第三十一話 哲学者ミツル、食は世界を救う。
いま、ホテル・ミツルフォルニアには四つの勢力がいます。
ひとつは冒険者勢力。
剣士四名、魔法使い四名で、これがひとつのビリヤード台に集まって、せっせとご飯を食べています。
次に司法勢力。
ガルベス隊長と、その部下三名。
カウンターの右端に集まっていて、ジャックがお相手しています。
そして、盗賊勢力。
ココランデとその娘らしい女の子、部下二名。
こちらはカウンターの左端に集まっていて、イスラントがお相手しています。
そして、最後の勢力とはクルス・ファミリー、ホテル従業員組合。
バーテンダー二名、調理三名。
調理三名の具体的な内訳はコック長の僕とコック長補佐のトキマルとジンパチ。
クレオも参加すると言ったのだけど、お気持ちだけとしっかり断っておいた。
集団食中毒はホテルにとって致命傷だから。
とりあえず、現在の状況としてはお酒はジャックとイスラントに全部任せて、こちらは三人で料理をつくるという格好。
僕はこのホテル一階に調和をもたらさんと動いている。
冒険者パーティの集まりは魔法使いたちは自分以外の全人類馬鹿だと思っていて、剣士は強いものと戦いたくてウズウズしている。
ガルベス隊長とココランデは間違いなく強いものに該当するので、若気の至りの過ちを犯さないよう、とびきりおいしいご飯を用意して、何とか気をそらさないといけない。
ポトフの鍋は既に空っぽで、新しい攻勢のため、新機軸が必要になる。
経験から考えると、こういうときは鶏のから揚げを山盛りにして出すのが一番の安牌で、以前、ツィーヌとマリスがとっておいたカカオ・ケーキを食べられたと対立した際、明日の晩に出そうと思っていた山盛りのから揚げを出して、停戦の糸口を見出したことがある。
山盛り、という質量に訴える作戦は有効だけど、鶏肉が切れている。
ただ、お米と油とチーズがあり、切り落とした肉くずもある。ピカーダもあるよ。
ピカーダというのは木の実と固いパン切れとニンニクを油をひかずにからからになるまで炒めて、粉々にすりつぶしたものだ。
これを小麦粉と混ぜてアランチーネをつくる。
つまり、シチリア風ライスコロッケ。
ロジスラスがペレスヴェトと呼ばれていて、まだイリーナと結婚していなかったとき、ポテト偶像を立ち上げて、宗教都市で異端審問ギリギリのことをしていたときにたくさんつくって、僕らのお腹を満たしてくれた。
アランチーネにはお腹の底から沸きたたせる力があるんだ。
僕はホテル従業員組合の面々を呼んで、ホテルのラウンジで流血の事態を避けることがどれだけ大切か訓示した。
「ホテル・ミツルフォルニアは砂漠のオアシスとなるべく作られたんだ」
「しかし、頭領。頭を打つ前の頭領はここを犯罪拠点にすると――」
「頭を打つ前の僕が言ったことは無視してくれていい。ここはオアシスなんだ。オアシスではライオンもシマウマもゾウもハイエナもお互いを食べてやろうとも思わず、踏みつぶしてやろうとも思わず、冷たい水を飲んで、いい気持ちになる。動物ができるのだから、僕ら人間もオアシスで水を飲んでいい気持ちになることができる。できなかったら、人間ではないんだ。それはヒトモドキなんだ。ヒトモドキは非人間的言動をもてあそび、それでいて自分は世界で人道的な人間だと思っている。かわいそうなものたちなんだ、ヒトモドキは。ヒトモドキは当選することによって生まれる。あるいは巨額の遺産を受け継いだり、本質も見ることが自分以外の誰にもできないと勘違いしたりして生まれることもあるんだ。ヒトモドキの最大の悲劇は平気で嘘をつくし、非論理的な考え方をしているのに論理に未練があるから本質を見る方法が分からない。僕らはホテル従業員として、宿泊客がヒトモドキにならないよう気をつけなければならない。そして、可能なら、彼らはガルベスであり、ガルベスでなく、ココランデであり、ココランデではなく、冒険者であり、冒険者でなく、全てであり、なにものでもないことに気づいてもらって、自分を決定づける因子の全てを放棄して、その先にあるものの見方を得てももらいたい。全てのものが集まるオアシスの水面にこそ、それが映ることを認めてもらいたいんだ。総括すると、お酒とおにぎり、アランチーネだ」
空腹が原因で殺し合いが起き、殺した相手を食べてしまった例はよくきくけど、満腹が原因で殺し合いが起きて、しかも殺した相手を保存食にした話はきいたことがない。
空腹と寒さと孤独があれば、人は無制限に落ち込める。
つまり、空腹を治癒できれば、それが人間の思考の最後のブレーキになるんだ。
逆に空腹なら思考が単純化してしまう。人間がタレで焼いた手羽先に見えてくるのはその先のことだ。
アランチーネはまずお米をバターや香辛料と煮るところから始める、本当は水でなくスープストックで煮たいけど、残念ながら、このメスカーロでは雑魚を手に入れる方法がない。
カラヴァルヴァでは魚屋に行けば、雑魚が一山銀貨一枚で売っている。
この雑魚は名前も分からない小魚ばかりで、日本の魚屋で売られることは絶対にない。
たぶん漁師さんが海に捨てている。
それがこちらでは立派な売り物になる。
この雑魚をスープストックの出汁にする。
僕は雑魚の他に料理屋で海老の頭と殻も売ってもらっている。
作り方は簡単だ。
深めの鍋で海老くずをへらで潰しながら、オリーブオイルで炒めて、次は雑魚を投下して、白ワインを少し入れて、強火で炒める。
次に八百屋や料理屋で買った野菜くずを入れて、ひたひたになるまで水を加えて、沸騰したら、薪を入れるのをやめて、弱火で炒める。一時間くらい。
そして、あまり泡立てないよう、ゆっくりと濾す。
すると、夢みたいなオレンジ色のスープが出来上がる。
これでお米を煮て、アランチーネを作ると、頭がおかしくなってしまうくらいおいしいものが出来上がる。
でも、残念ながら、今日のアランチーネは水でお米を煮る。
仕方ない。おいしいアランチーネを食べるなら、魚市場のある町で作るべきなんだ。
それでもピカーダを小麦粉に混ぜて、最高のサクサク触感と風味があるわけだし、具も食べて元気が出る肉とチーズ、飽きたらおにぎりに浮気できる。
確かに最高ではないけど、限りなく最高に近いアランチーネ環境を用意したはずなんだ。
トキマルたちと一緒に山盛りのアランチーネと南極おにぎりシリーズを持って、ラウンジに来たとき、事態は最悪一歩手前だった。
みな剣の柄に手を添えていて、魔法使いたちは膝に置いた魔導書のページを繰っていたけど、きっと相手をネズミか何かに変えるページを繰っていたのだろう。
暴発寸前、ギリギリのところで持ちこたえていたのは仮面をつけたアスバーリと赤シャツさんがそれぞれ壁にもたれて、部屋全体を牽制していたおかげだった。
世界は武力による抑止力から食の抑止力へと一段階上の次元へと駆けあがる。
さあ、召し上がれ!




