誰が真なる獣なりや?
一瞬即発の気配も、射殺さんばかりの殺気も、まるで感じないかのように振る舞う"博士"。彼のことだから、そのような受容器は最初から搭載されてないかもしれないと、訳知る者たちは推察する。
ポンポンと手を叩いて、全員をたしなめるように言う。
「はいみんな、もう遅いから家に帰ったらどうだい? 親御さんたちが心配するよ。ジュディくんも先に研究所へ戻っててよ。もうすぐ夕食の時間だからね」
「はっ!! そうだったっす、今夜は私が超野菜たっぷりのシチューを作ることになってました! って、そんなの言える状況じゃないけども……うわっ、怖い顔でこっち見ないでくださいよあばばばばば」
ジュディの発言で退路を見出したとばかりに、オーガスタとメイは目配せし合った。順番に別れの言葉を口にし、家路につく。ジュディも離脱した結果、この場にはエイプル母娘と博士だけが残された。
「聞こえなかったのかい? 君たちは家に帰るべきだ。久しぶりに家族が揃ったんだし、オリバーさんも待っているだろう。積もる話があるはずだよ」
「っ、黙れ!! おまえを……おまえという存在を見逃せるわけないでしょ!?」
「お母さんもうやめてよ! 博士が不死者なのは私たちも知ってる。でも、とってもいい人なんだよ!? "獣除けの陣"を作って、町を守ってくれた!」
エイプルの弁明にもハナは気を許さず、博士から目を離そうとしなかった。腕を引いて母を引き離そうとするも、逆に手首を掴まれてしまう。
「どうせ、多大な犠牲を出して得た成果でしょう? おまえのやり方は大昔からずっと変わっていない。山奥のここを選んだのだって、人を手にかけても目立たないから……」
「君も人の親だというのなら! 僕に構うより先に、やることがあるんじゃないかい?」
休ませてあげてよ、そう博士はエイプルを見て言った。彼女たち親子は、突然の再来からずっと、家族らしい会話もない。
「……そうね。行くわよ、エイプル」
「え……おかあ、さ」
「早く、この町を出るのよ」
手を振りほどくこともできず、引きずられるようにしてその場から離される。
博士に助けを求めるも、彼は瞑目し、踵を返して歩き出した。ハナとは互いの正体を看破したようだったが、知り得た事実を話すことはなかった。まるで、家庭の事情には口を出せないと言うように。
状況を理解できず、母のなすがままだったエイプルは、向かう先が家ではなく、街道に出る方向なのに気づく。
本当に、自分を連れて町を出るつもりなのだ。
「やめてよ! お母さん、私この町から出て行きたくない!! こんなの嫌っ、お父さんだって望んでないよ!!」
「オリバーなら私の言うことをわかってくれるわ。早く拠点を移さないと……」
「お母さんはずっと帰ってこなかったから誤解してるの! 博士のおかげで町は守られてる! カーレル・シズネ町は、お父さんたちが頑張って大きくした町なんだよ!? たくさんの人たちが幸せに暮らしてる。私にとっても大切な町なの!! ずっとここにいたいの!!」
「不死者なんかと同じ土地に住めるわけないじゃない! ここだって、どうせろくな町じゃないわ!!」
悲痛な叫びとともに、エイプルは母の腕を振りほどく。
ただでさえ乱れていた心はもう限界だった。目の前の不都合な光景から逃げたかった。向かい合う気の無い母と、これ以上話したくなかった。
「こんなことなら……もう会えなくてもよかった! お母さんなんか、帰って来ない方がよかった!!」
涙を振り散らし、エイプルは夜の町に走る。待てと怒鳴る声も、捕えようとする手も、無我夢中で振り切って逃げた。
故郷から離れたくない。けれど、父の待つ家にも怖くて帰れない。
ただエイプルは、どこへ続くかわからぬ道より、見知った町の闇の中を選んだ。
◇ ◇ ◇
戸口で深々と礼をし、講義の感謝を述べる二人の少年。その声にかぶせるように、家主は話がいつもより長引いたことを詫びる。聡明な彼らに興が乗り、つい話し過ぎてしまったと。
街灯と家屋の明かりが照らす町を二人の少年……ウェザーとクィンは足早に歩いていく。その姿が夜に溶けていくまで、オーガスタの父、ロレンゾは目を細めて見送った。
