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ティーカップ一杯分のねこ

 食事を必要としない家主のため、当初、研究所には台所というものがなかった。ジュディが居候することになった初日に、彼女から"元メイドである自分の存在意義のために台所は必要!"との強い懇願を受け、新たに設けられたのだ。


 きっかけはともあれ、台所設置はとてもいい判断だったと、少女たちはお茶会を開くたびに思う。すぐ実行してくれた博士にも感謝していた。


 少なくとも、今日までは。



「つい先日……軍から連絡があったんですけど、ラリィ君たちが入るはずだった寮が、老朽化しちゃって……もう人が住める状況じゃないって」


 バター香る焼き菓子を口に放り込んだばかりで、メイ以外の三人は返事が遅れた。紅茶をぐい飲みして、先に答えたのはエイプル。


「ちょっ、それじゃあの子たち困っちゃうよ! 首都に行っても住むところないってことでしょ!? 古くなったからって、どうして住めなくなるまでに直さなかったのかなあ!」

「さすがエイプルさん、いよっ棟梁の娘! 建物管理の大切さがわかってるっすね」

「お父さんがいつも言ってるからね、おうちは家族を守るための"砦"だって。安心して暮らしていくために、補修を欠かせちゃダメだよ」

「どう考えても、"青の教会"建設より、そちらに資金を優先させるべきでしょうに。今の議員連中は見栄を張ることしか頭にないのかしら」


 ティーカップを揺らし、澄んだ色と香りを楽しむオーガスタの姿は、優美の一言に尽きる。中身は高級銘柄の紅茶ではないが、そう思わせる気品があった。


「それで……オータム先生は昔のつてを頼って、下宿先を探してくれてるんです……それでも、寮に入るよりお金がかかっちゃいそうで……」


 お金のことは気にしなくていいと両親は言うが、メイは到底納得できない。自分を引き取ったがために、余分な出費を強いているのだ。


「私……戦うことしか得意じゃないけど……何とか仕事を見つけて、ラリィ君の夢を叶えたい……!」


「メイちゃん立派! 大丈夫だよ、メイちゃん強いから引く手数多だよ!」

「戦闘の仕事はやめなさい! メイもジュディも裏社会から足を洗ったんだから、真っ当に稼ぐのよ」

「わ、わかりました……でも、それ以外だと私……どんなお仕事をしたらいいんでしょう……?」

「うむむむ、むずかしいっす。もちろん汚れ仕事以外が一番なんすけど、メイちゃんさんの才能を生かせないのがもったいない!」

「それなら私のお母さんと同じ、護衛のお仕事なんてどう? メイちゃんにピッタリだよ!」

「あのねえ、こんな若い娘に護衛頼む人がいて? 普通なら経験豊富で強そうな方を雇うわよ。メイの実力は確かだけど、もっと現実を見なくちゃ」


 友達の助けになればと、エイプルたちは真剣に、メイにもできる仕事を考える。議論に熱が入っていくうち、持ち寄った菓子はあっという間に消費されていった。


「あら、お茶がなくなったみたいだわ」

「今度は私が淹れるよ! オーガスタちゃんは待ってて!」


 エイプルがポットを持って立ち上がったとき、博士がひょっこり現れた。


「ねえ君たち、台所に置いてあった水差しを知らないかい? 今朝、"流体猫ミャーズ"っていう獣を捕まえたから、入れておいたんだけど」


 少女たちは一斉に、テーブル上の水差しに目を向ける。中身の水はすでに沸かされ、一滴残さず紅茶を淹れるために用いられた。

