バスケットいっぱいのねずみ
まだ夏も始まって間もない夕立の日、ジュディとエリュンストは大切な約束を交わした。
「このまま死んでしまいたいと願うのは、わがままなことでしょうか?」
日中でありながら、激しい雨足のために、教室の中は薄暗く感じる。二人っきりで授業の復習をするのは日課のようなもので、年上でありながら下級生の授業を受けるジュディの助けになれればと、エリュンストが誘いをかけて始まった。
雨宿りする間の、他愛もない会話のはずだった。勉強は進んでいますか? エイプルさんたちと毎日遊んでいますね、楽しそうで何よりです……そう話しかけた返事がこれだ。
「みんな、わたしなんかに優しくしてくれるんすよ。ええ、エリュンストくん、もちろんキミもっすね。博士からはきれいな寝床をもらって、エイプルさんたちは対等に接してくださる。そして、なにより"お嬢様"とお会いできる! ああ、本当にしあわせっす」
「なのに……なのに……っ! なんで、そんなことを願うんですかっ!? 今のジュディさんには、辛いことなんて何もないはずでしょう?」
「はい!! こんな日々が来るなんて、昔は思いもしなかったっす! 毎日がこの上なく幸せだからこそ、つい思っちゃうんすよね。時間が止まればいいって」
稲光が少女の笑顔を照らす。屈託ない笑みを向ける彼女の様子は、友人たちと楽しく過ごすいつもと同じ。
普段と同じ、嬉しそうな表情で死を語る。
なんで、どうして、と……到底理解できない言動に恐怖を感じて、エリュンストは必死に推察を立てる。わからないことから身と心を守る、防衛手段が働いたのだ。
幸福の絶頂にいるからこそ、その瞬間がずっと続けばいいと願う。
永久に変わらぬものなどない。環境も、人の心も移ろいゆく。けれど、至上の喜びのなか、自身の時を止めてしまえば、それは永遠を叶えたことにならないか。
「あっ、やっぱわたし、変なこと言っちゃったみたいっすね? エリュンストくん……そんな、困らせるつもりはなかったんすよ」
「ええ。ジュディさん。今のは、とても身勝手な願いです。あなたを慕う人、みんなを悲しませてしまう、ひどい願い」
だが、実行しないという確証は持てない。
今はまだいい。ジュディは組織の手から脱し、優しい人たちに保護されてここにいる。しかし、この先は?
学び重ねれば、否が応にも他者との違いを知る。自身がしてきたこと、されてきたことの意味を認識したとき、傷つかずにいられるだろうか。
その前に、これ以上の幸いはない! と、この世に見切りをつけ、永遠を得ようとするのか。
エリュンストはこわばった体をなんとか動かして、ジュディの手を取ろうとする。
「ねぇジュディさん。僕と約束してくれませんか?」
「ほえ? 約束っすか? なんだかわかんないっすけどいいっすよ」
「誰にもないしょで、ひとりで遠くに行かないでください」
手をとって、指を絡める。この国に住む者なら、一度は幼い頃に経験のある、約束の交わし方だ。
エリュンストの内に秘めた思いも知らずに、ジュディは自分より小さな手のひらを握る。
「僕は、ジュディさんと会えなくなるのは寂しいです。他のみんなだってそう。困ったことがあったら、僕に言ってください。ずっとあなたのそばにいます、何でも教えてあげますから……どうか、先に進むのを投げ出さないでください」
「約束っすね。わたしは、これからもエリュンストくんを信じるっす。勝手にどっかに行ったりしない……ふふっ、キミがいてくれるなら、なんだか安心できる」
これは、ジュディを世界に繋ぎとめるための約束。彼女の破滅の願いが叶わないように、幸せな未来を信じ続けられるように、エリュンストは優しい足枷を施した。
雷雨の勢いは衰えない。
まだしばらくはこの教室で、二人きりで過ごすことになりそうだった。
◇ ◇ ◇
爽やかなるも寒風吹く秋の昼下がり。生徒入れ替えの時間帯、早めに登校したエイプルたち一行は、教員室の壁に張り付くジュディを発見した。
どうやら中の会話を盗み聞きしているらしい。みっともないのでやめさせようと、オーガスタが注意する前に、彼女は室内からの大声に驚いて吹き飛んだ。
「嘘だろ!? こんな好条件の申し出を断るって、正気かエリュンスト! 君の! 大事な夢につながる推薦なんだぞ! 春の進路希望でもそう言っていただろ?」
「にわかには信じられない。熱はないし、脈も正常だね。誰かから洗脳の魔法を受けた覚えはあるかい? それとも家族を人質に取られているとか?」