「どうぞ中にお入りください、あなた。夕食の用意はできておりますわ。もうすぐオーガスタも帰ってくるはずでしょう」
「ああ。すまないね。講義に熱中してしまい、任せきりにしてしまった」
「いいえ。むしろ喜ばしいことですわ。お声に以前のような張りがありました。少しでも気力を取り戻せたようで何よりです」
「そうかな……もし、そうだとしたら、彼らのおかげだよ」
微笑む妻の様子に、ロレンゾは再び夜道を振り向く。すでに少年たちの姿は見えない。
彼らが、国政について話を伺いたいと訊ねてきたことがきっかけとなり、定期的に講義を行うようになった。生徒がたった二人だけの私塾だが、利発な彼らと論じ合う事はロレンゾにとって喜ばしく、久しぶりに国の未来へ希望を抱かせるほどだった。
ウェザーとクィンはともに軍へ推薦をもらい、そして丁重に断っていた。
彼らが目指すのは政治家としての道。国の中枢へのし上がる進路を選んだのだ。
カーレルとシズネ、二つの子ども勢力の長として張り合った彼らだが、帰りの道中ではわだかまりなく並んで歩く。先の剣術大会で雌雄を決してから、両陣営の確執はゆっくりと解消されていった。
教会図書館の子どもたちも学校に通うようになり、教師であるオータムの熱意を浴びた。国からの支援を復活させるため、軍に行くつもりだったクィンも、新たな道を志すようになった。
「それにしても、よく元議長に教えを乞おうなどと考えられるものだ。今の議会には、例外なく腑抜けしかいないと推察していたではないか」
「あの人は不運だっただけだ。平常の時勢であれば、何の問題もなく国政を担えていたことだろう」
「確かに、"黒き獣たち"の騒動は手に余ったようだな。しかしながら、この国は他国と比べても悪手を選びすぎた。民意が議会から離れたのも納得できる。信頼を取り戻す前に政治体制が崩れたとて、俺は驚かんぞ」
「だが、まだ取り返しがつく。他国にはない、"対獣"への切り札があるからな」
「戯言を。そんなものがどこにある?」
「ここだ。この町が希望なんだよ」
クィンは立ち止まり、肩をすくめて笑った。以前にもこの考えを聞かされていたが、夢物語と一笑に付していた。ただ、共に講義を受け論じ合ううちに、意見を軽んじることは無くなった。
政界への進出を目指す二人だが、求める方向は違う。
「そこまでこの町に拘るか。おまえが郷土愛に身を捧げる男だとは思えんが」
「何とでも言え。おまえこそ、国を変えたいのはわかるが、リーネねーちゃんの絵本を全学び舎に設置するって野望はなんなんだよ」
「大義を成す上での、ささやかな野心に過ぎない。それに、当然の配慮だろう? リーネちゃんの絵本は情操教育に善い。すべての国民が読むべきだ」
「いや、ふざけてんのか?」
軽口を叩き合う中、誰かが風を切って走る音と、赤茶色の髪を街灯の端に認めた。区画を一つ挟んだ通路に、一瞬だけだが、走り去る少女の姿を見た。
「今のは、リーネちゃんのご友人のひとり……」
「……エイプル、ねーちゃん?」
長年同じ町で、本当の家族のように育った間柄だ。ウェザーがエイプルを見間違えるはずもない。全力疾走する彼女に追いつくには、間髪入れず行動を起こさないといけないことも知っていた。
駆けに駆けてついに息切れし、やっと足を止めたころにはもう、エイプルは街道から真逆の位置、森の近くまで行き着いていた。
体力が尽きても涙は枯れることはなく、しゃがみこんだ場所に滴の跡が散る。
ウェザーが追いついたのはちょうどそんなとき。見つめ合う少年少女を、秋の月明かりが照らす。
「う、うぇ、ざぁ……うあああああ! あああああ!!」
縋って泣くには幼い身体であるが、ウェザーはエイプルの腕を避けず、泣き声が止むまで受け止め続けた。
「ウェザーは、大きくなったら何をするの?」
「この町を大都市にしたい。世界にも誇れるほど、安全と希望のある町を作る。首都なんかとは比べ物にならないくらいのな」
「……じゃあ、ずっとこの町にいるんだね」
「ああ。俺のいる場所はここしかない……ここにするって、もう決めた」
