第七十話 アサシン、やつらの噂。
ヨシュアとリサークの前には、何かの罰でもあたったようにだだっぴろい荒野がどこまでも続いていた。
右手のはるか向こうには靄がかかった湿原があり、左手には渇いた褐色のヨロイ草に覆われた土地があり、屋根が抜け落ちた廃墟が乾いた川床のそばに見捨てられたように立っていた。
道は真っ直ぐ走ればいいものをどういうわけだか、蛇が這いずったように右に左に曲がっていて、図面を引いた男の意地の悪さを感じずにはいられなかった。
「ひどい場所だ。まあ、アルベラス街よりはよし、というところかな」
「あそこは人が住める。バルブーフの砂漠はどうだ?」
「住めますよ。オアシスのそばなら」
「ん? きこえないぞ? 何か言ったか?」
「ああ、ほら。また道が曲がっている」
道の左右には放置された畑があって、かろうじて残る緑には赤く丸い実がついていた。遠くにはこの見込みのない畑の面倒を見る農夫らしい姿が見えたが、向こうにはヨシュアたちが見えず、一心不乱に枯れた作物を大きな鎌で薙ぎ払っている。
来栖ミツルがいれば、〈二〇三高地式農法〉と名づけたことだろう。部下全員を二〇三高地に突撃させ、ロシア軍の機関銃が薙ぎ払う。三分の一が死に、次の三分の一は死んだほうがマシだったと思えるような大怪我をし、そして三分の一は無傷で目標を占領するが、心には一生ものの傷を負う。とはいえ、その一生だって、あと数週間あるかどうか分からない。まだ占領しないといけない高地があるし、旅順を攻略したら、彼らは次は奉天でもっと大きな戦いをさせられるのだ。
そして、全ての殺人攻撃をかいくぐった先にわずかな作物が実る。
まあ、割りに合わねえわな、とふたりの想像の吹き出しのなかで来栖ミツルが肩をすくめて苦笑しながら消えていった。
農夫と目が合うことはなかったが、彼らの心がすさんでいることはリサークには容易に想像できた。ちなみにヨシュアにはできなかった。来栖ミツル以外の人間について、どうでもいいと思っているところがあったし、社交的な性格ではない。
社交性とは無縁のすさんだ農夫たちの心をおもんぱかるのに社交性が必要とは皮肉だが、そういう皮肉にだって寿命があるし、好みがある。
「彼らが髑髏を染め抜いた旗を掲げながら、道の真ん中で列をつくって練り歩き、出会った人間を片っ端から攻撃しないのはひとえに畑のあるせいですね。富が人に理性を与えるいい例だ」
「お前はこれを富と飛ぶのか? 見ろ、ここの土を。まるで砂だ。おれの住んでいる墓場のほうがまだいい土をしている」
「涸れた川に水車があるのを見かけるところを見れば、ここの住人は大昔に灌漑を試みたようだ。彼らも希望は捨てていないようです」
「お前はあの目を希望というのか? おれがときどき使う骸党の暗殺者たちのほうがもっと生き生きした目をしている」
「さっきからきみはわたしの言うことに突っかかってきますね。わざとかい?」
「そうだ。さっさと気づけ」
「もっとはやく気づいてあげられなくて申し訳ないですね……ところでそれは何です?」
「これはベルトだ。そんなことも知らないのか。馬鹿め」
「そのベルトに差している小型兵器のことですよ」
「これはパーカッション式リヴォルヴァーだ。ウェティアが貸してくれた」
「使い方は知っているのですか?」
「こんなふうに殺したいやつに向けて、この引き金を引けばいい」
「さっきからわたしに向かって、何度も引いているようだけど、おそらく、そこの撃鉄といわれる部品を起こさないと弾は出ないのじゃないかな?」
――†――†――†――
どっかーん……と遠方にキノコ雲が巻き起こる。
白茶けた煙は風の絶えた丘の上の大気をゆっくり動きながら膨らみ、その縁を崩していく。
ふたりはそれを見るなり、進路をキノコ雲へと変えた。
街道を無視して、土手を降り、色の抜けた葦の生える浅瀬をざぶざぶと歩く。
ふたりのブーツはほっそりとして、その革が宵の明星がかかったときの夜空にも似た藍に見えるまで、念入りに蝋油をすり込んであったので、水がなかに染み込むことはなかった。
道の代わりに歩いた涸れた川床はところどころ水が溜まっていて、大きなものでは小規模なプランテーションくらいのものがあった。
この星に落ち、レジスタンスを犯罪シンジケートに変えると決めてからだいぶ経つが、それで分かったことはこの星の発展と無知のアンバランスだった。
魔導、と呼ばれる、魔法の概念に近い力を使い、大きな船を空に飛ばしたり、都の端と端を十五分で結ぶ鉄道をつくったりする割りに、火砲の類がなかった。
これまで何度か喧嘩を売ってきた帝国軍の特殊部隊はみな複雑なレバー操作が必要な連射式クロスボウで武装していて、火縄銃やピストルは一切ない。
ヨシュアの記憶では彼とサアベドラが幼かったころからカラヴァルヴァにはまだ大変高価だった火縄銃を――今でもそれなりに高価――背負った貴族の従者が主人の馬に従って、まるで銃を発明したのは自分だと言わんばかりに自信たっぷりに歩いていた。
