第五十六話 ラケッティア、フレッド・アステアなら大丈夫。
赤線地帯のナンバーワンお嬢の背には背びれがない。
魚竜って背びれがあるもんだと思っていたのだが。
だいたい、ほら、背びれがないとジョーズみたいな海面から突き出る背びれの恐怖が演出できないじゃないですか。
まあ、この星、陸にいるのはマッドサイエンティストの樹人だけだけど。
そんなわけでお嬢の胸びれに掴まって、敵のメガリスへ突入。
いやあ、すげえのなんの。
火力、というのとは違うが、装甲兵器に対する破壊力で言うなら、アレンカ並み。
海底の要塞から次々と帝国海軍の兵器が出てきて――そのうち三分の二は自爆特攻兵器だったけど――ヒレで叩き落す、くわえて噛み潰す、でかくて丸い図体で木っ端みじんにする。
敵の総司令部があるニコラ・テスラの発明品みたいなデカい電極塔に激突直前、敵司令官カピアさまの魅力増幅ビームみたいなものが飛んできた。
カピアさまは敵の四天王の紅一点らしいが、ふん、うちのガールたちのほうが百倍かわいい。
かわいいはずなのだが、おれは魅力増幅光線の光の帯のなかで、なんとメロメロになってしまったのだ。
そして、現実だか夢だか分からんところに放り出されたと思ったら、アメリカの場末の酒場にいた。
――†――†――†――
相変わらずアル中の元警官は四リットル入り特大ペットボトルから壜に注ぎ変えられているジム・ビームのホワイトラベルを飲んでいて、近くの基地の軍人を引っかけるつもりの娼婦が店に入ってきたが、店主のオヤジがうちで客を取るんじゃねえと叩きだした。
ハスキーボイスのシンガーソングライターが歌い終えた。袖から見える蒼白い腕に紫に変色した点々――注射の跡がいくつも残っている。
ヤク中と判断するのはまだはやいかもしれない。
トウガラシ入りの水を吸わせた注射針を刺せば、あんな感じの点々ができる。
場末の暗い酒場で、自分を捨てた男を撃ち、飛ばした車でコンクリートの壁に激突して死んだ女のどうしようもない失恋を歌っているシンガーソングライターだからといって、これみな全てヤク中とは限らない。
「フレイ、ここを出よう」
「それは不可能です、司令」
フレイが辛そうにうつむいた。
「出られる。思うにこれはおれの夢だ。なら、おれの思い通りになるだろう?」
「ここは司令の夢のなかではありません。いえ、正確には半分当たっているのですが――説明が困難です。……とにかく、この店から出ることはできません」
おれはポケットをまさぐり、干したグラスのそばにくしゃくしゃになったドル札を放り出した。
ウッドロー・ウィルソンの顔が印刷された100000ドル札。
1928年に一度くたばり、1964年にプレミア付きで復活した伝説の紙幣。
そいつをテーブルの上に丁寧に伸ばしてやった。
「ほら」
フレイの手を取る。
酒場のオヤジは何も言わない。ケツ持ちさせてるスラヴ系ギャングに電話するわけでもない。
店を出る。ラッキーストライクのネオンサインが目に入った。
雨が止んだばかりのスラム。マンホールから沸き立つ謎の湯気でぼやけた光。
それに怪しげな質屋が通りの向こうにあり、バーを追い出された娼婦がオールズモビルのバンの運転席にでかいおっぱいを乗せるようにして、客と交渉している。
ああいうバンがFBIの盗聴本部だったりする。
マフィアたるもの気をつけないといけない。
まわりに変なやつはいないか?
