第二話 ラケッティア、大雨と新商売。
〈ちびのニコラス〉から出かけるとき、ひどい雨だった。
窓ガラスから外を眺めることができないくらいで、こりゃ相当濡れるなと思って、外に出たとき、イスラントがおれに傘を差した。
ポカーンとしていると、ボスとその護衛はそういうものだろうといった感じでイスラントもポカーンとしている。
「おい、諸君。これが護衛ってもんだぞ」
おれが言うと、既にアサシンウェア姿になっていたのに護衛から外されたガールズがぶうたれた。
イスラントが今回、おれの護衛についてるのは一応嫌々ということになっている。
それでもついてくることになったのは、ジャックが、
「オーナーのゴッドファーザー・モードは一度、見ておいたほうがいい」
と、まるでおれが熱海の秘宝館かなんかみたいに言ったからだ。
イスラントはなんだかんだでジャックおすすめの行動をとる。
もちろん、本人はそのことを存在の全てをかけて否定するわけだけど。
それに、まあ、イスラントの氷の魔法剣士ぶりは裏世界でもかなり知れ渡っているので、ひとり強いのを正式組員化しました、だから、喧嘩売らないでね、みたいな抑止の公表という形の人選としては悪くない。
ケレルマン商会の内部抗争はいまのところ大人しいが、血で血を洗う事態にならないと思い込むのはちょっと楽観が過ぎる。
最近ではポルフィリオ派とフランシスコ派なんて呼び名まで出てきている。
戦争になったら、他のファミリーは中立を保つという言質をとって、抗争の影響を最小化したいのだが、実際、戦争が起きれば、それぞれの取引相手を贔屓するのは分かっている。
うちだってケレルマン商会との取引はあるし。ポルフィリオ・ケレルマンとはやつが盗んだ家畜の処分をウチがやっていて、やつの盗品売買ではクルス・ファミリーが最大手だ。いまのところ、値段とかでトラブったことはない。一方、ディ・シラクーザとはフェルトの毛羽取り職人ギルドの代表会選挙でこないだ協力したばかりだし、うちの密輸リキュールのお得意さんだ(ディ・シラクーザは大きなナイトクラブみたいな酒場を持っているのだが、そこに自分のつくったクズみたいな密造酒を絶対に出そうとしなかった)。
ケレルマン商会の両派閥だって馬鹿じゃないから、共同出資のビジネスをたぐって他のファミリーを仲間に引き込もうとするだろう。
評議会の会場は〈ちびのニコラス〉から歩いて数分のところにある馬車工場の二階だ。
そのあいだ、風のない雨は真下に水を落として、道路行政の許容をはるかに超えるほどの大きな水たまりをつくり、低い土地へ降りる階段は小さな滝の集合体と化した。
「こんな日に刺されたら、まず助からないな。水たまりと雨で血がどんどん流れる――あ」
「なんだ?」
「泡吐かない?」
「馬鹿にしないでもらいたいな。この程度の話など、なんともない」
雨がすごいので冷や汗がたらりとしているかどうかは分からない。
馬車工場は〈ちびのニコラス〉からやや広めの路地を南に進んだところにある。
〈石鹸〉が出回り始めたとき、ジャックがやつらの暗殺者と戦い、この工場に大損害を負わせたことがあり、工場長が赤くなるまで熱した火掻き棒を手に突進する前にギリギリでカネを払って、惨劇を回避したということがあった。
その後、おれが支配している運送ギルドの馬車修理を大量に発注すると、工場長の機嫌は非常によくなって、こうして評議会の場所を貸してくれるようになった。
馬車工場の作業場には貴族好みのベルリーヌ馬車が一台、エナメル加工を受けもつ職人によってキラキラテカテカに仕上げられているところだった。
一度に十台の馬車をつくったり修理したりできるくらいの大きさがある場所だからひどくガランとして見えたが、すぐに工場長がやってきて、手を揉みながら、どうぞこちらです、とおれとイスラントを案内した。
少し細長い中庭を通って、離れのような家の二階に着くと、フェリペ・デル・ロゴスとカサンドラ・バインテミリャがすでに来ていた。
ほんの半年前、このふたりをひとつの部屋に入れたら、どちらかの喉笛食いちぎるまで戦うのをやめなかったものだが、いまでは共同でカネを出して、ヤクを買いつけるまでになっている。