「揺さぶるのをやめてくださいオータム先生! あと博士も、何の疑いをかけているんですか! 僕はまともです! おかしいところなんてありません!」
「ちょっとなに騒いでるのよ! ジュディもほら、しゃんと立ちなさい」
「ふえええ、びっくりしたっす」
虚脱気味のジュディを支えるついでに、エイプルたちも室内が気になったので顔を出す。
取り乱した様子の博士とオータム先生の他に、ウェザーとラリィ。いつもの悪童三人組が揃っていたが、皆なぜか神妙な面持ちで立っていた。
「ねえウェザー、何のお話してたか聞いてもいい?」
「何、大した話じゃない。エリュンストに隣国の学院から入学の推薦が届いたんだ」
「えええ!? すっごく頭いい学院だよね、私でも知ってるもん」
知らせを持ってきたのは博士だった。きっかけは夏休みに下級生が共同制作した宿題。エリュンスト主体で進めた魔法の研究実験が、隣国の研究機関の目に留まり、主導者の少年に留学の声がかかったのだが……
「ごめんなさい、僕は行きません。お断りします」
「本当にいいのかい? あそこは周辺国で最も格式ある機関だよ。君のやりたい勉強をするのに最適なのに」
「いや、待ってください博士。少し時間を置きましょう……エリュンストにも考えがあるんだよな。俺たちは無理強いをするつもりはないんだ。どんな判断でも、君の意思を尊重するし応援しよう!」
「はい先生、ありがとうございます」
「ただ、後悔だけはしないようにな。ご両親に伝えてから考えても遅くはないんだ……ウェザーとラリィも」
話は以上だ。帰っていいぞと、オータムはいつも通り快活な声で言った。反対に博士はまだ腑に落ちない風に、何かを思案している。偶然居合わせてしまったエイプルたちは、そろそろ教室に行かなくてはならない。
先生に一礼し、誰よりも早く部屋を出たエリュンスト。
ジュディとすれ違いざまに、優しく笑いかけてみせた。
「いいんすか、エリュンストくん。キミは……」
「心配しないでください。僕もどこへも行きませんよ。約束したじゃないですか」
次の休日、博士は少年少女たちに招集をかけた。
「今回集まってもらったのは他でもないよ。実は、君たちに獣探しを手伝ってほしくてね」
「呼び出して何かと思えば、獣探しの依頼だと? 普通、大人は俺たちが獣と関わるのを嫌がるんじゃないのか?」
「おもしれーこと言うじゃねえか博士! やってやろうぜウェザー、ほらエリュンストも」
「急にそんなこと言われてたって……」
「そうだよ! 危ないことに近づけちゃダメでしょ博士! 私たちはいいけど、なんでウェザーたちまで呼んだの?」
「今から詳しく説明するよ。まずはみんな、こちらを見てほしい」
訝しむ少年少女たちを笑顔でなだめる博士は、白衣の下から何かを取り出した。
そっと差し出された両手には、それぞれ白と黒の生き物が乗っている。綿の花に似ているそれには、よく見ると耳としっぽがついていた。
動物で言うとねずみに近い。しかし、自然界にない姿をしていることから、"黒き獣たち"と変異した存在に間違いない。
「この獣、"極小棉鼠"に攻撃手段はないよ。できるのは小さく分裂することだけ。もとは大きな一匹のねずみだったんだけど、"獣除けの陣"に触れるたびに分裂してね。今は百匹あまりに分かれて、この町のどこかにいるんだ」
「チュウ、チュチュッ!」
「チチチッ!」
彼が"極小綿鼠"と呼ぶ獣は、住みよい場所を探すために、分裂の魔法を得たという。
博士との生活は快適なものだったらしい。二匹は大人しく手のひらに乗り、よく彼に懐いている。
「君たちには競争して、獣探しを進めてほしいんだ。町に散らばった分裂体は、この二匹に融合する。最終的に、より体を大きくさせた方の勝ちだよ」
もちろん勝った方には賞品を出すよ、と博士が言えば、少年少女たちは喜色にどよめいた。
「うおおおお! なんだかやる気に満ちあふれてきたっす!」
「大人しい獣だし……ラリィ君たちにも危険はなさそうです……」
「対戦相手がいたほうが張り合いもあるし、効率も上がるのはわかるけど、勝敗なんてわかりきったことじゃないの。わたくしたちの勝ちに決まってるでしょう?」
「上等じゃねーか! おめーらあとで吠え面かかせてやるからな!」
起点となる二匹のうち、白い個体はエイプルら"魔法少女(略)"組へ。黒い個体は悪童三人組に預けられる。
