第十五話 面会、カルデロンの話。
〈聖アンジュリンの子ら〉はきみを起訴なんて考えてもいない。
情報は取れるだけ取りたいだけだ。夕食までには帰れる。
そうは言っても、この事件は複雑だ。
以前、ロムノスが釣り糸をめちゃくちゃに絡ませて、泣く泣く糸を捨てたことがあったが、あのくらい複雑だ。
そして、関係者は自分がその複雑で矛盾だらけの迷宮にいると知らず、自分の証言は事実だと疑わない。
あのイリーナ嬢も、それに来栖くんもそうだね。
デゼルヴァロ・ディアスはデゼルヴォロ・ディアスであり、デゼルヴォロ・ディアスはデゼルヴェロ・ディアスでもある。
言っておくがね、わたしだって判事だったんだ。
司法官にしか通じないジョークでクスリと来るし、解決したほうがいい事件と迷宮入りにさせたほうがいい事件の見分けもついた。
もちろん賄賂はもらったが、それはわたし自身というより妻の濫費のためだった。
思えばもらった賄賂で、わたしは爪楊枝の一本だって買えなかった。
別にだからといって、わたしがイヴェス判事並みに清らかだというつもりはない。
確かにイヴェス判事は賄賂を受け取るが、それは他の判事への分配をするためであり、秩序のためだ。自分は銅貨一枚もとらない。
わたしも自分は銅貨一枚もとらない賄賂の仲介をしたが、それは結婚生活のためだった。
つまり、愚かさではわたしのほうが彼より数段上ということだ。
これは来栖くんからきいたが、昔、彼が住んでいた世界では結婚の愚を説く格言が世にあふれていたそうだ。
それはここも変わらない。
そして、これは彼のいたところで書かれた、ある詩の文句なのだが、――『女房は死んだ! おれは自由だ!』
これほど結婚生活を、そしてその破滅と解放の妙をとらえた言葉はない。
何の話だったか……ああ、矛盾のことだ。
きみはそこまで経験を積んでいるわけではないが、自分が矛盾の真っただ中にいることは理解している。まあ、素質があるということだ。イヴェス判事はいい助手に恵まれたな。
さて、〈聖アンジュリンの子ら〉はいろいろ情報を引き出したかったようだが、精度の高い情報を得るには自分のほうも情報を提示して相手に対して誘い水を打たないといけない。
その誘い水で分かったのだがね。
デゼルヴァロ・アンヘルスの死因は針金の一気飲みだった。
そして、五日前、やつの家の周辺で青い帽子の男が目撃されている。
これが肝心なのだがね、その男、手が錆びた針金で出来ていた。
ごちゃごちゃに絡まった錆びた針金が手のひらをつくり関節でふくらみ、お父さん指はずんぐりと、赤ちゃん指はちんまりと、というわけだ。
こうなると人間かどうかも怪しいということで、裁判所も〈聖アンジュリンの子ら〉も魔法生物による犯行を視野に入れて捜査していくつもりらしい。
あるいは人間をやめてしまった人間。
矛盾した表現だが、きみがこの捜査で矛盾を見つけるのはこれが初めてではないだろう?
さて、ここからが一番大切なことなのだが、この事件、全部イヴェス判事に投げてはどうかね?
わたしにはきみがこの事件にこだわる理由が分からない。
そういえば、劇場主が殺された事件でも、きみは関わっていたな。
あれも犯人は魔法生物だった。
まあ、いい。
わたしから言うことはひとつ。
謎を追うのは結構だが、いずれ逆に謎に食われてしまうぞ。
イヴェス判事も同じことを言った?
まあ、そうだろう。この言葉を彼に教えたのはわたしなわけだし。
だが、イヴェス判事はどう食われるかは教えなかったはずだ。
謎が人を食うとき、まず人は矛盾が心地よくなる。
もっと不都合で不条理な状況にはまりたい、決して解けることのない謎がほしい、謎の喉笛に噛みついて引き裂き、謎のハラワタを引きずり出し、謎の血を全身に浴びて、その心地よい熱を感じたい。
そう思ったときにはもう手遅れだ。
……それで、何か他にききたいことはあるかね?
〈聖アンジュリンの子ら〉からこれから受けるであろうちょっかいに対する注意や、どうしてもこの事件を追うのであれば知っておきたいこと、詩のなかの自由人が最後にどうなったとか。
あまり時間はないから、どれかひとつだけこたえよう。
来栖くんには内緒で来ているから。
そりゃそうだ。
きみを弁護しに行くときいたら、彼は笑い転げて、このことをそこいらじゅうに吹聴してまわる。
たとえ、報酬が支払われる見込みのない公選弁護だとしても、依頼人の利益を守るのが代言人というものだ。
それで、何がききたいのか、決まったかな?
三年前 ディアス、カラヴァルヴァに居住
四か月前 【矛盾】ディアス、魔術師街に家と菜園を借りる
ディアス、貸出娘を半年契約で借りる
三か月前 ディアス、貸出娘の中止提案に激怒
紙幣騒動時 【矛盾】ディアス、来栖ミツルにニンジンを納品
三週間以上前 【矛盾】ディアス、妖精取引所に姿をあらわす
【矛盾】ディアス、川に沈められる(橋守の検死)
17日前 ウンベルト二世失踪
【矛盾】ディアス生存(妖精取引所使用人の証言)
10日前 【矛盾】ウンベルト二世、指輪を呪術師に持ち込み、飲み込む
7日前 【矛盾】ディアス、針金職人から錆びた針金を買う
6日前 【矛盾】ディアス、川に沈められる(カルボノの検死)
【矛盾】ディアス、針金職人と最後に会う
4日前 貸出娘の貸元のディアス、殺害か?
3日前 ウンベルト二世帰宅
ディアス、死体で発見
→死体には大量の針金が飲まされていた
→【矛盾】死体は指輪を所持か?
→【矛盾】死体の顔にびっしりと穴(川のなかでつけられた)
→【矛盾】顎が百八十度開いていた
エビ漁師、死体の指輪を売る
現在 ウンベルト二世出かける
1日後 呪術師〈まわる蛇〉死体で発見
→死んだ時刻は午前三時
→錆びた針金を飲まされて殺害
→最後に会ったのは青い帽子の男
貸出娘、指輪を所持
貸出娘の貸元のディアス、死体で発見
→死後五日経過(イリーナの意見)
→本名はデゼルヴァロ・アンヘルス
→死因は錆びた針金を飲んだこと(カルデロンの話)
→青い帽子の男が目撃
→青い帽子の男の手は錆びた針金でできていた
デゼルヴァロ・ディアス=デゼルヴォロ・ディアス=デゼルヴェロ・ディアス?
ディアスは娘を探している? →三十一人かもしれない
脅迫状には〈におい〉がない(イリーナの意見)
謎が人を食うとき、矛盾が快感になる(カルデロンの話)