「ドン・ヴィンチェンゾ。久しぶり」
「ドーニャ・カサンドラ。会えてうれしい。ドン・フェリペ。お元気かな? いや、まったくすごい雨だ」
ふたりとも護衛をひとり連れている。
どちらも壁みたいにデカい男で、どちらも最低でも三人は殴り殺している。
下げている剣もデカい。
雨よけマントを壁のフックから下げ、椅子に座る。
大きなテーブルはなく、きれいな布をかけた木箱があるだけだが、そこにはチペルテペルの黒ワインが一本だけ置いてある。
この部屋はなんというか家庭的だが時間が停止したような印象を受ける部屋だった。
椅子やタンス、壁に取り付ける棚なんかは柔らかいつくりと仕上げで統一されているし、カーテンは花柄、そして、いたるところに陶器の小さな人形――牛、魚釣りの少女、大工――があるが、その一方で馬車工場の離れらしく、あちこちに馬車を描いた絵が額縁に入って飾られていて、ランプはどれも箱馬車に取りつけるタイプの大きめの青銅ランプだった。
夜道で寝込む酔っ払いにはやく気づけるよう、強力な光を発するランプは荒天で薄暗い部屋を煌々と照らしている。
そのうち工場長がやってきて、使い走りの小僧がふたり、〈黒のジョヴァンニ〉とドン・ウンベルト二世が〈聖アンジュリンの子ら〉の尾行をまくことができないので、参加を見送るというメッセージを持ってきたと言ってきた。
「では、我々だけで始めるか」
ふたりとも異論はないようだった。
「どうしたもんだろうな?」
フェリペ・デル・ロゴスが細い葉巻の煙をくゆらせながらこぼす。
すると、カサンドラ・バインテミリャが、
「なんにも。〈聖アンジュリンの子ら〉は自分たちが何しでかしたか、思い知ればいい」
「そういうわけにはいかんだろう。このままじゃ抗争は間違いない。ポルフィリオ・ケレルマンの手下が〈鍵〉の盗賊ギルドともめたのはきいたかね?」
「きいたよ。その手下ってルドルフ・エスポジトでしょ? あいつの歯は全部つくりものだよ」
「なんでそんなことを知ってるんだ?」
「折った本人が言うんだから間違いない。まだエグムンド・オルギンが生きてたころ、うちの売春宿から何人か娼婦を引き抜こうとしたから、ものを噛むたびにあたしを思い出せるようにしてやった」
「評議会で話し合いの席を設けて、ポルフィリスタとフランキスタが思う存分話し合えばいいんだよ。もっとも、これは呼び出すタイミングが難しいがな。どう思う、ドン・ヴィンチェンゾ?」
「少なくともいまはまずい。一応、現在、表向きケレルマン商会は共同統治がうまくいっていることになっている。いま、呼び出せば、ケレルマンもディ・シラクーザも自分たちが軽んじられていると思う。その原因をお互いになすりつけようとするのは目に見えているし、下手をすればそれが原因で戦争になりかねない」
「戦争が起きる直前だな」
「その通りだ。ドン・フェリペ」
「ドン・ヴィンチェンゾ。盗賊ギルドとは会うのかい?」
「この後、〈鍵〉の連中と会うことになっている」
「〈鍵〉におさえろって言うの?」
「それは無理だろう。このことに関してはポルフィリオが悪い。ドン・ガエタノは市内の盗賊ギルドとは協定を結んでいた。市内で仕事をするときはギルドの縄張りは荒らさないし、縄張りに仕事がかかる場合は共同事業という形にして、儲けを分け合った。ポルフィリオはそういった根回しがない。ただ、ひたすら縄張りを食い荒らしている。やられた店のなかには盗賊ギルドのために故買をしていたやつもいる。ここまでやられて我慢しろとは言えん」
「昨日、おれはディ・シラクーザに会った。以前より愚痴っぽくなったな。それに凶暴さが増した気がする」
「もともと、ディ・シラクーザは凶暴だよ。ただ、それを自制できたってだけさ」
「とにかく、わしらは戦争は望まないし、もし戦争になっても、どちらにも加勢はできない。こちらの中立をやつらが侵さん限り。それとこれはどちらが勝っても言うつもりだが、貴族を誘拐して身代金を取るのを少しおさえてもらわんと困る。〈聖アンジュリンの子ら〉がドン・ガエタノを捕まえたのは、おそらくそれが原因だ」