「そうと決まればさっそく始めようか。夕方までには戻ってきてくれ」
「えっ? ちょっと待ってください博士! この獣の習性について、もっと説明はないんですか?」
「それを考えること含めて探求だよ。じゃあ頼んだからね」
「いいから行くぞ! メイ姉たちに先越されちまう」
少年少女は互いに対抗心を燃やし、研究所を出るところから競争を開始した。
博士は微笑んで目を細めながら、いってらっしゃいと手を振って見送る。
わたくしにいい考えがあるわ! とオーガスタは皆を引っ張って町を練り歩いた。
先頭に立たされたのは、博士から預かった白い"極小綿鼠。体を長いひもで括られ、早く歩けと急かされている。
「ああもう! 振り返ってばっかいないで、ちゃんと進みなさいよ!」
「オーガスタちゃん、やっぱり抱っこして歩いた方がいいんじゃないかな。少し疲れてるみたいだよ」
「甘やかしちゃダメよエイプル。こいつったら、厳しくしないと怠けるばかりじゃない。まったく、本気で分裂体探す気あって? これじゃいつまで経っても小さい姿のままよ!」
「……チッ」
「なんかムカつくんだけどこいつ!!」
「ふへへ、懐かしいっすね。わたしがお屋敷に来たばかりのころも、こうしてオーガスタにビシバシやられてたっすよ!」
「え……ジュディさんも、ひもで繋がれて散歩されてたんですか……?」
「余計な口を挟まないでジュディ! 変な誤解されてるじゃない!」
今回の獣探しに必要なことだったとはいえ、博士は極小綿鼠に相当贅沢な暮らしをさせていたようだ。預かった獣は自ら動く気配がなく、少女たちに甘えっぱなしだった。野生動物だったとは思えぬほど、体力も落ちている。
「オーガスタちゃんの言う通りかも。この子、今まで会った獣たちと違う。人懐っこい獣はいたけど、ちゃんと自分自身を守る力はあったよ」
エイプルはしゃがみ、白綿のような獣を拾い上げた。おやつでもねだっているのか、極小綿鼠は手のひらに体を擦り付け、つぶらな瞳で甘えてくる。
人に擦り寄る獣といえば、茶毛綿玉兎が真っ先に思い浮かぶが、彼らには魅了の力があった。甘えること自体が攻撃手段。自らを守る術でもあった。
だが、極小綿鼠にはそれがない。
これまで戦った獣たちにはある、野生動物としての矜持すら見られない。
「私たちに頼りきってていいの? ちゃんと自分の力で食べ物見つけられる? 完全な姿になってからも、ずっとずっと博士にお世話してもらって生きていくの?」
「エイプル、こいつの将来の心配よりも、まずは任務をどうにかしないといけないわ。この甘ったれた有様じゃ、いつまで経っても全匹集められないわよ」
「ジュディさんは……このねずみさんのこと、どう思いますか?」
「ファッ!? わたしっすか? わたしは……」
仲間たちは、自分から進んで動こうとしない獣の気質を案じているが、ジュディはそれとはまた違う思いを、極小綿鼠から感じていた。
他者からの施しに甘えて生きる姿が、自分自身に重なって見えたのだ。
博士に衣食住を提供され、オーガスタを筆頭に、優しい人たちの善意に依存して生活している。現状に何も不満はなく、幸福な日々が更新されていく。
だが、その先がまったくの未知。人に命令されず、役目も与えられない状態でどう生きていけばいいのか。
結局考えがまとまらなくて、いつも逃避に走ってしまう。
同じ毎日が続けばいい。あるいは、このまま"時を止めてしまいたい"と……
"誰にもないしょで、ひとりで遠くに行かないでください"
逃げ出しかけた思考に、少年からの声が響く。
脳裏に再生される、夕立の日にエリュンストと交わした約束の思い出。
"どうか、先に進むのを投げ出さないでください"
「わたしは――」
「わあっ、やっぱりエイプルたちだぁ! おぉーい、みんなもおやつの時間なの?」
「リーネちゃんだ! おっきいバスケット持ってる、お菓子の差し入れかな?」
「ちょっと待ってちょうだい。あの荷物の隙間から、ふわっとしたものが見えたんだけど……」
大手を振って駆け寄ってくる丸眼鏡の少女、リーネはどこかに荷物を運ぶ途中のようだった。
あいさつをした後で、エイプルの手の上の獣に気づき、驚く。
「ああー!! エイプルもその子見つけたんだねぇ! 私も教会図書館の子どもたちと協力して育ててたの!」
「は?」
包みの布を取ると、バスケットいっぱいのねずみが顔を出す。どれも見覚えのありすぎる、というか今まさに探している、綿花のような小動物たち。
