首都へ行こうよ! 雷光姫と青の神殿
カーレル・シズネ町に来たばかりの頃、メイはよく青空を眺めていた。
それは何かを探しているような。行くべき道を見失ったかのような、寂しさを込めた姿だった。
日々を過ごしていくうちに、空を見上げる頻度は減っていったが、ラリィの胸から不快感は消えなかった。あの紫色の瞳が、蒼穹に向けられるたびに、たまらない気持ちになる。
彼女をメイ姉と呼び、家族として受け入れるようになってからも、その思いはずっと変わらない。
「作戦会議だウェザー、エリュンスト! 頼む!! 俺に知恵を貸してくれ!!」
「急になんだ」
「どうしたのラリィ? 手に持ってるそれって……大教会完成式典のお知らせ?」
「俺、ここにメイ姉を連れて行きたいんだ!!」
首都旅行一日目の夜、各々の観光を終えたカーレル・シズネ町一行は宿屋に集結した。賑やかに夕食を取ったあと、それぞれの個室で体を休めている。
ラリィが悪童たちの部屋に駆け込んだのは、そんな頃合いだった。
「ここか……今日見学した議会の近くだな。確かに大教会完成の知らせは大々的に宣伝されていた。隣国からも有名人を招いたと聞いているが……"彼女"を招待したのか? 意外だな」
「ウェザーも闘技場に興味あったよね? この人に会ってみたかったんじゃないの?」
「べつに。どちらかというと俺は、こっちよりセレスフェルドのフレイゼアを応援しているんだが……」
「おい、俺の話聞けよ! なんでもいいから協力してくれっての!!」
「おまえが文化的行事に関心を持つのは珍しいが、日程を変えてまで行く必要があるのか?」
「ある! またとない機会なんだ。ただで大教会に入れるなんてこと、もう二度とないかもしれねえ!」
「僕だって興味あるけど……たぶん、大人たちは許してくれないよ?」
「だから力を貸してくれって頼んでんだろうがあああ!! おまえらなんとかしてくれよマジで!!」
駄々をこねるラリィに、エリュンストは困り果てて天井を仰いだ。
この友人の義姉に対する思いは、以前から相談を受けて知っている。最初は反発心から冷たい態度をとっていたが、このごろはちゃんと家族としての絆を育みつつあった。
だが、まだ彼はメイに対し、受け入れられないことがある。
「ここにメイ姉を連れて行けば、俺の……なんかもやもやした気持ちが取れる気がするんだよ! 俺、もう嫌なんだ! あいつ見ていらつくのはよ」
「喚くな。できないと言っているわけじゃない。穏便にあのねーちゃんを連れ出す方法はある」
「本当か!? さすがウェザーだぜ、ずる賢さは国一番だな!」
「おまえが単純すぎなんだよ、ラリィ。悩みがあれば全部顔に出る。この秋に大事な大会を控えていることだし、これを機に迷いをすべて断ち切ってしまえ」
「やっぱりそう言うと思ったよ。それじゃあ、どうやって行く? 夜にこっそり宿を出るの?」
「いいや。明日、一日かけて決行する。協力者の力を借りるがな」
ウェザーはすぐさま計画を仲間に話し、実行に移すことにした。まずは協力者に話を持ちかけるのだ。
そして訪れたのは、エイプルにあてがわれた部屋。
「ええええー!! あんたたち、大教会に行きたいの!?」
「しっ、声がでけえぞエイプル姉。大人たちに聞こえるだろ!」
「だって勝手なことしちゃダメじゃない! 物騒な事件が起こったばかりなんだから。どこに悪い人がいてもおかしくないんだよ」
エイプルの言う通り、本日の夕方、首都の街で凶事が発生した。闇の組織による議員令嬢たちの誘拐未遂事件だ。
実行犯は捕まったものの、行方の掴めない構成員も多い。エドラ軍隊は組織の一掃に踏み切り、懸命に捜索を続けているが、街の住民たちの不安は大きい。
しかし、悪童三人組に恐怖はない。
「忘れたのかよエイプルねーちゃん。俺たち三人なら誰が相手でも逃げおおせる。しかも、メイねーちゃんもいっしょなんだぞ? 俺たちより悪党どもの心配をした方がいい」
「そ、そうだけど……メイちゃんが強いことは知ってるけど……」