 そして現在、ポットは空であり、手元のティーカップ分も美味しく飲み干されていた。


「みゃー」


「!?」


 楽しかったはずのお茶会は、混乱の渦中に叩き落とされた。

 一同、必死に鳴き声の発信源を探し、やがて視線は一ヶ所に集まった。


「メ、メイちゃんの……おなかから、ねこの鳴き声が……」



 ◇ ◇ ◇



 "流体猫ミャーズ"。


 獣として変異した直後、体が液状化してしまったねこである。目に見えないほど小さな核を本体とし、それを中心に水を引き寄せて纏い、行動する。

 普通のねことしての姿は溶け落ちてしまったが、鳴き声だけはかつての名残を感じさせる。


 怒り狂うオーガスタに首を絞められながら、博士はそのように説明した。


「なんてもの放置してくれたのよ! 事前に一言言っておくべきではなくて!?」

「ごめんごめん。収容場所を準備する間に、まさか君たちがお茶にして飲んじゃうとはね」

「だって、そんな獣がいるなんて絶対に思わないじゃない!! あなたふざけてるの? 喧嘩売ってるの!? 言い値で買ってやろうじゃないの!!」


「落ち着いてくださいオーガスタ! 昔から"猫は液体"だってよく言われているじゃないすか!」

「そうだよ! 今までいろんな獣を見てきたし、使う魔法にも個性があったよ。だから、水になる猫がいたっておかしくないよ、たぶん!」

「黙りなさいよおばかたちー! そこになおりなさい、柔軟すぎる頭に常識をぶち込んでやるわ!!」


 オーガスタが博士を責める間にも、ねこの鳴き声は止むことを知らない。

 みゃーんみゃーんと切なげな声音が、自身の体から発されるという珍妙な事態に、当事者のメイは震えるばかりだ。


「ど、どうしましょう……早くねこちゃんを出してあげないと……とりあえず、頸動脈を叩き切ったらいいですか?」

「うわああああん! 早まらないでくださいっすメイちゃんさん!!」

「そうだよメイくん、まだ慌てる時じゃない。まあ、この事態は不運としか言い表せないけどね。普段の"流体猫ミャーズ"は、にゃーにゃー言うだけの水だし、黙ってたら本当に見分けがつかない。あいにく、お茶にされたときは眠っていたんだろう」


 飲んでも害はないと説明されるも、少女たちが納得できるはずもない。たとえ脅威はなくとも、獣が体内に入っている現実は恐怖でしかないのだ。

 流体猫ミャーズ本体も困っているのか、鳴き声はどんどん大きくなっていく。


「ねえ博士! どうやったらこの子はメイちゃんの体から出てきてくれるの?」


「それはもちろん、自然に出てくるのを待つしかないよ。わざわざ血を流さなくたって、人の水分はいろんな形で体外に排出される。一番手っ取り早いのは尿だね。もちろん僕なら獣を探知できるし、出てきたらすぐ捕まえてあげられるよ」


 これでもう安心しただろう? と博士は一同を見渡すが、誰も嬉しそうにしていない。それどころか顔を真っ赤にして、同情の眼差しをメイに向ける。当の本人は、顔を手で覆って椅子に座り込む始末だ。


 戦闘においては達人のメイだが、今の彼女は恥じらうただの少女。

 内なるねこに対しては、博士の言った方法以外、対処のしようもなかった。




 それから数度トイレを往復するも、一向に獣が出てくる気配はない。


「元気出してよメイくん。今の"流体猫ミャーズ"は、高い木に登って降りられなくなったこねこみたいなものさ。普通に生活していれば、そのうち出てくるって。それまで、この小回りの利く僕がついているよ」