自分の襟に話しかけてるやつや怪しげなアンテナの立った電気屋のバンや通りの向かいの二階の窓から見えるカメラのレンズ。
コミッション裁判のとき、連邦検事だったルドルフ・ジュリアーニはボスたちの好みに通じていた。
お気に入りのレストランのお気に入りの席、お気に入りのジャガー、お気に入りのファック部屋。
全部に盗聴器を仕掛けて、ニューヨーク五大ファミリーのボスたち全員を起訴した。
ただ、ボスたち五人のうち、ふたりは既にぶち込まれていたし、ひとりは――まあ、ポール・カステラ―ノのことだが、これはジョン・ゴッティのクーデターで殺された。
このコミッション裁判で一番の打撃を受けたのは、シャバで現役のボス、アンダーボス、相談役のトップ3を一度にぶち込まれたルケーゼ・ファミリーで、これが五大ファミリーの優等生的存在だったルケーゼ・ファミリーにとんでもないトラブルを持ち込むことになったのだが、それを説明する前に足元にぶつかったビール缶に気づいた。
見たことのないビールだ。メキシコから輸入した地ビールでもない。
銘柄はカピアさま。見れば、缶の図柄のなかには敵の四天王のひとり、カピアさまが閉じ込められている。
どうしたもんかなと思っていたら、アメリカを代表する車がやってきた。
フォード? ちゃうちゃう。 キャデラック? ちゃうちゃう。
ホームレスの婆ちゃんが押すアルミ缶満載のスーパーのカートだよ。
これがいまのアメリカを象徴する車。
婆ちゃんはこれからこの山と積まれたアルミ缶を小銭に変え、ジム・ビームの小瓶を買うのだ。
おれはカピアさまの缶を婆ちゃんのカートに入れた。
婆ちゃんは足を止め、缶を手に取り、じっと見たが、突然すさまじい怪力を発揮して、その缶を縦に握りつぶしてしまった。
まあ、手足を折られた上、翼人たちの爪で生きたままズタズタに切り裂かれたルハミさまよりはマシな最期だ。
「あの、司令」
フレイは目をぱちくりしている。
「どうして外に出られたのです?」
「アメリカ合衆国ドルは無敵だぜ、とだけ答えておく」
「流通紙幣アーカイブ。中央銀行決済用高額紙幣を上書きします」
おれは笑った。
「どうかしましたか、司令?」
「アーカイブ。久しぶりに笑った。なんか、それをきくと、ああ、フレイがそばにいるんだなって気になれる」
少し顔を赤くしたフレイはちょっとうつむいて、これからどこに?ときいてきた。
「実はあんなふうにかっこつけて、見栄張ったけど、デートプラン、全然考えてなかった」
「ならば、偵察を。ここから先はわたしにも未知の空間です」
「じゃあ、偵察をしようか」
おれとしては映画でも見ようという気になっていたが、アメリカの場末街の小さな映画館にかかるのはだいたいノーマル・ポルノかゲイ向けポルノだ。
ピンクの電光がバシバシ光るボンテージ専門店だの、生活保護の食料クーポンを換金する謎の事務所だの、南部連合旗をドアに貼りつけたポンプアクション・ショットガンをフルオートに改造してくれる頭のいかれたガンショップだの、ろくな店がない。
一ブロックくらい離れたところから、バン!と大きな音がした。
車のバックファイアと信じたい。
フレイはこれがおれの夢ではないと言っていたが、それを信じたくなった。
おれの深層心理がこれってどういうことよ?
そんなとき、古風な映画館の派手なネオンの張り出し看板、フレッド・アステア主演の文字が。
やった! この戦、勝った!
溺れるものは藁をもつかむというが、フレッド・アステアなら沿岸警備隊一個中隊が来てくれたようなものだ。だって、フレッド・アステアだもの。
「ここにしよう。フレイ。ここなら絶対大丈夫」
映画の内容は頭に入らなかった。
おれたち以外に男がひとりいるだけで、そいつがストローでうるさい音を立てながら栄養添加コーラを飲んでるのが気になって、しょうがなかった。
「これはいい映画です。司令」
「うん。あれだけ足が長くて、スタイルよかったら世界が違って見えるんだろうな」
「そうかもしれません」
「……うん」
自分で言ったことだけど、なんかへこんだ。
「司令」
「ん?」
サイバーパンクなグローブに包まれたフレイの手がおれの手を握る。
「現在のステータスを正確に報告してもよろしいでしょうか?」
「それ、本音を話すってこと」
「――はい」
「うん。いいよ」
「――助けに来てください。司令のもとに、戻りたいです」




