第五十二話 ラケッティア、戦場のスケッチ。
クルス・ファミリーの小屋は大きく分けて、三部屋に分かれている。
女部屋。男部屋。二つのあいだにある中立部屋。
この中立部屋でメシ食ったり、インディアン・ポーカーしたり、アサシン娘たちの演奏会をやったりする。
丸太から切り出した板材の扉を開けると、はるか遠くのディンメルが見える。
城壁に囲まれているから、大聖堂の尖塔くらいしか分からない。
この陣地に投石機とか攻城梯子、扉をぶちやぶるための衝車といった攻城兵器の類はない。
ラケッティア軍事ドクトリンによれば、包囲戦は敵が自ら城門を開けることで完了する。
壁に大穴ぶち開けるための兵器の出番はない。
ただ大砲だけはあるが、これは時計代わりで正午に一発空砲を撃つことになっている。
さて、外套を二枚着こんで、外に出ようとすると、今日のお供がやってくる。
アサシン娘たちが健気にもローテーションを組んで、おれの外回りのお供をしてくれる。
今日のお供はマリスだ。
もちろん、脱力忍者は一度も来ない。
こっちだって野郎と一緒に戦場を見て回る趣味は持ってない。
で、外に出ると、一番最初に目に入るのは〈インターホン〉の姿だ。
大きな体と力を持て余し、薪割りをしている。
おれがついてくる?とたずねても、まあ、戦場は怖いとのことでパスする。
戦場と言っても、大したやり取りがあるわけではないが、それでも怖いのだそうな。
あの牢獄で暴動が起きた際には襲いかかってきた囚人を蹴り殺したり、殴り殺したりした男にしては、なんとも情けない話だが、まあ、怖いと言っているものを無理強いするつもりはない。
それに、マリスが、
「ボクはマスターと二人きりで回りたいんだ」
と、きゅんと来ること言ってくるので、こちらとしては、へへー、ありがとうございやす、と五体投地の心持でありがたやーをする。
このあたりは兵士たちの丸太小屋が多く、弓に弦を張り替えているもの、壁に槍を立てかけているもの、苦労して集めた飼い葉を愛馬に目いっぱい食べさせる騎兵だのがいる。
小屋に集まった兵士たち。
誰か機転の利くやつが自分の小屋を酒場にして客を集めているらしい。
なかを覗くと、酒飲みのゲップの音で迎えられた。ビールと火酒が主に出してるものらしい。粗末なテーブルと切った丸太の椅子。武器は入り口で預ける仕組みで、剣と短剣がセットで革ひもに縛られていた。
演奏屋がいて、ヴァイオリンに似た楽器でジャズっぽいメロディをひいているのだが、それがまた雰囲気にあっている。
マリスですら、人差し指を音楽に合わせてふり、剣の鍔をこんこん叩いている。
「マスターの言う通り、みんな遊んでいるな」
「でも、ここでしてる賭けは少額のサイコロ賭博だ」
「何かいけない?」
「もっと大きな、大勢の人間が一度に夢中になれるゲームが必要だ。こんな賭けじゃ、ディンメルの籠城軍に影響を与えられない」
「なるほど」
「まあ。気長に考えるさ。いや、はやいほうがいいのは確かだけど」
塹壕へ続く道を取る。
左右の土が高く積み上がりはじめた。
水はけの問題は塹壕の底にさらに溝を掘り、その上に簀子をかけることでとりあえず解決としている。
あまりに水がひどかったら、ポンプの導入も考えるが、あまり効果が期待できない。
今、歩いているのは第二線の塹壕だ。
第一線から敵襲来の知らせが来たら、すぐに第一線へかけつけて、反撃する。
塹壕のラインが長すぎて、まともに兵隊を張りつけていては数が足りない。
だから、いくつかの予備兵集団をつくり、その集団が敵を捕捉した第一線塹壕へ応援に向かうことになっている。
ちなみにこの手のことはみんなユリウスとスヴァリスが指揮したものだ。
さすがにおれには塹壕の掘り方なんて分からない。
塹壕の壁に板を打ちつけて、壁土がぼろぼろ落ちないよう補強がしてあった。
塹壕をつくった直後は何もかももろくていいかげんだったが、これから長いあいだ、塹壕にケツを落ち着けなければいけないと思い出すと、みな環境を少しでもまともなものにしようとあれこれ知恵を出し合ったようだ。
第二線塹壕と最前線塹壕のあいだにはジグザグの連絡塹壕が掘られていて、ここを越えると、頭の高さに気をつけて進まなければいけなくなる。
ビュン! ガッ!