「お願いします、エイプルさん。俺たちがずっと宿屋にいたって証言してくれるだけでいんです。子どもは外出禁止と言われれている以上、僕たちはここにいたことにしないといけない。それにはあなたの協力がどうしても必要なんです」
「エリュンスト……言ってることはわかるよ、でも、心配なんだもん! せめて私もいっしょに行ったらダメなの? そばにいないと、あんたたちを守ってあげられないし……」
「頼む。この通りだ」
琥珀色の髪が勢い持って動いた。ウェザーが頭を下げたのだ。
エイプルは目を見張った。誇り高い彼が、このような行為をするのは珍しい。
「俺はラリィの願いを叶えてやりたい。こいつが悩んでいるのを、これ以上見過ごせないんだ。大事な仲間のために力を尽くしたい。この気持ち、ねーちゃんならわかってくれるよな?」
「……ウェザーがそこまで言うなら、しかたないなあ! 手伝ってあげる。そのかわり、メイちゃんとすてきな思い出、たっくさん作ってくるんだよ!」
無事約束を取り付けられたことと、仲間からの思いに触れ、ラリィは感激してお礼を言った。さっそくメイ姉を誘ってくると意気込み、部屋から出る。
悪童たちがいなくなったあと、エイプルは笑顔をやめ、寝台に顔をうずめた。
「あー……明日どうしよ。またひとりになっちゃった。どうやって時間つぶせばいいかなあ」
エイプルもまた、旅行の予定変更に翻弄されていた。
首都を案内してくれるはずのオーガスタとジュディは、先の事件に巻き込まれ、事情聴取のため旅行最終日まで戻ってこられない。
リーネは転院したという知り合いを追って、親子ともに首都内の病院を回っている。
明日はメイといっしょに過ごすつもりであったが、その予定もたった今消滅した。エイプルはひとり枕に顔を突っ伏し、さみしい思いを噛み締める。
「休んでいるところごめんよ。ちょっといいかな?」
「ひゃあああっ! こ、この声は……博士!! そうだった、"ぬいはかせ"を連れてきてたんだった!」
カーレル・シズネ町にいる博士との緊急連絡用に、少女たちは小さい彼を持参してきた。
魔力の節約のために今までは活動せず、ただのぬいぐるみとして荷物に紛れていたのだ。
「話はすべて聞かせてもらったよ。どうやら、君だけは自由に動けるようだね。休暇中なのに悪いけど、明日は僕といっしょに行動してくれないだろうか」
「いったいどうしたの? 町でなにかあったの!?」
「"激走透過狸"が脱走したんだ。おそらく君たちと同じ馬車に乗って町を出てしまった。首都のどこかにいることは間違いない!」
ぬいはかせが状況説明を進めるうちに、エイプルからさみしい気持ちは去っていった。今はただ、真剣な表情で新しい問題に目を向ける。
"魔法少女(略)"に状態変化できずとも、人々を守る使命は変わらない。
エイプルは守護者の顔に切り替わった。
◇ ◇ ◇
夏祭りの夜の夢を彷徨ったときから、メイの自身への不信感は募るばかりだった。
"メイガン"と呼ばれる、戦闘民族の血を引く自分。あの夢の中で自身の正体を暴かれ、強者との死闘を求めるという、恐ろしい本性を突きつけられた。愛すべき義弟も、決闘の対象として見ていたことに気づかされた。
悩み、苦しみ……それでも故郷への憧憬を捨てられないまま、今に至る。
ラリィに手を引かれるまま、強引に連れ出されている。
「ねえ、ラリィ君……本当に大丈夫、なんだよね? その……私たちだけで、外出するのって……」
「ああ? だから何度も大丈夫だって言ってるだろうが! メイ姉は何も気にしなくていい、黙って俺たちについてこいよ」
「うん……」
悪童三人組とメイがいるのは首都の中枢部。議会堂を中心に展開する国営施設の集合地帯、その一角にある"女神教"の総本部に向かっている。
女神を唯一神として祀る女神教は、世界で最も多くの信者を有し、人々の心のよりどころとなっている。この国、エドラサルム=ジ・エラも例外でなく、国民は女神の教えを重んじ、教会は尊敬を集めていた。
