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ラケッティア! ~異世界ゴッドファーザー繁盛記~  作者: 実茂 譲
星々の世界 ラケッティア宇宙へゆく編
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第六十六話 ラケッティア、最強の死亡フラグ。

 それは地上から見れば、青い空に打たれたひとつの点に過ぎないかもしれないが、実際に乗っている身からすると、命のかかった罰ゲームで、物凄い風をもろに食らって吹き飛ばされかけたり、シップの舳先が真上を向いて、なかにいるおれたちが次々と船尾のほうまで落ちていったり、たまったもんじゃない。


 あの悪魔のアロハ男によって上層速度や最高速度で大きな発展を見たシップは自分の船体の限界を試すように運航するのだが、例の巨鳥型メガリスを見つけたとき、シップのテンションは最高点まで上り、ついでにおれたちが負うリスクも最高点に達する。


「すごい! すごいです!」


「ヘイ、シップ! いや、シップさま! もうちょっと安全に運航しましょうよ!」


 例の巨鳥型メガリスははるか下にあり、敵の対空兵器が飛んでくる。

 あのペイズリーの肉塊のかなりでかいやつで、シップはそれを紙一重で避けながら、スツーカ爆撃機みたいな恐怖のラッパ音を鳴らして、メガリスの背中に急降下していく。


 うん、いまのこの危険な状況をマフィアでたとえるとどうだろう?


 ユニオーネ・シチリアーナの代表になるくらい危ない。

 シカゴのシチリア系移民たちの互助組織で裸一貫で英語もろくに話せないシチリア系移民がお互い協力して何とかアメリカで暮らしていくために1895年につくられた組織なのだが、実際はシカゴのシチリア・マフィアのフロント組織で、これの代表になるのはマフィアの世界では死亡フラグ。


 本格的な組織化で代表が任じられるのは1919年からなんだけど、1919年から1941年までのあいだに十人が代表になったが、そのうち七人が殺されてる。


 ショットガンで吹っ飛ばされたり、マシンガンで蜂の巣にされたり、バットで原形がなくなるまでめちゃくちゃに殴られたりする。


「おれ、この戦争が終わったら結婚するんだ」と同じくらいの死亡フラグなのだ。


 なんでそんなヤバい地位につきたがるのだと思うかもしれないが、このユニオーネ・シチリアーナはそのままシチリア系住民の集票マシンになっている。


 つまり、ユニオーネ・シチリアーナの代表になるということは政治的に非常に有力な立場を手に入れることになるのだ。


 またユニオーネ・シチリアーナはマフィアのフロント組織、と言ったが、最初のころはマフィアというよりは政界のフィクサー的な役割だった。


 ちょっと見てみよう。


 ああ、分かってる。よい子のパンダのみんなはなんでそんなことを今、あれこれ考えるのだと思うのだろうけど、何か考えてないと怖くて怖くて仕方ないのだ。


 もし、おれが死んだら、墓石には『ラケッティア、ここに眠る。彼は可能性の荒野にめざめたショタを甘く見て、天に召された』とでも彫ってくれ。


 では、初代代表アンソニー・ダンドレア。

 就任期間 1919-1921 1921年5月11日、殺害。


 アンソニー・ダンドレアはインテリだった。

 普通、アメリカに移住するシチリア系移民は英語はもちろんイタリア語も読み書きができない、というより、ほとんど別言語のシチリア方言のイタリア語しか話せない農民がアメリカには道に金が敷き詰められているという罪のないウソを信じてやってくるのだが、アンソニー・ダンドレアは違って、パレルモ大学で法学を学んでいた。


 大卒のマフィアなんて非常に珍しい。


 その高い教養をフルに利用して、シチリア系移民の法律相談や翻訳を行い、地歩を固め、1919年にユニオーネ・シチリアーナの代表になる。


 ダンドレアはシチリア系移民の票を一手に握り、市会議員のジョン・パワーズに選挙協力をしていたが、そのうち野心がもたげてきて、パワーズを追い落として、自分が市会議員に当選しようとする。


 1920年のシカゴでは選挙は命がけだった。

 ダンドレアはパワーズの家に爆弾を仕掛けて吹き飛ばしたが、パワーズは不在で怪我人はなかった。


 その後、パワーズ支持のイタリア系移民が何人か殺され、報復でダンドレア支持者も殺され、結局三十人も殺された末、選挙はパワーズが勝ち、ダンドレアはショットガンで吹っ飛ばされて死んだ。


 第二代代表マイク・メルロ

 就任期間 1921-1924 1924年11月8日、ガンで死去。


 ダンドレアが殺された際、マイク・メルロはイタリアを旅行中だったが、すぐアメリカに戻り、動揺するシチリア人たちを掌握し、ユニオーネ・シチリアーナの代表、つまり、シチリア・マフィアのボスになる。


