第十六回 哲学者ミツル、いいんじゃないかな病。
来栖ミツルの生態は困難なものになった。
ラケッティアな来栖ミツルはいつも頭のなかにゴッドファーザー・パート1とボードウォーク・エンパイアが流れていて、自分の行動が、この二作品に抵触するものであれば、修正がかかり、清く正しくラケッティアとして生きていけるようになっていた。
名づけ親になってほしいと声がかかれば、彼の頭のなかがゴーサインを出すが、ある貿易会社からスパイス貿易にカネを出さないかと言われると、ただちに彼のなかのゴッドファーザー的思考が相手の細かいしぐさやスパイスと言うときのちょっと嘲笑ったところのある目の色から、実際には新手の麻薬をカラヴァルヴァに運ぶつもりだと知れ、貿易船は燃やされる。
逆に言えば、ゴッドファーザーとボードウォーク・エンパイアを視聴したことがある、あるいは視聴した来栖ミツルの感想を年がら年中きかされていれば、彼の行動はある程度まで読める。
ああ、これはしないな、とか、ああ、これは絶対やるな、というのが分かるのだ。
ところが、いまの来栖ミツルはさっぱり分からない。
酒場の床にうつ伏せになって頬杖をついて何をしているのかと思ったら、床板のあいだを歩くアリの行進を見ている。
そのうちうつ伏せのまま前進を始めて、外に出てしまうので、馬蹄の餌食になる前にホテルに引きずり込まなければならなかった。
そして、この来栖ミツルは驚くべきことに飲酒ができた。
ふらっとカウンターに立ち寄り、サボテン酒のジュレップを一杯所望する。
ジャックもイスラントも来栖ミツルがキング・オブ・ゲコであることは知っていたから、首をふって断ったが、来栖ミツルはいいからジュレップをダブルでくれ、といい、仕方なくサボテン酒をかき氷に注いだが、来栖ミツルはそれをジャラジャラとひと息に飲み干し、それから床板のあいだのアリの観察に戻る。
来栖ミツルが来栖一族のアルコール蛮勇伝説の末席に位置付けられようとしているのを見ると、ジャックはとても不安になった。
いまのところ、サッカーゴールを盗むとか、八十度の泡盛を売ってくれる店を探してドラクエ並みの冒険をしたというところまでは来ていないようだが、埃まみれの床にうつ伏せになり、アリの行進を黙って見ているというのも、これはこれでちょっと狂気の片鱗を感じさせる。
そのうちまたスイングドアの下まで這っていったのだが、そのときちょうど騎兵隊がやってきた。
この世界には重い鎧をつけ、整鬢油を使ったヒゲを自慢し、一糸乱れぬくさび型陣形のまま敵に突っ込むことを生きがいにしている融通の利かない、平原の会戦でしか使えない騎兵隊がいる。
だが、この騎兵隊は砂まみれの汚れた不揃いの服を着ていて、ツバが曲がった日除けの帽子をかぶり、大きなピストルを鞍につけた革袋に三丁突っ込み、人間の頭をばっさり両断できる大きな剣を仕上げが剥げたベルトと縄で腰に吊るしていた。
彼らはひとりひとりが斥候となり、本隊の三十キロ前方を探れる能力がある、自活力のある騎兵隊だった。
馬賊を追って、からからに渇いた草原を二百キロ踏破するのはこういう騎兵隊なのだ。
彼らの前職は泥棒、偽造犯、人殺し、債務監獄にぶち込まれた下級貴族であり、同じような盗賊を追いかけて暮らしていた。
騎兵隊は油断のない目をメスカーロのあちこちに配りながら、白い髑髏に黒の旗を高々と掲げて来栖ミツルの前を通り過ぎていった。
すると、廃屋の角からクレオがひょっこり姿をあらわした。
ホテル・ミツルフォルニアへとテクテク歩いていたが、ちょうど騎兵隊のすぐ前を横切ることになりそうだった。
すると、重めのレイピアを抜いた騎兵がクレオの肩甲骨目がけて、ひと突き入れたが、ちょっとクレオが体をかわすと、騎兵は蹴飛ばされたボールのように落馬して、次の騎兵の馬蹄に鼻が陥没するくらい強く踏まれて絶命した。
