第七十一話 アサシン、ゆでたまごいかがっすか。
「フェリスさーん。見てください。今日もこんなに卵が」
「わあ、ヴォンモちゃん。じゃあ、早速ゆでたまごにして売りに行こうね」
「おれたちのゆでたまご、人気ですもんね。えへん」
「きっとおいしいおいしいって食べてくれてるんだもんねー。お姉ちゃん、頑張っちゃうよ」
――†――†――†――
村にある兵舎には前の司令官だった〈サソリ〉がつくった生首酒が保管されていた。
〈サソリ〉がふたつの足だけを残してこの世から消滅すると、新しい司令官は偉大な前任者の思い出にとその靴ごと酒壜に漬け込んで足首酒にしていた。
司令官は大事な相手にしかその足首酒の蓋を開けようとしなかったが、千フレアや一万フレアの大金を雑に丸めて投げてよこすような人間が大事な人間でないとするなら、どんなやつが大事な人間なのだということで、ヨシュアとリサークの目の前で針金でこさえた留め金が解かれ、大きなガラスの蓋が開いた。
「どうでしょう? 閣下?」
小さなグラスに注がれた酒が、いまや閣下と呼ばれるヨシュアとリサークに勧められた、若干、血で赤味がかった火酒はカラヴァルヴァの洗濯女たちみたいなにおいがした。
「わたしは結構です」
「おれはもらおう」
司令官は大きなひげを撫でながら、このふたりに自身の出世の糸口、せめて都に帰るための何かを見出そうとしていたが、ヨシュアは干したグラスを逆さにしてテーブルに置くと黙って司令官を見つめ返した。
来栖ミツルなら「タスケテーッ!」と叫んでいるところだ。
「〈ゆでたまご団〉についての情報をもらおう」
「し、しかし、閣下。〈ゆでたまご団〉は残酷無惨の極悪非道なエッグ・エビルどもでして。これと正面切ってぶつかるのは隊への損害も考えると、その、司令官としてちょっと難しいかと――」
「そのことなら心配に及びません。我々だけであたります」
「〈ゆでたまご団〉にですか?」
「そうだ。別にあんたについてこいと言うつもりは――」
そこでリサークはちょっとしたいたずらを思いついた。
「実はわたしたちは勅命を帯びて、ここに来たのです」
「おい、お前、なにを――」
リサークは手をちょっと上げて、自分にまかせるよう仕草をした。
「司令官。我々は転んだら爆発するレジスタンスに対して、絶対の戦術を持っているのです」
「ぜ、絶対の戦術でありますか?」
「その通り。勝利はもう約束されたものなのです。残る問題は誰がこの勝利の美酒に酔いしれ、栄光に身を飾り、帝都に戻る機会に恵まれるべきかということなのですよ」
ヨシュアは「うわ、こいつ、ひどっ」という顔をしたが、リサークは続けた。
「見たところ、司令官、あなたはそれに適任のようだ」
「そう言われると、そんな気もしてきました。なんだか、わたしも協力しなければいけないような気がしてきましたなあ」
「素晴らしい! この栄光を分かち合う戦士をこうも簡単に見つけられるとは。では、司令官、我々はこれから運命共同体ということですな」
「はいはい。ですなです」
こいつ、こうやって何人背中から刺してきたんだろうな、ヨシュアは思ったが、そもそも暗殺者とは相手を背中から刺せてやっと一人前の稼業だから、こうやって性根が曲がった騙し方も暗殺者のスタンダードと言えば、そういうことになる。
その後、この同盟関係の発展を祈って、足首酒で乾杯したが、リサークは司令官の目を盗んで、酒を床のタイルに全部飲ませてやった。
――†――†――†――
「そうだ。ヴォンモちゃん。久しぶりに〈サソリ〉さんがいた村に行ってみましょうか」
「いいですね。ここから近いですし」
「でも、〈サソリ〉さん、あのときはどこに行っちゃったんだろう。泣いて喜んで、わたしたちのゆでたまごを買ってくれそうだったのに、気づいたら、靴だけ残して、どこかに行っちゃうんだもん。わたし、自分がドジだから分かるけど、あの〈サソリ〉さん、きっとおっちょこちょいだったんだろうなあ」
