第三十五話 アサシン、ダッシュしろダッシュ。
執事の血まみれのカツラはリュウゼツランの葉の先に引っかかっていて、脳漿が滴り落ちていた。
体のほうは鳳凰樹のそばでトマトスープに浸したパンみたいになっている。
バルコニーのカンパニー兵たちは最初に執事を蜂の巣にすることで、三十六年仕えた執事を殺せるのだから、来栖ミツルとゆかいな仲間たちを殺すなんてもっとちょろいのだ、と言おうとしているようだった。
イスラントが来栖ミツルの襟を引っ張って、飛び込んだ草むらにも何発か飛んできた。
すぐに、ギャッ!と叫び声がして、欄干ごと落ちてきたカンパニー兵の眉間には大きな苦無が深々と刺さっていたが、そうとは知らずにイスラントは刃を一閃して、床にぶつかる前に首を刎ねた。
返り血を浴びて端整な顔とシャツは真っ赤になったが、いまのイスラントは無敵モードである。
ポケットから取り出した黒い手袋に手を突っ込み、端を噛んでしっかり指の股まで引っぱりながら、脱出経路を探して目を配った。
だが、どの出口も家具で塞がれていて、こちらから開けることができそうにない。
いったい何丁用意したのかと思うほど、銃撃は途切れなく、蝶はちぎれ、花は切れ、噴水の人魚は醜い裂け目の塊になっている。
そんななか、ジャックと赤シャツは遮蔽物から遮蔽物へと飛び移るように動きまわり、敵に無駄弾を使わせていた。
真っ白な硝煙で満たされた中庭でイスラントは『ゴッドファーザー・パート3で閉じ込められた部屋でヘリからマシンガンで撃たれるなか、アル・ネリがショットガンで鍵のかかったドアを吹き飛ばしみたいに』脱出の経路をつくってくれないかと期待する。
これなのだ。イスラントは悔しがる。
血に耐性がつくかわりに来栖ミツルの知識がかなりの頻度で邪魔をしてくる。
こんな命のかかった重要な場面にあっても、『こんなことなら敵のアンダーボスを寝返らせて、弟がやっている床屋兼カード賭博屋に敵の首領を誘い出して、背中から撃ってしまえばよかった。1927年10月13日のクリーヴランドみたいに』といきなり思考を占領してくる。
最近では自身の思考どころか、他人が言っている言葉すら邪魔してくる。
実際、トキマルがイスラントに対して、何か言っていたが、聞き逃してしまった。
トキマルは三本の震雷筒を紐でくくって、出口を塞ぐアルマンド二世時代の飾り棚に投げた。
爆発は棚と出口の枠を一度に吹き飛ばし、火柱がその上の回廊ごと火縄銃兵を焼き尽くし、空に舞い上がった焼死体は予備の弾薬をバンバン弾けさせながら、哲学者ミツルの目の前に落ちた。
「ひゃっあ!」
トキマルがゴッドファーザー・パート3のアル・ネリの役をして、ダッシュで逃げる道をつくった。
きっとクライマックスではインチキ大司教をバチカンのど真ん中で撃ち殺してくれるだろう、とまた余計なことを考えながら、貿易で財を成した商人たちの肖像画が並ぶ応接間に転がり込むと、来栖ミツルを脇へ突き飛ばしながら、スローイング・ダガーを刀身で叩き落した。
ダガーを投げてきた相手は軽装猟兵、というカンパニーがつくった新しい兵科、クルス・ファミリーの面々を倒すためにつくった兵士で、苛烈な訓練の末、接近戦では短剣というには少し刃渡りがありすぎる剣を二刀流で操り、スローイング・ダガーと小型の投擲弾を用いた遠距離攻撃と暗殺者の戦い方をしながら、運用は猟歩兵大隊をもとにした数で押す戦い方ができる。
ガールズたちがセヴェリノでカンパニーの暗殺部隊を殺して殺して殺しまくってから、カンパニー側が大勢の高名な軍師や参謀将校を雇って、出した答えが軽装猟兵なのだ。
「ギャッ」
それに対するクルス・ファミリーの答えは冷気を帯びた袈裟斬りの一撃だった。
クルス・ファミリーの面々はカンパニーの軍制改革など屁とも思わず、放たれるダガーでの同士討ちを狙った動きで敵を翻弄し、相手の刃をかいくぐって、ハラワタが全部流れ落ちるような斬撃を繰り出し、拾ったピストルを顔につきつけゼロ距離射程で発射した。
その乱戦のなか、タラトルバ王朝時代の陶器の皿や名匠ザカリアの手による風景画、ルイス十三世時代の肘掛け椅子が燃えるゴミと化し、カンパニーの借方の特別損失が増えていく。
イスラントは剣で襲いかかる猟兵の胸を突き通して刃を蹴り外し、長椅子の後ろからあらわれた影を逆袈裟に払いあげ、胸と下顎を斬り割った。
血まみれの皮を顎でひらひらさせながら斃れる。
ドン!
