第三十話 哲学者ミツル、エメラルド捕食疑惑。
メスカーロでは舞い上がる砂の種類や塩梅によって、夕焼けの色が異なった。
通常の橙からハードボイルド小説が使いそうな血のように赤い夕暮れ、黄色や紫もあったが、その日の夕暮れは緑だった。
緑の光というのはちょっと浴びたことがないだろう。なかなか新鮮だったが、この夕暮れ、影の暗がりは他のどの色の夕暮れよりも濃いので、かっぱらいや追剥にはもってこいで、実際、路地から刺されたり、蹴られたり、撃たれたりする音がきこえてきていた。
そんな夕暮れの日を来栖ミツル、今日の昼にあったこと、つまり、自分のなかに自分が意識していないマフィアの知識体系があることについて、これは面白いかもしれない、つまり自覚と意識の関係性がウンウンカンヌンと思いながら、もうすっかり日課になったロッキング・チェア・タイムを過ごしていた。
板張りの回廊に出した椅子に浅く腰掛けて、踵の固い靴で板を蹴ると、ジッタンバッタンと間抜けた音がなり、ここが世界最悪クラスの治安の悪さを誇る町であることを忘れてしまう。
ついさっきだって、ホテルの左側の路地から「カネ出せ!」という声がして、ガツン!と額がたたき割られる音がして「このおれさまの財布を狙うたあ、ふてえ野郎だ!」と大見栄切ったみたいな怒鳴り声がしたのだが、そんなことは百年前の出来事のようだ。
ビリヤード台を都合してくれた老人からロッキング・チェアをもうひとつ買い、板張りの回廊に置いてみると、アスバーリがやってきた。
だが、アスバーリは極めて愉快なこの文明の利器には座らず、いつも背負っている大きな太刀をバルコニーを支える柱に立てかけ、その柄に手を据えて立ったまま、砂埃の通りを見つめた。
「暇なのかな?」
「ああ。そっちは?」
「ポトフはもうできてるし、コーン・ブレッドもある。飴色の玉ねぎもさっきつくった。キラー・オニオンで妥協したのは、ちょっとあれだけど」
と、言ってから、哲学者ミツルはアスバーリのほうを見て、
「もちろん、おにぎりも素敵なラインナップそろえております」
「あれは、いい」
「ただ、海苔が切れそうで。カラヴァルヴァから取り寄せないといけない」
海苔を簡単に、費用を抑えて、持ち込める方法があればいいのに、と思っていると、ジンパチがやってきて、そろそろイスラントの縄を解いてやってもいいのではないかと言ってきた。
イスラントの問題は必然的にトキマルと来栖ミツルに飛び火する問題なので、元老院議員を召集し、話し合うことに決めた。話し合いで決着がつかなかったら、インディアン・ポーカーである。
「ミズキというのは、日本でよくある名前か?」
「まあ、すごく珍しい名前ってわけじゃないね」
「わたしはその名前の人物を探さないといけない気がする」
「名前しか分からないのかい?」
「ああ」
「それはまた。ミズキっていうのは女性でも男性でもありそうな名前だ」
「そうか」
「一緒にこっちに連れてこられた?」
「おそらく」
「でも、まあ、裕福な貿易商の家に生まれて、何不自由なく暮らしてるかもしれない」
「いや。ミズキもわたしと同じように、体のなかに〈星辰より来たるもの〉がある」
「同じようにダンジョンを彷徨っているかもしれないってこと?」
「そこまでは……」
「それより、あのエメラルドの話で心配なことがあるんだけど、あれって食べるとどうなるの?」
「食べたのか?」
「いや、おれじゃなくて――」
そのとき、心配の種の張本人であるガルベス隊長が、大きな馬にまたがって、緑の夕暮れを背にあらわれた。
見た様子では健康そうだが、しかし、悪いことは重なるもので、動く岩を見つけたと思ったら、凶悪な盗賊ココランデがこちらにやってきている。
どちらもひとりである。
そして、ふたりはお互いに気づくと、お互いにらみ合いながら、ピストルを手にした。
そして、哲学者ミツルを立会人に決闘をするといい、ふたりは背中合わせに立ち、十歩歩いたら、振り向いて撃つことになった。
もちろんふたりとも十歩も歩かず、三歩で振り向き、ぶっ放した。
ふたつの銃声はぴったり重なり、ガルベスとココランデは額に風穴をつくって、仰向けに倒れた。
「ハレルヤ。これでここもちょっとだけ平和になる」
「いや。まだだ」
アスバーリがそう言い、見てみると、開いた風穴にエメラルドが凝集し、それがサラサラと消えてなくなるころには吹っ飛ばしたはずの脳みそも修復済みで風穴はきれいに消えていた。
ガルベスだけではない。ココランデも食べていたのだ。
あのエメラルドを。




