第十一話 ラケッティア、おにぎりは深い。
〈黒き仮面の剣士〉は今日も鉱山へでかける。
ちょっと怪我をすることもある。だいたい自分で何とかなる怪我だ。
全身を黒衣で固めているから、例の凶暴エメラルドもどきの死んだ粉が飛び散っているのも分かる。
ダンジョンに出かけるのはカネのためではなく、あの凶暴エメラルドを叩き潰すためらしい。
親の仇か、貸したカネを返さないのか、自分の家の前にクソをされたのか。
あるいはこの世界にはおれたちの知らないところで、ワケありのモンスターを屠って世界を救い続けるモンスター専門のアサシンギルドがあり、〈黒き仮面の剣士〉はその若手ナンバーワンとして暗躍しているのか。
宿帳の名前はアスバーリ・ロゼリスルヴ。
偽名か本名か知らんが、いつまでも〈黒き仮面の剣士〉と呼ぶわけにもいかないので、これを呼称に使うことにする。
イケメンで、めっちゃ整った顔立ちだが、ロン毛にあらず。
残念でした。はっはっは。
まあ、でも、あと二週間散髪しなかったら、ロン毛と見なされてしまうほどの長さではある。
人間が狂気の境目を彷徨うのを見るのはそうそうあることではない。
いまのところ、とびきり変なことはないが、ちょっと変なことはある。
金銭感覚がおかしい。
金貨をジャラジャラとカウンターに流して、足りなくなったら、また払う、と言った。
これは三か月分の宿代なのだが、逗留して二日後にまた追加の宿代を払おうとした。
「カネは大事にしたほうがいいと思うけど」
「?」
「なあ。あんた、ミカエル・マルムハーシュって名前の親戚いる?」
「いや。いない。いないとまずかったか?」
「いや。全然。それより宿代」
「これでは足りなかっただろうか?」
「いや、足り過ぎてる。払いすぎ。あんたがここに来るまでどんなふうにカモられたか知らんけど、とりあえず最初に払った金貨で三か月分、メシ付きで泊れるから。もっとカネを大事にして」
「わかった。忠告、感謝する」
でも、あの凶暴エメラルドを買うときは金貨十枚で買うって言ったんだよなあ。
待てよ。あれがエメラルドではない、むしろカネをもらっても引き受けたくない厄介な代物と知っていた。それに金貨十枚払うか、ふつー?
やっぱ、こいつ金銭感覚おかしいや。
ロン毛まで二週間のイケメンで、この状態だから、ロン毛のイケメンになったら、息を吸って吐くだけで自分の肺に金貨二枚払いかねない。
まあ、おれがしてやれるのは散髪のすすめだな。
でも、メスカーロには床屋がない。
ここにいるならず者どもは頭髪を伸ばしたい放題にするか、全部剃り上げるかのどちらかだ。
床屋を誘致したって、到着後三時間で強盗殺人の犠牲者になりかねない土地だからなあ。
どうしたもんか。
なんて考えながら、今日も池にぷかぷか浮いている。
池に棲む魚たちだって馴れたもんで、おれたちが飛び込んでもビビらず、アアまた哀れな馬鹿どもが、くらいにしか思っていない。
ソース焼きそばへの野心も潰えるほどの冷たさ。心地よさ。
いや、あきらめませんよ。
おれはホテル・ミツルフォルニアを東ロンドネで一番のホテルにしてやる。
床が抜けようが、ゴキブリが出ようが、冷たいプールのそばでソース焼きそばが食えれば、全ては帳消しなのだ。
しかし、ここにきて、転移前の世界の便利さを痛感する。
いや、お前、電気とか水洗便所とか無料義務教育で気づけよって話だけどさ、ソースなんてどこのスーパーに行っても手に入るし、一番安いし、なんとなく冷蔵庫を開けたら必ず入ってて予備も戸棚にあるし。
そのソースが、こっちじゃ全く手に入らない。
ヴェルデ・ソースとかアーモンド・ソースとかアイオリ・ソースは作れるけど、ウスターソースは無理なんだよ。つくったことねえもん。
いかにおれは日本で恵まれていたかが分かる。
ソース焼きそばが食べたいと思えば、すぐに作ることができた。
ヤキソバ神さま。
もし、こっちの世界でソース焼きそばが作れたら、もっとソース焼きそばを大事にします。
敬います。愛しちゃいます。ウスターソースの壜を並べてマシンガンでダダダダダって薙ぎ倒した後に「快・感♡」って言います。
ああ、でも、ターコイズブルー・パンケーキ教の狂信者ほどの信仰は期待しないでください。
おれはマフィアのボスだけど最低限の道徳観念はあるし、なにより人間やめたくないんで。
「なあ、トキマル。メシ送れの伝書鳩は送ったんだよな?」
「送ったけど。金貨二枚もとられた」
「届けてくれるのは特急馬車で?」
「特急馬車で」
そのとき、ジャックのあげる素っ頓狂な声がしたので、またイスラントが倒れたのかと思い、しぶしぶ水から上がり、パンツ一丁でタオルでごしごし頭を拭きながら、ホテル・ミツルフォルニアのロビー表に行ってみると、米俵が六つ……。
「なあ、トキマル。お前、カラヴァルヴァにはなんて送った?」
「兵糧 送レ 大至急」
「殿! これで城はもちまする! 毛利の援軍が来るまで持ちこたえましょうぞ!」
パン!
