第十三話 ラケッティア、ぜんざいの秘密。
廃屋の屋根裏に巣をつくる赤い鳥がヒララヒララと鳴いている。
空がビョーキの脳みそ色の雲に閉ざされたとはいえ、世界の終わりを叫ぶにはまだはやい。だが、ルルディガ出身らしい修道女は世界の余命を残り数日と勝手に決め、死ぬ前にシスターとヤリたいやつは白銀貨一枚持ってこいと叫んでいる。
悲しいくらいシスターの服が大好きな男たちは必死にポケットをまさぐるが、白銀貨一枚を捻出できないのが腹立たしいやら、悲しいやら。
ロデリク・デ・レオン街から入った横町では屋台を引いて『戦場メシ』の商いをしているやつがいる。
名前はゼルグレ。元懲罰大隊。名前がきちんと書いていない。
若干十九歳でどんな懲罰食らったのか見てみると、誰かを殴ったとか、まあそんなとこだ。
ただ、リストにも要注意!と書いてあったので、要注意してみたが、特に見当たらない。まあ、ちょっと小柄で目つきが悪い。
そこで注意の段階を一段階下げてみると、右手が魔物のそれになりかかっていて、指が長く爪も長く、そしてそれを包帯みたいな布でぐるぐる巻きにしていた。
つまり、右手に闇の呪法を封印しているという中学生の設定ノートみたいなことになっている。
おれのほうをギロッと赤い目で睨みつけてくる。
「お前、馬鹿なのか?」
なんだとう! いてまうぞガキがこら!と腕まくりするガールズたちをまあまあと押さえて、どうして馬鹿なのか?とたずねると、
「おれに客商売なんて割り振るなんて馬鹿以外のなにもん以外でもないだろうが、ああ?」
「その呪いのこと?」
「こんな手でつくったもん、誰が食いたがるんだよ」
「つくるもなにも、まだ料理一品もないじゃん」
「バカバカしくてつくってられるかよ」
「そう悲観するな。人間を見ると殴らずにはいられなくなる奇病に侵されて、町外れで羊飼いをしているやつを知っている」
「だから?」
「そいつに比べればマシだ」
「この腕がマシだってのか?」
「あ、なんだよ、同情されたいのか? おれを見てみろ。犯罪組織のボスで女の子をたくさん連れ歩いてるいけ好かないクソ野郎だ。そんなクソ野郎に同情されて、嬉しいか? 嬉しいってんならいくらでも同情するけど。まあ、戦争が起きるまでの腰かけだ。それまで戦場メシつくって命つないでくれ。ちゃお」
「ふざけやがって」
こんなクソ屋台、川に落としてやるって言ってるようだけど、無視して進んだ。
まだ、見て回らないといけない屋台がたくさんあるのだ。
――†――†――†――
以前から、グラマンザ橋もといアズマ街から傘をつくってくれる人が募集されていた。
セイキチ曰く、
「どこにも仕官していないお侍さんがいいのですけど」
そうだな。
昔から浪人の内職は傘張りって決まってる。
ハーラル・ハフグレンは十七歳で傭兵稼業に身を投じて以来、四十一年間生き残った剛の者だ。
未払いの給料をあきらめ、正規軍登用の可能性をあきらめ、家族を持つことをあきらめたこの老剣士は間違いなく傘張りをするために生まれた人材だ。
ためしに糊と油紙を持たせてみると、おれの目に狂いはなく、実にきれいな傘が出来上がった。
「まあ、飢え死にするよりはマシだ」
アズマ街の傘屋徳右衛門の二階に住み、米だの漬物だのの粗食にも慣れている。
一番手のかからない失業傭兵である。
「来栖殿!」
おれのことを来栖殿と呼ぶのは――、
「久しぶりだ。兄者は迷惑をかけていないだろうか?」
トキマルの妹ちゃんである。
「やあ。妹ちゃん。トキマルなら毎日、修行に打ち込んでるよ」
そう言えってトキマルに言われてる。
いまはハンモックにゆらゆらしてるんじゃないかな?