「……はい」


 すっかり意気消沈したメイは、皆から心配されることにも疲れ果て、ひとりになりたいと研究所を出た。

 獣捕獲のために、探知能力を持つぬいはかせだけは、身から離すわけにいかなかった。いっしょに公園のベンチに座り、木枯らしに吹かれている。


 紅葉し、色鮮やかな落ち葉が飛ばされて行くのを見ながら、メイは同じ風にため息を流す。

 もともとラリィや家族のことについて悩んでいた彼女は、度重なる心労に、もう立ち上がる力も残っていない。


「はぁ……」

「はあああぁ……ったく! なんだってんだよ、ウェザーのやつ!!」


 真正面からラリィが歩いてくることに気づけなかったのも、精神的な問題あっての失態だ。


 幸いにも、メイの反応速度はラリィの動体視力を上回っていたため、ぬいはかせがしゃべって動くぬいぐるみであるとバレる前に、メイの服の下に押し込まれた。


「おい、メイ姉じゃねーか。そこで何してんだ?」

「ラリィ君……えっと、その……」


「みゃーお」


 冷酷な暗殺者だった面影もなく、メイは肩を跳ねさせた。体内の獣はどんな状況でも空気を読まずに鳴き出すうえ、止める術もない。


 姿も見えないねこの鳴き声など、不審に思うに違いない。弁明してくれそうな仲間はそばにおらず、ひとりでは今の状況を説明できそうになかった。


「うう……違うの、ラリィ君。これは……」


「何言ってんだてめー。隠すの下手くそか、バレバレだろうが。野良猫拾ったから、うちで飼いたいっていうんだろ?」

「うん……?」


 言っとくが、うちはねこだけはダメなんだ、とラリィは呆れた様子で述べ、メイから若干距離をとって座った。

 どうやら、メイが拾ってきたねこを匿っていると勘違いしたらしい。


「かーちゃんも俺も、ねこが近くにいるとくしゃみが止まらなくなるんだよ。そういう体質ってやつ? だからよ、そいつ連れて帰っても無駄だぜ」

「だ、大丈夫だよラリィ君……ねこちゃんは、行くところ決まってるから……」


「はあああぁ、ねこですら行く先決まってるってのに……ウェザーのアホめ! 軍に行かないってどういうことだよ! 意味わかんねー!!」


 メイは驚いて紫の眼を見開く。軍への推薦を受けたのは、ちびっこ剣術大会の上位三名。ラリィとウェザー、そしてクィン。優秀な子が多いからと、通年より多く声がかかったのだ。


 だが、入軍に同意したのはラリィのみだった。


「まったく何考えてんだよあいつら! クィンはどうでもいいが、なんでウェザーまで断っちまうんだ!?」

「ごめんね……私も、わからない。寮に入れないことが、イヤなのかな……?」

「そんなしょーもない理由なわけねーだろ! 試合でボコボコにして吐かせようとしたが、"なんでもあり"の条件だと、どうやっても勝てねー……いつの間にあんだけの罠を仕掛けたんだよ。最後にゃ木に吊るされたぞ」


 意に沿わないウェザーの行動に腹を立て、勝負を吹っかける様子は容易に想像ができた。

 純粋な剣の腕だとラリィに劣るが、どんな手段を使ってもという条件を追加すれば、途端に難敵と化す。罠や挑発で翻弄され、一方的にやられてしまったらしい。


 思い出すほどムカついてきたぜ! と、ラリィは怒りのあまり、拳をベンチに叩きつけた。


「ウェザーを問い詰めた時……あいつ、俺に言ったんだ! "軍に行っても、俺に仲裁役をして欲しいのか?"って!! "手が出る前に止めてくれるやつがいないから不安なんだろう"って……そんなわけねーだろ、バカにしやがって!!」


「みゃっ! みゃあ、うみゃーん」

「ラ、ラリィ君、落ち着いて……ねこちゃん、怖がってる……」


「わりぃ……けど俺は、自分の都合でウェザーに来てほしいわけじゃねーよ。俺はただ、あいつならいい指揮官になれる。軍に行けば絶対に、歴史に名を残す名将になれるって、そう思っただけなのに!」


 メイは顔を伏せて、ラリィの心情を思った。純粋に大切な仲間のことを考えて、軍に行こうと誘ったのに、そんな返しをされれば当然傷つく。

 しかし、まだ語られてないことがあるのではと、メイは察した。


 カーレル・シズネ町にやってきて半年。自身の仲間や町の者たちとも、もう知らない間柄ではない。ラリィと家族になってからも、決して短くはない時が過ぎた。

 なので、メイも"大切な弟"へ真摯に言葉を紡ぐ。


「ねえ、ラリィ君は……ウェザー君が、軍に行かなかったら、成功できなくなると思う?」

「はあああ!? てめー急に何言い出すんだよ! ウェザーなめんな! この俺が認めた仲間が、成功者になれないわけねーよ!!」


「うん……そうだよ。ウェザー君の才能は、軍に行かないと磨けないわけじゃないよね? ウェザー君はきっと……ほかにやりたいことがあるんだと思う。ラリィ君は、さっきみたいなこと言われて、ついかっとなって……話の途中なのに、勝負しろって言っちゃったんだよね?」

