第八話 ラケッティア、リミッター解除。
総督の隠し子の屋敷が襲われて、ドンパチがあって、謎のふたり組によって、きわどいところで命を救われた話はカナリア島を文字通りカナリアだらけにしてしまった。
本妻の仕業だ、出世主義に凝り固まった部下の誰か――副総督と行政長官の名があがった――の仕業だ、いやこれには悲劇的な身分の差が原因のロマンスがあるのだとか、まあ、言いたい放題言いまくった。
そのおかげでおれらのコテージが襲われたことはあまり騒ぎにならなかったが、問題は総督の隠し子があのとき自分を救ってくれたふたりの素敵な殿方(本当にこう書いてあったんだ)が誰かを知りたいとあちこちに貼り紙をしていた。
昨晩のお礼もしたいといい、お礼といえば現金ということになって、かなりの男たちがおれだおれだと総督邸に押しかけた。
昨晩は島の外にいた鉄壁のアリバイを持つ男。
そもそも島に住んでいなかった男。
昨日生まれたばかりの男。
まあ、挙手をするのは自由だが、それで1+1も答えられないんじゃ眼も当てられない。
もちろん、おれはそのふたりの素敵な殿方が誰か知っている。
名声に興味がないことも、金銭に興味がないことも、そして女性に興味がないことも知っている。
だが、この島には美女に姿を変えた蛇が人間の男とファックして蛇男を産んだ話があるくらいだ。
同性愛者に恋をした訳ありの姫なんてマジックリアリズム的にありありだ。
いっそ、そっちに片づいてくれないかなあと自分のコテージでころころ転がっていると、選帝侯制度の推進者、と名乗るやつがあらわれた。
水上コテージには応接間に似たものがない。
そもそも誰か客を迎えるコンセプトでつくったものではない。
都会のしがらみをスマホと一緒に投げ捨てるためのリゾートなのだ。
なまじ応接間なんかつくったら、仕事人間のもとに仕事に関する話をしたい人間がやってくる。
だから、応接間がないのだ。
よって、来客を迎え入れることはない。
客は宿泊者だけなのだ。
「では、近くの店はどうでしょう?」
選帝侯制度の推進者がオススメしたのはパイナップル・ソースを出さないネズミ料理屋だった。
カラヴァルヴァでもそうだが、ネズミ料理はひとつの確立させられたジャンルであり、漂流船や兵糧攻めに許された最後のグルメであり、次はもう人間を食うしかねえ!という通過点である。
ネズミ料理のコツはソースにある。ドブで生まれ、ドブで育ち、ドブでファックして、ネズミ捕りのバネで生涯を終えたネズミというのは骨の髄までドブのにおいが染み込んでいる。おまけに体のなかにどんなばい菌を飼っているか分かったもんじゃない。
これらを克服するためにはどぎついソースが必要なのだ。
においと病原菌をぶち殺すペッパーソースが。
選帝侯制度の推進者――フレデリク・ガリロムスは人気者のようだ。
ネズミ料理屋に行くまでの道中で、みんなからフレデリーチョと愛称で呼ばれるこの男は小柄でパリッとした服装をしている。南国では少々暑い気がするが、暑ければクラヴァットを外して、そこらの民間市井のならず者のごとく胸のボタンを外し、帽子をうちわの代わりに使った。
「よう、フレデリーチョ!」
「やあ、ゴメス! コーヒー豆は元気かい?」
「あら、ガリロムスさん!」
「こんにちは、セニョーラ! ロベルトによろしく!}
ガリロムスは国王の陞爵書状で認められた本物の紳士であったが、庶民のようにしゃべり、庶民のように笑った。馭者が農民がカフェの給仕がガリロムスと幼いころからの親友のようにその名前をフレデリーチョと呼び、フレデリーチョもまた親しくする。
記憶力はかなりよく、何百人という知り合いの名前と職業、配偶者の名前を間違えない。
どっかで見たなあ、こんなやつ、と思ったら、うちの選挙区から衆議院に出てるやつに似ているのだ。
うちの選挙区の成人たちはうちらの代表として、こいつを送ると投票して、そいつを衆議院に送り出したのだが、毎回投票してくれた連中のことなんて平然と裏切ってくれる。
そう、毎回だ。
やつを衆議院に送り、えげつないやり方で有権者を裏切り、数年後に選挙になり、『うちの地区はこいつを代表として送ります券』という名の投票用紙にやつの名前を書き、やつを再び衆議院に送り、そして有権者を裏切る。これを繰り返す。だから、毎回。
おれはこの選挙のバックにラケッティアリングのにおいを嗅いでいるのだが、これが違法選挙でなければ、おれのまわりの大人全員が何度騙されても懲りないバカタレということになる。
この選帝侯制度の推進者フレデリーチョも同じだ。
有権者を裏切るにおいがする。
