第十三話 ラケッティア、星暦832年のフットボール。
星暦832年のカルチョ・カラヴァルヴァは752年の『竜のゲーム』や339年の『死神たちの遊戯』と呼ばれたあらゆるカルチョ・カラヴァルヴァよりもひどい混沌と破壊をもたらしたわけだが、星暦832年のキックオフはいつなのか、どこでなのか、そもそもボールはどこにあったのかがのちのスポーツ歴史家たちの論争をもたらすことだというのは、まあ、分かる。
ぶっちゃけ、試合期間中、ボールを見たものはいない。
服地商ギルド館の前に転がっていたとか、ロデリク・デ・レオン街のコーヒー屋で茶をしばいていたとか、三号桟橋から高飛びをはかっていたとか、いろいろな噂が流れたが全部デマだった。
真相はこうだ。
――†――†――†――
あのとき、おれはというと、〈オッチデンターレ〉と〈オリエンターレ〉の下らない争いに巻き込まれて、ゼメラヒルダと一緒にエスプレ川を流れていた。
そのうちスカリーゼ橋が見えてきたのだが、そこにアレサンドロを見つけた。
やつはホライズン・ブルー・パンケーキという恐るべき代物をつくるための手段を探して、あちこち這いずりまわっていたのだが、どうも悪意ある酔っ払いに橋から飛び込めば、ラコリペルタスが手に入ると、嘘を吹き込まれたらしい。
すらりとして美しく長く流れる黒髪に星の光を遊ばせながら、アレサンドロは道頓堀に捨てられたカーネル・サンダースのごとく川に落ちた。
アレサンドロのパンケーキ嗜好には大きな問題があるが、それでもこの小さな宇宙船ミツル号に乗せてはいけないという法律もない。
でも、のび太。残念だったな。この樽はふたり用なんだ。
いや、本当はひとり用であり、現在、この樽の運行は非常に困難なものとなっている。
それにサッカー選手たちが本当にカーネル・サンダースそっくりの聖人像をどこかの金持ちの礼拝堂からもぎ取って川に放り込んでいた。
よくもまあ、こんなにたくさんあるものだと思われるほどの聖人像がドボドボと放り投げられたので、おれとゼメラヒルダがスカリーゼ橋の下を安全にくぐれるかどうかは全くの運次第になった。
一方そのころ、クリストフはというと、おれたちが見かけたグラン・バザールの屋根からサッカー選手に追いかけられていた。
そのとき、やつが盗んだのは呪術師の水晶球だった。これを帆布に包んでいたら、ボールを持っていると間違われたらしい。
ひどい話だ。〈オッチデンターレ〉と〈オリエンターレ〉両チームには怪盗クリスのばらまいたカネのおかげで歳が越せたとか、明日のパンが買えたとか、娘を淫売屋に売り渡さずに済んだとか、なんとかちょろまかしたカネをボスに返して殺されずに済んだとか、怪盗クリスに助けられたやつがたくさんいたのに、キャンバス地で包んだボールを持っているというだけで、恩人を殺せ!殺せ!と追い回す。
中米ではサッカーの試合結果が原因で戦争が起きたことがあるし、コロンビアでは自殺点を入れた選手が地元のヤクザに撃ち殺されたし、フーリガンどもの害悪は言うまでもない。
体育の授業では何度半殺しにされかけたか分からん。
もちろん、校内球技大会でトトカルチョをしようとしたことは認めよう。
だが、低レートの害のないものだったし、それが原因で校長室で説教を食らった。
おれは罪を償ったが、やつが『ゴッドファーザー』を悪く言ったのは行き過ぎた制裁だ。
おれはミートボール・スパゲッティをつくっているときに、こっちの世界に来たわけだが、おれのスマホにはあの校長を吹っ飛ばすネタ――やつが未成年と一緒にラブホに入る画像が入っている。
校長の人生台無しにする前にこっちに来てしまった。
まあ、校長の話はこのへんにしておこう。
とにかく、サッカーとは人類に平和と繁栄をもたらすよりも、騒乱と何世代にもわたる復讐を引き起こす。
実際、忘恩の輩が彼らのスポンサーといっていい怪盗を追いまわしているのがいい例だ。
……まあ、そのサッカーでこっちは賭けを開くわけですが。
いーんだよ。おれ、犯罪者だし。
とにかくクリストフだが、あいつは追いかけてくるサッカー選手から逃げるために折りたためばポケットにしまえるハンググライダーを組み立てて、バザールの空から西を目指して飛んだ。
そのころ、また別の連中に話が飛ぶ。