「チッ! チチィー!!」
博士から預かった白い獣は、喜び勇んでかごの中へ飛び込んだ。分かれた自身と融合し、やがて大きな綿のかたまりとなった。
「最近、この不思議なねずみたちを見かけるようになっててねぇ。子どもたちも、絵本に出てきた"わたねずみさん"にそっくりだって喜んで、みんなでお世話してたの」
「リーネちゃんすごいよ! たくさん見つけてくれてありがとう!」
「こっちこそ助かったよぉ。増えすぎちゃって、面倒みきれなくなったところだったの。博士かオータム先生に相談しようと思ってたんだけど」
まさか獣だったなんてねぇ、とリーネは大きくなった"極小棉鼠"をあやしながら呟いた。
手のひらに乗る程度の獣は、少女が両手で抱えるくらいになっていた。
分裂体を回収しきり、最初の個体を悪童たちのよりも大きくできれば、エイプルたちの勝ちとなる。博士からの依頼も達成だ。
「でも……獣を探す方法については、わからないままなんですよね……」
「そ、そうだったわね」
「うーん。どうしよ?」
◇ ◇ ◇
一方の悪童たちはというと、
「だーかーらー!! そろそろ探しに行かねえと! とりあえず、こいつ連れて町中突っ走ればいいんだろ!?」
「そんな単純な勝負じゃないよ。情報が少ないんだし、効率よく行動しないと」
「ウェザー! おめーのことだからいい策考えてんだろ? もったいつけてねーで言えよおお!」
少年たちはすぐ獣探しに走らず、まずは黒い個体と信頼関係を築くことを優先した。八百屋でなけなしの小遣いをはたき、一部の支払いはつけにしてまで、獣の好物を探した。
博士に代わってきちんと世話をし、新しい環境に慣れさせる。清潔だが無機質すぎる研究所での生活より、少年たちと触れ合う方が、獣としては好ましかったらしい。
時間をかけて向き合ったおかげで、獣は少年たちに心を開き、ふわっとした体を好きに撫でさせていた。
さらに仲を深めるべく、ウェザーは次の策に移る。
「こいつに名前をつけるぞ」
「チュッ! チュッチュ!」
「え。名前……?」
「おいおいまさか、おまえがつける気か?」
「そうだな。こいつは黒豆が好物だし、見た目もよく似ている……"ぶっ飛び豆野郎"って名前はどうだ?」
「ヂュッ!?」
あまりにも残念な命名に、獣も小さいながらも全力で首を振り、拒絶の意を示した。
訳知った仲間たちは、諦めたように遠い目で空を仰ぐ。
「天は二物を与えなかったね……」
「前から思ってたけどさ、ウェザー。おまえってそういう発想はてんでダメだよな」
「そうか? 特徴をよくとらえた名だと思うが」
他にも"暗黒えんどうまめ"、"消し炭豆大福"などという案を却下したのち、獣は最終的に"ビーノ"という名前で落ち着いた。
各個体との絆を深めるというのが、依頼の最適解だったらしい。"ビーノ"と名付けられた獣は、新しい庇護者のもとで幸せそうに過ごす。すると、同調した分裂体は羨ましがって向こうから寄ってくる。
綿花が積み重なるように、獣は統合していく。今や少年の腰までの背丈に達し、手を繋いで歩けるまでになった。
「数えた限りだと、もう七十匹は集まったと思うよ。博士の言ってた"百匹あまりに分裂した"って言葉が本当なら、過半数を集めた僕たちの勝ちになるんじゃないかな」
「ああ。博士の獣除けの陣の探知精度からして、百を超えるとしても誤差数匹程度だろう。日も傾いてきた、研究所に戻ってもいいくらいじゃないか?」
「ええーなんだよ! もうおしまいにするってのか!? こんなにでっかくなったんだから、もっと一緒に遊んだっていいだろ!!」
「う、うん。僕だってまだまだ遊びたい……いいよね、ウェザー?」
「仕方のないやつらめ。よし来い、ビーノ。俺が抱っこして公園へ連れてってやる」
「あっ! 抜けがけはずりーぞ!」
「チュッ! チュ――!!」
もこもこした姿をいの一番に堪能したのは、意外にもウェザーのほう。三人と一匹は時間の許す限り、追いかけっこをして遊んだ。
過ごす時間が楽しければ楽しいほど、別れの寂しさが募る。少年らの胸に切なさが宿る頃、先に遊び疲れたエリュンストはベンチに座り、その隣にウェザーが立った。
「隣国の学院、本当に行かなくていいのか?」
「……ウェザーも、推薦のこと気にしてくれてたんだね。実は、まだ家族にも話してなかったんだけど、僕の気持ちは変わってないよ。返事は明日にもオータム先生に……」
