第十一話 犬耳釣師、釣師ギルド。
風のなかに魚が棲めないことは釣師にとって幸いだ。
でなければ、彼は始終釣りのことを考えて飢え死にしただろう。
『狂気の釣師の備忘録』より
グラマンザ橋のたもとに広がる魚市場。
牡蠣を入れた桶が並び、頬ひげの魚屋が刀のような包丁をサロメン湖産のチョウザメの背中に入れる。
あくびしながら包丁をメバルの頭に不注意に叩きつける女の指はいつ跳ぶかとハラハラ。
クルス・ファミリーの持っている漁船団からは密造酒のかわりにタラの入った樽が運び出されている。
市場の外れにある枯れ濠のそばの古い家に釣師ギルドがある。
パン屋ギルドや肉屋ギルドのような同業組合式のギルドは立派な外観を持つものだが、冒険者ギルドのようなクエストと呼ばれる日雇い仕事を斡旋するギルドはたいていボロっとしている。
釣師ギルドも少し傾いていて、割れた窓には新しいガラスではなく油紙が貼りつけてある。
バスや鱒、カジキマグロの頭の剥製には埃が積もり、ギルドが売る安い酒をちまちま飲んでいる釣師はみな年老いていて、大昔に釣った魚の話をしていて、このくらいの大きさがあったと両腕を広げるのだが、それは五分前に広げた大きさよりも十センチは大きくなる。
カウンタ―は恐らく世界じゅうにたくさんある安物――ふたつの樽の上に板をわたしたあれである。
こういうカウンターはたいていスツールなど置かないものだが、ここではひっくり返した桶がふたつある。ロムノスと少女が腰かけようとすると、
「ケツが魚臭くなるから座るのは勧めないがな」
ギルド長は魚釣りを一度もしたことがなかった。
もともとはどこかの都市の大きな冒険者ギルド――立派な建物と立派な知名度のある世にも珍しい斡旋型ギルドだった――のギルド長だったのだが、女性関係のトラブルがあって、カラヴァルヴァの釣師ギルドに流れてきたらしい。
その女性関係のトラブルとやらを詳しく知るものはいないが、「死ね、間男」とわめき散らす旦那の手斧からからくも逃れ、三階の窓からパンツ一枚で飛び降りた、ということだけが判明していた。
「この魚を釣ってきてほしい」
そう言って図鑑の栞を挟んだページを開いた。
そこに載っていたのは奇妙な魚だった。
ちょっと頭が大きいが、それ以外は普通に見える。
ただ、その大きな頭の上に小さなフックみたいな突起がある。
「このシビレウオって魚は、このフックみたいなところに雷属性の結晶をつくることができる。ただ、普通の雷結晶と違うのは、こいつが水に棲んでいるから若干の水属性も含めた雷結晶だってことだ。これが魔法使いや錬金術士に大人気でな。魚の年齢が高いほど結晶も大きくて強いものになる。この結晶を持ってきてくれ。成功報酬で金貨五枚。サバ売って金貨五枚稼ぐにはどれだけ売らなきゃいけないか」
『狂気の釣師の備忘録』にもきちんとシビレウオ釣りについての記述がある。
流れのはやい場所は避け、池や淵のような水が滞留するところの深場に棲む。
これも五十センチを超えるものはいない。だが、平均で三十センチから四十センチくらいで釣れる。
五メートル以上の水深でよく食べるので竿と浮きを使わずに手釣りをするのだが、これにはもうひとつ理由がある。
シビレウオは餌に電撃を放ち、それから食べるので、糸を素手で持っているとピリッと来る。
その一秒後にあわせる。引きがなくても、一秒後にあわせる。
シビレウオは口が弱いので、餌に食いつき糸が引かれたと思ってあわせると口がちぎれて鉤が取れる。
だから、電撃を食らって一秒後にあわせると口の先の固い部分に鉤がかかり、バレる心配がない。
〈ハンギング・ガーデン〉十二階は半分が通常レートのスロットマシンとトランプ風ルーレットの大部屋、残り半分は密林風の小部屋になっていて、五人から六人が通常レートのポーカーをやっている。
この階の密林の小部屋に深いが小さな池がいくつかあり、ここにシビレウオがいると見て、オモリ付きの仕掛けを沈める。
鉤はフトコロが広いもの。もともと口の大きなシビレウオだが、魚が餌に食いつく前にあわせるので、特に鉤がかかりやすい広めのフトコロが要求される。
これにハサミをとったザリガニを尾のほうから鉤が隠れるようにしっかり刺す。
明るい陽射しにきらきら光る水場へ突き出た桟橋。
小さなモロコが水面に集まって、羽虫が落ちてこないか狙っている。
そこにザリガニをつけた鉤を放り込む。
ロムノスの広げた両手の端、四回分の深さからちょこちょこ魚のかかる深さを探る。
釣り糸を握る指先がピリッときた。
素早くあわせると糸が震えて、ピンと張った糸がぴっぴと水を切った。
釣り糸をたぐると、水にぼうっと青い光が見えてきた。
銀色の腹を光らせながら円を描くように泳ぎ、上がってくる。
ところで『備忘録』にはシビレウオを釣り上げる際、絶対やっておくべきことがあって、それというのが――、
バリバリバリィ!
釣り上げた瞬間、放たれる電撃を避けるため、中級魔法攻撃を一度だけ無効化するポーションを塗った盾を用意しておくことである。
親指大の雷結晶を頭にたんこぶみたいにたくわえた五十センチクラスのシビレウオの口の端にしっかりかかった釣り針を見て、そして盾を降ろして、手の甲で顎の下を拭う少女を見て、
「お前がどんな名前なのか、どんな人生を送ってきたか知らないが、これは確かだ。お前はいい釣師助勤になれる」
助手ではなく、助勤と言ったあたり、ロムノスなりの工夫である。




