第三話 怪盗、世界一小さい裁判所。
弾き飛ばした銀貨はくるくるまわり、クリストフの手のひらに戻ってくる。
お金を触りなれるとお金のほうから手に吸い付くように寄ってくる。
金持ちがさらに金持ちになる理屈はそんなところからきているのかもしれない。
オノリーヌがまた窓に姿をあらわしたので、ルイゾンとふたりきりにしてやる。助手のまめな心遣いである。
この宿屋は庭の手入れは金物屋、料理は酒場の亭主、洗濯は洗濯女、そして部屋の掃除はオノリーヌが受け持っていた。
目の見えない彼女がどうやって掃除できるのかと思うが、彼女の家は宿屋の部屋と同じ間取りになっているので、埃のにおいがしなくなるまで拭いたり掃いたりするらしい。
クリストフはこの町において、よそものであることの利点を考えてみた。
まず、外の出来事に対する知識と意見という点において、権威的な態度を取れる。なにしろ、島民は何十年も島の外に出ていくことができない。外の世界で見聞きしたことを知るにはクリストフかルイゾンを頼るしかなく、人びとに好奇心がある限り、彼らはこの点で優位に立てる。
逆に欠点はというと、住人の閉鎖的な態度により、魔法使いや城についての情報を得るチャンスが失われるかもしれないということだ。
とくに魔法使いの城へ行けない状態においては住人に依存しなければならないところも多い。
クリストフがやることはよそものの長所でもって住人たちの緊張をほぐして、相手が知らず知らずのうちにこちらに城や魔法使いについての情報を与えたくなるような状態をつくることなのだ。
クリストフは一段下に町を降り、一番下の段の通りに出た。
滑らかな石を敷いた道の左右には大きく開けた両扉に銅の鍋釜を吊るした店や細長い窓がふたつある民家などが並んでいる。そのうち、一番小さな家の扉には天秤の紋章が炭で書き殴られていた。頭に真っ赤なパンが山盛りになった籠をのせて歩く物売り女にこの家は何かとたずねると裁判所だとこたえてきた。
クリストフも怪盗をやっていて、クルス・ファミリーの構成員である以上、裁判所というものが何に力点を置いて建てられるかは分かる。賄賂の宮殿としての豪華さ、賄賂を払えない弱小犯罪者をぐちゃぐちゃに踏みつぶすこともいとわない冷酷さ。このふたつが巧妙にまじりあって、独特の建物がつくられる。
まあ、実際はもともと街にあった城や大きな館を接収してそのまま使い、新築費用との差益をふところに入れるのが多い。
ただ、新しく建てるにしろ、もともとの建物を分捕るにしろ、一番小さくて大したことのないような建物となるよう考える判事は存在しない。
イヴェスだって彼に裁判所の建築を許せば、何の装飾もない恐るべき砲兵隊要塞のような裁判所を立て、子どもたちがわがままを言って母親を困らせるたびに「裁判所に連れていくよ!」と脅す、そのくらいの建物をつくる。
だが、いま、クリストフが見ているのは豪華さも厳格さもない。
ただの朽ちかけた小屋だ。
他の家は扉の上端を丸くしているが、裁判所の扉はその加工すらしない角ばった扉だ。扉の左右にはほんの二メートルほどの壁しかない。おそらく奥行きはあるのだろうが、それでもひどく窮屈なつくりだ。
怪盗が自ら裁判所のドアを開けるというのは変な話であるが、そもそも変な島なのだから、そう気にすることでもないと思い、ドアを開けようとすると開かない。さんざん押していると、なかから「引いてあけてくれたまえ」と声がした。
狭い部屋のなかへドアを入れるより、外に開いたほうがドアが家具什器にぶつからずに済むという工夫だろう。そのくらいの合理的判断ができるものがこの狭い裁判所づくりに関わっていたのだ。たぶん施主の判断ではなく、大工たちがこのままじゃあんまりだと思って、外開きのドアをつくったに違いない。
入ってみると予想以上に狭かった。
傍聴席はおろか被告の座る椅子もない。判事の席は床を高くした上にあったが、天井も低めのこの家でそんなことをすれば、まっすぐ座ることができず、実際、判事らしい男はテーブルにのしかかるように体を曲げて、なにかの書き物に没頭していた。
訴状が壁一面にピンで止めてあった。その訴状も紙目いっぱいに細かい字で訴えが書き込まれていて、そのひとつを読んでみると、
「――3)略奪品の三分の一は国王陛下に納めること 4)敵国の高級船員については可能な限り、紳士的対応をすること 5)敵国の水夫や兵士に関しては4)の条項は適応されないものとする 6)王国のどの港でも物資や人員を調達する権利を認める 7)死亡、もしくは負傷については――」
「それは私掠許可状だよ」
判事がしゃべった。
「国家が別の国家をカモにしてもいいという免許。もちろんそれは有効期限が切れている。ちょっと待っていてくれたまえ」
判事は法官用の衣装をもぞもぞ動かし、高い床から出てきたが、クリストフよりもはるかに背が高かった。若く、そして賄賂なしで好感を持てる表情ができる稀有な判事だった。腰をとんとん叩いたり、曲げっぱなしにしていた首をさすったりしながら、眼鏡の位置をなおし、それから賄賂なしの微笑みを顔にかけた。
「誰か告訴したいのかい?」
「いや。そうじゃないんだ。ただ、ここが本当に裁判所なのかと思って――」
「僕はここ以外に裁判所を知らないんだ。僕が生まれるずっと前に島は魔法使いに閉ざされていたから。ただ、僕が知っているのは裁判官というのは最も恥ずべき卑しい職業だということだけなんだ。だから、懲罰の意味合いもあって、こんな狭い場所で働かされるのだと思っていたけど。ひょっとして、他の町の裁判所はもっと天井が高いのかな?」
「城くらい大きい」
「城よりも大きいだって? あははは。きみはユーモアに優れるわけだ」
「まあ、いいや。じゃあ、とにかくこの島では判事はあまり立派な職業と見なされない。でも、誰かが訴えられるだろ? それについて、あんたは判断を下す立場にあるんだから、そういうのが分かれば、島の人間はあんたをもっと天井の高い家に置いてくれるんじゃないのか?」
「それは無理だ。僕が判事になってこのかた、一度も裁判が開かれたことはないんだから」
「なんだって?」
「だから、僕は必要もない職業についてる島のごくつぶしなわけなんだ」
「じゃあ、一日何をしているんだ?」
「自分を告訴して、自分に判決を下している。そこら一面の訴状は僕のひいじいさんのころのものがほとんどだ」
「魔法使いを訴えようとしたものはいないのか?」
「いないね」
判事はゆったりとした様子で言った。
「会えもしないものをどうやって告訴するんだい?」
「誘拐罪とか。生贄に人間をさらうんだろ?」
「ああ、それか。それについては島の人間のなかでも必要悪だと見る人もいる。外の世界はもっとひどい戦争だの疫病だのがまん延していて、それから守ってくれているという人がね。生贄はだいたい半年に一回。若い娘ばかりを持っていく。年頃の娘がいる家では生贄のことを悪く言うが、そうではない家では、まあ、ちょっとね。温度差があるんだ。それに島から出られなくても、飢え死にする人間はいないし、酒場はいつもやっている。生活は保証されている。だから、このままでもいいじゃないかと思う人がいるわけだ」
「あんたはどっちなんだい?」
「僕は――裁判というものを一度やってみたい。それだけだね。さて、そろそろいいかい? もうじき被告僕、原告僕、判事僕の裁判が始まるんだ」