「そんなにジュディが気にかかるのか?」
驚きで身をすくませるも、それは一呼吸の間のみ。ウェザーの洞察力なら、自身の胸中を見透かすなど容易いだろうと観念し、エリュンストは思いを吐き出す。
夕立の日に交わした、約束のことも打ち明けた。
「あいつをほっとけない、目を離したらどうなるかわからないってのは理解できるが……その"約束"はどうかと思うぞ。勝手にどこへも行くなと言っておいて、逃げ場がなくなったのは、おまえの方じゃないか?」
「そんなつもりじゃ……僕はただ、いろいろと時期尚早だって考えたんだ。ジュディさんも僕自身も、何もかも中途半端で未熟なままじゃ、どこにも行けたものじゃない」
「じゃあ、いつまでジュディを支えれば気が済む? それ以前に、殺しを厭わぬ世界で生きていたあいつが、本気で変われると思うのか? それとも……ずっと手元に侍らせておきたかったか? 良くも悪くも純粋な性分だし、おまえの言うことなら疑わず聞くだろう。自分好みの女に育て上げることだって……」
「やめてよ! あの子を悪く言うな!! いくらウェザーでも許さないよ」
立ち上がって叫ぶ。彼女への侮辱だと感じてしまえば、理屈を置いて体は動いた。
らしくなく感情的にウェザーへ詰め寄る。
「欲望ありきで約束を交わしたわけじゃない!! そんなの、彼女を捕まえた組織の人間と同じじゃないか!! 僕はジュディさんに、幸せに生きてほしいと願っただけだよ。あの子は、ただの女の子なんだから」
言葉を紡ぐうちに、エリュンストは冷静さを取り戻した。ウェザーのことだから、これも考えがあってのものだ。掴みかかる寸前まで激昂したが、思いとどまった。
おまえならそう言うと思った、そう返した彼の瞳に、ある種の諦観と自罰的な色を感じたからか。
「さすがはエリュンスト。驕りも偏見もない、いい答えだった。さっきは試すようなことを言って悪かったな。おまえの本心が聞きたかったんだ」
「ううん……今思えば、そう思われても文句は言えないよ。僕、思い上がってた。ジュディさんの生き方にどうこう言える立場じゃない。あの子にとって僕は、ただの同級生でしかないし」
「……なあ、おまえが思うほど、今のジュディは助けが必要か? 何があったかは知らないが、あいつは変わった。より人間らしくなったとは思わないか?」
「そう、かな……前より話すようになったのは確かだけど」
「それもあるが、やっぱり元議長のとこのねーちゃんを"お嬢様"呼びしなくなったのが大きい。あれはちょうど、夏祭りの終わった後くらいだったか……」
二人は出会いの日から思い返し、印象の変化を確認し合う。初対面時のジュディはまさしく獣。町の家屋を暴こうとした少女を、悪童らは必死で取り押さえた。
手負いの獣と見まごうジュディに、エリュンストは恐怖しか覚えなかった。それがオーガスタと再会してからは忠実な飼い犬に、夏祭りのあたりからは対等な友となるまで成長した。
首都への里帰り後には、しがらみから吹っ切れたかのような表情を見せた。
ジュディが変わりつつあるのは真実だ。
「エリュンストもさ、俺たち三人でつるむようになってからは、だいぶ変わったよな」
「それは変わらざるを得ないよ。家で本を読んでばかりだったころに比べたら、今の毎日はいろんな意味で刺激的だし、大人たちにはすっごく怒られるけど……楽しかった。知識の実践があんなに面白いなんてはじめて知ったし、勉強へのやる気も増した。今の僕に成長できた」
日も暮れて久しく、冷たい秋風が頬を叩く。ラリィとビーノが遊びまわるのを見ながら、別れの時が迫るのを自覚する。
もういい加減、ビーノを研究所に連れて行かねばならない。
「もし……学院に行ったら、もっとすごいことができるようになるのかな? けど、この三人でいられなくなるのは、身が裂かれるくらい、寂しい」
「俺だって寂しいぞ」
「えっ!? そうなの? ウェザーが僕と離れたくないなんて、ちょっと意外だな……」
「なんだよ、文句あるのか? まあ、寂しいのが半分ってとこだが……ところで成長といえば、エリュンストはビーノをどう見た?」
「どうしたの急に話題変えて、照れ隠し?」
「いいから聞けよ。勝手だけどさ、俺はつるみ始めたころの、おまえの姿に重ねて見ていた。退屈な場所から引っ張り出して、ああやって遊びまわって、分裂体を見つけて……ビーノはあそこまででかくなった」