「うっ! なんでわかったんだよ!」

「だって、私……ラリィ君のお姉ちゃんだから」


 ふふっと微笑むメイに、おめー生意気になりやがってなどと悪態をつくラリィ。

 少し距離をおいて話してはいるが、今の二人はどこから見ても、仲睦まじい姉弟であった。


「もう一回、ウェザー君とお話ししよ? 大事な仲間なんだから、ちゃんとやりたいこと……教えてくれるはずだよ」

「おう。メイ姉がそういうなら仕方ねーな。戻って聞いてみ……」


「ラリィ! ここにいたのかい!? ねえ緊急事態なんだ、すぐ来てよ!!」

「なんだよエリュンスト、慌てなくったって行くぜ。ウェザーもいるんだろ?」

「? う、うん。同じ場所に向かってるはずだけど」


 それを聞いてより足に力を込める。ラリィは、道案内するはずのエリュンストを追い抜く勢いで駆けた。

 走り出したまま振り向くことはなかったが……自身の家族へ、夕飯までには帰ると言い残すのを忘れなかった。



「……いってらっしゃい。気をつけてね」


「ふう! やっと解放されたよ」

「ごめんなさい博士……窮屈でしたよね」

「問題ないよ。まあ、撫でさせろと言われなかったのはよかった。いくら僕が研究熱心な不死者とはいえ、ねこの姿になることはできないからね」


 服の下にぎゅっとしまわれて、しわくちゃになった体を伸ばすぬいはかせ。軽口を叩いたのに反応がない様子を不振がり、メイの表情を仰ぐ。

 彼女は、迷いのある瞳でラリィの走った方向を見つめていた。


「ちょうど、エイプルさんたちに同じことを相談していたんです……私にできる仕事は何だろうって……戦いは得意だけど、本当にやりたいこととは、少し違う気がするんです」

「メイくん。やりたいこととは、自分の故郷に行くことかい?」


「いいえ。違います」


 いつになくはっきりとした否定に、ぬいはかせは意外そうに聞き入った。


 メイが出自に気づけたのは博士の失言が原因だ。無垢な彼女にメイガンの名を伝え、"聖泉の民"の一員であることを自覚させてしまった。

 あれは彼女のためになることだったのかと、今でも結論が出せないでいたのだが。


「私は"メイガン"になりたくない。ずっとラリィ君の家族でいたい。大切な家族を守る、それが私のやりたいことです」


 今度こそぬいはかせは驚愕した。戦闘に強くも、気弱で自ら主張はしない彼女。内に眠る修羅の思いは誰にも打ち明けられず、たった一人で抗うしかなかった。


 それでもメイは、戦いを求める本能に打ち克ったのだ。


「聖泉の呪縛は強かったろう。その答えを出すまでの過程に、どれほどの葛藤と苦痛があったことか……君には敬服するよ、メイくん。君の選んだ道が、幸福に繋がることを期待している」


「……っ! あ、ありがとう、ございます……!!」


 服の中に押し込んだ時より強く、メイはぬいはかせの体を抱きしめた。


 血の宿命に飲み込まれそうになるのが、どれだけ不安で恐ろしかったか。不死者"博士"だけは、メイのすべての事情を知ってかつ、善悪の基準を超越して、彼女を導くことができた。


 今、彼はメイの苦しみに理解を示し、思い悩んだ末に出した結論を認めてくれた。

 それが嬉しくて、ありがたくて……



 感極まったメイに強く抱擁されたぬいはかせは、手足も口もがっちりと締められ、微塵も身動きが取れない。


 今しがた探知した反応を、すぐに伝えることができなかった。




 同時刻。町と森の境目付近にて、知らせを受けたシズネの子どもたちが、遠巻きに"それ"を見つめている。いち早く駆けつけたウェザーは、仲間たちに向こうへ近づくなと厳命した。