そう言っているそばから、クロスボウの矢が飛んできた。
あと、数センチ頭が左にあったら……ひえーえ!
ズドン!
すると、そばでマスケット銃がぶっ放される音がした。
塹壕の縁から顔を出すと城壁の上でクロスボウを手にした兵士がよろめきながら後ろへ倒れるのが見えた。
最前線にはマスケット銃兵が塹壕からちょっとだけ頭を出して、城壁の矢狭間に狙いをつけている。
さっき撃った兵士は手首に巻いた予備の火縄をふうふう吹きながら、小さなナイフでそばの壁に刻みを一つ加える。
刻みは全部で七つある。
銃兵の数は増え続け、練度も増している。
誘惑と死の危険がとっかえひっかえやってきて、ガルムディア兵の心を切り崩しにかかる。
もっと誘惑の種はないかな?
「マスター、あれ」
「ん?」
見ると、汚れた毛布をかぶった一団がぞろぞろと塹壕のほうへ歩いてきている。
そのあたりは泥だらけの場所だったので、汚れた毛布がカモフラージュになったらしい。
敵の奇襲部隊かと思ったが、違うようだ。
城壁の上のクロスボウ兵が口汚く罵りながら、毛布の集団目がけて矢を撃ったからだ。
矢は毛布の裾を地面に縫いつけ、なかにいるやつの姿が露わになった。
それがまた毛皮を着こんだ若いおねーちゃんで、十キロ先から見ても娼婦と知れる化粧をしている。
兵士たちは俄然張り切って、おねーちゃんたちを守れとマスケット銃をぶっ放し、おねーちゃんたちが塹壕へ逃げ込む手伝いをした。
逃げてきたおねーちゃんは全部で十七人。
そのうちの一人で、三十代半ばの女主人らしいのが出てきた。
死ぬほど美人で、兵士たちは茫然としている。
おれも茫然としていたら、マリスに思いっきり足を踏まれた。
「いてえ!」
「失礼ですけど」
と、マダム。
「このなかで一番階級の高い方はどなたかしら?」
こんな目の覚める美人の相手ができるなんて幸せなやつだなと思いながら、当直士官を指差した。
ところが、当直士官を含むその場にいた全兵士がおれを指差した。
王子付き軍師、というのがおれの肩書らしい。
「マスター、デレデレしない」
「してねえよ、失敬な」
でもね、男の子だったら、一回は憧れるきれいな大人のおねーさんってやつですよ。
「で、何のようでしょう?」
「単刀直入にいいますね。ここで商売を始めるとなると、どなたに挨拶をしなければいけないのかしら?」
「ああ、それならおれっす。それかおじさん」
「じゃあ、あなたが来栖さん?」
「あれ? おれの名前、知ってるんですか? いやあ、光栄だなあ――うぎゃあっ!」
肘打ちの姿勢からすっと居直ったマリスがたずねた。
「どんな商売をしたいんだ?」
「日々戦う殿方の安らぎになるようなお店です」
日々戦う殿方たちがピーピーと口笛を鳴らし、勝鬨を上げた。
「なかで戦う殿方じゃダメなのか?」
マリスは食い下がる。
「わたしどもはディルランド人ですから。それに外の音楽をきいていると、なんだかそちらのほうがとても魅力的に見えてきて」
禁酒法時代はやはり人を引き寄せる効果があったらしい。
おれはマリスを引っぱった。
「彼女たちが開く店をクルス・ファミリーの保護下に置く」
「マスター、スケベ」
「それは否定しないが、おれたちの陣地を楽しい楽しい禁酒法時代に見せるには、きれいどころの参加が欠かせない。あとでかいギャンブル。ただ、万が一ってこともあるから、トキマルにざっと見せて、間者の可能性を探らせる。問題なかったら、どこかの丸太小屋をそっくり貸し与えればいい」
「マスターがそういうなら――」
マリスはかかとを起点にクルリとふりむき、
「歓迎するよ。えーと――」
「ミレリアです。ミレリア・エマーリン」
「マリスだ。よろしく」
「かわいい坊やだこと」
「いっとくけど、ボクは女だ」
「あら」
なんだろう。この女バーザス女の火花がバチバチしてる雰囲気。
まあ、おれが原因じゃないことだけは確かだな。ハハハ。