あらためてビーノに目を向ける。エリュンストは自身との共通点に気づくと同時に、ここまで仲良くなれた理由も、自然と理解できた。
「別れが来るなんてわかってても、俺はビーノの完全な姿が見たいと思った。エリュンストにも、ラリィにも同じことが言える……離れ難く思うが、それ以上に、立派に成長したおまえらが見たい。大事な仲間だから、なおさらな」
自分たちはまだ幼く、未熟だ。いつだって目先の光景に囚われる。けれど、まだまだ先に進める。もっと大きなことができるはずだ。
内なる意欲を自覚し、エリュンストはしっかりと前を向いた。
自身の可能性を試したい。たとえ大事な仲間と離れるとしても、約束を違えるとしても……
研究所に戻り、顔を合わせた少年少女は愕然する。注目するのは互いが連れている、もふっとした獣の大きさ。
「やばっ……向こうのねずみ、デカすぎっす!」
「ぶははははは! おめーら、あんだけ偉そうに言ってたくせに、それっぽっちしか集まらなかったのかよ!」
「うわー! あんたたちすごいじゃない! 極小綿鼠ってけっこう大きい獣だったんだね! さわってもいい?」
「まだ負けたわけじゃないわ! どうせそいつは空気で膨らんで大きく見えるだけよ。こっちのだって……」
「もうやめましょう、オーガスタさん……毛皮を引き伸ばしたって、何も変わりませんよ」
「はいはい、落ち着いて。みんなよくがんばってくれたね。おかげで想定よりずっと早く捕獲できたよ。では、さっそくくっつけてみようか」
結局、リーネが連れてきた数以上は自力で見つけることができず、また白い個体はそれほど少女たちに懐かなかった。白い獣は足をばたつかせ、もう一方と融合したがっていた。
解放されるやいなや、もう一方の自身に飛びつき、黒い綿に飲み込まれるようにして、二匹はひとつになる。
「これが完全体だよ。極小改め、極大綿鼠と呼ぼうか」
「いいや。どんな大きさになっても、こいつは"ビーノ"なんだ。俺たちはそう名付けた」
双方より歓声が上がった。完全体となった獣は、ウェザーたちより頭ひとつ小さいながらも、人の子どもと変わらぬ体長をしていた。
「本来の色に戻らなくていいのかい? 識別しやすいよう黒色に染めたけど、そのままでいる必要はないんだよ?」
「チュウ! チュチュッ!」
「本当にウェザーくんたちが気に入ったみたいだね。君たちといっしょにいた時の姿でいたいんだろう。でもほら、もうお別れの時間だよ。賞品のおやつ一ヶ月分ならそこに……」
「なあ博士! 賞品なんかいらないから、ビーノを連れて帰っちゃダメか!?」
黒いもこもこを背に隠すようにし、ラリィは博士に相対する。獣もまた、彼の手をキュッとつかんで離れまいとした。
「こいつはもう俺たちの仲間なんだ!! まだいっしょに遊びたいし、他のみんなに紹介できてない。いい奴なんだから、俺たちのところで暮らしたっていいだろ、なあ!?」
「悪いけど、君たちにはこれ以上預けられないよ。託したときの大きさならともかく、完全体となったんだ。大人しい気質とはいえ、万が一ということもある。このまま研究所にいるのが一番いい。寂しいなら、いつでも会いに来ていいから」
「そんなの納得できるかよおおお! 町の連中には俺たちが説明するから。おいウェザー! エリュンストも! おめーらだってビーノと離れるの嫌だろ!? 何とか言えよ!!」
「いい加減にしろよ、ラリィ。現実的に考えて、俺たちがビーノを引き取れるわけないだろ」
「名残惜しいのはわかるけど、博士の言うとおりだよ。餌代やお世話はどうするんだい? だいたい、ラリィだって、剣術大会で優勝したから、軍への推薦をもらってるじゃないか」
「うっ……そうだったぜ」
少年たちには志があり、進路は明るい未来に続く。自身のこれからを顧みたラリィは、気を落としながらも諦めた様子で、仲間とともに研究所から出ようとした。
諦めきれないのは獣の方だ。ビーノは、彼らの大志や向かう先など知らない。ただ、仲間と離れたくない、行かないでとすがりつく。
「来るな!」
振り向きもせずにウェザーは言う。
別れを寂しく思うのは、三人ともに共通していた。
「わかるだろ? 俺たちはまだまだ"未完成"なんだ。まだ誰かに養われている状態じゃ、何も成し遂げれやしない。けど、時間はかかるが、俺たちは確実にでっかくなって、いつかおまえを迎えに来る。仲間だから、理解してくれるよな?」
「チュチュッ!? チュ、チュチュー!!」