二人並んで地面に座りながら、この先の未来について話す。ウェザーの望む道は政界に繋がるも、クィンとは異なる方向。
カーレス・シズネ町を発展させる内政者として、生涯を賭けるつもりなのだ。
エイプルは立派に成長したウェザーの姿を想像した。彼が統べるこの地を、町と呼ぶには狭すぎる。いっそ"王国"と称してもいいかもしれない。そのような壮大な望みを語り口から感じ取った。
自身もその場所で暮らしていきたいと思った瞬間、エイプルの胸にあたたかいものが広がっていく。
「うん。うん……ウェザーらしい、すてきな夢だね。教えてくれてありがとう。なんだか、とっても安心した気がする」
「変なこと言うぜエイプルねーちゃん。自分だけ進路が決まらなくて悩んでるって聞いていたが、ここは普通、焦ったりするもんじゃないのか?」
「そんなんじゃないの。私のはちょっと、未来のことっていうより、わがままで子どもっぽいことにくよくよしてただけなんだから」
やっと自然に笑えるようになったエイプルだが、家に帰らないのかという少年の問いには、はっきり答えられなかった。
帰れば母が待っている。この町を危険と断じ、自身を連れ去る気でいる。その意志と力に反抗できるか、正直自信がない。
けれど、今だけは。
この少年の隣にいれば、答えのようなものが掴めると思った。
「私も、ここがいい……そういえば、思い出したよ。この町を守りたいって考えるようになったのはウェザーがきっかけなんだよね」
「はあ? また変なこと言い出しやがって」
「ねえ覚えてる? ずっと昔にさ、なんでか忘れちゃったけど、あんたすごく泣きべそかいてたことがあって、それ見て私が守らないとって思ったんだ。実際、そう言ってあげたらちゃんと泣き止んだし」
「……悪いが、まったく覚えがないな。ねーちゃんが捏造した記憶じゃないか?」
「ええーそんなことないもん! 絶対あったことなんだってば!! あはははは!」
地面に背をつけ、服に落ち葉が絡まるのも意に介さず、エイプルは夜空を仰いだ。ウェザーと話すことで、なぜだか初心を思い出せた。初めてこの町を愛おしく感じた思い出に、彼の存在は深く関わっている……気がする。
「この町にずっといるっていうんなら。私も、あんたをずっと守ってあげる。どう、うれしい?」
おどけた言葉に反発するかと思いきや、ウェザーは素直に受け止めた。
心の底から充足したように頷き、年相応に幼い笑みをこぼす。
「ああ。守ってくれよ、ねーちゃん。ずっと、俺を……」
鍋の中身を掻き回しながら、ジュディは家主の帰りを待っていた。近くの机で何やら作業中のぬいはかせに時折指示をもらいながら、彼女の言う"超野菜たっぷりシチュー"を調理していた。完成が近づくにつれ、言動も興奮を帯びていく。
「やっべえええ! やばいっすよこの鍋!! まったく水入れてないのに、具材入れて火にかけただけでいつの間にやらシチューになってるっす。もはや野菜だけでできてると言っても過言ではないのでは!? 博士は節水の魔法でもかけたんすか?」
「大きい僕がわざわざそんなことをするわけないよ。それはただの気密性が高いだけの鍋だって。こうやってちゃんと調理すれば、野菜だけの水分で汁物が作れるんだよ」
「ほーん、キミツセイという術の力でこんな……あっ! 博士、お帰りなさいっす!」
「うん……ただいま」
どことなく疲れた様子の博士を労うように、ジュディは彼を食卓に座らせ、手際よく夕食の準備をする。同時に、急ぎだから食べながらでも聞いてほしいと、ぬいはかせが書類の束を抱いて喚く。
「そういや、ぬいはかせはさっきからたくさんの紙と戯れてたっすけど、いったい何してたんすか?」
「世界中にいる"他の僕たち"からの研究報告をまとめてたんだよ。ある獣について、気になることがあってね。それに近い主題で研究してる僕に質問を送ってたんだけど……」
"ぬいはかせ"、布と綿で構成された博士のように、不死者である彼は自身の体と魂を複製し、それぞれの研究に勤しんでいる。時には他の自分へ質問するなど、交流もある。
今回投げかけたのは、"ある獣"……否、"彼"についての発生条件と特徴についての問い。だが、報告を受け取った博士は、読み進めるうちに固まってしまった。