信仰の象徴である大教会の建築は、国家を挙げた事業であった。今日はその完成記念式典。議会の高官や、隣国から有名な剣闘士を招くなどして、盛大に祝われる。
近隣諸国で最も美しい神殿。世界に比類なき大建築と謳われ、式典参加者の期待を煽っている。
しかし、なぜ悪童たちがここに行きたがったのか、メイには理由がわからない。自由行動を楽しむよりも、この外出が養父母に見つかるのではと気が気でない。
黙って手を引くラリィに困り果て、彼の仲間たちに助けを求めようとするも、ウェザーとエリュンストの関心は、また別件にあるようだ。
「あんな事件があったばかりなのに、今日の式典はよく中止にならなかったね。軍隊が総力を挙げて誘拐組織を追跡しても、首謀者おろか、幹部のひとりさえ捕まっていない状況なのに」
「簡単に予定を変えるのは議会のメンツに関わるんだろう。この式典のために宣伝費もかけたし、隣国から客人も招いている。ただでさえ現政権は批判を集めているんだ。支持率低下を防ぐために、議員たちも必死なのさ」
「前の最高議長が去ってから、議会は荒れるばかりだね。せめて軍隊だけは真面目に動いて、組織を壊滅してくれたらいいんだけど」
「そう簡単にはいくまい。追われて切羽詰まった組織なら、見境なく悪事を働くだろう」
ふと、邪な気配を感じ取り、メイはウェザーたちの会話から注意を逸らした。
何人かのこちらを伺う視線。まるで品定めをするようだ。
思えば、保護者を連れず、子どもだけで式典に向かう自分たちは、人攫いにとって理想の獲物である。人の集まる状況も身を隠すのにちょうどいい。
まだ組織が奴隷を求めているのなら、この機会に食いついてきてもおかしくない。
「ねえ……ラリィ君。みんなも、ちょっといい?」
耳打ちして告げる内容は襲撃の予兆。魔の手が迫ると聞き、少年らは身をこわばらせた。
だが、悪漢たちは運が悪い。よりによって異郷の戦闘民族を相手取るとは。
「お嬢様に引き続き、こっちにも厄介事が降りかかったか。念のため聞くが、メイねーちゃんだけで撃破は可能か?」
「うん……余裕だと、思う……」
「はあああ!? 向こうが何人いるかもわからねえってのに、大層な自信だな! ったく、これだからメイ姉はやべぇ女だぜ」
「ラリィ君……ごめんね。やっぱり……こんなお姉ちゃんは嫌だよね。普通のお姉ちゃんじゃなくて……ごめんね」
「謝らないでくださいよメイさん! 心強いに越したことはありませんから」
「ひとりで対処できるんなら、特に俺から言うことはない。戦闘はねーちゃんに任せるぜ。ただ、下手に騒いで人目を集めたくない。後処理の面倒さは、お嬢様の一件でわかっているはずだ」
「それならいい場所があるよ」
一行はエリュンストの指す方向へ駆け出した。人混みを避けるよう、教会施設の裏庭に入り込む。
今の振る舞いははたから見れば、好奇心旺盛な子どもたちが探検を始めたようにしか捉えられない。
願ってもない愚かな行動に笑みを溢し、男は周囲にいる仲間を集めだした。
組織にとって、これがエドラで行う最後の仕事となるはずだった。他国の狩場に好条件で参入するための任務。落ち目の組織には、国外脱出以外に進む道がない。
大教会周囲の生垣はよく手入れされ、整然と配置されているが、その裏には建築のための資材や、作業工具が放置されている。期限に間に合わせるため、無理矢理片づけを終えさせ、やむなくここに隠したのだ。
植木の隙間から入り込んだ男は、すぐに少年らの背を見つけ、警戒なく近づいていく。仲間たちも別方面から迫り、捕獲は容易いことのように思えた。
死角から青髪少女の手刀を受け、地に沈むまでは。
「走れ!」
駆け出した二人の少年を追い、人攫いのひとりは手を伸ばすが、角を曲がった先で頭に重い一撃を受けた。身を隠していたラリィに殴られたのだ。彼は手ごろな木材を木刀にし、囮に引っかかった者を一人ずつ潰していく。
「待ちやがれちくしょう!」
「ちっ、ふざけんなクソガキども。この……うおっ、わあああ!?」
なおも追跡する者らは、配管の山の下敷きとなった。子どもだけとなめてかかった思考では、彼らの策を防ぐことはできない。