それでも駆け出しかけた獣の腕を、博士は掴んで止めた。切なさに耐えきれなくなったか、少年たちは出口へ走り出す。
「どうしてもついてきたいというなら、邪魔なやつら全部打ち倒してから来い! 完全体になったって、ビーノにはそんなことできっこないくせに」
最後に投げかけた言葉と、少年たちの姿が見えなくなったことで、やっと獣は静かになった。
「まったく、獣を引き取ろうなんて、何てこと考えるのかしら」
「はい……こんなに大きいねずみさん、うちでは飼えません……」
「そういうことじゃないっすよメイちゃんさん!」
「でも! あんなに仲良くなったのに、はなればなれなんてかわいそうだよ! ねえ博士、本当にいっしょに暮らしちゃダメだったの? この子ならウェザーたちと助け合っていけそうなのに」
「現状からして、許可は出せないよ。人と獣の共生が理解されるとは思えない。何より、死後の大地汚染問題が解決しない限りは……あっ、ちょっと!」
突如、獣の腕が落ちた。博士に掴まれた部分から"分裂"し、拘束から逃れたのだ。
腕だった箇所は新たな分裂体として動き、すぐに本体へ戻った。
自由になったビーノだが、すぐに少年たちのもとへは走らない。彼らが言った、最後の言葉を実行するまでは。
「みんな! 状態変化の用意を! 極大綿鼠……いや、"ビーノ"は僕たちと戦う気だよ」
邪魔するものをすべて打ち倒して、一匹でも生きていけることを証明するのだ。
悪童たちの仲間として暮らしていける環境……最も住みよい場所へと戻るために。
「今回は戦闘なしだと思ってたけれど、よくってよ! やっと獣らしくなってきたじゃない」
雷霆の瞬くように、最速で状態変化したオーガスタは、そのまま雷光の速さで捕えにかかる。しかし、ふわっと胴を掴んだ瞬間、獣は上下に分かれて逃げた。
手加減を止め、雷魔法で気絶させようと撃った白金閃光脚は、放射された稲妻の数だけ、獣を分裂させた。
「……ねずみさんの魔法、ひょっとして……すごくまずいんじゃ」
「攻撃が当たる前に分裂して回避か。個体数が増えるとさらに手数が増える。戦ってみると厄介極まりない性質だね」
「冷静に分析してる暇あったら、作戦を考えなさいよ博士!! またこれだけの数、町に逃げだしたら面倒よ」
「一旦戦うのやめて、ウェザーたち呼んで来た方がいいんじゃないかな? あっちの言うことなら聞いてくれると思うし」
「要求飲んだらこっちの負けよ! だいたい、避けるのがうまいだけで、わたくしたちへやり返す力はないはずよ。ジュディ! 風魔法であいつら一ヶ所に吹き飛ばして!!」
その指示が実行される前に、一匹の分裂体がオーガスタの袖の中へ飛び込んだ。
「うへぁ!? ちょっ、服の中に!! いやあああああ!! 取って、ねずみ取ってええええ!」
「待ってよ、話したらわかるから! ウェザーたち呼んで交渉しよ……うわああぁくすぐったいいい!!」
一度倒れ込んでしまえば、どんどん着衣の隙間から入り込まれてしまう。ふわっとした体毛に肌をこすられ、エイプルとオーガスタはくすぐったさに転げ回った。
助けに入ろうとした博士だが、視界に白い物体が入り込む。
博士を簡略化して表した物体、別室で休眠していた"ぬいはかせ"は、二匹の分裂体に抱えられ、両腕に歯を立てられていた。
「ごめーん。捕まっちゃったよ僕」
「何やってるのさ、布と綿で構成された僕。というか、"ぬい質"を取るなんて卑怯だぞ。どこでそんなこと覚えてきたんだい」
反抗の仕方がどことなく少年たちに似ている。半日だけでも、彼らと過ごした時間は獣の糧になっていたのだ。
滞空して服への侵入を防ぎながら考える。ジュディもエイプルと同じく、攻撃できないでいた。
「……キミの気持ちはわかるっすよ。どうしても、やりたいことができたんでしょう」
白い姿だった時からずっと、ジュディは獣を他人のように思えなかった。少年たちの手を経て変わったとしても、もとは同一個体なのだ。
名前を与えられ、少年たちといっしょに生きたいと願った。勇気を出して妨害者に立ち向かうまでに成長した。ビーノは、ジュディが欲しいと憧れる、生きる目標を先に見つけ、それを貫こうとしている。
他者に甘えてばかりの獣が、ここまで変われたことが羨ましい。
「でも、きっと……それは今じゃない。あの子たちが"もっと大きくなってから"っす」
ふと見下ろすと、メイだけ獣に襲われていないのに気づく。本人もまた、その事実に戸惑っていた。