手に持ったままの匙から雫が落ちそうになり、ジュディはハラハラしながら見守る。
「セレスフェルドにいる僕の研究課題は、人の獣化についてだったはず。でも、この結果から分かる特徴は"堕天者"と一致していない。もし本当に獣に変異してしまったら、会話できるどころか理性すら失うはずだって?」
「抵抗できる分の魔力があることとか、狂人並みの意思の強さを持ってるとか……条件が合えば近しい獣ができるかもしれない。けど、そんな素質をもつ常人なんて、めったにいないよね」
思いがけない結果に、ただでさえ浮かない表情を曇らせる博士。もとは同一存在からの報告ゆえ、膨大な情報も数秒で取り込むことができる。しかし、最後まで理解した内容に、欲しい結果はなかった。
「もっとこの事象に詳しい僕は? これまで同じような事例に遭遇した僕はいないかい? ここまで特殊な個体だったのに、どうして"堕天者"の名をあてただけで放置していたんだ!?」
「自分に対してこんなこと言いたくないんだけど……残念ながら"その僕"は研究をうまく続けられなかったんだよ。結果を出せなかった僕がどうなるかなんて、聞くまでもないじゃないか」
両博士とも項垂れる様子を見て、さすがのジュディも悲しくなって食事を止める。
「ちょっ、なんすかもう! わたしなんか勉強とか、日常においてもうまくいくことの方がまれっすよ! そんなわたしより格段に頭いい博士が、研究に失敗したからって、何だっていうんすか?」
「研究に行き詰った僕は、もっと有効な結果を出している僕の資材になるんだ。それまで起動していた機体もろともね。活動の過程で不要と判断されたものはすべて廃棄される。真っ先に日常の記録や、感情を……」
いくら自分を増やしたとて、資源と時間は有限だ。やるべきことには常に優先順位がある。
競争に勝ち続け、行動停止となった数多の機体の上に立って研究を続けている。"博士"とはそうやって成り立った不死者なのだ。
今、カーレス・シズネ町にて活動する彼も、幹から分かれた枝の一つ。いつ切り落とされても文句は言えない……はずだった。
研究を成せなかった博士の末路について、ゆっくりと理解したジュディは、泣きそうになりながらも匙を咥える。同じ料理を味わう意味が、変わっていくのを感じる。
もしも、彼が研究を成せなかった場合、真っ先に処分されるのは、このような何事もない日々の記憶なのだ。
感傷に浸りながら食事を続けるジュディと、もう少し情報を集めてみるよと資料室に向かった小さい自身とは別に、博士は堕天者の考察を深めていた。
過去に接触があったのは間違いない。けれど、どの自分がどうやって遭遇したのか、今となっては記録も辿れない。
不自然な引っ掛かりと感じたまま、険しい顔で片眼鏡を掛け直す。次に会った時、できれば彼のすべてを識りたいと願うも、少女たちの安全を考えると躊躇してしまう。
博士の感知機能が、目当ての"彼"の再来を伝えたのは、ちょうど心が迷いに染まっていた頃。
月と星の瞬く、明るい夜の出来事であった。
◇ ◇ ◇
速報を受けたジュディは、残りのシチューをかき込んでから出動した。博士はメイとオーガスタにも急いで知らせを送ったが、エイプルには伝えるべきかと迷った。
彼女もまた大きな戦力の一つ。皆のため強敵との戦いに参戦してほしい。けれど、時期が悪かった。
諦めていた母との再会を果たしたのだ。その上、彼女たちは家族で共有すべき秘密がある。話し合いは一晩で収まるだろうか……
そう思いを馳せた直後、背後に剣向けられたのを感じとった。あまりの間の悪さと情のなさに、博士は久方ぶりの激情……怒りを覚えたほどだった。
「君!! どうして家に帰らなかった? なぜ、エイプルと向き合ってあげなかったんだ!?」
「うるさいっ! おまえのような不死者を、みすみす放置しておけるか!!」
「それが母親として選んだ判断だとでもいうのかい!?」
エイプルの母、ハナは早々に娘を追うのを諦め、博士の住居を探して乗り込んだ。母親としてのあり方を問う声を切り捨て、脅威と認めた存在のみに対峙する。