ジャックとイスラントとアスバーリの新生バーテンダー・トリオがシップを連れて、密輸品のブランデーを買いつけに出かけていた。
普通、密輸品は船員教会で売り買いするのだが、今回の密輸業者は少し川を下った対岸にあるエビ漁師のたまり場を指定してきた。
ここは各商会がちょこちょこ縄張りを持っているフリーテリトリーで、かくいうクルス・ファミリーもナンバーズの集金拠点をひとつ持っている。
どうも、この密輸業者、船員教会に出入りできないらしい。
船員教会なんてカラヴァルヴァではかなり罪深いほうなのだが、そこでも無理というと、もうラムを水で薄めたとか、そんなもんじゃ済まないペテンをしたに違いない。
ジャックがそんな連中を相手に買い取りをするのは、まあ、カルチョが近いカラヴァルヴァを真っ当な密輸屋たちが避けているからだ。
そのへんが分かっているから、シップを連れていくわけだ。
多目的三十七粍砲はたいていの揉め事を文字通り吹き飛ばしてくれる。
おれ、怪盗クリス、バーテンダーズ。
そのころ、マリスとジルヴァが得点をゲットしていた。
例の帳簿係らしいやつを見つけたのだ。
そいつはサンタ・カタリナ大通り沿いのカジノでトランクを知らないか知らないかとたずねまくっていた。
こいつは間違いないと、ふたりは後をつけた。そうしたら、途中で分かったのだが、その帳簿係、悪魔持ちだった。
アドラメレクと名乗っていたが、どうも位としてはゼルグレの悪魔バフォメットとツーカーで、ヴォンモの悪魔のモレッティの舎弟らしい。
餅は餅屋、ふわふわたまごパンはふわふわたまごパン屋ということで、マリスがヴォンモを呼びに行った。悪魔相手に真正面から戦うのはちょっと騒ぎが大きいし、それにアドラメレクはモレッティを恐れているようだから、ヴォンモを前に出して交渉すれば、帳簿係を手放してくれるかもしれない。
ジルヴァがひとりで後をつけ、そうしているあいだに日は落ちた。
帳簿係は西へ西へとときどきふり返りながら歩いていく。
カンのいいよい子のパンダのみんななら気づいているだろう。
みんなが西に行く。
西にあるのはエビ漁師のたまり場だ。
他ならぬおれとゼメラヒルダもスカリーゼ橋を何とか抜けて、エビ漁師のたまり場に上陸すると、そのとき、事が起こった。
最初にクリストフが水晶を落っことした。
それは密輸ブランデーの取引に使っていた廃屋の屋根を破り、ブランデーの樽をぶち抜き、中身がプランクトンたっぷりのバラスト水だったことを明らかにした。
密輸屋どもはベルトから抜いた銃を撃ちまくり、シップも撃ち返した。
おれが見たのはボロ屋の半分が吹き飛び、ジャックとアスバーリが泡を吹いているイスラントを引きずりながら、路地へと逃げようとしているところだった。
「なんか、うちの身内が厄介事に首まで浸かってるらしい」
「行ってみましょう」
ゼメラヒルダはいつも身に着けている凝った短剣を抜き、おれは道に落ちていたバールのようなもの(だが、決してバールではない。真理である)を拾って、走った。
そして、地面にはまった。
首まで浸かったのはおれのほうだった。
クソ密輸屋どもが掘った落とし穴である。
こんな感じの穴をあと三つか四つ掘ったらしい。アスバーリがはまっていた。
ここでよい子のパンダのみんなに思い出してほしい。
クリストフがボールのようなもの(だが、決してボールではない。真理である)を落とし、それをサッカー選手たちが目の色変えて追いかけている。
そこに首まで穴にハマったおれがいる。
つまり、『サッカーやろうぜ! ボールはおれ!』なわけである。
実際、〈オッチデンターレ〉のバンダナを巻いた男がおれを蹴飛ばそうとしたのだ。
食らった実刑で石切りをして鍛えたらしいヒラメ筋の足が真っ直ぐおれの眉間を狙って蹴りにかかるとき、おれが考えたのはおれってどんなスケルトンになるんだろう?だった。
つま先があと三寸というところで、ジルヴァが飛び蹴りをしてくれなかったら、星暦832年のカルチョ・カラヴァルヴァのボールはおれの生首になっていた。
あとで、頭をズイッと向けられたので、いいこいいこしてあげましたとも。
――†――†――†――
これが銀貨一億枚の損害をもたらしたといわれる星暦832年のゲームの真相だ。
やんなっちゃうよね。ホント、もう。