「はぁ、はあっ、おまたせウェザー……ラリィを連れてきたよ。状況は、どうなってるの?」

「急いで来てもらって悪いが、徒労に終わりそうだ。すぐに、自警団へ知らせた方がいい。これは、俺たちの手に余る」

「ウェザー! 緊急事態ってなんだよ? それより、俺はおまえにまだ話が……」


 それを見ただけで、ラリィは事態の異様さを察した。草木が生い茂る森の奥から、あるはずもない水のせせらぎが聞こえる。

 ここは木材を切り出した後の伐採地。根ごと取り去った跡地は窪み、次なる苗木を植えるべく、整備されていたはずだった。


 馬鹿げた問いだとわかっていたが、ウェザーはラリィを振り向き尋ねる。



「こんなところに、池なんかなかったよな?」



 近くに水源などない。にもかかわらず、水が森の奥から静かに、確実に流れてくる。地の僅かな窪みに溜まり、野原を覆い尽くさんと量を増していく。


 少年たちは、仄暗い水底からの声を聞いた。



「 にゃあ 」



 ◇ ◇ ◇



 速報は"魔法少女(略)"たちにも知らされ、状態変化へんしんした三人は光の尾を引いて研究所から出動した。


 降り立った地周辺には、少年たちが偵察として訪れていたが、彼女たちの到着を見るや本格的に撤退の判断をした。

 個々に散って後退していく様子に、オーガスタは肩をすくめる。


「いくらかっこつけていても所詮はお子さまね。すたこら逃げてくなんて、かわいいところもあるんじゃない」

「ふえええー、攻撃受けても周りの味方を巻き込まないように、各々距離を取っているっすよ! 訓練が行き届いてるっすね~して、獣はどこに?」

「まだ出現していないのかしら? それとも、今回は透明になれる獣が相手、なんて言わないわよね? というか、どうしたのよエイプル。そんな不安そうな顔して」


「だって! だって、おかしいよオーガスタちゃん! この"水"いったいどこから流れて来たの!?」


 町の地理に疎い者ならば、目の前に映るのは整備された湿原のみ。獣らしい生き物も周囲には見えない。季節的な湧水が流れ、一時的に小池ができる、その過程に思えた。

 ただ、エイプルと博士の思い浮かべたものは別だ。


「おっと、もう一匹いたのかい」

「いたって何がよ?」


「メイくんがお茶にして飲んじゃった"流体猫ミャーズ"だよ。こちらの個体の方は、かなり格の高い獣のようだね。喚べる水の量が桁違いだ」


 行く手を阻む者が現れたことで、水流が目的を持って集い始めた。重力に逆らって流れる有り様から、一同は強い警戒を持って隙を伺う。


「はいっ! 博士、ちょっと質問していい?」

「かまわないよ」

「博士は、最初の流体猫ミャーズをどうやって捕まえたの?」

「研究所でも話した通り、この獣は核を中心に水を引き寄せているからね。そこの部分だけすくって密閉すればいいんだよ」


 容易いことのように捕獲方法を話した博士だが、少女たちは顔を青くし、仲間たちを見渡した。

 森の奥にも支流が続き、引き寄せられた水の全容もわからない。一定量溜まったからか、飛沫を落としながら水面が持ち上がる。


「じゃあ……この子の核って、どこ?」


 妨害者を蹴散らさんと、大量の水が勢いよく降り注ぐ。

 襲いくる高波は、ねこの前脚の形をしていた。



「 にゃああああお 」


「"赤玉一号"!! うわっ"二号"、"三号"!! ダメだあ、いくら吹き飛ばしても集まってくる!」

「水の広がった場所なら、どこからでも襲ってくるというの!? ええい、"白金閃光脚"! ちょっと博士、こいつの核はどこなの? あなたにしか探知できないのよ!?」


 一般的な猫の攻撃方法といえば、ひっかきと嚙みつき。しかし、このねこは液体なのだ。水のある場所から縦横無尽に攻撃が来る。爆発と落雷でいくら散らしても、すぐに集水して再び襲ってくる。


