第四十九話 ラケッティア、ロマンとロマンティック。
「だから、前のマスターが教えたんだってば」
ツィーヌがこたえた。一演奏終えて、心地よく流れた汗をぬぐいながら、果汁の入ったワイン壺をぐいと飲み干す。
「あれは禁酒法真っ只中のジャズだぞ。それを知ってるってことは一年前に消えた前のマスターは1920年代から30年代にいっぱしのギャングをしてた可能性があるってことだ。それにギルドの名前だって、前の名前はコーサ・ノストラ。イタリア系マフィアの別名だ」
「それ、重要?……」
と、ジルヴァが小首を傾げる。
「うん。重要。すごく重要。だって、それって本物のマフィアが、しかも禁酒法時代を知ってるマフィアがこの世界に転生してきたってことじゃん!」
「ボクは今のマスターがいれば、それで十分だ」
「いやー、でもさ、おれのいた世界じゃあ、どんだけ破天荒な暮らし方しても、禁酒法時代のギャングと言葉を交わす機会なんてないんだぜ? それが叶うかもしれないのは、これ、転生の醍醐味でしょ?」
「でも、マスター、前に言ってたのです。こっちの世界に転生したら、〈ちーと〉で〈はーれむ〉を築くのが醍醐味だって。アレンカたちじゃ〈はーれむ〉にならないですか?」
「いや、ハーレムだよ。幸せだよ。でもね、甘いものは別腹なように、マフィアな出来事もそれとは別物なの。男の子ってのはスケベだよ。だけど、それが一番じゃないんだよ」
「じゃあ、何が一番なんだい?」
「ロマンだよ、マリス! ろ! ま! ん!」
「わたしたちじゃロマンチックじゃないっていうの? べ、べつにマスターのためにロマンチックにするんじゃないんだからね。全部わたしのためなんだから」
「あのね、ロマンとロマンチックじゃ意味が違う。ロマンチックはハーレクインであり、ディズニー・プリンセスであり、六本木ヒルズ五十二階のレストランでの食事だ。だが、ロマンは! まったく別物だ。それはプラモデルであり、海賊であり、宇宙飛行士であり、スティーブ・マックイーンだ!」
「さっぱり分からない」
「そりゃまあ、男のロマンだからな」
「その言い方、なんかむかつく」
「お前ら、わかるよな! 男だもんな! ほら、何がロマンか言ってやれ!」
「書類の偽造」
「昼寝」
「いや、おれはロマンだなんて――気立てのいい嫁さんもらって、子だくさんの家をつくれれば満足です」
「なんてことだ。男のロマンのなんたるかを知るのはこのおれ一人か。なあ、アサシン・ガール。お前らの前のマスター、どんな顔してたの?」
「だから、前にも言った通りだよ。マスター。前のマスターの顔、忘れてしまったんだ。そんなに特徴的な顔してなかった。マスターの言葉を借りるなら人畜無害」
「でも、前のマスター。その意味ではアサシン向きの顔よね。だって、見ても印象に残らないんだもん。有力な目撃者がつくりにくい顔ってことでしょ?」
ああ、くそ。
この場にマフィアどもの警察写真の冊子があれば、真正面と右を向いた写真一つ一つを指して、こいつか、こいつか?ときくこともできるのに。
もどかしさに悶絶打ってるところに酒場のドアがどんどんと叩かれた。
解放軍司令部から送られた伝令だ。
「あの、来栖さん。殿下がお呼びです」
「あ、はいはい。行きます。すぐ行きます。ところで、あんた、男のロマンについて、どう思う?」
「はい?」
「ロマン。ロ・マ・ン」
生真面目な伝令はロマンについて一通り話した。
伝令という仕事上、馬をかなり急き立てて移動することが多い。責任も伴い、重責だ。
だが、伝えなければいけない言葉もなければ、渡さなければいけない文書もなく、ただ馬と自分だけ、何もない草原を時間の制限も受けず、互いに力か大地、そのどちらかが尽きるまで走り、ついに大地の縁に立ち、その向こうに海を臨むことができれば……それがロマンです。
すると、クルス・ファミリーの面々の脳みそに突然理解力が降りてきて、それが男のロマンだというのは理解できると言い出した。
アサシン娘たちが伝令の肩を持つのは分かるが、エルネストやトキマルまでが寝返って、うん、それは男のロマンだ、禁酒法時代のギャングに会いたいとか言うよりも、ずっと男のロマンっぽいと言い出したのには驚いた。
ちくしょう。ボスを立てるということを知らん構成員どもだ。
ふん。いいさ。
〈インターホン〉だけはおれの味方とは行かずとも、最初の意見を忘れず、嫁さんと大家族の話をロマンと主張した。
家庭的な男のロマンってやつだ。
いや、詳しくは知らんけど。
ああ、しかしだよ。
おれが転生する前、近所に住んでた富士見って名前のやり手ババアみたいな甲斐性があったら、〈インターホン〉にめっちゃきれいで優しい嫁さんを紹介できるのになあ。