子どもたちが席を外した今なら、何の配慮もなく大人の話ができた。
「私たちはおまえのような厄災から、無垢の人々を守る義務がある! いい加減答えろ!! ここで何の研究をしている!?」
「そんなに仕事熱心なのに、掟は平気で破ったんだね。今代の"女王蜂"は何を考えているんだか……さっきは黙っていたけど、本当はハナって名前すら嘘だろう?」
振り向いた博士は無機質に指摘する。出会った当初から、彼女の正体はわかっていた。不死者に対して、このような対応が取れる人間は限られている。
それは聖泉を讃える秘境出身の傭兵か。あるいは世界唯一の秘密結社の構成員……彼女は後者だ。
「"冒険者"は、子を残してはいけないはずだよね?」
君たちの事情について口を出す気はない、と博士は告げる。剣先を払いのけて出口へ向かおうとするのに、ハナは一旦引いて構え直す。
「君からの追及を受ける筋合いもないよ。もう話はいいかな? 悪いけど、僕は急いで行かなきゃならないから」
「……っ、待ちなさいよ! 過去数百年、おまえがしでかした悪事は私たちが記録してる。いつもふざけた研究で人々を弄んで! いくつもの都市を吹き飛ばしておいて、今度はここに目をつけた……よりにもよって、あの子のいる町に!! こんなの受け入れられるわけないじゃない!!」
強硬な姿勢が剥がれたそこには、取り乱す母親の姿があった。
背後を取り、剣を突きつけても勝機はないと知っていながら、それでも不死者の企みを阻止したいのは、我が子を守りたいがため。
「おまえが不死者だって知られてる以上、すでに実験に巻き込んでるんでしょ!? その気になれば世界を滅ぼせる存在が、あの子の近くにいると思うだけで正気じゃいられなくなる!!」
「その件については僕も責任を感じている。ただ、今は本当に時間がないんだ。これだけは信じてほしい、エイプルたちのことは、この身に代えても守るつもりだよ」
机に広げられた資料の中から、とある報告書を掴んで彼女へ投げた。
それは他の自分に共有するための情報。今、ここにいる博士の、これまでの研究成果が記されている。
「何よこれ……"魔法仕掛けの集落防衛少女"? どういう研究をしてたの……って、ちょっと!!」
受け取った隙をついて、彼女の立つ場所を囲うように、格子が床から天井へ伸びた。研究所内部は博士の裁量で構造を変えられる。このあとの活動に邪魔をされないよう、簡易牢屋を造ってハナを閉じ込めた。
戻るまで報告書に目を通しておいてね、と言い捨て、彼女が喚くのも気にせず立ち去る。
最後に言っておくけど、と前置きし白皙の顔を見せる。
「世界を滅ぼそうなんて気はないよ。そんなつまらないこと、もう二度としない」
交戦は始まっていた。煌々とオーガスタの稲光が瞬くたび、黒と青の影絵が踊る。
町外れの森に降り立った"堕天者"を、魔法少女(略)三人が相手取る。メイが前衛に立ち、オーガスタとジュディが追撃と支援を行っているが、前回よりも押されていた。
明るい夜だった。エイプルの光源なくとも、月明かりだけで動くのに支障ないが、戦力不足なのは否めない。頼みの博士も到着が遅れている。
「どういうわけだ? ひとり欠けているぞ、今宵こそまとめて狩りに来たというのに」
「ちっ! 休ませる暇なんて与えてないのに、息切れ一つもしてないわ。メイ! まだやれる?」
「は、はい……でも、以前より動きが段違い、です」
「威力も速さも前と違うんすけど! 聞いてないっすよもおおおおお」
「黙れ緑色の小娘!! 貴様だけは絶対許さねえからな!! いの一番に喰らってくれる」
「いやいやいやいや、なんでわたしにだけ殺意高いんすか! わたしが何をしたっていうんすかあああ!!」
メイという難敵を相手取りながらも、隙あらばジュディに飛び掛かりそうな気概を見せる。
少女たちは知る由もないが、彼の怒りはジュディがある夜にしでかした蛮行から端を発するもの。根深い私怨は怒りとなって、攻撃を研ぎ澄ます。
常時発動する彼の魔法、"侵掠の黒靄"を四肢に纏い、繰り出す攻撃は接触した部位を確実に損傷させる。援護に放ったオーガスタの雷魔法も、閃光を飲み込むが如く防がれた。