逃走ならぬ、誘導順路もすでに完成していた。ウェザーとエリュンストは囮の役目を引き受け、悪党どもを罠へと誘い込む。
辺りに転がる資材は、ウェザーの手によって武器と化した。追いすがる男らの頭上に降らせ、身動きを取れなくする。
「ウェザー、エリュンスト! 無事か!!」
「僕たちは大丈夫。でも……」
「思ったより敵が多い。離脱した方がよさそうだ」
悪童三人組が合流し、暗躍するメイを待つまでは計画通りだ。しかし、想定より人攫いの数が多く、広範囲にまぎれているため、メイによる処理も遅れている。
やむなく大教会前に逃れると決め、少年たちは資材置き場の出口を目指す。
「……ああ、っ!」
「エリュンスト!!」
生垣に向かう途中、エリュンストが砂利に足を取られて転んだ。運悪く、ちょうど瓦礫から這い出てきた悪党が、少年を捕えようと迫る。
とっさにウェザーが駆け寄り、足払いをかけ倒したが、決定打に欠ける。
仕掛けた罠は使い切った。今転ばせた者を含め、追跡者が増えるのも時間の問題だ。複数の大人相手では、さすがのラリィも太刀打ちできない。
いまだメイが戻らない以上、少年たちに残された道は、この場を出て助けを求めるしかなかった。
仲間を確実に逃がすため、わざと捕まるか。
ウェザーが自己犠牲の策を考慮し始めたころ、この場に新たな人物が足を踏み入れた。
「おーい。何やってんの?」
その登場は、白雷が落ちてきたかのように見えた。
生垣を飛び越えてきたのは、剣を背負った少女。磨き上げられた武装を纏って駆ける姿は、雷電を思い起こさせる。
少年らの前に立ち、剣を構えた時にはもう、追跡者は地に伏していた。
◇ ◇ ◇
不意打ちでは物足りない。皆、紙人形のように倒れていく。
敵の狂騒に当てられたか、メイはふらふらと移動し、見晴らしのいい場所へ立つ。少年らを狙う隙を討つ、という目的から大きく外れ、身勝手な戦いを始めようとしていた。
「へへっ、へへへ! こいつぁ、可憐な……」
「これほどの上玉。いくらの値がつくか見当もつかんな」
「早く捕まえろ! 納期に間に合わねぇだろうが!!」
式典の人込みにまぎれていた組織の構成員は、その多くが増援として呼ばれ、資材置き場に集っていた。そして、メイを目にし、吸い寄せられるように捕獲の手を伸ばす。
だが、その行為は大火に飛び込む羽虫と等しい。
羽交い絞めにしようという手を、身を静めて躱し、顎を蹴り上げる。同時に二人掛かりで掴みかかられるも、目にも止まらぬ突きで急所を穿ち、昏倒させた。
倒れゆく様にも目をくれず、メイは次の敵を追い求める。
彼女を囲む、男たちの愉悦の笑みが恐怖に変わるまで、数秒もかからなかった。
ようやく命の危険を悟った者が短剣を抜くも、一瞬で叩き折られる。
「ひぃいいい!! あ、ああああ!」
「やめろっ、来るな来るなああああ!」
紫瞳は闘争の悦びに爛々と光っている。
悪党らは、自分たちがとんでもない化け物を相手にしていると知った。
本来なら無用の戦い。相手にする必要のない者たちだ。
でも、みんなを守るためだから……とメイは自身に言い訳し、いらぬ戦闘に没頭する。知らぬうちに、自身の本能に浸食されていく。
今のメイは、夏祭りの夜の夢で見た"本当の自分"に近い。秘すべき本性を暴かれてから、彼女の中で脈打つ血は、欲望を増すばかりだった。
もっともっと楽しく戦いたい。幾千の死闘を繰り広げよう。
最高の英雄を打ち倒し、骸を捧げるのだ。あの懐かしき"至上の青"。聖泉に、祈りを込めて。
源流からの響きに従い、メイは踊る。もはや本当の目的など脳裏にない。
敵が戦意を無くし、逃げ惑う状況にも気づかず、殺戮の手を伸ばし……
「ちょっと、話が違うじゃない。女の子が悪い奴に襲われてるって聞いたのに、真逆じゃないの」
ぶっきらぼうだが、凛と通る声。年若い少女のものだ。
新手の登場を知覚した直後、地面に何かが通り抜ける。