それはフレッシュなミントのにおいだ。だが、そのにおいに騙されて、自分の庭にミントを植えれば、二週間と経たないうちに庭はミントに占領される。
さて、ネズミ料理屋に着いたが、ここのオーナーであるマクシミリアノは――そのエプロンはネズミの血で汚れていた――やっぱりフレデリーチョとはおれおまえの仲であり、いつものでいいか?ときいてきた。
「ああ。来栖さん。あんたはどうする?」
「飯はもう食べてきたんだ」
「ここのネズミのローストはうまいぞ。胡椒がよくきいてる」
その後、丸ごと焼いたネズミを尻尾までぶつ切りにして、赤くピリピリしたソースを細切れの香草と一緒にたっぷりかけたものが皿に乗ってやってきた。
おれはフレデリーチョがネズミを食うのを見ながら、他愛のない話に他愛のない受け答えをしていた。そのうち、ぶつ切りのネズミを半分食べたのが最良のタイミングだと思ったのか、肝心の話題を繰り出した。
「選帝侯制度について、きいたことはあるかい?」
「ふたつ、ひとつは皇帝を選挙する権利がある貴族、もうひとつは民に選ばれた侯爵」
「我々が推しているのは後者のほうだ。この島に選帝侯制度を導入する」
「いいんじゃないの。おれは関係ない」
「まあ、きいてくれ。いま、総督府は揺れている。総督という名のじいさんの隠し子が襲われて、みな疑心暗鬼になっている。つまり、誰の味方につくのが一番安全なのかが分からず、お偉方はきゅうきゅうとしてる。権力の空白ができた瞬間、われわれ庶民は一気に声をあげ、政権を取るべきなんだ」
で、有権者を裏切るわけだ。
同じ話をセディーリャからもらっていれば、もっとワクワクしただろうな。
「おれに何をしろって言うんだ? 票を集める。カネばらまく。投票箱をかっさらう。それとも対立候補の足でも折るのか?」
「民主主義は不正と手を切るのが目的だ」
「ますますおれがここにいる理由がなくなったよ」
「隠し子を助けたふたりの貴公子はあんたの身内だろう?」
「待った。これだけははっきりさせておこう。おれはあいつらを身内化していない。あいつらを政治的に利用したいなら、本人に話してくれ。あいつらは自営業者なんだから」
「しかし、不正と手を切るが、政治に必要悪があることは分かっている」
「あんたら庶民のご機嫌取りする政治家にとっての必要悪ってのは自分をその地位に押し上げた有権者を裏切ることだろ? おれ、関係ないよ。たぶん選挙権もらえないし。第一、おれはいま休暇中だ」
立ち去るおれの背に「また会いにいくよ」と声をかけるデマゴギーのことは忘れて、バカンスの続きに戻る。
店の外に待っていたガールズたちに、待たせたな、話はビシッと断ってやったぜ!と胸を張る。
「マスター、本当に大丈夫なの?」
「おう、大丈夫だぜ!」
「そっち、壁だよ」
「ちょっとした冗談だよ」
「目が震えてる」
「足も震えているのです」
「震えてないかないよ。別に選挙絡みのラケッティアリングなんて、興味もないね。投票箱を分捕って反対票を焼いたり、労働組合支部長に賄賂ばらまいたり、死人の名前を使って投票したり、浮浪者たちを棒で殴って何度も投票させたり、移民ボートから降りたばかりの連中に酒とあったかいパンを配って自分たちの陣営の手先にしたりとか、全然考えてないよ。タマニー・ホールみたいな悪さをしようなんて考えてないよ。怪しげな封筒に怪しげなお金入れてばらまくの超面白そうとか思ってないよ」
「……ちょっとタイム」
ジルヴァがそう言って、四人が円陣組んでヒソヒソ話し合う。
おれの処刑方法でも考えているのかなと思ったら、
「マスター……思いっきりやっていいよ」
「ええと。それって死ねってこと?」
ジルヴァが首をふる。
「ラケッティアリング……していいよ」
「え? それ、罠?」
「違う。マスター、ずっと我慢してる。少しも安らいでない」
「えーと、つまり――」
ジルヴァが言いたいのは、とマリスが代わる。
「マスターが心安らげるように好きにしていいよってこと。明らかに体に悪い我慢してるっぽいし」
「わたしたちが大人になってあげる」
「アレンカはラケッティアリングに夢中になるマスターも好きなのです」
「あーっ、アレンカ! それはみんなで一緒にいうって約束でしょ!」
「まあ、実際、ヨシュアとリサークが先にその台詞を言う前にこっちで言っちゃおうと思ったのもある……あれ、マスター、泣いてる?」
「うん。泣いてます。じゃあ、〈命の水〉の密輸を有権者確保につなげてもいいし、パイナップル・ソースを壜に詰めて敵陣営の事務所に投げつけてもいいし、何より当選した議員から大量の公共工事を違法入札してもいい! 夢が広がるなあ! 初代プレジデンテの像とか港の浚渫工事とか! よーし、やるぞお! 悪さしちゃうぞ!」