接近戦は詳細な注意を払って展開されていた。メイがいくつ氷の短剣を生み出そうが数撃も持たない。たびたび退いて、追われぬよう氷壁、氷槍を析出させるも、踏み割られてしまう。
決定打なくとも、メイの天性の才は戦いに順応していった。進んで後衛を務めるオーガスタも、的確な支援と広範囲魔法を使い分け、メイの一助となっている。また、遠方から飛行し、縦横無尽に強襲できるジュディも脅威となるはずだ。
だが、少女たちのどの攻撃も、堕天者の闇を暴けない。
「っ! メイちゃん、さん……!!」
攻勢の定型を読み、的確に弾いたはずの拳の裏から黒靄が迫る。
それは例えるとすれば、闇でできた黒い棘。余闇に漂うだけと思われた魔法が、か細くも鋭く放出され、メイを襲った。
意表を突いた一撃は、圧縮した風魔法を纏ったジュディによって防がれるも、彼女は殺しきれぬ威力に吹き飛ばされる。
「今のも防いでみせるかよ。性根がなってないわりに、機転がきくじゃねえか」
「何よ今の魔法は!? そんな繊細な操作も可能だっていうの?」
「もう絶対に近づかない方がいいっすよ!! あんなもん何回も防げたもんじゃないっす! 遠距離から完封しないとあわわわわ」
再戦までの間にどれほどの修練を積んできたのか。堕天者の新技を見た全員は、それまでの戦い方を即時改める。
彼の方も奇襲が失敗した以上、披露した新技を出し惜しむ必要はなくなった。徒手の剛撃とまた別軸に、黒靄でできた棘が、少女たち目掛けて襲いくる。
空中で一回転して体勢を立て直したジュディは、風切り"斬森刃"を放って周囲の木々を吹き飛ばし、相手の視界を奪う。エイプルの助勢も、作戦立案担当の博士もいない今、少女たちにできるのは距離を取って戦うことだけだった。
あと、もうちょっとだけ、このままでいたい……
家に帰りたくないと駄々をこね、子どもじみたわがままを続けるエイプルと、それに付き合うウェザー。相変わらず落ち葉の上で寝転んで、高く昇った月を見上げる。
「そんなに帰るのが嫌なら、俺の家に泊まるか? 今、父さんは行商に出てて、来週まで帰らない」
「ウェザーの家だったらすぐに見つかっちゃうよー」
「安心しろ。隠し部屋くらいある」
夜の冷え込みと空腹のつらさは堪える。さすがに外にいるのは厳しいと悟ったエイプルは、ウェザーの案に乗ることにした。
ゆっくり立ち上がって、服についた落ち葉を払い落とす。少年も同様に荷物を拾い上げ、歩み出そうとした。
その時、ウェザーがエイプルにもたれかかった。
落ち葉に足を取られたか、小石か枝を踏んで均衡を崩したのか。急な行動に驚くも、受け止めようとするエイプルだったが、その身をウェザーは意図して押しのけた。
明るく、静かな夜だった。
ゆえに黒い棘のようなものが、少年の肩を貫くところがよく見えた。
血飛沫が落ち葉にかかる音。小柄ながらも大きな野望を秘めた体が、地面に倒れ伏す音も明瞭に響いた。
近くに降り立つ青、黄、緑の三色の燐光。距離を取り、自分たちが回避し続けた魔法の行く末を知った。目の前の光景に息を呑み、背後からやってくる強襲者への警戒もできない。
闇から姿を現した"堕天者"は、どういうわけか硬直していた。
追撃を止める理由などない。隙を晒す少女らを仕留めるには、絶好の機会のはずだった。だが、自身の魔法が全く別の存在を屠った事実に、耐えられないとばかりに慄く。動揺を写す瞳に、獣性の色は見られない。
星月夜に白衣が浮かび上がった。
この場の誰より強大な力を持つはずの不死者"博士"だが、到着が遅すぎた。
たとえ世界を滅ぼし得る存在であっても、起きてしまった事実を覆すことはできない。時を戻すこともできない。たったの数秒であったとしても。
倒れた少年を前に座り込むエイプル。ついさっきまで会話し、将来の夢を語り、ずっと側にいてくれると確信した命が、眼前で零れていく。
死、それは永遠の別離。突き付けられた非情な現実に、彼女の喉からは少女の……いや、人のものとは思えぬ咆哮が迸る。鮮血を浴び、朱に染まった顔は告げた。
「殺してやる」
演者はすべて舞台に立った。月が高く昇る真夜中、採決の時が迫る。
誰が真なる獣なりや?