 エイプルの炎魔法による蒸発を期待するも、獣の"水を呼ぶ魔法"の方が強い。水蒸気は液体として再召喚され、流体猫の総水量に変化はない。


「うわああああ! 風で水が捕まえられるわけないっすよもおおお!! わたしたちの魔法、相性悪すぎっす!」


 巨大な水の牙と水の猫パンチを、魔法で一時吹き飛ばすしか手段はない。こんな状況でも、博士は獣の核を正確に探知できているが、防戦一方のなかで捕まえに行くのは不可能である。


 ねこの手に追われながら、皆が願うことはただひとつ。



「メイちゃーん!! お願いっ、早く来てええええええ!!」



 唯一の対抗手段、凍結。その魔法が使えるのは、水の魔法を搭載した"魔法少女(略)"である、メイだけだ。博士の生成する"万象改変機構ゼノフラクタ"の強化を受ければ、流体猫全体を氷漬けにすることもできるはず。


 そんな期待を背負ったメイは、仲間の場所まで急行しているところであった。


「本当に、ごめんなさいっ……私がぬいはかせを、むぎゅってしちゃったから、こんなことに……」

「状況は大きい僕からの報告通りだよ。君さえ到着すれば、万事うまくいくから急ごう」


「みゃーん! みゃあ、みゃああーん!!」


 いまだ排出されないメイの中の流体猫は、目的地に近づくにつれ、大声で鳴いた。



 メイの接近までまだ距離はあるも、獣の感性は新手の到来と"もう一匹の存在"を捉えた。

 エイプルたちへの攻勢が一時止まる。


「 にゃあ、うにゃーお 」


「え? 水が急に退いてく」

「どこ行こうっていうの? 待ちなさいよ、逃げる気!?」


「ふおおおおお!! 皆さん上空へ退避っす! やばい波が来ますわこれ」


 ジュディが警告した刹那、轟音とともにすべての水が流れ去る。目標を得たかのように、流体猫は引き寄せた水量すべてを纏い、移動を開始した。

 鉄砲水のような急流を見て、空へ飛んだ少女たちは胸をなでおろす。一瞬でも判断が遅かったら、流されてしまうところだった。


「危なかったあ~教えてくれてありがとうね、ジュディちゃん。それにしても、あの獣はどこに行こうとしてるんだろ?」

「……どうやら、メイくんのところのようだね」


 事もなしに空中に足場を作って立つ博士。指さす方向は獣の核の場所を示しており、メイの青い装備が遠目に見える。



「君たちが戦ったあの流体猫は母親だ。この町に、"迷子のこねこ"を探しにやってきたんだよ」



 水が隆起する。足元が急に暗くなったことに気づき、メイは立ち止まった。身の丈をはるかに越える水の塊が現れたのだ。さすがの彼女も息を飲むが、続く獣の攻撃はすべて正確に回避してみせた。