 指導力のある人だが、それ以上に平和主義者だった。

 暴力ではなく話し合いで物事を解決したがるタイプであり、シカゴの暗黒街には貴重な人材だった。


 というのも、ノースサイド・ギャングのアイルランド系ボス、ダイオン・オバニオンはシチリア系マフィアのジェンナ兄弟をボロクソにけなしていて、ジェンナ兄弟もいつか目に物見せてやるといきまいていた。


 また、サウスサイド・ギャングのボス、ジョニー・トリオとその子分のアル・カポネも手入れを食らうと分かった上でオバニオンにビール工場を売られてひどい目にあい、野郎、ぶち殺してやるといきまいていた。


 そして、マイク・メルロはこの対立分子全員と良好な関係を持っていて、ひろく尊敬されていた。


 メルロはギャング戦争がカネと人命で高くつき、無意味なことを説き、オバニオン、ジェンナ兄弟、トリオとカポネのサウスサイド・ギャングのあいだで戦争が起こるのを防ごうと努力した。


 ところが、メルロはガンに侵されていて、余命がなかった。


 1924年11月8日、ガンで死去。

 殺されずに天寿を全うした三人のうちひとりである。


 そして、メルロが死んだ二日後、ノースサイド・ギャングのボスだったダイオン・オバニオンがトリオ、カポネ、ジェンナ兄弟に殺され、ノースサイド・ギャングはその報復にトリオを襲い、瀕死の重傷を負わせる。

 トリオから組織を引き継いだアル・カポネが機関銃と野球のバットでシカゴに前代未聞の流血騒ぎをもたらすのはそれから間もなくだった。


 第三代代表 アンジェロ・ジェンナ

 就任期間 1924-1925 1925年5月27日、殺害。


 ここからユニオーネ・シチリアーナの代表の殺害ラッシュが起こる。


 ユニオーネ・シチリアーナはマフィアのフロント組織だが、一応政治組織としての体裁を繕っていた。


 ところが、このアンジェロ・ジェンナはジェンナ兄弟の末っ子で、弱冠二十歳。

 トリオとカポネがこの人事に賛成したと言われている。


 ちなみにこのアンジェロ、あだ名はブラッディ・アンジェロである。


 血みどろ、なんてあだ名の若造がトップになった時点でユニオーネ・シチリアーナの無法者集団化が進んだのは言うまでもない。


 ただ、ジェンナ兄弟はノースサイド・ギャングと抗争状態になっていて、アンジェロはロードスターを走らせているところを殺されたダイオン・オバニオンの手下たちに狙われ、ハンドルにかじりつきながら撃ち返し、最後は街灯にぶつかったところで、背中を散弾で撃たれて死亡した。


 ジェンナが代表だったのは半年にも満たなかった。


 第四代代表 サムーツ・アマトゥーナ。

 就任期間 1925 1925年11月13日、殺害。


 ジェンナ兄弟は別名、テリブル(恐怖の)・ジェンナと呼ばれているのだが、本当にろくでもない連中だった。


 こいつらのつくった密造酒を飲むと目がつぶれ、最悪死んだ。

 シチリアはマルサラの出身のくせにネズミの死骸が浮いてるみたいな粗悪なウィスキーもどきをつくり、同胞に売り渡して月に三十万ドルを稼いでいたという。


 七万ドルが現在の百万ドルくらいの感覚だから、相当な稼ぎだ。

 この資金で警察と政治家を買収し、にっくきノースサイド・ギャングだけでなく、カポネにも挑戦しようと思ったのだが、アンジェロの死後、兄弟の五男、マイク・〈ザ・デビル〉・ジェンナが警官と撃ち合って死亡し、兄弟のブレーンだった次男のアントニーノ・〈ジェントルマン・トニー〉・ジェンナがノースサイド・ギャングの報復で殺害されると、残った兄弟は大したことのない連中であり、慌てて逃げ出し、シカゴを出た。


 そして、ジェンナ兄弟の副官だったサムーツ・アマトゥーナが縄張りとユニオーネ・シチリアーナの代表の地位を継承する。


 が、就任の半年後、ガールフレンドとオペラのアイーダを見に行こうと、まずローズヴェルト・ロードの理髪店でひげをあたり、爪の手入れをしようと床屋の椅子に座ったところ、ノースサイド・ギャングのふたりが襲撃して、アマトゥーナの胸に二発撃ち込んだ。