外から銃声がして、弾丸が窓ガラスに穴を開けて、プール上がりのおれたちのあいだ十五センチを飛びぬけて、カウンターにめり込んだ。
ふたりして脇腹をぼりぼり掻きながら、
「……こんなたくさんの米、どうするかなあ」
「おにぎりでもつくればいいじゃん」
辻向かいの荷馬車が爆発し、密輸屋が火だるまになって、転がりまわっている。
「ほら、なんか塩昆布とかもついてきてるし」
「よし。そんじゃあ、はじめちょろちょろ」
「なかぱっぱ」
「じゅうじゅう吹いたら火をひいて」
「ひと握りのワラ燃やし」
「赤子泣いても蓋とるな、といきますか」
――†――†――†――
おにぎりというのは人間の本質が知らず知らずのうちにさらけ出される食い物だ。
クラス男子の憧れ、おしとやかな清楚系美少女がテニスボール大のバクダンみたいなおにぎり作ったり、何でもそつなくこなすツンデレ系美少女がサランラップがないときちんときれいに握れなかったり。
おれだって、裁判官の前でおにぎりひとつ見事に仕上げれば、実刑が執行猶予になるかもしれん。
まあ、ソース焼きそばをつくれないこの胸のわだかまりはおにぎりで昇華させるに限る。
いろいろあるよ。シリーズ構成で。
まずは塩昆布、シャケ、梅干しの『スタンダード・シリーズ』。
サラミとブラックペッパーはメシにちょっとオリーブオイルをまぜた『邪道だけどおいしい。くっ、殺せ!』シリーズ。
忘れちゃいけないシチリア製揚げおにぎりのアランチーネ、具はチーズ。
それに豚しぐれのおにぎり、マグロのからすみおにぎりといった『アダルトテイスト』シリーズ。
丸ごとにんにくおにぎり、レバ葱おにぎり、サイコロステーキを三つぶち込んだテニスボールおにぎりを主力とする『これで南極探検にもいける、やったぜ』シリーズ。
こうなると、スタンダード・シリーズにたくわんを添えたいな。
できた多彩なおにぎりラインナップに自堕落プール・マンたちがわらわら上がってくる。
ジャックやクレオたちがフォークを手にしていたので、没収。
「手で食え、手で」
「手?」
「おにぎりの作法はそうなんだ。なあ、ジンパチ?」
「もぐもぐふぐふぐ」
矢文野郎は見つからず、食に妥協しないクルス・ファミリーのスタイルがこの食文化が死にきった町に新風をめぐらせる。
「ああ、腹いっぱい」
余ったおにぎりをカウンターに置き、ひとつ銅貨五枚で売る。
日本円でたったの五十円。
下町肝っ玉お母さんの大衆食堂とか学生街の味方の山盛りナポリタンとかと一緒にニュース番組のコーナーに取り上げられてもいいくらいの安さとうまさ。
いや、余らせるとあっという間に乾いて、砂まみれになっちゃいそうだから、それならさっさと売ってしまおうとね。
まあ、いざとなったら茶漬けにすりゃあいいんだが、茶がない。
コーヒーはあるけど。あと、スープストック。
ジャックとイスラントがカウンターに戻り、おれはというと、入り口近くの長椅子のひとつに座って、ガランとしたフロアに目をやった。
ぶっ壊れたテーブルや椅子の代わりになるものを探しに行かないといけないな。
ラシャが剥げたビリヤード台がひとつ、椅子代わりになりそうな小さめの樽が三つ、手に入ることになっている。
「もう死んでるんじゃないか?」
と、言ったのはメスカーロでひとり暮らしをするじいさんの言葉だ。
ときどきサボテン酒を革袋いっぱいに買っていく。
いろいろコネがあるらしく、ビリヤード台はこのじいさんのコネで手に入れることになっていた。
