第四十話 転生者、人生を変える穴。
「今日は外に出ないほうがいいよ」
そう、ミツルに言われて、アスバーリは自室にいた。
確かに町は物騒な雰囲気に包まれて、特に凶悪なゴロツキたちが武器を集めて、襲撃を企てている。
しかも、それが三百人近い徒党を組んでだ。
この町では五人以上の強盗団ができることも稀なのに。
彼らが狙う相手はカンパニーだ。
カンパニーがおれの成功をねたんで〈イースのジュレップ・パーラー〉を吹き飛ばし、それとともに町じゅうの人間が買った製氷の権利が消えてなくなった。
来栖ミツルはそう吹聴した。
カンパニーはもちろん来栖ミツルの自作自演だと反論したが、来栖ミツルはいかなる保険もかけておらず、この爆発では損をした。
それどころか、マルチ会員が行う販売活動によって得られるはずだった上前が飛んだので、非常に致命的な経済損失をかぶったと叫んだのだ。
「これを見てくれ! つい、二十四時間前、この町には非常に儲かって、誰もが幸せになれる、カネのなる木が生えていたんだ。本物の木に見捨てられたこの死の荒野に! それが今じゃ残されたのは、この看板だけ!」
と、来栖ミツルは例のファンシーな看板の、二頭身半に描かれたイスラントの頭を叩いた。
てっきり店ごと吹っ飛んだと思っていたのに、翌朝、目が覚めるとホテルの前に、これが置いてあった。いったい誰がやったのか。朝一でトイレに行っていなければ、ちびり散らかすであろうほどの不気味さだ。
ともあれ。
怒れるマルチ会員たちに来栖ミツルの言葉を疑う理由はなかった。
そもそも彼らは騙されて製氷権を買わされているのだが。
来栖ミツルはダメ押しで、既に販売した製氷権を額面に対して十七パーセントで買い戻すと宣言して、カンパニーの反論を容赦なく叩き潰した。
「この十七という数字がいいんだ。十五じゃ少なすぎるし、二十じゃ多すぎて、まだカネがあるのではと疑われる。十七は響きが美しい。十七はカルパッチョにするとおいしい。十七には十六にはないスベスベした手触りがあり、十八には到底望めまい高潔さがある。十七はその音を耳にしただけで体を蝕む疲労が消えて、腹の底からやる気が沸き出す、わくわくする秘密がある。十七。これこそ唯一のこたえ。世紀末タウンの人類が崇めるべき神秘の数字」
以前、クレオが言っていた、来栖ミツルのギャップ、恐ろしさがなんとなく分かった気がする出来事だ。
「ちょっとだけ! ちょっとだけだから! ね?」
と、いうのも、カンパニーに獰猛なケダモノ三百匹余りをけしかけた来栖ミツルはいまルケーゼ・ファミリーの名前で古今東西をしようとイスラントを追いかけまわしていた。
イスラントはアスバーリの部屋に逃げ込み、扉に椅子の背を使って開かないようにすると、窓から脱出しようとしたが、その途中にある、ボロボロの絨毯に乗ったのが運の尽きで、そこに開いていた穴から一階のバーへと真っ逆さまに落ちた。
アスバーリは絨毯をもとに戻して、穴を隠すと、椅子をどかして、来栖ミツルをなかに入れた。
「あれ? イスラントは?」
「そこの穴から落ちたが」
イスラントは頭から落ちて、立ち上がるのは平気だが、頭から血がだらだらと垂れて、顎から滴り落ちていた。
にもかかわらず、彼は嬉しそうだったが、というのも、彼の頭に巣食っていたマフィア知識がきれいに消え去り、正常な状態に戻ったということだ。
「イース、大丈夫なのか?」
「ああ、快調だ。普通の人間であることをこんなに素晴らしく思えたことはない」
「もとに戻ったんだな?」
「ああ。そうだ」
「本当に戻ってしまったのか?」
「さっきからなんだ? 言いたいことがあるならはっきり言え」
ジャックは一番つやつやした白銅の皿をイスラントの顔にかざした。
頭のてっぺんから額へとだらだら流れ続ける鮮血がしっかり見えるように。
ぶくぶくぶく!
――†――†――†――
トキマルが仕事はないかと目を血走らせてやってきたのは、そのすぐあとだった。
そのころにはカンパニーの市庁舎があるほうから大きな火柱が斜めに傾いで、国際的大企業の先遣隊を灰に変えようとしていた。
「なにか仕事はありませんか仕事はないですかありますよね仕事仕事仕事」
その後ろからジンパチがあらわれて、南無三!と叫びながら、トキマルの背中を押すと、仕事中毒少年忍者は絨毯で隠した穴に吸い込まれ、頭から落ちた。
「この穴には人間を正気に戻すご利益があるってきいたんだよ」
「わたしが知る限り、まだひとりしか正気に戻ってはいない」
ジンパチは穴の縁から下をのぞき込むと、
「トキ兄ぃ、このくらい、どーでも、だよな?」
その返答に手裏剣三枚がきわどくかわしたジンパチの鼻をかすめて、天井へざっくりと刺さった。
「どひゃあ!」
「殺す!」
「トキ兄ぃ、勘弁してくれよ。ほら、仕事を書き留めておいたぜ」
「はぁ!? なんで突き落とされて仕事までもらわなきゃいけないの! 馬鹿なの!?」
「トキ兄ぃ、おかえりだぜ!」
――†――†――†――
ジンパチが屋根に逃げ、トキマルは追撃しようとアスバーリの部屋に飛び込んできたが、急にぐうたらに戻った反動で、壁伝いにへばりついて、屋根に上がるという、忍者ならさほどの問題もなくできるアクションが途方もなくめんどくさくなり、最後は腕を頭の後ろにまわして床に寝返り、どーでも、とちょっとふてくされた様子で寝転び、そのうち本当に寝息を立て始めた。
クレオがあらわれると、床の穴の縁に立って、低く笑った。
「落ちてみないのかい?」
「わたしがか?」
「もとに戻れるかもしれないじゃないか?」
「もとに?」
「ミツルくんがいた、ニホンという世界のことを思い出すかもしれない。そうしたら、ミツルくんは本当にあちらの世界では名もなき一般市民だったのかどうかをぜひともきいてみたいんだ。みんなはミツルくんはあっちの世界でも悪名高きラケッティアだったと思っているんだけど、僕は案外、普通に暮らしていたんじゃないかと思っているんだ。なぜって? ククッ。だって、そっちのほうが面白いからね。見た目が普通なのに、内側にあんな悪をこっそり飼ってる世界なんて」
「あなたは落ちないのか?」
「僕? この建物で正気なのは僕だけだよ。ククク」
クレオは赤シャツと約束があると言って、出ていった。
床の穴はささくれだった板に囲まれた、廃屋によくある穴だ。
この落とし穴に特別な意味があるわけではない。
ただ、何かのきっかけになるかもしれない。
アスバーリは目を閉じて、穴へと一歩足を踏み出した。