振り向けば、ひとりの少女の姿がある。メイやエイプルたちと同い年くらいだ。限りなく白に近い金髪と、青とも緑とも見える瞳が目を引く。若く、女でもあるが歴とした剣士だ。質のいい武具で身を鎧い、地に剣を刺している。
剣を引き抜いた瞬間、悪党たちが残らず倒れた。
先ほど地を駆け抜けたのは雷魔法。状態変化したオーガスタのものより威力は落ちるが、それでも恐ろしく高精度のものだ。
「あの、あなたは?」
「ただの通りすがりよ。それより、あんたのお友達が向こうで心配してたわ。さっさと戻ってあげて頂戴」
それを聞いて、メイは動いた。
義弟たちのもとへではない。今しがた現れた女剣士を手にかけるため、躍動したのだ。
この刹那、メイの心は完全に本能に飲まれていた。
これまでの人生において、何度も戦闘はあった。激しい戦いを経験してきた。だが、真に倒したい相手とは出会えなかった。
不死者"博士"は論外。"黒き獣たち"、大切な仲間、義弟は……強者となり得る存在だが、まだ足りない。戦っても満たされない。
けれど、彼女は違う。
はじめて会った、最高の戦士。完成された英雄……聖泉へ捧げるに相応しい。
メイは目の前の強敵を打ち倒すこと以外、もう何も考えられなかった。持ちうるすべての身体能力、技術を結集し、必殺の一刀を繰り出す。
ガァン!!
鎧の砕ける音とともに、衝撃波がメイを正気に返す。
今のは渾身の刺突だった。仕損じるなどあり得ないのに。
右足の武装を犠牲にし、彼女はメイの攻撃に蹴りをぶつけ止めた。愕然とするメイの隙を逃さず、殴る勢いで胸ぐらを掴み、乱暴に揺さぶる。麗しい出で立ちからは予想できない喧嘩戦法だ。
膝をついたメイの首筋に、彼女の剣がひやりと触れた。
彼女については、オーガスタから飽きるほど聞かされたので知っている。
白金の髪を持つ、北方の雪国より招かれた剣客。闘技場では"雷光姫"との二つ名で呼ばれ、畏れられていること。この上なく強いと有名だが、ここまでとは……
「無駄だ、"メイガン"」
彼女の名は、ラムザロッテ。
「あんたたちの"水"は、あたしに効かない」
二百年前に実在したという、英雄の再来とも言われる戦士。隣国ルトワヘルムの花形剣闘士である。
「メイ姉!! おおーい、いるなら返事しろよおおお!」
「大声出さなくったっていいじゃないか、ラリィ。あの人が来てくれたんだから、過剰戦力にもほどがあるよ」
「おっ、向こうから来てくれたみたいね。ほら、しゃんと立って。それとも、あたしと本気で一戦やる気?」
「いえ……結構、です……」
「ふーん。あんた、メイガンにしては諦めがいいね。普通ならしつこく食い下がってくるのに」
「いいんです…………あなたに何度挑んでも、勝てる気がしませんから」
よくわかってるじゃない。そう言って、ラムザロッテは凄みをこめて笑った。彼女たちほどの力量を持つ者なら、技を交差させるだけでも、実力を見極められる。
確かにメイは戦いの才に恵まれている。戦闘民族の血を引くゆえに、体のつくりも頑丈にできている。
だが、暗殺組織にいた時から今日まで、適切な習練を積まなかった。強者と渡り合うだけの技を磨かなかったのだ。闘技場で場数を踏み、対人戦を極めたラムザロッテに、勝てるはずもない。
「……それに、私の名前はメイです。"メイガン"じゃ……ありません」
自身の変化を確認するように、メイは言う。敗北を期してから、本能からの声が遠ざかっていくのを感じていた。
心折れ、戦いを諦めた者に、聖泉は輝かない。
正式に名乗りを受けたラムザロッテは、これは失礼、と微笑み、戦意を消した。そして、少年たちへ手を振って居場所を知らせる。
「あんたたち観光客だって? 取り調べとか面倒だろうから、ここはあたしがぜんぶやったってことにするわ」
「やったぜええええ! さすがラムザロッテ、気が利くじゃねえか!」
「でも、式典は中止でしょうね。憲兵が殺到するだろうし、人込みに紛れた悪党を逃すわけにいかないから」
えええー、と気落ちするラリィ。ラムザロッテは彼を励まそうと、剣がわりの木片にサインを書いてあげた。