「あんたの言う通りだ、じいさん。そこのおにぎりは死んだ米と死んだ塩と死んだシャケで出来てる」
「そうじゃなくて、矢文野郎さ」
「望みは薄い?」
「もう埋まってるかもしれん」
「まあ、手紙は挑戦状風だった。それなら、おれたちがここに着いたら何かしらアクションがあってもいいはずだとは思ってた。それがないってことなら、死んじまってるのかなあ」
「そんなところさ。ほら、これに酒を目いっぱい。それにその死んだ米とやらもひとつもらおうか」
「ビリヤード台は?」
「今日じゅうに持ってくるとさ」
「持ってくるやつらにまた酒手をはずまないとな」
「酒手はちょっとお上品ならチップと呼ぶ。もっとお上品なやつは賄賂と呼ぶ。そして、王侯貴族はただ当然と胸を張る」
「じいさん、風刺詩人?」
「やめてくれよ。詩人なんてのはてめえのチンポコを節穴に突っ込んで満足する手合いだ。おれは女をひーひー言わせるのに誰の手を借りたこともない。これまでもこれからもな」
じいさんは六十越えだが、体は大きく、齢にしては、割とがっしりしていた。
ここで酒を買うと、じいさんは売春宿に行く。ここから涸れた川床を越えたところに十字路があって、売春宿はその路地にある。
悪党どもの脳みそには町で唯一の売春宿を中立地帯にするくらいの理性が残っていた。
誰だって、行為に勤しんでいるところを剣と銃を持ったバカタレに踏み込まれたくはないだろう。
まあ、それでも月にひとりは仁義もへちまもないやつがやらかすらしい。
クソ野郎のなかにもさらなるクソ野郎はいるもんだな、なんてことを考えていると、アスバーリが戻ってきた。
仮面や黒装束の砂埃を払う手も元気がない疲れた雰囲気だ。
「探しもんがうまくいってないみたいだな」
「? ああ。そうだ」
「ほら、これ。来栖ミツルのおにぎりシリーズのスタミナ全振り南極探検シリーズ」
タケノコの皮五枚使って包んだ特大の紐を解くと、どうやって食べたものかという顔をしたので、来栖おにぎり流家元として、正しいおにぎり道を説いた。
仮面を外し、黒い手袋を取ると、どうやってあんなでかい背中の剣を操れるのだろうかと不思議に思うほどほっそりとした白い指があらわれて、レバ葱おにぎりをつかんで、パクリとやった。
「どだ? うまいやろ?」
「これは……うまいというのか?」
「なかなかアグレッシブに宣戦布告するじゃないか。ちょっと待ってろ。神棚つくって、そうしたら相撲で決着をつけよう」
そうじゃない、オーナー、とジャックが助け舟を出す。
「こいつが何かを食べるのは、ただ体を動かすためだ」
「つまり?」
「味わう、という考え方が抜け落ちている。酒も少し感覚と神経を弱めて、回復を速くするために口にしている。おれにも覚えがある」
「じゃあ、味は分かるんだな」
「そのはずだ」
見た感じ、アスバーリは二十代前半だ。
確かに世慣れしたふうには見えないが、味すらきちんと理解していないとは。
これは教育が必要だな。
「よーし、エメラルド絶対殺すマン。覚えておけ。いま、あんたの舌に乗っている、その感覚。それが『うまい』ってことだ」
「うまい……」
「今後、似たものが舌に乗っかったら、うまい、と思い、この地獄の一丁目で食った南極シリーズのうまさを思い出すように」
「……わかった。そうしよう」
トラブルの予感。アスバーリがいなくなると、おれは安全保障上の理由から、何がなんでも、これから二週間以内にやつの髪を切らねばならぬと決意を新たにした。




