第十八話 刺客、間合いを外さない標的。
片腕の追い剥ぎ。
ある詩人はスロットマシンをそう呼んだ。
十四階は大きな池でその岸辺や浮島にスロットマシンと無料のもふもふビュッフェがある。
低レートから廃人レベルの高レートまで、十四階はスロットマシンの天国なのだ。
そこで客に化けた連絡役から、少女は追加の指令を受けた。
暗殺対象がふたり、ヴィンチェンゾ・クルスと来栖ミツル。
このどちらかを殺せばいい。
ふたりではなくどちらかというのはどちらを殺すにしても、自分が周囲の護衛にすぐ殺されることを知ってのことだ。
少女はその連絡役に自分の名前をたずねた。すると、連絡役は嘲笑気味に、
「必要ないだろ? 任務について文句があるなら、弟のことを考えろ。期限は五日だ」
「くっ……」
そして、今日、来栖ミツルがやってきた。
少女の標的は両手をポケットに突っ込んで、無防備に背中を向けている。
ここで殺せば――、
鋼線の鞭に手が伸びる。
「最近、ロムノス、釣りにハマってるんだって?」
「そうだ。我が王よ」
池の葦のあいだからズブズブと長靴を履いたロムノスがあらわれ、少女はビクッと震える。
「よお、ロムノス。さっそく釣りか?」
「そうだ。王よ。ここにはニシンダマシダマシダマシがいる」
「ニシンダマシダマシダマダマ――えい、もういいや。それより、ロムノスも趣味が持てたんだなあ。いま思えば、これだけの誘惑があるのにギャンブルにちっとも興味を見せなかったし、それにロムノス、めっちゃ質素な部屋でしょ、住んでるとこ。ちょっとやべえんじゃねえかこりゃって危機感覚えるほどストイックだったけど。そうですか。釣りにハマりましたか、そうですか。で、そっちの子はどうだね?」
標的の注意が自分に向く。
この瞬間はいつも恐ろしい。
この人を殺さないといけないのだという感覚に慣れることも好むこともできなかった。
でも、この人を殺さなかったら、エミールが……。
この場で刺し違えようと思ったそのとき、水でもかぶったような殺気を覚え、振り向くと、背の高い女騎士がひとり、少女を見下ろしていた。
それに気圧され、動けなくなる。
ふふん、と来栖ミツル。
「まあ、きみが自分の名前を思い出せないからって、おれの帝国を説明してはいけないっていう法はないよな? 時間があるなら、ちょっと来てくれ」
あまりにも無防備に自分を間合いに入れる。
まさか自分の目的を知っていて、罠にかけようとしているのか?
だが、見るとさっきの女騎士はいない。ロムノスは葦を掻き分けてまた釣りに出ている。
まわりにいるのは遊戯機械を相手にするので注意がこちらに向いていない。
――今なら、殺せる。
死は怖くない。人を殺すのは怖い。だが、もっと怖いのは標的を殺せずに死ぬことだ。
それはそのままエミールの死につながる。
手が震えそうになるが、歯を食いしばって耐える。
そのあいだも来栖ミツルは嬉々として浮島に並ぶ帝国歩兵の列のあいだを閲兵するように歩いている。
「見てくれ。これ。帝国の萌芽。『ラケット・ベル』。一番最初につくった型だ。赤ニス仕上げのボディに単純なルール。レモンかチェリーかベルか7を三つそろえればいい。銅貨一枚をこのスリットに放り込み、このセクシーなレバーをガチャンとおろす。すると絵柄がまわり、777の大当たり取れば、銀貨百枚。次にこれ。『ラケット・ベル・グランデ』。ラケット・ベルの大当たりを銀貨百枚から金貨百枚にカチ上げた射幸心バリバリマシン。一見ラケット・ベルに似ているが、スロットリールが四つ、リール速度百倍、リールの中身もチェリーやブドウ、スペードといった小役がなく、ただ一身に王冠を横一列にそろえる。コインの減りは速く、二百枚の銅貨を十分で飲み込む。まさに片腕の追い剥ぎ」
後ろの髪の生え際の少し下。
そこに短剣を突き立てれば――。
「さすがにグランデはあからさますぎるスペックだし、これには手が出せないって堅実プレイヤーがいる。グランデが取りこぼした客をひとり残らずすくい取るべく開発されたのが、この『もふもふ・チェリー』だ。もふもふとさくらんぼの絵が可愛いだろ? このマシンの特徴は銅貨二百枚で一時間半は遊べること。いろいろ小役はあるが、これにはちょっとした仕掛けがある」