銃声がして、イスラントの背後に走ってきた敵兵が真横に吹っ飛んで壁にぶつかって穴を開けた。
赤シャツが煙を引くマスケット銃を手に立っている。イスラントは赤シャツへ親指を立てた。
隣の部屋からピストルのホイールを巻く音がいくつもきこえた。
トキマルが扉の右、ジンパチが扉の左に背中をつける。
ジンパチがさっと扉を開くと、黄鉄鉱を火皿に押し込んでいる軽装猟兵たちが、ぎょっとした顔をさせ、動きが止まった。
すると、トキマルが特大震雷筒の信管を引き抜き、隣室へ放り込み、ジンパチがさっとドアを閉めた。
ふたりは特大震雷筒の威力を過小評価していた。
せいぜい吹っ飛ぶとしても扉だろうを思っていたが、実際は隣室全ての壁と柱を吹き飛ばし、真上の部屋が落ちてきて、漆喰の破片と木片で何も見えなくなった。
一行は瓦礫の下からトキマルとジンパチを発掘すると、大きく裂けた壁から外に出た。
外では非常事態を告げる鐘がガンガン鳴らされていて、文官たちが逃げまわっていた。
彼らは血まみれのイスラントを見ると腰を抜かすほど驚き、両手を上げて、降伏の意志を伝えた。
だが、その口がもごもごと動くのをイスラントは見逃さなかった。
膝をみぞおちにお見舞いし、髪をつかむと、連射式クロスボウの弦がきしむ音がするほうへ体を振った。
人間の盾は八本の矢を胴に食らって、口からふくみ針を吐き出して絶命する。
クロスボウ兵は慌てて武器を捨てて逃げたが、クルス・ファミリーのマイナー・ルールでは来栖ミツルの命が直接的な危険に晒されている戦闘では、武器を捨て背を見せて逃げるものを殺してもスコアに計上できることになっていたので、赤シャツがいつの間にかベルトに差していた五丁のピストルのうちの一丁を使って、背中を撃ち、背骨がバキッ!と折れる音は市庁舎じゅうに響いた。
「ダッシュだ、ダッシュ!」
七人は迷路のような板張りの道を走り、こけそうになりつつ起き上がり、足の裏にバネでも仕込んだみたいに跳躍し、視野に影が走ったり、小屋の窓に人影があらわれると、銃弾とスローイング・ダガーと八方手裏剣を打ち込んだ。
先頭の風はイスラントが斬る。
武器庫から薙刀を構えた男があらわれると、敵の大ぶりの太刀風を下方で巻き取って、内股から払って、脛の半ばから斬り飛ばす。運がよければ、後続の誰かがトドメを刺してくれるだろう。
そこまでの運に恵まれなければ、このメスカーロの酷暑のなか、切り口がじゅくじゅくと腐敗し蝿にたかられ、高熱にうなされながら、三日間生き延びることになる。
頼むから間合いを見定めるときに五大ファミリーの名前で頭がいっぱいにならないでくれ、と半ば懇願しながら、敵を斬る。
骨や防具ごと敵を叩き切ると肩が痛くなってくる。
ましてや咄嗟に槍の柄や火縄銃をかかげられたのをぶった切れば、ますます肩にこたえてくる。
ようやく出口が見えた。
あの出口はレバーの留め具を蹴り外せば、錘によって、あっという間に扉が上がる。
ホテル・ミツルフォルニアに戻ったら、カンパニーにどんなお返しをしてやるか考えないといけない。
そのとき、太鼓が早打ちされ、十五、六人の火縄銃兵が門前の左右からあらわれた。半分が膝をつき、半分が立ったままの二列横隊で彼らを狙っている。
士官が撃てと叫んだのと同時に、扉が火花を散らしてから、ぐらりとそのまま銃殺隊へ倒れてきた。
部下が全員扉の下敷きになったのを信じられない様子で見ている士官の横鬢にイスラントが一撃叩きつけ、後続組は来栖ミツルを引きずってカンパニーの敷地から逃れ、涸れた川床を横断した。
あの扉の鎖を一刀で切断できる腕があるのは、
「こっちだ。追撃はわたしが止める。来栖を連れて逃げろ」
やはり、アスバーリだった。
涸れた川の岸辺の乾いた草の群生地で迎え撃つアスバーリの姿を見ていると、いまにも死んでしまいそうな気がしたが、加勢する気にはなれなかった。
既にひとり十二、三人ずつ斬ったのだ。肩の骨と関節からはもう殺せません勘弁してください勘弁してくれないなら外れます、と脅しをかけられ、また返り血がガビガビに固まり始め、それに砂や汗が混じってひどく不愉快なものになって、全員の脳裏にはあの裏手の、素晴らしい池と、ソース焼きそばのことしか考えられなくなっていた。




