第五話 怪盗、あっちあち。
人間にふりかかる不条理や非常識については少女騎士三十人と島流しの砦で暮らしているあいだに全てかぶったつもりでいたが、頭に頭巾をかぶったまま蒸し風呂で汗を流す男たちを見て、この世にはまだ自分の知らない常識知らずがあるのだと実感させられた。
その部屋は内側に板を張った天井の低い蒸し風呂で、シミだらけのガリガリの体をさらした頭巾の男たちが、おそらく頭巾のせいでこもった熱で朦朧としながら、ときどき思い出したようにひしゃくを取り、焼石に水をかけて、自身に対する拷問を完成させようとしていた。
傍から見れば馬鹿げた頭巾の掟だが、これについては長所もあるので一概に必要ないと言えない。
まず、頭巾をかぶることで得られる匿名性である。ニセ信者クリストフが紛れるのに非常に都合がよい。
悪いところはキャラメルみたいにぐにゃぐにゃになってしまいそうな熱さだ。。
しかも、始末が悪いことに蒸し風呂に入ると必ず誰かが我慢大会の開催を一方的に宣言し、狂ったように焼石に水をかけまくる。これは別に頭巾をかぶったまま蒸し風呂に入る発狂野郎たちに限った話ではない。ごく一般的な蒸し風呂愛好家のあいだで起こる病弊である。
外ではそれなりの地位と名声があり、愛妻家の子煩悩で知られ、酒も女もギャンブルもしない立派な人物がいったん蒸し風呂に入るなり、殺人衝動の権化となって狂ったように火傷するほど熱い蒸気をまき散らすなんてことはあり得ることなのだ。
その意味で言うと、蒸し風呂は人間の本性を暴き出す真実の鏡と言える。
浴場は奇妙なつくりをしていて、廊下は長さもまちまちで直角に曲がることもできず、常に老人から大勢の子どもまで様々な人びとが騒いでいるようなざわめきがきこえてきた。風呂場の配置もめちゃくちゃで廊下にたいして斜めになっている部屋やいきなり階段に通じる部屋、さかさまな部屋が自分たちはちゃんと図面通りに配置されたのだと乙に澄ましている。
そのうち、クリストフは演説場のような部屋に迷い込んだ。
ひっきりなしに焼石から上る蒸気で演説台が見えないが、誰かがいま、声を大にして、夜の教団にとって重要なことを話しているようだ。だが、その声は噴き上がる蒸気に邪魔されて細切れにきこえてきた。最前列まで行けば、きけるだろうが、汗にまみれた頭巾男たちでぎゅうぎゅう詰めの部屋に自分の体を押し込むのはぞっとする話だった。
だが、部屋の縁にくっついて歩いていると、やはり部屋の縁にくっついた階段を見つけた。
どうやら階段は部屋の上にある特別観覧席に繋がっているようだった。そこでは肘掛椅子に座った頭巾の男たちがいて、水の入ったコップをもらったり、マッサージをしたりと甲斐甲斐しく世話を焼かれていた。ここは司祭たちの桟敷らしく、張りがあって白いナマズみたいな体をした司祭たちは水を飲んだり、パイプと吸うときだけ、頭巾の縁をひょいと持ち上げた。
クリストフがここにいることは許されていないのだから、あまり長居はできないが、それでもあの演説家が何を話しているのか、断片でいいからききたかった。
もちろん、そんな重要なことが話されるとは思っていない。たぶん、頭巾をかぶった状態でのぼせないためのコツか、我慢大会の奨励、そんなところだろう。だが、演説家ははっきりとこう言った。
「偉大なる魔法使いさまは、怪盗と〈聖アンジュリンの子ら〉の隊員が魔法使いさまの邪魔をするとおっしゃって――」
クリストフはすぐに手近な水差しを手に取ると、それで司祭たちのコップを水で満たしながら、後ろ向きに歩き、階段を降りて、ジグザグの廊下を落ち着いて通り抜け、入り口近くの部屋で冷たい水を浴びて、汗をきれいに流すと、頭巾を剥ぎ取り、元の服に着替えて外に出た。
浴場を出ると、そのまま広場を通り抜けて、階段を上り、湯気に邪魔されない呼吸をしながら、宿屋へ戻る道をとった。
もちろんあてずっぽうかもしれない。きわどい確率の網を潜り抜けて、真実をあてたのかもしれない。あるいは魔法使いは未来を知ることができ、その未来には自分とルイゾンが城のてっぺんから吊るされた姿が見えるのかもしれない。ともあれ、魔法使いと夜の教団に対する認識を改める必要が出てきた。仮にあの言葉が魔法使いの予知によるものであれば、あの教団はそのくらいの託宣をもらえるくらいの重要度があることになる。魔法使いからしてみると、蒸し風呂に頭巾をかぶったまま入るような連中でも簡単なおつかいくらいはできると思っているわけだ。
しかし、夜の教団が怪盗と〈聖アンジュリンの子ら〉を探し始めると、よそものの彼らが疑われるのはそう遠いことではなさそうだ。そうなる前に別の印象を島に植えつける必要が出てきた。具体的に言えば、ルイゾンとふたりで測量をするのだ。
宿屋の戻ると、オノリーヌに腕をとらせたルイゾンが歓談しながら戻ってくるところだった、
オノリーヌを彼女の部屋まで送るところまで待って、玄関で待っていると、ルイゾンはちょっと気まずそうな顔をした。
「こっちはカルト教団の蒸し風呂に潜入でそっちは美人と散歩か。いいもんだ」
「じょ、情報収集していただけですよ」
「まあ、そっちは任務じゃないもんな。
クリストフは蒸し風呂できいた魔法使いのご託宣についてルイゾンに話した。
「ふむ。きみの言う通り、測量士の真似事をしたほうがいいかもしれませんね。それに夜の教団に入会してみたほうがよさそうです」
「どうして?」
「もし、僕らが怪しまれているなら、向こうとしてはいつでも抹殺できるよう、近場にいるほうが安心できるでしょう。もちろん、僕らが疑われているなら、向こうも手の内を見せないように警戒はするでしょうが、〈聖アンジュリンの子ら〉の潜入調査をなめてもらっては困ります。それなりの情報が得られるでしょう」
「わかった。それでいこう。それともう一つ質問」
「なんですか?」
「あのセリフ、使った?」
「あー、……まだです」
このヘタレ!