「それは難しいぜ。〈鍵〉の盗賊ギルドを納得させる以上に難しい。山賊にとって誘拐は山って世界が平地に住む貴族にとって不可侵の聖域みたいなもんだってことを分からせるためだ。おれたちだって、ろくなカネにならないところからもみかじめを取るが、それと同じだ。支配と尊敬の問題だ」
フェリペ・デル・ロゴスは山賊と誘拐された貴族のあいだの仲立ちをしている。
手数料を稼いでいるが、また別にこれを足掛かりに貴族階級に食い込もうとしているのもある。さらに言うと、貴族相手に派手で華やかな交際関係を持つのが好きなのだ。
「なら、別の支配と別の尊敬を考えてもらわんとならん。侯爵令嬢を誘拐するたびにボスが捕まるんじゃ、ファミリーとして運営ができなくなる。そんなことはケレルマン商会のほうでも望んじゃいない」
――†――†――†――
結局、辻馬車を雇うことになった。
外の雨はますます強くなり、〈鍵〉の盗賊ギルドがあるデ・ラ・フエンサ通りまで歩こうなんて思おうものなら道の真ん中で溺死するかもしれん。
「ドン・フェリペはポルフィリオに加勢する」
おれはため息まじりにつぶやいた。
「なぜ分かる?」
「ドン・フェリペは誘拐された貴族と誘拐した山賊の解放交渉の仲立ちをしてて、手数料を稼いでる。それに助けてもらった貴族からは感謝もされる。上流階級の奥様方ってのはときどき危険な男と付き合ってみたくなるが、フェリペ・デル・ロゴスはうってつけだ。ひげの似合うダンディだし、貴族の解放で名を上げているし、それに危険だ。めちゃくちゃ危険。ひょっとすると山賊よりもヤバい。その点で言うと、ドン・フェリペにとってドン・ガエタノはちょうどいいボスだった。身代金を出し渋る相手には人質の耳や指を切って送りつけるほど凶暴だが人質を殺すほど馬鹿ではない。ヤバい橋渡ってゲットした人質からは確実にカネを回収する。ポルフィリオとも同じ関係を築きたいのも無理はない。ディ・シラクーザはそこまで誘拐にこだわらないだろう」
「それで?」
それでのニュアンスはクール系の冷たさというよりは、世界の果てまで航海して、いろいろすごいものを見てきたと吹聴する親戚のおじさんに話をねだるようなニュアンスだった。
「この山賊との解放交渉はドン・フェリペにとってはカネと権威とアヴァンチュールが複雑に絡み合っている。今回、その交渉ができなかったのはフェリペ・デル・ロゴスが動くよりずっとはやく〈聖アンジュリンの子ら〉が行動したせいだ。〈聖アンジュリンの子ら〉はさらわれた貴族を体の部位を一切損ねることなく救出した。おまけにやつらはカネを一切受け取ろうとしなかった。これじゃフェリペ・デル・ロゴスの面目は丸つぶれだ。仕事がはやく、ゼロコスト。どうあっても勝てない。抗争が始まるとフェリペ・デル・ロゴスはどさくさに紛れて、〈聖アンジュリンの子ら〉を狙うかもしれない」
「だが、官憲が殺されるのに犯罪者として困るところがあるのか?」
「何人か、顔を知っている。そのうちひとりにはふわふわたまごパンの作り方を教えてやったこともある。情がないって言ったらうそになる。確かに連中も今回はやりすぎたが、基本的にはこっちの考える秩序や平和を理解できる。腕が立つから、まあ、簡単にやられることはないだろう。ただ、デル・ロゴス商会にまで検挙の矛先が向くのはちょっとな。一度にふたつの商会が挙げられたら、収拾がつかなくなる」
「ではなぜデル・ロゴスに〈聖アンジュリンの子ら〉を襲うなと言わなかった?」
「あの場で? ご冗談。そんなこといちいち言ったら、余計意固地になる。だいたい、具体的な話が出ていない。ただ、山賊たちに誘拐をやめさせるのは骨が折れるって話をしただけだ。それでこっちの深読みをひけらかして、馬鹿な真似すんなよ、って言ったら、激昂するぞ。だから、一度は襲わせる。そこで返り討ちにさせて、両者頭が冷えたところで初めてドン・フェリペと〈聖アンジュリンの子ら〉のあいだに仲裁に入る。デル・ロゴス商会は金輪際、〈聖アンジュリンの子ら〉を襲わない、〈聖アンジュリンの子ら〉はデル・ロゴス商会に報復しない。これで手打ちにさせる」
「じゃあ、〈聖アンジュリンの子ら〉にデル・ロゴス商会が狙っていることを警告をするのか?」
