第十話 ラケッティア、怪しげエメラルド。
「それでボロ負けになって逃げかえってきたと?」
「どーでも……痛い! もっとそっと塗ってよ!」
「すまねえ、トキ兄ぃ」
薬草酒は度数が四十五度。
そんなもんに浸された綿を切り傷につければ、そりゃあ痛い。
そっと塗ろうが何だろうが痛い。
「いたたたたたた!」
「トキ兄ぃ。酒は百薬の長だぜ」
「されど、万の病は酒よりこそ起れ! もっと、ふわっとしたの、ないの?」
「薬草アイスクリームっての作るけど、食う?」
「食べる」
クレオは『薬膳料理を食べてくる』と言い残して、モンスター料理店に行き、イスラントは長椅子に寝させられ、そのまわりでジャックがおろおろしている。
とりあえず潰した薬草を砂糖と牛乳にまぜて、フロストゴーレムの破片が入ったバケツでぐるぐるまわしながら、状況をまとめると、鉱山ダンジョンで一番のザコっぽい敵を倒したと思ったら、すげえ反撃されて、命からがら逃げてきた。
イスラントの絶好調ギガ・ブリザードで絶対零度の氷に閉じ込めたが、そのザコは氷を内側から破って、たった一匹でトキマルたちをボコボコにした。
やつらの名誉のために言っておくと、一応、そいつは倒した。
トキマルが震雷筒という爆薬を詰めた竹筒を、クレオは殺気を込めた義手ショットガンを使って。
その肉片をイスラントがもろにかぶって、ぶくぶくぶくして、いまもまだぶっ倒れている。
モンスターを倒せば、経験値とお金がもらえる。
ロープレの常識である。
経験値は『ザコを侮るなかれ』の金言として。
そして、お金は弾けたそのザコの残骸から見つけた――すなわちイスラントにこびりついた肉片から見つけた小さなエメラルドである。
メスカーロの鉱山から採れたのは銀と銅で、宝石類が見つかったという話はきいていない。
そもそもこのエメラルドはカットこそされていないが、研磨され、透き通っている。
たぶん、ダンジョンを探索したヤクザな冒険者の持ち物だったのだろう。
いいものには違いないし、カネになるのだが、残念。
もっと安全でもっとワクワクするシノギがいくつもある。
「矢文野郎は誰なのか分からない。ダンジョンには強いモンスターがいる。デカい盗賊に目をつけられ、カンパニーのボケがここを統治しようとしている。なぁんて素敵な進捗状況。八方ふさがりとはまさにこのこと。だが、悪いことばかりじゃない。裏庭にデカい池ができたし、ソースの材料送れの伝書鳩は飛び立ち、何よりうれしいのはもうじき日が暮れる。夜も同じくらい暑いが、気持ちの問題だ。それに夜はうちわであおげば何とかなる」
「その宝石のことも忘れずに」
「分かってる。ちっちゃいエメラルドな」
カウンターの端に置いた小さな宝箱にエメラルドを入れて、蓋を閉じる。
そこには既に先住民ならぬ先住小銭たちが入っている。
干し肉とサボテン焼酎の売上金だ。
正直、ホテル・ミツルフォルニアの一日は退屈で、ときどき強盗が来て、宝箱のなかの小銭を洗いざらい持っていくくらいしかイベントがない。
しかも、一日のほとんどをプールで過ごしているから、知らないうちに宝箱が空になっていることもしょっちゅうだ。
カラヴァルヴァで同じことされたら、追いかけて、とっ捕まえて、折檻するところだが、いかんせんここの日差しは厳しい。
小銭のためにプールから上がる気が起きない。
「苦っ! 頭領、これ、苦いんだけど!」
「そうだろうな。エストラ草とミギリスの種が入ってる。良薬は口に苦し。その薬用成分が体内からお前をじわじわなおしていくんだ。――たぶん」
「たぶん?」
「つくったのは初めてだ。かっぱらい横町に煙突みたいな帽子をかぶったやつがいて、これが頭突き大会のチャンピオンなんだが、そいつからレシピを銀貨一枚で買った。ちょっと頭突きのし過ぎで、3と7と9の区別がつかないみたいだったが、分量は合ってるはずだ――ぽいずん」
