第三話 ラケッティア、午前八時。
ジンパチが味噌田楽が食べたくなったといい、一緒にアズマ街に出かける。
北河岸通りを右に曲がってしばらく歩くと、三つの通りが交差する辻の真ん中で、ミカエル・マルムハーシュがレモン水を売っていた。
それもなかなか派手な屋台で、四方の壁が抜けた園亭みたいな小屋に、きれいな宗教道徳たっぷりの彩色画が描かれていて、紙張り子のレモンが紐でつながって支柱のあいだを飾っている。他にも尖塔だの、黄色と青の縞模様の庇だの、垂れ幕だのがついていて、屋台としては最高級の代物だ。
「やあ、来栖さん。ジンパチくんも一緒だね」
「ども。商売変えたの?」
「変えていないよ。これは店番を頼まれてね」
「輪投げは休み?」
「いや、休んでいないよ。代わりに店番を任せている」
「じゃあ、店番代わるために自分の商売の店番頼んだの?」
「そして、頼まれた店番は自分の商売の店番を頼んでいる。そして、わたしに店番を頼まれた店番の代わりを頼まれた店番もまた自分の商売の店番を頼み、わたしに店番を頼まれた店番の代わりを頼まれた店番に店番を頼まれた店番もまた自分の商売の店番の代わりを頼んでいる」
「旦那、おいら頭がこんがらがってる」
「安心しろ。おれもだ」
「つまり、わたしに店番を頼まれた店番の代わりを頼まれた店番に店番を頼まれた店番に店番を頼まれた店番もまた誰かに店番の代わりを頼んでいて、わたしに店番を頼まれた店番の代わりを頼まれた店番に店番を頼まれた店番に店番を頼まれた店番を頼まれた店番もまた店番を誰かに頼んでいるというわけさ」
「さらに頭がこんがらがってきた。さっぱりさせたいからホットレモン水二杯」
このままいけば、全人類が店番の代理になるだろう。そして、最後に店番を頼まれた人物は店番を頼める人間がいないことに絶望し、全人類に代わって貧乏くじをひく。人はそれを殉教者と呼ぶ。
朱塗りのアズマ街の出入り口、つまりグラマンザ橋のたもとには鶴と赤い鯛の飾り物がかけられていて、店のほとんどは油紙の障子が閉まっている。だが、味噌を焼く香ばしいにおいに誘われると、田楽豆腐が焼けていた。
青竹の串を湯のなかで切った豆腐に差し、赤味噌をたっぷり塗って、炭火の上に横一列に置く。
竹の青さを焦がさずに豆腐の芯まで火を入れるのが職人芸。
「やあ、大将。年末までご苦労だね」
達磨みたいなヒゲを生やした田楽屋のオヤジがパタパタ渋紙団扇で火に風を入れながら、へい、と頭を下げる。
「店がみんな閉まるけど、軽く食いたいって人もいるだろうからねえ」
「素晴らしい。世のなかの悪党どもはあんたを見習うべきだよ。あ、おれも悪党か。串二本ちょうだい」
ホットレモン水飲んだ後に、赤味噌の甘味を口にする。
朝の贅沢だ。
「そういやあ」とジンパチ。「このあいだヴォンモとセイキチとだるまさんが転んだをしたんだ」
「ふむ。で?」
「そしたら、ミミちゃんがやってきて、オイラたち、ちりぢりバラバラで逃げたんだ。その逃げた先で山椒が生えているのを見つけたんだ。春になったら、木の芽が取れるぜ」
「木の芽田楽かあ。春が楽しみだなあ」
山椒の若葉は木の芽と呼ばれ、これをすりつぶして白味噌とみりんと砂糖を混ぜると、うまい。
筍にあえたりすると、実にうまい。
やはり、和食が歩いていける位置にあるのはいいことだ。
イタ飯もいいけど、やはり味噌汁とごはんで朝を迎えたいと思うこともある。だが、パエリヤ用の米では、どうも白飯はうまく炊けない。
最近じゃカラヴァルヴァでもアズマ街は認められ、以前みたいに移民排斥運動が起こることもなくなった。
セイキチに挨拶しておこうと思い、家に立ち寄ったがいなくて、建物のあいだの狭い通路を抜けた稲荷を祀る祠にいた。
黒い着流しに黒の羽織、帯は赤くて、小さな鈴が三つついている。
「来栖さん、ジンパチさん。おはようございます」
「おはよー」
「おはよーさん。それ、ヴォンモがくれた鈴だろ?」
「ええ。きれいな音を鳴らすでしょう?」
指でちょっと動かしたら、しゃららん、と清く正しい音を鳴らす。
「もう一年が終わっちまったなあ」
「そうですね」
「一月一日には十二か月が長い時間に思えるのに、大晦日だとあっという間だなあ」
「記憶の問題でしょうか?」
「というと?」
「一月一日には僕らは十二か月という数字で一年を見ますけど、十二月三十一日になると、僕らは実際に起きた出来事として一年を振り返ります。でも、十二か月のあいだに起きたことをすぐ全部思い出せませんから、結局、いくつかの目立った記憶の数に一年を代表させてしまうんです。だから、大晦日に思う一年が短く感じられるのかと」
「すわりす塾、おれも行ってみようかな。そんなふうに知的で頭のいいこと言ってみたい」
「来栖さんはわたしなんか及ばないほど頭が切れる方だと思いますけど」
「またぁ。そんなふうにおれを喜ばせても密輸ルートしかあげられないよ? しかし、ここにセイキチたちがやってきたのが、だいたい一年前か」
「そうですね。思い返すと、やっぱり一年は短いものに感じられます」
あのときは屋台の並びで、寝起きは裏につくった仮小屋だった。
いまは瓦葺の二階建てで、カラヴァルヴァの住人もグラマンザ橋の上にリトル・アズマがあることを当たり前に思っている。
短いが、忙しく、間違いなく充実していた一年だ。
「感慨も深くなるねえ。ところで、セイキチ。トキマルがこっちに来なかった?」
「はい。お見えになりました。でも、すぐ、シズクさんと出かけてしまいましたよ」
「これは内緒の話だけどさ。トキマルが実はぐーたらで、妹ちゃんの前でだけ、キリってしてること、ここで話しても大丈夫かな?」
「大丈夫ですし、既に知っていることですが、もしわたしが知らなかったら、内緒の意味がなくなってしまう気がしますけど――」
「うん。知ってて言ってるから大丈夫。じゃあ、ぐーたらトキマルの口癖が『どーでも』なのは?」
「それは初耳です」
「一年の最後の日に新しい事実と巡り合えるって運命感じちゃうよね」
そこで肩を叩かれた。
「ん、ジンパチ? なんだよ、いつの間にか消えてると思ったら、またやってきて」
「旦那。さっき、つまんねえ屋に寄ってきたんだ」
つまんねえ屋とは文字通りだとつまらねえものを売る店だが、実際はつまらなくないものを売る。
つまり、道で拾った変なものや怪しげな店で大特価で売られていたものを売るのだ。
「それでな、旦那。見つけたものがあるんだけど――」
小さなカードをそっと出す。
どれどれ――おれがアサシンウェア姿でヨシュアとリサークのサンドイッチ。
「ふぁっ!?」
「やっぱそうなるよな」
「こ、こ、こ、こここ、これ、あと何枚ある?」
「全部焼かせたから、それが一枚あるだけさね。なあ、これって――」
「あいつらー! こんなカードつくるのはあいつらしかいないだろ! 行くぞ、ジンパチ! 目指すは印刷所軍団だ!」