 第五代代表 トニー・ロンバルド

 就任期間 1925-1928 1928年9月7日、殺害。


 また殺害である。ほんと、この職には就くものではない。

 ただ、前任者ふたりが半年足らずで殺されたことを考えると、トニー・ロンバルドは三年の長期期間である。


 もともと、カポネと近いシチリア系マフィアで、一説にはカポネの相談役コンシリエリだったと言われている。


 当時、シカゴのシチリア系マフィアはこのロンバルトともうひとり、ジュセッペ・アイエロという有力なマフィアが率いていた。


 アイエロも最初はカポネと良好な関係を築いていたが、カポネは勢力を急速に拡大すると、シチリア系マフィアの人事に口を出すようになり、アイエロと対立することになる。


 そもそも、カポネはナポリ系だから、シチリア人のみで構成されるマフィアに口を出す権利はないというのがアイエロの主張だった。


 アイエロはニューヨーク、デトロイト、バッファローのシチリア系マフィアと強いつながりがあり、カポネと言えど、すぐにどうこうできる相手ではなかった。


 一方、代表のロンバルドはユニオーネ・シチリアーナに大改革をもたらそうとしていた。

 シチリア系以外のイタリア人、つまり、ナポリやカラブリア出身のイタリア系移民にも門戸を開こうとしたのだ。


 また、ロンバルドはユニオーネ・シチリアーナを本来の形である集票組織に戻そうとして、アイルランド系アメリカ人とも同盟し、より有利に選挙に関われるようにした。


 アイエロのようなこてこての排他的なシチリア系マフィアからすると、前代未聞のことでロンバルドとの対立、すなわちその後ろにいるカポネとの対立は防げないように思えた。


 しかし、ロンバルドの身になって考えてみてほしいのだが、前任者四人のうち三人が殺されているユニオーネ・シチリアーナ代表を殺されにくいものに脱皮させようという努力が垣間見えないだろうか。


 それに自分の就任期間も三年になり、マイク・メルロと並んでいる。


 ひょっとすると、もうユニオーネ・シチリアーナ代表は死亡フラグではなくなったのかと希望を持ちたくもなるだろうが、そうはならなかった。


 1928年9月7日、残暑厳しいシカゴの街をカンカン帽をかぶり、ふたりのボディガードを連れて歩いていたロンバルドは銃で武装した一団に襲われ、ボディガードひとりとともにダムダム弾を食らって斃れた。


 犯人はアイエロ一派とノースサイド・ギャング。

 本来、対立していたはずのふたつの組織はカポネに全面戦争を仕掛けるべく同盟したのだ。


 それに対し、カポネはノースサイド・ギャング五人とたまたま居合わせたふたりのカタギをマシンガンで薙ぎ倒す悪名高き『セント・バレンタインデーの大虐殺』を仕出かす。


 一般的にセント・バレンタインデーの大虐殺と言われると、お菓子業界の策謀に身も心も傷つけられた陰キャたちの悲劇のようにとられるが、マフィアの世界ではこっちが常識。


 第六代代表 パスカリーノ・ロロルド

 就任期間 1928-1929 1929年1月8日、殺害。


 また就任半年。代表職はいよいよ危険なものとなりつつあるが、ロロルドは平和を求めるタイプのボスだった。


 カポネの信任があつく、1928年に行われたクリーヴランドのマフィア・サミットにも代理で出ている。


 もっともそこで取り上げられた議題はシカゴでの殺し合いがどうにかならないのかというものだった。


 ロロルドは平和を模索し、アイエロやノースサイド・ギャングとも話し合いのテーブルを自宅に用意したが、その席で撃ち殺された。


 ロロルド夫人はマフィアの妻らしく、警察には犯人を見ていないと言ったが、アイエロが絡んでいるのは間違いがなく、カポネはいよいよ頭に来て、アイエロを追いまわし始める。


 第七代代表 ジュセッペ・ギンタ

 就任期間 1929 1929年5月7日、殺害。


 カポネの太鼓持ち的存在だったギンタだが、ユニオーネ・シチリアーナ代表につくや否や、カポネを裏切る算段をつけ始める。


 カポネが抱えているシチリア系の殺し屋ジョン・スカリーゼとアルバート・アンセルミを抱き込んで、クーデターの準備も着々と進んでいたが、ある日、カポネは三人を食事に呼ぶ。


 なかなか豪華な宴会で、カポネは三人を実によくもてなし、裏切りのことなど全く知らないように思えた。


 同時代人がカポネについて思い出すとき、パーティのホストとしてあれほど最適の人はいないという。

 お祭り好きでおしゃべりなナポリ人らしく、カポネも人をもてなすことが大好きだったのだ。


 ただ、その一方、カポネについてのもうひとつの評価、それは上機嫌から大激怒への豹変がすさまじいというものだ。


 このときもそうだった。

 山海の珍味でギンタたちをおもてなししたカポネは突然ブチ切れて、この裏切り者どもが!とわめきながら、三人を野球のバットでメチャクチャに殴りつけたのだ。


 カポネは三人をバットで滅多打ちにし、トドメに銃弾をぶち込むと、裸に剥いた死体を町外れに捨てた。


 第八代代表 ジュセッペ・アイエロ

 就任期間 1929-1930 1930年10月23日、殺害。


 さて、ギンタが殺されると、カポネの宿敵アイエロがユニオーネ・シチリアーナ代表の地位を強奪。


 こんな死亡フラグを自分から欲しがるやつの気がしれないが、アイエロにはニューヨークのサルヴァトーレ・マランツァーノ、デトロイトのガスパレ・ミラッツォ、バッファローのステファノ・マガディーノがいる。