「そうか。さすがは兄者だ。ところで、来栖殿は女子をたくさん連れて、散歩か?」
「いや、失業傭兵の行商がうまくいってるかどうか見回ってる」
「失業傭兵……ハフグレン殿のことか?」
「うん。ここにもひとりお世話になっている」
「あれは大した剣士だ。わたしなど敵わぬ。ときどき稽古をつけてもらう約束をした」
妹ちゃんは忍者には珍しく、太刀を下げている。剣術寄りのくノ一なのだ。
「そんなに強いなら剣術学校が放っておかないだろうに」
「ひとりかふたりに稽古をつけるくらいならいいが、大勢が見ている前で構えを見せるのは気が進まないそうだ」
「傘張りは喜んでもらえるかな」
「心を静められると仰せだ」
「それならいいけど。トキマルに何か伝えることある?」
しばし待ってくれ、と言って、自分の家の二階へ戻ると、小さな切符みたいなものを数枚持ってきた。
「そこのしるこ屋でもらった。もし、よければ使ってほしい」
タダ券だ。青くて切断面がほつれた手作り和紙みたいな紙に真ん丸なお坊さんの絵が描いてあって、『善き哉』と書いてある。でも、善哉ではなくおしるこなんだな。
焼いた切り餅と粒あんの熱々は冬を乗り越えるのに必須の甘味だ。
「ありがたいが、ハフグレンに渡してやってくれ。生きる楽しみがひとつでも増えれば、戦場戻りをしないかもよ?」
えーっ! やだやだ! 司令、ご再考を!と甘味に卑しいガールズに、めっ、してタダ券を返す。
「引き受けた。ハフグレン殿も喜ばれる」
――†――†――†――
一度〈ちびのニコラス〉へ戻り、ガールズに損失の補填をするため、中庭で七輪を焚く。
切り餅を三つ、アズマ街で買った七輪にのせて焼く。
つけるのは砂糖醤油ではなく、黒みつである。
黒砂糖にメイプルシロップを混ぜた特製黒みつを刷毛でペタペタ念入りに餅に塗る。
甘味で焦げる餅の香りはとびきりだ。
「あかーん。おいしそー。でも、ウチ、死んでんねん。どないしてくれんの?」
出待ち幽霊もネクロマンサーのお世話になりたがるおいしさ。
ひとり三つ、順番に渡す。
「お昼ご飯食べずにデザートでお腹いっぱいにするのはあまりよくないけど、さっきのぜんざいのこともあるし、なによりきみたちは、これまでの視察でまだ誰も殺していない! その健闘をかりんと餅で称えよう」
おいしーい、とほっぺを両手で持って落ちないようにしているあたり、いろいろたまらんです。はい。
ところで、このぜんざいの簡単版である、かりんと餅。
作り方もこの通り簡単だけど、これが食べると病みつきだ。
以前、これを焼いていたら、サアベドラがやってきたことがあった。
〈インターホン〉に会いに来たわけでもないらしく、何しに来たんだろうと思い当たることがなかったのだが、ハッとして、焼き網の上でぷくーっと膨れる餅を見て、ま、まさか、かりんと餅の一度食べたらやめられないのが麻薬として認知され、おれをボコボコにしに来たんじゃと思って、クソびびったが、よく見ると、その小さなお口からよだれが垂れてて、ってことがあった。
サアベドラですら、こうなのだ、このかりんと餅。
普段から食欲を抑制させることを知らないガールズたちが敵う相手ではない。
ただ、じゃあ、このかりんと餅をぜんざいに入れるのか?っていうと、それは違う。絶対に違う。
説明はできないが、とにかく違うのだ。それをやるとうまくないのだ。
ただ、アズマ街のぜんざいがめちゃくちゃうまくて、なんでなのかきいてみたら、塩に秘密があるって言っていた。
確かに塩をちょっぴり入れていた。
だが、それだけでこんなに変わるものか?
試しにおれも塩を入れたぜんざいをつくってみたが、いつもの自家製ぜんざいと変わりがなかった。
思い切ってドバっと入れたら、まずくて食えなかった。
銀取引所でやり取りされる塩のなかでも特に高級で旨味があり王族しか口にできないと言われる伝説の塩をドン・ヴィンチェンゾ特権で手に入れて試したが、ダメだった。
日本で初めて鉄砲をつくろうとした人の苦しみを味わっているようだ。
ネジの秘密はポルトガル人に娘を差し出さねば分からない。
だからと言って、ガールズたちをぜんざい屋に差し出すことはしないよ! ハハハ! ハハハ……




