第三十二話 哲学者ミツル、生まれついての詐欺師。
米料理の奇跡がホテル・ミツルフォルニアを中立地帯とするという協定をガルベスとココランデのあいだに締結させ、少しずつだが、ホテル・ミツルフォルニアを中心に治安と理性が根付き始めた。
冒険者ギルドとして、定宿にする冒険者を手に入れ、来栖ミツルは宿帳とは別の登録帳簿を用意した。
質屋で手に入れた牛革のぼろっとした帳簿にダンジョンへ潜るものの名前を直筆で書いてもらう。
書いたからといって別に何もないし、書かなかったからといって別に何もない。
気持ちの問題である。
来栖ミツルがホテルの裏の池のそばでソース焼きそばを作っていると、見慣れぬ客があらわれた。
どこか役人らしい顔をした、背が高い男で、見れば帯刀している。
保健所が文句でも言ってきたのかもしれないと思ったが、焼きそばに微妙な焦げ目をつけるのに忙しく、あまり構ってもいられなかった。
宿泊希望ならカウンターにすっかり仕事中毒になったトキマルがいる。
来栖ミツルができることはここで豪快にそばを混ぜることだけだ。
ついに完成したウスターソースはなかなかの再現度であり、これならプレーリーオイスターに垂らしてもいい。
出来上がったソース焼きそばを陶器の、小舟ににた長方形の皿にドシドシ持っていく。
銅貨十枚の御奉仕価格で。
魔法使いたちがプール代わりの池からぞろぞろ上がって、ソース焼きそばにがっついている。
ソース再現は紆余曲折で、よくこんな何もまともに手に入らない土地でやり遂げられたと自分で自分を誉めてあげたい、しかし、こうなると欲が出てきて紅生姜が恋しくなる、と思っていると、例のふたりが〈池の家〉へとやってきた。
「ここで無許可の冒険者ギルドが開設されているときいた」
役人男が言った。
確かにギルドと名のつく以上、そこには厳密な監査があるだろうと思っていたが、こんなにすぐ来るとは思っていなかった。
ヤキソバ哲学者ミツルは相手の右手を見た。
それがロングソードの柄にかかったら、へらで鉄板の焼きそばを相手の顔に打ち上げて逃げる。
なに、熱々の焼きそばをいきなり顔に食らって驚かないものはいない。
ただ、食べ物を粗末にすることはできるだけ避けたいので、彼は中学のときのディベート大会で〈生まれついての詐欺師〉と評された自分の弁論に頼ることにした。
「いらっしゃいませ。お客さま。ホテル・ミツルフォルニアにようこそ。当ホテルでは六十九年以来、スピリッツは取り扱っておりません」
何も言わない。
イーグルスはお嫌い? ジプシー・キングスのスペイン語カバーのほうが好きなのかもしれない。
「当ホテルはお客さまに安心安全安楽安眠の三ツ星ホテルを目指しています」
「ここではダンジョン探索を行うパーティを宿泊させ、ギルド用の台帳で登録を行っていると報告がある」
「報告……つまり、その報告者は少なくとも字が書けるということですな。メスカーロでは非常に珍しいことです。つまり、字が書ける人間が密告を行う……大変結構ですな」
「クエストの募集公示を引き受けている」
よく見ると、魔法使いらしい護符や指輪をつけている。
大きな剣をベルトから下げているが、軽装だ。
気温が許してくれるなら重装備の聖騎士みたいになるのだろうが。
「クエスト? 当ホテルが?」
レンベル通りの詐欺師が鉱山第四階層の書記事務所にある鉱山株仲買人のリストを欲しがっていて、持ってきたら、金貨二枚を支払うと言っていた。
「滅相もございません。お客さま。当ホテルでは六十九年以来いかなるクエストも引き受けておりません」
すると、男は懐から、四つ折りにされた一枚の鼠皮紙を取り出して、哲学者ミツルに見せた。
「そこの掲示板に貼られていた」
「ちょっとお借りしても?」
来栖ミツルはクエスト募集を手に取った。
汚い字で汚い目的で汚いカネを支払うと書かれた紙を手にすると、哲学者ミツルはそれをくしゃくしゃにして鉄板の下の竈に放り込んだ。
「非常に興味深いですな。つまり、いま、あのクエスト募集が存在するのはわたくしどもの記憶のなかだけであり、わたくしどもがこの世から消滅すると、あのクエストが存在していたという事実まで消失してしまう。しかし、記憶からの消失はありましても、時間的な消失まで否定することはできなくて、もっと高次な生命体が過去と現在と未来をひとつの状態として総括的に見ることができれば、彼のもと、あのクエストは間違いなく存在していているわけですな。ところが、この国の司法はそうした時間の総括ができないので、現在か過去の証明を必要とするわけですな」
詐欺師ミツルは焼きそばをせっせと混ぜる作業を再開した。
来栖ミツルなら、彼らがやっていることはちょっとした強請であり、とてもマフィア的だ、あっぱれと言って、幾ばくかの金貨を渡しているところだろう。
「しかし、当ホテルが冒険者ギルドであるというのは、まるで火事で焼ける大聖堂と月の裏でテニスをするようなものですな」
相手は怪訝な顔をした。
燃える大聖堂、あるいは月の裏、あるいはテニスに嫌な思い出があるかのように。
「つまり、ラケット製造者のなかでも伝説的と称されるシグフリト・アウガスタス・フォン・バッテン=バッテンは自分の作ったラケットによって飛んでいくボールを長く見ることによって、この世界の救われ具合を正確に把握することができて、それをもとに気球の高さを設定するのですが、気球が飛ぶのに月の裏の冷たい空気がどれだけボールの荒熱を取ってくれるかをどうしても知りたいとみなさんが思うのは当然なわけなのですな」
そのうち、自分のこめかみを指で差して、くるくるまわすだろう。
そうなれば、ホテル・ミツルフォルニアの粘り勝ちだ。
「万が一、ボールが空飛ぶソース焼きそばに触れてしまえば、全ては台無しで、また一からラケットをつくりなおさなければいけないのですが、そうなると、三百頭の犬と三百羽の鷲を入れて三か月間、熱い風を送って怒らせ続けて共倒れになるまで戦わせた牢から得られる神秘のしずくが必要になるのですな」
だんだん、うんざりした様子を見せてきた。
「我々は忠告はした。それと、〈探究者たち〉がここに泊っているな?」
「それは、まあ、みんな、ダンジョンを探求するためにやってくるわけですな」
「その、ですな、をやめろ。いいか、〈探究者たち〉はこのダンジョンに〈星辰より来たるもの〉がいることを知っている。そして、宝石を埋め込まれた捨て駒をここに送ってきている。いずれ、カンパニーの執政官がやってくる。ひとりじゃない。武装した二百人でだ。そのときになって吠え面かいても――」
「失礼。捨て駒、というのは、ひょっとして当ホテルのアスバーリ・ロゼリスルヴさまでお間違えないでしょうか?」
「それが?」
「当ホテルではお客さまを捨て駒呼ばわりすることは六十九年以来、禁止されております」
「破ったらどうだというのだ?」
「当ホテルの専属バーテンダーがあなたの喉を切り裂くと同時に氷づけにして、それでミント・ジュレップを作りますな」
そこで、ギルド男は初めて気がついた。
自分の喉にひやりとした氷の剣があてられていることに。