「対処法はさっき言ったとおりだよ。もうすぐ大きい僕が"万象改変機構ゼノフラクタ"を投げてくれるから、強化された魔法で全体を凍らせて……」

「あっ!! ダメ……そこに、ラリィ君のお友達が……!」


 すばしっこく逃げる獲物に焦れたのか、獣は他方に目を向けた。そちらにはひとりの少年が繁みに隠れている。急襲する水に気を取られ、逃げ時を失っていたのだ。


 自身が狙われていると気づいた彼は、脱兎のごとく逃げようとしたが、容赦なく水の塊が迫る。横から薙ぎ払う動きのそれは、巨大な猫のしっぽの形をしていた。


「どけええええ!! ここから離れろ、誰もここに近づかせるな!!」

「……なっ! ラリィ!!」


「ラリィ君!!」


 しなやかな水に絡めとられたのは、少年を庇ったラリィ。言葉に従って、その場を離れた少年とは逆に、メイは義弟を追った。


 流体猫が支配する、呼び水の中へ。



 最初から獣の狙いはメイだった。流体猫は核を密閉されると自由に動けない。なので、早急に"入れ物(メイ)"を壊し、我が子の解放を図った。

 餌として引き込んだラリィはもう不要だ。勝手に脱出させるに任せ、水を操作してメイの始末にかかる。


 対抗策として博士が投げ込んだ"万象改変機構ゼノフラクタ"が、水の前脚に弾かれるのを、獣の内部から目撃する。


「……でも、大丈夫だよ。僕がついているから核の位置はわかる。そこだけ凍結できれば、呼び水も解散して流れていくよ」


 水中でも聞こえる波長で語りかける。獣が繰り出すめちゃくちゃな水流と水圧に耐えながら、ぬいはかせは必死にメイの装備に縋りついていた。


 ラリィは脱出して無事。獣を探知できるぬいはかせがついている。さらに、メイの中の我が子を気づかい、獣の核が近づいてくる可能性は大いにあった。

 あとはそれを凍らせるだけ。水中に囚われたことは予想外だが、作戦に支障はない……はずだった。


「 にゃーお。にゃおーん? 」


「鳴き声が近い、核はすぐ近くまで来ているよ! 目の前を四方に凍らせるんだ、メイくん……ねえ、メイくん?」


 メイは答えない。硬直したまま、ただ一点を凝視している。

 彼女の表情を見たぬいはかせは戦慄した。


 恍惚としている。まるで長年夢見た故郷へ凱旋するような。命を懸けるべき大義を悟ったかのような……

 メイの紫の瞳に、気弱な少女の正気は宿っていない。

 核とは別の探知を開始し、ぬいはかせはある事実に気づいて叫ぶ。


「この水、"メイガンの聖泉"まで引き寄せたのか!!」


 我が子とはぐれた獣が、どこの水路を巡ってきたか見当もつかない。ただ、魔法で呼び寄せた水には、メイの故郷に流れる源泉までもが含まれていた。

 それがたった数滴だけでも、使命に乾いたメイの体に染みる。


「メイくん! しっかりしてくれ、聖泉には行かないって話していたじゃないか!!」


 消えたはずの本能が再び沸き立つ。自身を止めようとするぬいはかせの声も、頬を叩く行為も意に介さず、メイは彼方へ手を伸ばす。


 これは最後の奇跡。故郷からはぐれた一族のもとへ、聖泉は自ら迎えに来てくれた。


「触れちゃダメだ、戻れなくなってしまうよ!」


 より強い水流がぬいはかせを襲い、メイの装備を掴む手が剥がされた。

 流されながらも最後のあがきに、思い出してよと声を張り上げる。



「君が出した"結論"。帰るべき家は、そっちじゃない!」



 何かを忘れているような違和感。メイは、はっとして周囲に気をやるも、行く手を遮る者はもういない。


 それを手にすることに迷いはないはずだった。そこに至れば生まれた意味が分かる。命をかけて果たすべき使命が得られる。楽しい楽しい戦いが、いくらでもできる。輝かしい人生が待っていることは、疑う余地もない。


 けれど――


 水の中に何かが飛び込む感覚。ゴボゴボと呼気が吹き込まれる。美しく、懐かしい青の中に投じられた不純物。振り向いた目下には、上半身のみ水に突っ込んだラリィの姿が見えた。