 ところで、このあたりからニューヨークでのマフィアたちの動きが怪しくなる。


 ジュセッペ・マッセリアとサルヴァトーレ・マランツァーノのあいだで戦争が起き、それがあちこちの都市に飛び火した。


 デトロイトのミラッツォが殺され、アイエロはマランツァーノを支持すると、対立ボスのマッセリアがカポネに肩入れをし始めた。


 このころになると、カポネもマジ切れしており、アイエロはいつのまにか防戦一方になる。

 人間、追いつめられると、FXとか変な奇策に走って、状況を悪化させるのだが、アイエロもそうだった。カポネのお気に入りのレストランのコックを一万ドルで買収し、カポネの食事に毒をもらせようとしたのだ。


 コックは前払いで報酬の一万ドルをゲットすると、アイエロの企みをそのままカポネに通報した。


 カポネはアイエロに死刑宣告をして、アイエロの手下を皆殺しにした。

 アイエロは進退窮まって、とりあえず安全な場所として何かの軽犯罪で警察署の留置場に逃げ込んだ。


 すると、カポネはシチリア系の部下ルイス・カンパーニャをその警察署に送り込み、銃を見せて、銃の違法所持で逮捕させた。


 カンパーニャはアイエロの隣の牢屋にぶち込まれると、シチリア方言のイタリア語で何か言い始めた。

 カンパーニャもアイエロも警察にシチリア語を分かるやつはいないと思ったのだろうが、なんとシチリア系の警官がいて、そいつが何も知らないふりをしてふたりの会話をきいた。


「お前は終わりだ。分かるか? 終わりだ。もうお前に安息の地はない」


「シカゴを出る。シチリアに戻る。だから、それで許してくれ」


 アイエロは追い詰められ、結局シカゴを出るハメになった。

 同盟相手のバッファローのマフィアであるステファノ・マガディーノのもとに身を寄せたが、そのうちカポネが司法機関とトラブルになっているという噂をききつけ、捲土重来を決め込んで、シカゴに戻った。


 みな絶対にやめておけと言ったが、アイエロはシカゴに戻り、また戦争を仕掛けようとしたが、まったく歯が立たず、隠れ家から隠れ家に逃げまわるハメになった。


 今度という今度は懲りたアイエロはいったんテキサスへ逃げ、そこからメキシコ経由でシチリアに帰るときめた。


 この隠れ家は絶対大丈夫だと思い、外に待たせた車に乗ろうとすると、向かいの建物から機関銃が火を吹き、アイエロを蜂の巣にした。


 カポネはアイエロが隠れていることをとうに知っていて、手下を待ち伏せさせていたのだ。


 結局、これがカポネに歯向かう最後のシチリア人の抵抗となり、ノースサイド・ギャングもあらかた片づけられて、シカゴはカポネの天下となる。


 第九代代表 アゴスティノ・ロヴェルド

 就任期間 1930-1934 1934年、引退。


 この人については殺されていないという他に分かっていることはない。


 第十代代表 フィル・ダンドレア

 就任期間 1934-1941 1941年、組織解体。


 カポネの子分であり、初代代表アンソニー・ダンドレアの甥である。

 このころになると、市会議員の座をめぐって殺し合うとかそういう馬鹿げたことはしなくなる。


 カポネが脱税でアルカトラズ島に収監されると、サウスサイドギャングはシカゴ・マフィアであるアウトフィットという組織に模様替えをする。


 基本的にマフィア組織がシカゴの犯罪を支配することになると、いまさらシチリア人のフロント組織など必要ないということになり、ほとんど有名無実化した。


 それにシチリア系移民も普通に英語の読み書きができるようになっていたし、なんだかんだでアメリカ化していく。


 力のない移民が寄り添って組織をつくるという必要性がなくなったのだ。


 と、まあ、このようにユニオーネ・シチリアーナの代表になることに比べれば、ハッスルしたシップの無茶ムーヴなんて、大したことない。


 たとえ、メガリスの背中に舳先から突っ込んで、イスラントとジャックが敵艦に飛び込んで白兵戦を展開しようとしていても、ユニオーネ・シチリアーナの代表になることに比べれば、どうってことはないのだ。

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