「あ、あはは」
「あ、村が見えてきた。今日は何個売れるかなあ」
「たくさん売れたらいいですね」
「ほんと、ほんと」
――†――†――†――
村にひとつだけある白い土でつくった見晴らし塔の鐘が乱打された。
数々の盗賊や汚職役人の接近を落ち着いた三連打の鐘で知らせてきた歴戦の鐘守ですら、恐怖に我を忘れて、鐘を滅多打ちにする。
「〈ゆでたまご団〉だあ! みんなゼニを用意しろぉ! 〈ゆでたまご団〉がゆでたまごを売りに来たぞお!」
「大変だー!」
「うわーん、怖いよー!」
「キャイン、キャイン!」
ヴェスヴィオ山噴火直後のポンペイもかくやと思われるパニックと悲鳴、そして恐怖が村に満ちた。空に立ち上る噴煙から燃える岩が飛んできたみたいに人びとは真っ青になり、転んだり、ぶつかったり、扉のない壁に前進を続けたり、地面を掘ろうとしたりして、ちゃんとゆでたまごの代金を用意できたものは少数だった。
ゆでたまごの値段はお気持ちということになっていて、ヴォンモとフェリスはこの栄養失調気味の土地に高栄養の食べ物をできるだけ安く配布したいという企業理念のもとやっていたのだが、たいていの人間、それも金持ちや家畜持ちたちはこの〈お気持ち〉というのが、実は命の値段なのだと思い込み、ゆでたまごひとつにかなりの高値をつけた。
もちろんヴォンモたちはそのごく一部だけ受け取り、お釣りを渡そうとしてくるが、このお釣りこそが死の宣告なのだ。
というのも、お釣りはフェリスが渡してくるのだが、彼女はほぼ間違いなくこける。
ファインプレイを見せた外野のグローブにボールが残っているみたいに、ちゃんとお金は彼女の手のなかにきちんと残っているのだが、そのかわりに周囲半径五十メートルにはペンペン草一本も残らない。
来栖ミツルの言葉を借りれば、物語には『シザーハンズ的な憐み』を覚えそうな結末が待っている。
そんな〈ゆでたまご団〉である。
構成員数たったの二名の、星域で最も恐れられる、二十世紀初頭のリトル・イタリーでテラノヴァ兄弟たちがやったような『うちの店からアーティチョークを買わねえとおめえの店が火事になるぜ』的な犯罪組織である。
――†――†――†――
村人たちがパニックに陥り、兵士たちもみな逃げて、司令官も命と出世を天秤にかけている真っ最中。
もちろん、ヨシュアとリサークも例外ではなかった。
フェリスがこちらに近づいているという事実を知るだけで、ふたりの首筋を氷のように冷たい汗が流れ落ちる。
ヨシュアはこんなとき勇気をもらうために来栖ミツル直筆のウィンドウズ事件の直筆メモをバックルから取り出し、そっと握りしめる。
「なんです、それは?」
「お前には関係ない」
ヨシュアはメモを両手でしっかり握り、リサークから遠ざける。
「なんだかミツルくんに関係のあるグッズのようですが。ちょっと見せてください」
「だめだ」
「減るものではないでしょう」
「ミツル成分が減る」
「けち」
「ケチで結構だ」
「まあ、いいでしょう。ミツルくんは以前、あの爆弾エルフ姉妹のことを高く買っているようなことを言っていたことがあります」
「なに?」
「おっと。口から考えていたことが漏れてしまいましたね」
「どういうことだ?」
「別に。なんでもありません。お気になさらず」
ヨシュアはしばらく躊躇したが、結局、
「破いたり変なシミをつけたら殺すからな」
――と、言って、例のメモを渡した。
「これは――『ウィンドウズ事件の全貌』?」
「ミツルが書いてくれた。おれだけのためにな」
「筆跡に熱がこもっている。これはいいものです。金貨一万枚でどうです?」
「ふざけるな。それよりミツルがあの爆弾エルフたちを高く買っているというのはどういうことだ?」