「ラムザロッテさん……この度は、本当にありがとうございました。ご迷惑をおかけしたこと……申し訳ない、です」
「いいってことよ。あたしこそごめんなさい、手加減できなくて。腕、大丈夫?」
「お会いできて光栄です。今日の式典に出席するとは知っていましたが、直接お話しできるなんて……あのっ、僕と握手してください!」
「はいはい」
「わあああ!」
「そっちの子は? せっかくだし、あたしのサインとかいらないの?」
「……いいです。俺、フレイゼア派なんで」
そっけない態度を仲間たちに非難された後、ウェザーはそろそろ憲兵が来るぞと、場所替えを提案した。
メイは深々と頭を下げ、少年たちを引き連れ、歩き始めた。しかし、ラリィだけは我慢できず、数歩戻って大声を出す。
「なあラムザロッテ! 最後に教えてくれよ、あの噂ってマジなのか!?」
「やめときなよラリィ、失礼だよ」
「いいじゃねーか! いい機会だし、聞いてみたっていいだろ!」
「あんな与太話、ただの宣伝文句に決まっている……でもまあ、英雄がいたとしたら、ああいう奴のことを言うんだろうな」
オーガスタはじめ、熱心な支持者の間では有名な噂だ。生国、容姿、得意の雷魔法など……かの女剣闘士は、過去の大英雄との共通点が多い。
「あんたの前世が、"雷将ラムダディーン"だってのは本当なのか?」
憧れに満ちた素直な問いをぶつけられ、ラムザロッテはゆっくり振り返った。
剣を肩に担ぎ、豪快に笑って言う。
「だったらどうだっていうの?」
人の波が引くまで、大教会の中で過ごすといい。式典に参加できなくなった詫びに、ラムザロッテはメイたちが内部を見学できるよう、計らってくれた。
一行は裏口から側廊を抜けて、誰もいない中央塔に進む。
「わぁ……きれい」
列席の果て、大司祭の立つ演台には、三つの薔薇窓から光が射す。嵌め込んだステンドグラスには、女神を讃える文言と、花と星の意匠が彫りこまれている。特徴的なのは、全面青色に塗り込まれていること。
「なるほど。だから、"青の神殿"か」
「うわあ。すごいなぁ」
「まだこんなもんじゃないぜ。夕暮れのころが、一番の見ごろらしい」
すべてが青といっても、少しずつ濃淡を変えて配色されている。外からの光の強さによって、教会内部は海原、青空の中にいるような光景を見せた。そして、短時間で最も多くの色が見られるのは、日の傾ぐ夕方だと宣伝されていた。
ラリィが、メイに見せたかったのはそれだ。
近隣諸国で最も美しい神殿。この世界、すべての青がここにある……大教会完成式典の謳い文句だ。
義姉の手を取り、司祭席の近くまで連れ出す。塔頂上にも濃い青のガラス窓があった。最も多くの光を浴びれる場所、三つの薔薇窓と天蓋からの光が重なる。
「なあ、メイ姉。ちゃんと……好きな色、見つけられたか?」
「え……?」
カーレル・シズネ町に来たばかりの頃、メイはよく青空を眺めていた。ラリィなりにその理由を考え、出した結論がこれだ。
彼女は故郷を探している。海辺か、どこかの泉のものか……青色の記憶を頼りに、ふるさとに繋がる景色を求めて、蒼天を仰ぐのだ。
ラリィには、メイを故郷に連れて行くことはできないが、憧憬に一番近い色を見せてやるくらいはできた。
「もしも、今日見つけられなくてもさ。また俺がメイ姉をここに連れて来るから。メイ姉の探してる故郷の青色、見つかるまで付き合ってやる」
「ラリィ君。今日のこれって……全部、私のために……?」
「この国はメイ姉の故郷じゃねえけど……俺たちは家族だろうが! てめーは俺たちのところにずっといていいんだ! だからもう、これ以上寂しそうな面するなっての!!」
夕焼けの光が強まるとともに、大教会内部の青も彩度を変えていく。涙で潤んだ紫瞳でも、今ならば"聖泉の青"が見つけられるかもしれない。
けれどメイは、薔薇窓にはもう目もくれず、愛おしい義弟を抱き締めた。
生まれて初めての敗北と、家族からの不器用な優しさを受け、メイの故郷への未練は断ち切られた。
戦いを求める本能も、神聖な光の中で、泡となって消えていく。