第二十二話 哲学者ミツル、恐怖の面通し。
わんわん泣いていた女の人が五分ぴったしでスイッチ切ったみたいに泣き止むことがあるけれど、今回もそうなったらいいな。
でも、それは難しいようだ。
つまり、僕が出ないといけない。
みんな反対したけど、判事と赤シャツは反対しなかった。
いや、赤シャツは何も言わなかったんだ。反対する人は言って、と言ったから、賛成ということにしたんだけど、ちょっとずるかったかな。
向こうは巨大な馬にまたがったガルベス隊長ひとり。
ピストルや刀はない。丸腰だけど、あの物騒な義手をつけているから、これは丸腰と言ってもいいのかな?
背の高さに比例して腕もかなり長いから、ちょいと伸ばして、僕の頭をパキッとやるくらい難しくなさそうだ。
「判事」
「隊長」
司法官同士の挨拶。短いね。もっと、こう、奥さんは元気か?とか、最近流行りのコンドルダンスについて、どう思うとか、いろいろききあって、無駄な時間使うのが挨拶でしょ?
「その男は――」
と、隊長が義手で僕を指差す。
「強盗殺人の重要参考人だ」
「そうなのか?」
判事はもう一切の責任を負いたくないらしい。
僕は、その通りです、閣下、とこたえた。
こうなっては僕がひとりで引き受けるしかない。
「犯人を見たか?」
「はい、閣下。犯人のかぶっている袋は見ました、閣下。荒っぽい繊維でできた、薄い茶色の、乾燥豆を入れるような袋で、目のところに穴がふたつ開いていました、閣下」
「あの場でふたり死んだ」
「恐れながら、閣下。それは閣下の勘違いでございます、閣下。あの場では太った女性、窓口の老人、それに強盗犯が死んでいたので、ふたりではなく、三人死んだというのが正しいかと思われます、閣下」
「犯罪者は人間に数えない」
「閣下の深き御心を察することができなくて、僕としても心苦しい限りです、閣下」
「いちいち、最後に閣下をつけるな」
「はい、閣下――じゃなくて、はい」
「……これからお前を面通しに連れていく」
「恐れながら、それはお互いにとって、いい結果をもたらさないと思われます。というのも、僕の後ろでは僕を連れていったら最後、小林多喜二みたいに生きて戻ってこないと思っているのです。あ、いや、彼らが蟹工船を読んだことがあるという意味ではありません。あくまでたとえの話です。隊長どのは彼らに同行を認めるか、僕が生きてもどってくる保証を彼らに渡す必要があるかと思われます」
ガルベス隊長のこめかみにぷくっと青筋が浮かび、判事はこの世の終わりみたいな顔をしている。
これは間違えたかなとバックステップからの全力疾走を本気で考えたころ、隊長が指笛を吹いた。
騎兵のひとりがつやつやした木の箱を持ってきた。
「これをそいつらに預ける。ひとりだけついてきていい」
錠前がパチンと解けて、箱が開く。
そこには象牙でつくった美しい白い、そして常人離れした大きさの義手が、ちゃんと人間の腕の形で収まっていた。ペンチじゃなくて。
「それを預ける。何かあったら、壊せ。行くぞ。」
――†――†――†――
ひとりついていくのを決めるのはジャンケンだった。
勝った人が来るのかと思ったら、負けた人が来ることになっていて、ああ、罰ゲームなんだな、と、ちょっぴり悲しくなる。
町外れの荒野に騎兵たちのテントがあり、小さな水場を馬たちが囲っている。
彼ら騎馬警官たちはみな砂をかぶって灰色だった。給料が出来高制なのか、僕らのことを歩く給料袋と思っているような視線がチクチクしたのだけど、いまのところ、害をくわえられそうではない。
「なんで、おれがー」
トキマルがぼやく。
「ごめんね、トキマル。僕が両替しに行ったばっかしに。でも、悪いことばかりではない。ここの人たちは自分自身を憎んでいる。でなければ、こんな砂漠で野営なんてしない。憎悪の発作が起きたら、僕らがやられるよりも、彼ら自身が命を絶つ可能性のほうが高い。希望を捨ててはダメだよ」