今では各商会が火縄式のマスケット銃とホイールロック式のピストルをそれぞれの隠し武器庫に蓄えている。
ちなみに強力だが複雑なパーカッション式リヴォルヴァーは今のところクルス・ファミリーの専売特許で、来栖ミツルはこれを広めるつもりはない。
「RPG風ファンタジー世界観がどうとか言っていたが、まあ、それはどうでもいい。大切なのはミツルが他のファミリーに広めるつもりのない武器を、いま、おれが持っていることだ」
「でも、それはウェティアから預かったものです」
「悔しいのか、リサーク? 潔く負けを認めたほうがずっと紳士らしい」
「あなたがたのいう紳士とバルブーフの紳士は意味合いが異なるんですよ」
そのうち、L字型に水が溜まった川の跡のそばに小さな村を見つけた。
どれも泥を固めた煉瓦でつくられていて、椰子やコショウのまばらな林に囲まれ、村の中心にある広場には皇帝の姿を象った機械人形が台座に飾られていて、ふたつの太陽がある角度に達するとその人形は剣を振るい、内蔵された音楽装置がギクシャクした蝉の鳴き声みたいな行進曲を流す。
「残念だが、音楽はさっき鳴っちまった。次になるのは三日後だよ」
「そんなものどうでもいい。それより、人を探している」
「だれ? というか、どんな? ここに人を探しに来るやつは多いが、その半分は死人を探す。その手の連中は仇持ちで、自分を付け狙う復讐者が死んだことを確認しないと夜も便所に行けないくらいブルってる」
「そいつらは生きている。特徴を言うなら――ひとりは転ぶと爆発する」
すると、その村人は顔を蒼くして、震え出した。
「なんてこった。あんたたち、〈ゆでたまご団〉を探してるのか?」
「なんですか、そのネーミングは?」
「おれがつけたんじゃねえ。とにかくあんたら、〈ゆでたまご団〉に逆らおうなんて考えるなよ。吹き飛ばされるぞ」
ヨシュアとリサークの脳裏にはなぜかミミちゃんののたうちまわる姿が浮かんだ。
「心配ない。おれたちはそいつと知り合いだ」
「いいか。この村には帝国の将校で〈サソリ〉と呼ばれた男がいた。情け知らずで、ほんの八歳だったレジスタンスの隊員を想像も絶するやり方で処刑して、この荒野に悪名を轟かせた。しかも、そいつはその子どもの頭を大きな壜に入れて、酒を注いで、生首酒をつくった。その〈サソリ〉が泣いて命乞いをしたが、結果はどうだ? すってんころりん、どっかーん! 爆炎がはけたら、そこには〈サソリ〉の履いてた靴だけが残ってた。もちろん、中身が入った状態でな。〈ゆでたまご団〉はすぐキレる。やつらの悪名が轟いてからも、砦がひとつ、降伏を拒んで、丸ごと吹き飛ばされたが、拒んだって言ったって、降伏勧告をして五秒後に吹き飛ばしたんだ。〈ゆでたまご団〉に吹き飛ばされたくなかったら、忠誠の証にやつらからゆでたまごを購入しないといけねえ。でなきゃ、すってんころりん、どっかーん!だ」
そのとき、三台の装甲車があらわれて、ヨシュアとリサークを囲んだ。
そのうちの一台から鉄製の蓋が開き、大きな口ひげをたくわえた帝国軍将校が姿を見せた。
「そこまでだ。おい、よそ者ども。貴様らは通行許可証を持っているか?」
「ええ。もちろん」
それは出発前、発行局の役人に左手の指を全部失うのと許可証を発行するのどちらがいいと選ばせて、獲得した(ラケッティア的に)由緒正しい許可証だった。
もともと安っぽい紙を使った許可証だったが、それを兵士に渡し、装甲車の将校に渡した。将校はそれをビリビリに破った。
「さあ、通行許可証を出せ。出せないなら、百フレアもらおう」
ヨシュアは帝都で流通している十フレア紙幣を十枚丸めて紐で縛ったものを投げつけた。
ひげの将校はそれを受け取ると、
「値上げだ。千フレア。千フレア払え!」
と、言ってきたので、リサークは百フレア紙幣を十枚丸めて紐で縛ったものを投げつけた。
「じゃあ、ひょっとして……一万フレアも払えるか?」
ヨシュアが千フレア紙幣を十枚丸めて縛ったものを取り出したあたりで、ひげの将校の防衛本能が『これだけの大金を眉ひとつ動かさず放り投げられるということは帝都のお偉いさんかもしれない。なにか特別な任務があって、このド田舎にやってきたのかもしれない』と思い、ここは下手に出ておくことにした。
「いやいや、結構でございます。あの、もしよろしければ、我々の兵舎に寄っていただけますか? どうやら、お二方は帝都からやってきたようですし、旅の疲れをとられてはどうでしょう?」
急にへらへら笑いだして、妙なやつだと思いつつも、地元の官憲なら少しは〈ゆでたまご団〉の情報を持っているかもしれないし、今夜の宿もまだ決めていなかったので、とりあえず誘いに乗ってみることにした。
「ふむ。どうやら我々を帝国政府の高官と思っているようです」
「なら、そう思わせておけ。下手を打つなよ」
「誰に向かって言っているんですか。まったく」




