第十話 パンケーキ探究者/行商人、ニアミス。
ホライズン・ブルー・パンケーキへの恋慕が強すぎて、アレサンドロは地平線まで青い、鏡のような塩湖の上を歩いているような錯覚に陥った。
「あ、アレサンドロなのです」
「おや、アレンカさん。こんにちは。いい午後三時だね」
「いい午後三時なのです」
「魔族っぽく言うと、グッドグッド三時なんよ」
「グッドグッド三時なのです」
「アレンカさん。魔法に詳しいですよね」
「もちのろんなのです」
「ラコリペルタスという禁呪をきいたことがありますか?」
「海の戦王ラコリペの魂を封じた書物なのです。でも、アレンカは禁呪なんて必要ないのです。アレンカはすごい子だから、普通の魔法を禁呪くらいに強くできるのです」
「それはすごいですね」
「えへん、なのです。アレンカは誉められて伸びる子なのです」
「ん? ということは、ひょっとして、きみはラコリペルタスと同等の効力を普通の魔法で引き出すことができるということですか?」
「ホライズン・ブルー・パンケーキは作れないのです」
「おや、わたしはそのことを話したことがありましたっけ?」
「アレンカたちは禁呪市場でアレサンドロがホライズン・ブルー・パンケーキと何度もブツブツ言っているのを見かけたのです」
「おやあ。それは恥ずかしいところをお見せしました」
「そのことでマスターから伝言があるのです。『悪いことは言わないから人間やめるな。いまならまだ間に合う』って言っていたのです」
「じゃあ、来栖くんに伝えてくれませんか? 『世界を救う方法はふたつ。パンケーキによって救われるか、それ以外の方法で救われるか。それ以外の方法で救えてしまえる世界はそもそも救う意味がない』」
「マスターはスロットマシンで同じようなことを言っていたのです」
「じゃあ、分かってもらえるでしょうか?」
「無理だと思うのです。じゃあ、アレンカは帳簿係を探しているので戻るのです。マスターに会ったら、さっき言ったことは伝えるのです。バイバイなのです」
気づくと、アレサンドロは本能のなせる技によって、サンタ・カタリナ大通りのパンケーキ屋台でパンケーキ・オイスターを注文していた。
――†――†――†――
パンケーキ屋台の裏手にあるアンチョビ倉庫では元傭兵テキヤから成るサンタ・カタリナ連合会の会議が開かれていて、明日始まるサッカー大会に関して、大会運営から通達が読み上げられていた。
それをひと通り読み終わると、何人かが手を挙げて質問した。
「足は折ってもいいんだな?」
「屋台が壊されたら誰が補償するんだ?」
「アタマにきたら、飛び入り参加してもいいんだよね?」
それに対する返答としてメリケンサックが配られて、自衛と反撃の根性を誉れとせよ、くぐった死線の数が汝らを助けん、という極めて明瞭だが極めて他人任せな方針が打ち出された。
その後、元傭兵たちは内側にひねりながらパンチを繰り出すと威力が三倍増しになるという都市伝説が本当かどうかを確かめるいい機会だと話しながら、倉庫を出ていった。
サンタ・カタリナ連合会代表ミカエル・マルムハーシュはサッカー大会のあいだ、輪投げの輪をどこにしまおうか考えていた。
事務総長のアデラインは配ったメリケンサックがきちんと全員に行き渡ったか調べていたが、ひとつあまっている。
「ミカエル」
「?」
「メリケンサックがひとつあまっているわ」
「ああ。それはゼルグレの分だね」
「ゼルグレ?」
「ああ。さっき会ったのだけど、かったるいから出ないと言っていた」
「別にいいけど、屋台を壊されたら自己責任よ」
「ゼルグレなら大丈夫だ。腕に悪魔が宿っているし、サッカー大会参加者のほとんどがゼルグレの戦場メシで命と財布のひもをつないでいる。あの屋台を壊すことは自分たちの餓死につながるとは言うけど、そんな理性があったら、サッカー選手にはならない。おっと」
ミカエルは危うく転びかけたが、というのもボロ着の小さな女の子が樽から落ちたらしいアンチョビを食べていた。
髪もボサボサで、顔が煤のようなもので汚れた少女は城塞に突撃して生き残ったほんの一握りの兵士たちの目に似た暗い目をしていた。
少女は逃げなかった。
どうせ逃げ切れるものではないと経験で分かっていたので、アンチョビを全部口に頬張ると、頭を抱えて、丸くうずくまって致命傷を受けるのだけは避けようとしているようだった。
「……アデライン」
「なに?」
「ちょっとこの子を見ていてくれるかな?」
出ていったミカエルはそれから三分もしないうちに、パンケーキで巻いた牡蠣を丸ごと揚げたもの――パンケーキ・オイスターを十個手にして戻ってきた。