「どーでも」
「そう、大切なのは、その、どーでも、という態度なんだ。物事に対する執着が人の目を曇らせることがある。だから、その執着をなくすことで、人は新しいものの見方ができて――」
「わかった、わかった。どーでも、じゃない。いまのおれはこの世の全てを嘆く義務の塊だよ。もー」
取調室、というとマジックミラーがあって、半フィートごとに線を引いた壁があって、そこに不貞腐れた顔の容疑者たちが並んでいて、目撃者は、あいつです、とひと言、言って、対象の人生を全てオシャカにする。
しかし、砂の国の騎兵隊はちょっと違った。
まず、マジックミラーがない。
目撃者が犯罪者のお礼参りの犠牲になることについて、騎兵隊はあまり気にしていないらしい。
それに半フィートごとの線もない。これでは身長がどのくらいだったか思い出せない。
でも、それらのことは五人の容疑者が首まで砂で埋められていることを思えば、大したことではない。
「強盗どもはなんて言った?」
「えーと、確か……カネを出せ!と」
ガルベスはにやりと笑うと、部下のひとりに向かって指を鳴らし、目のところに穴を開けた袋を持ってこさせた。
「よーし、お前ら、きいていたか? これから、わしの部下がお前らに袋をかぶせる。そして、お前らはただ一言『カネを出せ!』とこちらの紳士に言えばいい。それで家に帰ることができる。最初はお前からだ」
指名された左端の悪党はガッツがあった。
「ふざけるんじゃねえ、ガルベス! いつか、てめえを――」
ガルベスはその男の頭を思いきり蹴飛ばした。
ガッツはあるが、洞察力に欠けた。
「こいつは後だ、次」
こうして、僕とトキマルは「カネを出せ!」を四回きかされた。
「で、どうだ?」
「誰も同じに見える。正直、面通しなんて初めてだけど、自分のひと言で相手の人生が決まってしまうと考えると、自信がなくなってきたよ」
「じゃあ、全員だ」
すると、まだ意識を失っていない四人が騒ぎ立てたが、部下がひとりずつ棍棒でぶちのめして静かにさせた。
「でも、隊長どの。賊は確かにふたりで――」
「こいつらはみんな罪人だ。どうせ生きていてもろくなことはせん。予防措置だ。おい、誰か。こちらのふたりにお帰りいただけ。それと、あの判事のクソ野郎のとこに行って、わしの義手を回収してこい」
そのとき、騎兵のひとりが小さな箱をもって、あらわれた。
「隊長。これを見てください」
「これは――エメラルドか?」
「黒ずくめの仮面の男を見つけて、尋問し、これを持っていたのであります。本人は廃坑で採ったと言っていまして、さらにこれはエメラルドではないとも言っていました。おれはあの廃坑には銀と銀の鉱脈があるだけで、宝石が取れるなんて話は一切きいたことがなかったので、これは誰かから奪ったものだと思い、押収し、ここにお持ちしました」
「その黒ずくめは?」
「逃がしました。ひょっとすると、本当にエメラルドの鉱脈を見つけたのかもしれません。でしたら、泳がせたほうがよいかと」
「それは不要だな」
すると、ガルベス隊長は箱のなかのエメラルドもどきをひょいとつまみ、僕らが止める暇もなく、口に放り込み、噛み砕いた。
「ふむ。これはエメラルドじゃないな。その男は、これが何なのか言っていたか?」
「〈星辰より来たるもの〉と言っていたのであります」
「下らん言葉を使いおって。まあ、いい。強盗殺人の件は片づいた」
そのとき、最初に蹴飛ばされた悪党が目を覚ました。
そして、自分をこんな目に遭わせた人物に報復をもくろみ、一番手近な足首に噛みついた。
残念なことにそれはガルベス隊長ではなく、トキマルの足首で、さらに残念なことにトキマルはバランスを崩して、そのまま、僕の頭に思いきり、ぶつかってきて――




