第三十六話 哲学者ミツル、抗争こそ自然状態。
翌日、電気蟹を信管に用いた時限爆弾がホテル・ミツルフォルニアの前に置かれていた。
拳大の時計の針の先に電気蟹が嫌がる物質が塗ってあって、それが電気蟹の壜に触れると蟹は怒って放電する。その電気が〈錬金術のくしゃみ〉と呼ばれる、爆発したらキノコ雲待ったなしの強力火薬の箱とつながっていて、その魔導線は赤と青と緑……。
「映画では普通、赤と青だけなんだよね」
「じゃあ、緑を切りましょう」
トキマルが緑を切った瞬間、緑の魔導線内部に塗られている蟹の嫌がる物質がガラス壜へと流れ出し、怒った蟹の放電が〈錬金術のくしゃみ〉へと流れ込み、あわれ来栖ミツルは骨肉眼球四散の憂き目に――。
そこでハッと気がついた。
まだ、魔導線は切られていない。
「待った、トキマル! 緑はやめておこう!」
その後、電気蟹の壜をそっと外して、蟹はクレオが蒸し焼きにしたいというのでくれてやり、〈くしゃみ〉は一部始終を眺めていた近所の少年たちに銅貨十枚で売った。
のちにこの悪ガキ軍団は、この爆薬をバラバラに刻んで、いろんな長さの導火線を刺して、樽に入れて、下り坂から転がして、一番町に近いところで爆発させたものが勝ち、という本人たちの命を賭けないチキンレースをやった。
それは置いておいて、クルス・ファミリーである。
カラヴァルヴァ以上に命が安い町メスカーロでカンパニーと抗争状態に入ったが、考えてみると、これが通常だ。
少なくとも来栖ミツルは相手の最高幹部のひとりをガールズにぶち殺させてからこのかた、カンパニーのお偉方と停戦交渉をした覚えはない。
戦争こそが日常。
オツムのイッてしまった言葉だが、事実なのでしょうがない。
ただ、ゴッドファーザー・パート3のヘリから撃たれるシーン、あるいは19世紀初頭のカイロの城内に集められた土侯たちがエジプト総督のアルバニア兵からの銃撃を頭上から食らって皆殺しにされた悪名高き〈城塞の虐殺〉、あるいはシャクシャインのごとくハメられたことはマイナス点なので、ゼロ点に戻るためにこちらも何かしてみないといけないということになった。
しかし、クルス・ファミリーは今回の抗争では苦戦を強いられることは必至。
なにせ、ボスがマフィア脳ではないのだ。
来栖ミツルが平気な顔で考える〈えげつないが最終的には敵が潰れてクルス・ファミリーが得をしてしかも関係者全員がそれで納得してしまうえげつない策〉の数々なしで戦わなければならない。
すると、イスラントの頭の上でピコーンとベルがなって馬鹿には見えない電球が点いた。
「もう一回、階段から突き落してみよう」
「なぜ、それをとてもいい考えみたいに思いつくの? って、僕、言ってもいいよね」
「二階のバルコニーから突き落したほうが効き目がありそうです」
「突き落されたくない、という僕、来栖ミツルの意見は誰にも顧みられなかったのであった。完」
「なあ、旦那方。いっそカラヴァルヴァから援軍を来させたら、どうだい?」
「それはできない」
と、ジャックがぴしゃり。
「なんで?」
「いまのオーナーは無防備だ。もし、援軍のことがヨシュアたちに知られて、やつらまでここに来たら、どうなると思う?」
「バイバイ、お尻の処女。クックック」
「だから、カラヴァルヴァに援軍は頼めない。おれたちだけで解決する」
「わたしも賛成です。このくらい、わたしたちだけで解決できるところを見せてあげましょう」
――†――†――†――
宿泊している冒険者たちにはポーカーが一番盛り上がっているときを狙って、カンパニーと抗争状態になったことを伝えた。
こちら側の思惑通り、冒険者たちはハイハイといいかげんな返事をしながら、次のカードを引っぱってきていた。
これで、どうして言われなかった、と責められることはない。
銃弾が飛んでくるかもしれないので。外にロッキング・チェアを出すことができなくなったが、それでも通りがかりのアスバーリに話しかける習慣はなくならなかった。
アスバーリは現代の日本のことをいろいろとききたがった。
失ったこの世界での記憶を日本という異世界で埋めようとしているようだった。
考えてみると、日本の高校生が異世界に行きたがるのは努力せずに最強の存在になって、女の子たちにキャー素敵とちやほやされるためなのだ。
ところが、このアスバーリはかなり強いが、女の子たちにちやほやされるかわりに(ちやほやされようと思えばできるだけの美形なのだが)、えげつない宝石宇宙人との戦いを強いられ、しかも、その宇宙人の力を勝手に埋め込まれて、前世の記憶もパーにされと踏んだり蹴ったりだ。
だから、アスバーリはかつて自分がいた日本という場所を知りたがる。
確かにこっちに来てから、来栖ミツルは日本という場所がいかに特殊な異世界だったかを考えるようになった。
女性がひとりでコンビニに行けるし、義務教育もある。ディルランドだけで実施されたこの制度を他の国もマネしたいが、宮廷費を削ってまでして、やりたいとは思っていないらしい。
あるとき、アスバーリはミズキという人物を知っているかとたずねた。
来栖ミツルはふたり知っているとこたえた。
ひとりは水木海斗と。中学が同じだった男子で、教職員を敵にまわして図書室にブラックジャックを全巻置かせることに成功した伝説の男。
もうひとりは三根山美寿紀。高校が一緒だった女子で、家に魔改造を施したロデオ・マシーンを持っていて、いつもたんこぶをつくっていたタフな女子だった。
「男も女もいるのか?」
「どちらにもあり得る名前だね」
「そうか」
「向こうの世界のガールフレンドかい?」
「分からない。でも、ミズキもこっちの世界に連れてこられている。探さないといけない」
「……それ、〈探究者たち〉は知っているの?」
アスバーリは首をふった。
「わたしも最近思い出した。ひょっとすると、わたしと同じように〈星辰より来たるもの〉を埋め込まれているかもしれない」
「そんなことをされて、反乱を起こしてやろうと思ったことは?」
「ない。彼らがすることは全て正しい。そう思っていた」
過去形か。
世界を救うのに二千人でかかる組織を出し抜くのには、哲学者ミツルが来栖ミツル通常バージョンに戻る必要があったが、それには頭部への強烈な外的刺激、つまりどつかれる必要があった。
この迷える異邦人たちのうち、来栖ミツルは好き勝手に生き、アスバーリは消耗品として扱われる。
この差を考えると、哲学者ミツルは何かが見えそうになる。
だが、それは決して見ることも触れることもできない。
それがもどかしくもあるのは、アスバーリも同じなのだろう。
すると、ジャックと赤シャツがひきわりトウモロコシの袋を担いで買い物から帰ってきた。
哲学者ミツルの前を通りすぎるときに、ジャックが「三人殺った」といい、猫が獲物を見せるみたいにハンカチに包んだ三つの耳を見せた。
カウンターにはサボテン焼酎をたっぷり入れたガラスの大瓶があり、そこに削いだ耳を貯めることにしていた。もちろん、スコアはつけている。既にふたつの耳が入っていて、そこに三つ加わって、合計五つ。
壜を見れば、どれだけのダメージを敵対勢力に与えたかがひと目で分かるすぐれものだった。
哲学者ミツルは考えた。
とても頑丈な檻と敵一匹とベヒーモスが手に入れば、もっといいことができるのに。