「……チュ? チュチュッ?」
「えっと……ごめんね?」
魔法少女(略)が纏う武装は、搭載した魔法を表し、ひとつひとつ意匠が異なる。水を司るメイのものは最も露出が多く、胸と腰を最低限覆う面積しかない。
分裂体たちは、侵入できる余地がなく、困っているようだ。
「あっ! メイちゃんさんとわたしで、まとめてこの子たち流しちゃいましょう、もうそれしかないっす! すいません皆様方、あとでちゃんと掃除しますから!!」
風と水流が駆け巡り、部屋の隅から服の中の獣まですべて流して集めた。最後に強風で獣を圧縮して完全体にする。
ずぶ濡れとなったビーノは今度こそ諦めたらしく、しゅんとしてジュディに抱えられるがままにしていた。
「信じて待つっすよ。でっかくなったあの子たちが、キミを迎えに来る日を」
少年たちが必ず約束を守ってくれることを、彼女はよく知っていた。
だからこそ研究所を出て、夜の近づく街を走る。会いたい人物を追いかける。
「ふおおおおお! 待ってくださいっす、エリュンストくうううん!!」
「ジュディさん!」
すでに仲間二人と別れた帰路、エリュンストは驚きつつも嬉しそうに振り向いた。
会いたいと思っていたのは彼も同じだ。どうしても、伝えたいことがあった。
「あの約束! めっちゃ雨降ってた日に言ってた約束っ! 覚えてるっすか?」
「もちろんです。そのことでジュディさんと話がしたかったんです。すみません、僕……」
「申し訳ないっす! わたし、たぶん約束、守れなくなるかもしれなくて……ごめんなさいっ、キミは推薦を断ってまで、ちゃんと守ってくれたのに」
未来への展望は言葉としても表せない。だが、目的地さえ定まれば、どこまでも走っていきたい。そういう衝動が、ジュディの心にある。
いつの日か自分の道を見つけたい。今日、著しい成長を見せたビーノのように。敬愛する仲間たちのように。目の前に立つ、年下の少年のように。
「わたし、もっとみんなの役に立ちたい! みんなを笑顔にしたいっす! やりたいことをやるためならきっと、なりふり考えず突っ走っちゃうと思うんす。どこにも行かないというのは、難しくなるやも」
「謝らなきゃいけないのは僕の方なんです、ジュディさん。僕だって、約束を守りきれませんでした……やっぱり、学院に行きたくなったんです」
「ああっ! エリュンストくんにも行きたい場所ができたんすね。じゃあ、アレっすね。約束破りはおあいこってことで」
「はい……約束だなんて、勝手なこと言い出してすみません。あれはもういいんです。忘れてください」
「そんなこと言わないでくださいよ。キミが言ってくれたこと、わたしは本気で嬉しかったんすから……あっ、そうだ! 新しい約束を交わしましょうよ! ここで! 今すぐ!!」
自らのいい考えに興奮し、ジュディはエリュンストの両肩をバシバシ叩いた。
ただ、肝心の約束がすぐには出て来ない。ああああ~などと無意味な音声を放ち始め、少年も困ったように身動ぎした果てに、少ない語彙から単語を絞り出す。
「えっと、えーと……遠くに、行っちゃっても……そこで見たすごい景色を、わたしに教えてください。わたしも、走った先で発見したことは、みんなキミに教えてあげるっすから」
「……っ! はい! とても、すばらしい約束ですね。今度こそ、必ず守ると誓います」
「えへへっ! いつも教えてもらってばかりのわたしが、エリュンストくんに何かを教えるなんて、信じられないことかもしれないっすけどね」
「いいえ! 僕は信じてますよ。その日が来るのを、待ち遠しく思います!!」
出会いも衝撃であったが、この出来事も強い印象をエリュンストに刻んだ。これまでも、ジュディと話し、深く知り合う度に彼の価値観は塗り替えられ、何度も心乱されてきた。
人はここまで変われるのだと痛感する。もう"時を止めたい"と願っていた彼女はどこにもいない。
確信を持って言える。ジュディは以前とは違う。
彼女はもう二度と、誰かの所有物にはならないだろう。
あの夕立の日のように、二人は指を絡める。向かい合って立つ彼らを、夕日の残光が照らし、影は街道に長く伸びて映された。それは、立派に成長した二人の姿を暗示させるよう。
これより先、別方向へ踏み出すのは大人への道の一歩。別れの挨拶を交わし、ジュディとエリュンストは紳士淑女として礼をする。
幼年期の終わりに。