 窮地にいる町の救い手を案じ、身振り手振りで"こっちに来い"と伝えている。


 愛しいまだ見ぬ故郷。けれど、聖泉そこに行っても、ラリィと会えない。



 真に大切なものを見つけた安堵と、聖泉との完全な別離に、紫の瞳は"涙"を零す。

 同時に、嬉しそうなねこの鳴き声が体から離れた。今思えば、誤って飲んでしまったこの小さな獣は、最初から愛する家族を呼んでいた。



「さようなら……さようなら、私の故郷……もう二度と、出会うことはないでしょう」



 寄せ集まった膨大な水量が、小さな粒となって飛散する。それぞれ、もといた空に還り、雨として降り、地を流れて行った。

 別れの言葉を告げたメイの眼前で、清らかな支流は最後に虹を見せ、消える。



 膝下を泥だらけにしながら、ラリィは立ち上がった。


「……おい。おめー、大丈夫か? あの水に捕まって、苦しそうだったけどよ」

「うん、ありがとう。君は、本当に強くて優しい子だね……君のおかげで、私は戻ってこれた」


 背を向けながらお礼を言う。メイは自身の泣き顔をラリィに見せたくなかった。

 状態変化へんしんした姿では姉だと認識されないにしても、いつものように、なんで泣いてんだよと怒られそうで……


「お友達のところへ戻って、無事な姿を見せてあげて。きっとみんな心配してる……夕飯までには、家に帰る約束だよね?」


「……? お、おう。じゃあな……ありがとうよ」


 愛する家族を送り出したメイのもとに、今度は仲間たちが集まってくる。遠くまで流されて泥だらけのぬいはかせも、洗濯必須の悲惨な状態にもかかわらず、笑顔でとてとて寄ってきた。


 涙を拭い取った彼女は、大切な仲間へ澄みわたるような笑みと、胸に抱いた二匹の獣を見せた。




 研究所地下の大森林は、新しい仲間の到来に賑わっていた。

 古株の獣である"激走透過狸ステルスポコ"、通称"銀たぬき"とあいさつを交わすのは、新入りである"流体猫ミャーズ"の親子だ。


 二匹ともメイの魔法"煮こごりの青"によって、通常のねこと同じ姿をとっている。獣の核を凍結して捕らえるのではなく、適量の水をゼリー状にして固めた。

 親子が別々に密閉されるのを不憫に思い、互いに触れ合えるようにしたのだ。


「すごいよ! この子たち冷やっこくてプルプルしてる!」

「めっちゃ透明っすけど、こうやるとちゃんとねこっぽいっすね。ほら、見てくださいっすオーガスタ! 親猫がこねこを舐め倒してるっすよ。かわいいっすねえ~」

「……ねえ、それって毛づくろいの意味あって?」



 仲の良い家族の光景を前に、メイは深呼吸をした。これから仲間たちに、自身の将来に関わる結論を話すのだ。


「あ、あの……前に私が相談していた、ラリィ君の入軍なんですが……オータム先生からの話によると、首都の使ってない施設を借りて、仮の合宿所とすることになったようです」


「よかった! ちゃんと新しいおうちを用意してくれてるんだね!」

「ええ。それで……その合宿所は、用意したばかりで人手が足りなくて……私に、給仕のお仕事はどうかって、先生が勧めてくれました」

「それじゃあ、メイはその話を受けるつもりなの?」


「はいっ! 私、ラリィ君といっしょに、首都に行きます……!」


 青色の髪を振ってメイは大きく頷く。

 その表情は今まで見せたなかで最も美しい、晴天を思わせるような明るい笑顔だった。



「まさか、この四人の中で最初に進路を決めたのがメイだなんてね。ええ、文句もつけようがないまっとうな仕事だわ。けど、過度に身内贔屓しないようにね。弟離れできないって思われるわよ」

「はい、オーガスタさん……でも、ラリィ君と離れるのは、ちょっと難しいかもしれません」

「言ってくれるじゃないの。わたくしも首都で暮らすことがあれば、抜き打ちで見に行ってあげるから、覚悟してなさい」


「あっ、わたしもなんとなーく進路を決めてるんすよ! だから、旅の途中で首都に寄った時は、メイちゃんさんに会いに行くっすね」

「ジュディ、あなたいつの間に将来のこと考えてたのよ? 旅ってなに? どういう進路を選んだっていうの?」

「わたしはいろんな場所へ行って、知らないものを見てみたいんです!! 進路は……まず北に行こうと考えてるっす」

「はあ!? なによそれ、台風じゃないんだから!」


「……ねえ、みんな」


 ジュディを詰問しかけるオーガスタも、メイも、驚いて会話を打ち切る。ふいに投げられた声には、あまりにも感情が乗っていなかった。


 それが本当に……あの優しいエイプルが発したものだと、信じられないほどに。



「みんなは、この町にずっといてくれないの?」

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