが、おれの後ろに立つジルヴァを見ると、神妙にうなずき、ある方向を指差す。
その先には噴水がある。
女神らしい彫像が傾ける水瓶から、ちょっと下品なくらいドボドボと水が流れて落ちている。
噴水の縁の石の上に黒い眼鏡をかけた老人が一人、杖に両手を乗せて、座っていた。
かっけー。いかにも大物って感じだ。
目が見えないらしいけど、おれたちが近づくと気配で分かるらしい。顔を上げた。
「何が入用だね? 商売敵を殺ってほしいなら、金貨で三十。女房を寝取った間男を片づけるなら、金貨で四十。わしへの仲介料は一割。値切ろうなんて思うやつにはこの仕込み杖の一突きを無料で進呈しよう」
「死んで当然のクズを殺ってくれ、って仕事ないかい?」
「雇われる側か。こういっちゃなんだが、あんたはそんな腕利きには思えない」
「目が見えなくても分かるのか?」
「見えないからこそ分かるものもあるってことだ」
「実際、動くのはおれじゃないんだ」
「じゃあ、誰だ――まさか、そこにいるのか?」
「ああ」
老人は杖を持ち上げて、膝の上に横にして置いた。
銀でできているらしい握りについた小さな出っ張りを押し込むと、握りが折れて、空洞から巻いてある小さな羊皮紙が一枚出てきた。
「わしがかかえている仕事のなかで一番大きな仕事だ。標的は子どもをさらって、どこかよその土地に売りつけている人買いの親玉だ。死んで当然ということにかけちゃ、今のところ、こいつの右に出るやつはいないな。報酬は金貨で百。そのうち、司祭たちが十枚、わしが十枚。あんたのところには八十枚が入る。これでいいか?」
「それでいい」
「じゃあ、決まりだ」
おれは羊皮紙を受け取って、それをジルヴァに渡した。
「……」
……。
くーっ、これだよ、これ!
こういうやり取りがしたかった!
今のおれ、すっごいゴッドファーザーっぽい!
人一人死ぬことが自分の手で決定したのに罪悪感ゼロ。
おれは自分で思ってたよりもずっと悪党だったらしい。
「ジルヴァ。どのくらい、かかる?」
ついでにジルヴァを呼び捨てだぁ!
ジルヴァは両手で指を七本立てた。
「七日?」
首をふる。
「七時間?」
小さくうなずいた。
「じゃあ、それで」
去っていくジルヴァを目で追ってみたが、二秒と経たないうちに見失った。
人混みへあっという間に消えるのも、凄腕暗殺者の技術なのだろう。
正直言って、あの四人のなかでジルヴァが一番ルカ・ブラージっぽい。
ルカ・ブラージというのはゴッドファーザーに出てくるキャラクターで、ドン・コルレオーネに絶対の忠誠を誓う情け容赦ない殺し屋なんだけど、本物のマフィアのボスのあいだでも、あんな部下が一人欲しいと言われるほどのやつなのだ。
いやあ。テンション上がってきた。
「お若いの。ここに来て、座らんか?」
老人が右の石をコツコツ杖の先で打ったので、そこに座ってみる。
「アンドレオだ。よろしく。あんた名前は?」
「来栖ミツル」
「あんた、よその土地から来たね」
「ああ。まあ、そういうことになる」
「あんたが、コーサ・ノストラを継承したのかね?」
「は?」
「アサシンギルドだよ。まさか、名前を知らないんじゃないだろう?」
いや、知らないんじゃない。
知ってたから驚いたのだ。
コーサ・ノストラというのはイタリア系マフィアを指す言葉でイタリア語で「われわれのもの」という意味なのだ。それが異世界で既に名前だけでも存在している。ということは――。
老人は昔話でもするように続けた。
「マリス。アレンカ。ツィーヌ。そして、さっきのジルヴァ。この四人のいずれかに狙われるってことは、そいつ専用の地震か雷を用意されたってことだ。天災みたいなもんで逃れようがない。四人がこのウェストエンドで仕事をしたのはたった一年だが、その一年は大変な一年だった。だが、一年前から〈コーサ・ノストラ〉はぴたりと活動をやめた」
「どうして?」
「わしがききたいくらいさ。いろいろな噂が流れた。仕事をしくじって死んだ。仲間割れを起こして死んだ。あのギルド屋敷を訪れて、真相を確かめるような命知らずはいなかったから、理由は分からずじまいだ。どうやらギルドマスターが失踪したらしい。あの四人は自分たちのマスター以外からは命令を一切受けつけない。だから、この業界の表舞台から消えた、というのが妥当なところだろう。
そこにあんたがジルヴァを連れてあらわれた。ということは他の三人も従っているとみて、間違いない」
「前のギルドマスターに会ったことがあるのか?」
「一度だけ。まあ、見た目は分からないが、気配は分かる。その男、あんたと同じ気配がしていた。よそものの気配。それも途方もなく遠くから来たらしい気配」
ひょっとすると、前のマスターも異世界転生者なのかな?
だと、すると、辻褄が合う。
おれと同様、〈コーサ・ノストラ〉という言葉も元の世界から持ち出されたものだ。
そいつもおれみたいなマフィア・オタクか。
それとも、本物のマフィアか……。
「それで、これから、どうするね?」
「そりゃあ、ギルドを発展させる。まずは暗殺以外で稼ぐ道を――」
「そうじゃない。ここでジルヴァを待つかどうかたずねたんだ?」
「ああ。そっか」
帰りは七時間後。
だが、今の話をきいてると、七分後に帰ってきてもおかしくなさそうだ。
おれはアンドレオの隣でジルヴァを待つことにした。