結局、薬用アイスクリームは直接傷に塗られた。
ひんやりとした薬が鎮痛、ミルクの栄養が行き渡る――ような気がする、とトキマルは言っている。
この世界、まだまだ医学に伸びしろがあって、日夜、こうした試行錯誤が行われている。
罪人や貧民で新薬を試したり、堕胎医に裏金払ったり。
ある錬金術士は不老不死の薬をつくった!と叫んで、ぐつぐつ煮立った金属を飲んだ。
進歩には犠牲がつきものだ。
そんなときだ。
〈黒き仮面の剣士〉がやってきたのは。
――†――†――†――
いや、分かってますよ。
中二病みたいな名前をつけやがって、この来栖野郎って言われるのも。
でも、その時点じゃ目的どころか名前も知らないんだから、しょうがないでしょう。
〈黒き仮面の剣士〉はカウンターの席についたので、仕方なくおれが接客する。
「酒を」
「サボテンの火酒しかない」
「それで構わない」
こいつが仮面をつけたまま飲むかどうか、頭のなかで自分を相手に負けたらしっぺ一発の賭けをした。
「何をしている?」
「いや、自分が賭けで自分に負けたから、しっぺしてるだけ。気にしないで」
仮面を外して見えた顔は凛として整っている。美男子である。仮面で隠さないといけないようなまずいツラではない。
ひょっとしたら、仮面は砂埃対策なのかもしれない。
「なあ、これ、矢文なんだけど」
もう、おれは矢文については会うやつ全員にきいてまわることにしていた。
「これに見覚えある?」
「いや」
「そうか。変なこときいてすまんね」
しばらくは黙って、サボテン焼酎に口をつけていたが、そのうち、おれは気づいてしまった。
こいつがカウンターの宝箱をときおりじっと見つめていることに。
こいつ、強盗かな?
いや、強盗なら仮面は外さず、ホールドアップかけてくるんじゃないか?
武器は――背中に剣を背負っているが、腰のすぐ手が届く位置に短刀が二本差してある。
たぶん主力はこっちで、手に負えない場合に背中の剣か。
防具は軽めの黒い胴鎧だが、何かの花みたいな模様がうっすら彫ってある。
「あの箱だが――」
ほうら、来た。
「結晶がひとつ入っていないか?」
「入っていたら?」
「わたしが買おう」
仮面を外した〈黒き仮面の剣士〉は腰につけた革袋を外すと、金貨十枚をカウンターに一枚ずつ並べた。
いま思えば、それはこれから戦いになることを自分に納得させるための準備時間だったのだろう。
金貨って数えるとすごく冷静になる。貴金属の不思議な力だ。
「トキマル! あのエメラルド、売ってもいいか?」
「どーでも」
「じゃあ、本人の許可もとれたし――って、おい、あんた――」
仮面を外した〈黒き仮面の剣士〉は背中の剣を抜くと、ばっさりと宝箱を両断した。
左右に飛んだ箱から飛び出したのは成長した結晶のエメラルドグリーンの触手だった。
仮面を再びつけた〈黒き仮面の剣士〉はこいつをひとりで殺るつもりだったんだろうが、カウンターで起きたことにはジャックが責任を取ることになっていたし、トキマルも目の前であのエメラルドが暴れていては「どーでも」は通用せず、ジンパチと苦無を主軸にしたコンビネーション攻撃を仕掛け、赤シャツが二階から三段飛ばしで降りてきて戦闘に加わり、ついにはイスラントも目をさまし、ギガ・ブリザードで動きを止めると、その後は全員で寄ってたかって刃を振り下ろし、意思を持つ結晶は輝きを失って、さらさらと砂と化したが、そのころにはロビー兼酒場のテーブルと椅子が全てオシャカになっていた。
集団行動が正義に狂気を添付し始めるとろくなことにならない。
さて、〈黒き仮面の剣士〉だが、こやつはこのエメラルドもどきのクソ結晶について何か知っている。
これに金貨十枚を支払うと言ったのだ。
だが。こっちが何かきく前に〈黒き仮面の剣士〉は金貨を数えずにじゃらっとカウンターに置いた。
「部屋をひとつ頼む。足りなくなったら言ってくれ」