リサークは説明した。
来栖ミツルくらいになると、禁酒法時代のマフィアの動向では我慢できず、マフィアの歴史をさかのぼり、1890年代から1910年代くらいの黎明期のマフィアについて知りたがる。黒手団、樽詰め殺人事件、〈イタリアン・シャーロック・ホームズ〉ジュセッペ・ペトロジーノ警部の悲劇的結末、悪魔のごとく狡猾なジュセッペ・モレッロとイグナツィオ・サイエッタ、シチリアとニューヨークを結ぼうとしたヴィトー・カッショ・フェッロ、パレルモ派閥とコルレオーネ派閥の内戦、1915年のマフィア・カモッラ戦争などなど。
山高帽やハンチングをかぶった襟なしシャツに黒い服の陰気なシチリア人たちがナイフとショットガンで移住してきた同胞を食い物にし、好き放題に人殺しや贋金造りに精を出した時代なのだ。
そして、この時代に流行っていたラケッティアリングが爆弾を使った脅迫だった。
同じイタリア系アメリカ人のなかでも成功して資産を築いた人びとに脅迫状を送って、カネをせびり、断ったら、爆弾で店を吹き飛ばすか、ショットガンで本人を吹き飛ばす。
この時代のマフィアはともかくすぐに爆弾を使いたがる連中で、小さな雑貨店や床屋が法外なカネを要求され、カネを払って破産するか店を吹き飛ばされて破産するかを選ばされていた。
当時、シチリアで大物だったヴィトー・カッショ・フェッロがニューヨークにやってきて、一度にでかくまきあげるより、少額を全ての店からコツコツまきあげたほうが長期的に見てカネになると教えるまで、こうした安っぽくも粗暴な脅迫は続いた。
みかじめ料制度に移行してからも爆弾の使い道はいろいろあり、タマニー・ホールの悪徳政治家たちに頼まれて、改革派の対立候補の事務所を吹き飛ばしたりしたのだが、これが爆弾エルフ姉妹を来栖ミツルが高く買い、またシャンガレオンたちの恐喝軍団を存続させている理由だった。
言ってみれば、爆発と脅迫を組み合わせることはマフィアの伝統芸能なのだ。
ターゲットにされたほうにはたまったものではないが。
ヨシュアは愕然とした。ジュセッペ・モレッロの名前はきいたことがあったが、それ以外自分がほとんどきいたことのない言葉がいくつも出てきたからだ。
こうした禁酒法前史の話を夢中でしている来栖ミツルのあの三白眼が熱でちょっと潤んでいるのを脳裏に浮かべるのが簡単だった。
やはりリサークは油断がならないやつと一段警戒を強くすることを心に決めると、ヨシュアはもう用はないとメモを取り返した。
バックルにメモを戻していると、兵舎の鉄製の門がとんとんと叩かれた。
「ゆでたまごいりませんか~」
見れば、司令官はいつの間にか逃げていた。
仕方がない。誰もがフェリスの自爆圧に耐えられるものではないのだ。
「ヴォンモか?」
「その声は――もしかして、ヨシュアさんですか?」
「ああ」
「わあ! やっぱりこっちの世界にいたんですね! リサークさんは?」
「この通り、元気にしてますよ」
「リサークさん! こんばんは!」
「ふふ、こんばんは」
「じゃあ、マスターや師匠たちも?」
「いや。まだ、ミツルとは合流していない」
「少女たちともです」
「そう、ですか。でも、おふたりがご無事で何よりです。フェリスさーん! こっちです! ヨシュアさんとリサークさんがこの門の向こうに!」
ちょっと待って、いま行くー、と返事がきこえた。
とたたたた、とフェリスが駆けてくる足音をきき、ふたりはハッとした。
すってんころりん!がきこえたころにはすでに地面に身を投げ出し、どっかーん!でへし曲げられた鉄の扉が鉄砲水を食らったみたいに真横に飛んでくるころにはふたりはまるでそうでもしないと頭が勝手に上がってしまうみたいに必死になって、両手で頭をおさえ、できるだけ平たくなろうと地面に伏せていた。