クレオは死体にも騎兵にも目をくれず、スタスタと歩いていったのだが、ホテルに戻る前に来栖ミツルと目が合った。
来栖ミツルの目のなかではゴッドファーザーもグッドフェローズも流れていない。
「ねえ。ミツル。冒険者ギルドってどう思う?」
「いいんじゃないかな」
「このホテルが冒険者ギルドになったら、どう思う?」
「いいんじゃないかな」
「……ヨシュアとリサークにきみとの重婚を勧めるつもりなんだけど、どう思う?」
「いいんじゃないかな」
間違いなかった。来栖ミツルは〈いいんじゃないかな病〉にかかっていた。
この病気にかかると、何をきかれてもいいんじゃないかな、とこたえる。
通常、罹患者は社会的な生活は送れないとみなされ、後見人が必要になる。
後見人の役割のひとつには、被後見人が凶悪な司法騎兵隊の騎兵隊長と出会ってしまったときに殺されないようサポートすることだ。
騎兵隊長はこわばった顔に灰色の口ヒゲをたくわえた、凶暴な目をした老人だった。
帽子も塵除け外套もクラヴァットも黒く、いっそのこと黒メガネもかければ思いきりがいいが、眼鏡は透明の丸いガラスをはめただけのものだった。
背が高すぎるほど高く、左手は義手だったが、それはふたつのフックがペンチのようにものをつかむようにしたもので先端がとがっていた。
「お前の、その義手はショットガンか?」
「他にもいろいろある。隠しナイフ、小型ボウガン、毒針。試すかい? クックック」
隊長は首を傾けた。
「そっちのアホ面はいいんじゃないかな病だな」
「ククク。やっぱり分かるかな?」
「そういうツラをしてる。タチの悪い馬泥棒をこのペンチで殴りつけると罹患するんだ。わしの場合は〈みんなわたしがやりました病〉と呼ばれる」
「なおし方分かるかい?」
「縛り首になるまで治らん」
「それで、何のようかな? この通り、ここにはいいんじゃないかな病患者と彼の慈悲深い後見人しかいないんだ」
「別に一線を越えた悪さをしないんなら、わしは何も言わん。ココランデにだって、吊るす前に最後の言い訳を許してやるつもりだ。やつがこの近くにいることは知っている。砂漠、谷、地下道。どこかにいるのは間違いない。わしはやつに息子を殺されたし、やつはわしに弟を殺された。やつを見つけたら、ペンチでタマを潰して、町の真ん中に吊るす前にメスカーロじゅうを引きずりまわしてやりたい。もちろん、やつも同じことを考えている。もし、ココランデと会ったら、わしに言え。盗人同士の仁義なんて忘れろ。やつに仁義なんてもんはない。好き勝手に殺して、好き勝手に奪う」
「いいんじゃないかな」
「ククク、僕もいいと思うよ」
「これからわしらは気ままに犯罪者を追いかけて、気ままに頭を叩き割り、撃ち抜いてやるつもりだ。ときどきこうしないと、ここの悪党が外に漏れ出るからな。それに何かやらかしたら、このメスカーロに逃げればいいと思われるのも癪だ。わしはクズどもにはどこにいても安息の地などないことをはっきり教えてやりたい。それを忘れるようなことがあるとき、わしらの出番だ。最後にもうひとつ。いずれカンパニーが執政官と一緒に新しい騎兵隊を送るって話がある。お上品な、全身鉄板だらけの騎兵隊だ。想像力の欠如は悲劇だ。じゃあな、来栖ミツルとその後見人」
騎兵隊は町外れに野営をするようだ。
顔を馬に踏み抜かれた死体は道の真ん中に放置されていて、通りに面したあちこちの窓からはその持ち物を剥ぎたいが、例の騎兵隊を恐れるほうが強くてなかなか決意ができない住人が見える。
「ククク。ミツルはどちらかというと、ケダモノどもは狩るほうなんだけど」
「いいんじゃないかな」
「騎兵隊長。矢文の主よりも厄介ごとを持ち込みそうだ。名乗るより先にショットガンのことをきいてくるとか、ちょっとフツーじゃないよねえ。ククク」