「いやいやいや、それはない。絶対にない。沈黙の掟に反する。だいたい〈聖アンジュリンの子ら〉ってのは聖印騎士団の特殊部隊でそんじょそこらのギルドのアサシン全員を束ねたのなんかよりもずっと腕が立つ。殺さず逮捕するくらいの力量があるんだ。それに今回のこと、ドン・フェリペにも一理ある。この混乱の原因は〈聖アンジュリンの子ら〉がドン・ガエタノをパクったことなんだから、ちょっと思い知ってほしいってのが本音だ」
雨はますますひどくなる。
何人か先見の明があると自分で思っているやつらは辻馬車のたまり場に小舟を待機させている。
未来の船頭のうち、顔見知りがいたので、馬車を止めさせ、ちょっと話しかけてみた。
「ドン・ヴィンチェンゾ。これは将来有望な商売ですぞ」
語尾から分かるように、この男は学校でそれなりの教育を受けている。
教養が防弾チョッキの代わりになったという話はきかないが、それでもある種のアイデンティティ確立の役に立つ。
「わたしの予想ではこの雨は後三千日は続きます」
「それはずいぶんと長丁場だな」
「しかし、そうなんですな。と、なると、これからの人類はどうやって市街地を移動すべきか?」
「そこで辻馬車ならぬ辻舟が出てくるわけだ」
「その通りです。ドン・ヴィンチェンゾ。すでに料金体系も完成しています。まず辻馬車の十倍の料金と十倍の酒手、十倍のお小遣い、十倍の会費、十倍の会員維持費、とまあ、これだけの収入源を確保するわけです」
「辻馬車に乗るのに何かの会員にならないといけないとはきいたことがないが、まあ、みながやっていることを真似て繰り返しているだけでは百万長者にはなれんからな」
「その通りです。ドン・ヴィンチェンゾ。ここだけの話、浮浪児たちを訓練して木工用の錐を持たせて、わたしの真似をする商売敵の舟に穴を開けるよう仕込んでいるのですが、これがなかなか――」
未来の水運王には悪いが、雨はデ・ラ・フエンサ通りに着いたときには止んでしまった。
そして、〈鍵〉の盗賊ギルドがある店の前に来たときには俗に言う『天使の階段』と呼ばれる素晴らしい斜光が雲のあいだから差し込み、その光の道をあるひとりの教養ある野心家の死んだビジネスが天使に連れられて天国へと昇っていった。
ところで、辻馬車の馭者が帽子を絞ると滝のような水が流れたこの凄まじい雨のなかを歩くのは愚行であり、おれとイスラントはその愚行を短距離であれ、やってみた。
感想としては一度で十分ってところだ。
だが、世のなかにはアルトイネコ通りの治安裁判所からデ・ラ・フエンサ通りへと、まさにカラヴァルヴァの西の端から東の端へと歩く、猛者だか馬鹿だかがいる。
いや、彼らは猛々しいわけでもないし、愚かでもない。
経済的ひっ迫が足に命じたのだ。デ・ラ・フエンサ通りまで歩け、と。
そう。秩序の味方でアナーキーのネメシス。
コルネリオ・〈ザ・ピースキーパー〉・イヴェス治安判事とその助手ギデオン・〈ザ・クソガキ〉・フランティシェクがぶるぶる震えながら、〈鍵〉の盗賊ギルドの扉を押し開けようとしていたのだ。
「これは、イヴェス判事」
イヴェスはじろっとおれを見た。
好意的とはとても言えない視線だ。
「ヴィンチェンゾ・クルス。なぜ、ここにいる?」
まあ、それも無理はないだろう。
向こうは徒歩で溺れ死にそうになりながら足で捜査をし、おれは優雅に辻馬車から降りてきた。
逆の立場なら、おれだって恨めしい目をするよ。
「雨が、それも大雨が降ると、なぜか心が弾むのだよ。年寄りなものでね。嵐が来ると、エスプレ川の舟の様子や畑の様子を見たくなる。ところで、きみはギデオンくんだね。甥からきいている。とても信義に厚い立派な男だとな」
「それはどうも」
今のは皮肉だぞ、このバカヤロー。
「さて、判事殿。わしが察するに判事は盗賊ギルドに用があるが、盗んでほしいものがあるわけではないし、逆に盗まれたもので取り返したいものがあるわけでもないようだ。ひょっとすると、判事殿はこの盗賊ギルドがこのカラヴァルヴァ市の治安維持に関わる重大な問題を抱えていて、それについて、何らかの警告か提案をしにきたのではないかね?」
「ならば、どうだというのだ?」
「ぜひ、ご一緒したい。ひとりよりもふたり、ふたりよりも四人のほうがこの手の話は通りやすいものだ」