来栖ミツルが銅貨を一枚入れて、もふもふ・チェリーのレバーを引く。
すると、チェリーがふたつ揃って、リーチになるが、三つ目で蹄鉄の柄が出る。
「ここからがもふもふ」
三つ目の外れたリールの前がパカッと開き、小さなもふもふ人形があらわれて、『がんばるでち!』のプレートを手にぴょこぴょこ飛び跳ねると、外したリールが再回転を始め、チェリーが出ると、銅貨五枚がじゃらじゃら出てきて、もふもふ人形のプレートが『おめでとでち!』とまたぴょこぴょこ跳ねる。
「――と、まあ、リーチを外すと、もふもふ人形があらわれて、もう一度リールがまわる。基本的には五倍返しのチェリーを狙う台だ。もふもふ人形見たさにリーチを外す人もいるってきいたことがあるけど、ここではそんなことするやつはいない」
左右に蓮の葉が浮かぶ橋を渡ると、ここから先はエッグマン・シリーズだ、といい、橋の上のアーチに描かれた卵に皇帝ヒゲと片眼鏡をつけた紳士的な卵の絵を指差す。
殺せ。はやく。
「『ビッグ・バター・アンド・エッグマン』は基本的にラケット・ベルと同じだが、魔法強化したガラスをはめた貯金箱がついている。外したカネがここに貯まるのだ。『ミスター・エッグマン』と呼ばれるイメージキャラクターをそろえると、貯まったコインが全部もらえる。ゲットできるカネを見ることができるというのはなかなかよろしい。ん? なんか深刻な顔してるな。ああ、分かってる。貯金箱が銅貨で一杯になったら、どうするのか。簡単で銀貨に両替する。銀貨でいっぱいになったら金貨。まあ、見たことはないけど、金貨でもいっぱいになったら、荘園の権利書を入れるつもりだ。高レート・コーナーでは銀貨を入れて、貯金箱の中身が金貨に変わったら、金貨でスロットをまわすという廃人仕様だ。そして、もうひとつのエッグマン・シリーズ。『リトル・チーズ・アンド・エッグマン』だ。レバーをまわすと1から9の数字を入れた三つのリールがまわり、出た数字によって返金。一番高いのは999の百倍。次が四十倍、次が二十倍。十倍はなくて、五倍が最小。台のつくりもルールもシンプル。 ただ、この最小の五倍、710~715、720~725、730~735……といった具合にかなり当たりやすい。もふもふ・チェリーよりも当たりやすく、この台だけで考えれば赤字もあり得る。ただ、この台は客側に成功経験を積ませ、おれはできる!と思わせ、他の台で回収するという意図がある。そういう意味では一番危ない台かもしれない。ただ、実際、稼働させてから帳簿を見ているが、思ったより赤字台は少ない」
鞭を放てば、このスロットマシンを嬉々として説明する少年の首が胴から離れる。
そうすれば、エミールを救える……。
「ミツル、ちょっといいか?」
あと少しというところでまた女騎士があらわれ、動きが止まった。
「ディアナじゃん。どうかした?」
女騎士は少女のほうへちらりを視線を流してから、言った。
「旅に出たい」
「また突発的だな。ちなみにどこ? 南の島とか――」
「セヴェリノ東部だ」
「えーと。おれたち、そこの連中と絶賛抗争中だけど」
「知っている。自分の身くらいは守れる」
「まあ、本人がいいって言うなら止めないけど。ウェティアかフェリスをつけようか?」
「わたしに死ねと?」
「いや、火力強化」
「ひとり旅だ」
ときどき謎ムーブをかますなあ、と来栖ミツルは去っていく女騎士の背を見ながらポリポリと人差し指で頬を掻いている。
また、ふたりだけになった。
高レートのスロットマシンが並ぶ島なので、客もいない。
エミール。いま助けるから。
ザバッ!
「何をしている?」
ロムノスが葦のなかからあらわれて、鞭を握る少女の腕をつかむ。
ああ、ダメだ。これで終わりだ。
覚悟した少女にロムノスは釣り竿を押しつけた。
「釣りに行くぞ。獲物はニシンダマシダマシダマシだ」




