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首都へ行こうよ! 雷光姫と青の神殿

 カーレル・シズネ町に来たばかりの頃、メイはよく青空を眺めていた。


 それは何かを探しているような。行くべき道を見失ったかのような、寂しさを込めた姿だった。

 日々を過ごしていくうちに、空を見上げる頻度は減っていったが、ラリィの胸から不快感は消えなかった。あの紫色の瞳が、蒼穹に向けられるたびに、たまらない気持ちになる。


 彼女をメイ姉と呼び、家族として受け入れるようになってからも、その思いはずっと変わらない。



「作戦会議だウェザー、エリュンスト! 頼む!! 俺に知恵を貸してくれ!!」

「急になんだ」

「どうしたのラリィ? 手に持ってるそれって……大教会完成式典のお知らせ?」


「俺、ここにメイ姉を連れて行きたいんだ!!」


 首都旅行一日目の夜、各々の観光を終えたカーレル・シズネ町一行は宿屋に集結した。賑やかに夕食を取ったあと、それぞれの個室で体を休めている。

 ラリィが悪童たちの部屋に駆け込んだのは、そんな頃合いだった。


「ここか……今日見学した議会の近くだな。確かに大教会完成の知らせは大々的に宣伝されていた。隣国からも有名人を招いたと聞いているが……"彼女"を招待したのか? 意外だな」

「ウェザーも闘技場に興味あったよね? この人に会ってみたかったんじゃないの?」

「べつに。どちらかというと俺は、こっちよりセレスフェルドのフレイゼアを応援しているんだが……」

「おい、俺の話聞けよ! なんでもいいから協力してくれっての!!」


「おまえが文化的行事に関心を持つのは珍しいが、日程を変えてまで行く必要があるのか?」

「ある! またとない機会なんだ。ただで大教会に入れるなんてこと、もう二度とないかもしれねえ!」

「僕だって興味あるけど……たぶん、大人たちは許してくれないよ?」

「だから力を貸してくれって頼んでんだろうがあああ!! おまえらなんとかしてくれよマジで!!」


 駄々をこねるラリィに、エリュンストは困り果てて天井を仰いだ。

 この友人の義姉に対する思いは、以前から相談を受けて知っている。最初は反発心から冷たい態度をとっていたが、このごろはちゃんと家族としての絆を育みつつあった。

 だが、まだ彼はメイに対し、受け入れられないことがある。


「ここにメイ姉を連れて行けば、俺の……なんかもやもやした気持ちが取れる気がするんだよ! 俺、もう嫌なんだ! あいつ見ていらつくのはよ」


「喚くな。できないと言っているわけじゃない。穏便にあのねーちゃんを連れ出す方法はある」

「本当か!? さすがウェザーだぜ、ずる賢さは国一番だな!」

「おまえが単純すぎなんだよ、ラリィ。悩みがあれば全部顔に出る。この秋に大事な大会を控えていることだし、これを機に迷いをすべて断ち切ってしまえ」


「やっぱりそう言うと思ったよ。それじゃあ、どうやって行く? 夜にこっそり宿を出るの?」

「いいや。明日、一日かけて決行する。協力者の力を借りるがな」



 ウェザーはすぐさま計画を仲間に話し、実行に移すことにした。まずは協力者に話を持ちかけるのだ。

 そして訪れたのは、エイプルにあてがわれた部屋。


「ええええー!! あんたたち、大教会に行きたいの!?」


「しっ、声がでけえぞエイプル姉。大人たちに聞こえるだろ!」

「だって勝手なことしちゃダメじゃない! 物騒な事件が起こったばかりなんだから。どこに悪い人がいてもおかしくないんだよ」


 エイプルの言う通り、本日の夕方、首都の街で凶事が発生した。闇の組織による議員令嬢たちの誘拐未遂事件だ。

 実行犯は捕まったものの、行方の掴めない構成員も多い。エドラ軍隊は組織の一掃に踏み切り、懸命に捜索を続けているが、街の住民たちの不安は大きい。


 しかし、悪童三人組に恐怖はない。


「忘れたのかよエイプルねーちゃん。俺たち三人なら誰が相手でも逃げおおせる。しかも、メイねーちゃんもいっしょなんだぞ? 俺たちより悪党どもの心配をした方がいい」

「そ、そうだけど……メイちゃんが強いことは知ってるけど……」


「お願いします、エイプルさん。俺たちがずっと宿屋にいたって証言してくれるだけでいんです。子どもは外出禁止と言われれている以上、僕たちはここにいたことにしないといけない。それにはあなたの協力がどうしても必要なんです」


「エリュンスト……言ってることはわかるよ、でも、心配なんだもん! せめて私もいっしょに行ったらダメなの? そばにいないと、あんたたちを守ってあげられないし……」



「頼む。この通りだ」


 琥珀色の髪が勢い持って動いた。ウェザーが頭を下げたのだ。

 エイプルは目を見張った。誇り高い彼が、このような行為をするのは珍しい。


「俺はラリィの願いを叶えてやりたい。こいつが悩んでいるのを、これ以上見過ごせないんだ。大事な仲間のために力を尽くしたい。この気持ち、ねーちゃんならわかってくれるよな?」


「……ウェザーがそこまで言うなら、しかたないなあ! 手伝ってあげる。そのかわり、メイちゃんとすてきな思い出、たっくさん作ってくるんだよ!」


 無事約束を取り付けられたことと、仲間からの思いに触れ、ラリィは感激してお礼を言った。さっそくメイ姉を誘ってくると意気込み、部屋から出る。



 悪童たちがいなくなったあと、エイプルは笑顔をやめ、寝台に顔をうずめた。


「あー……明日どうしよ。またひとりになっちゃった。どうやって時間つぶせばいいかなあ」


 エイプルもまた、旅行の予定変更に翻弄されていた。

 首都を案内してくれるはずのオーガスタとジュディは、先の事件に巻き込まれ、事情聴取のため旅行最終日まで戻ってこられない。

 リーネは転院したという知り合いを追って、親子ともに首都内の病院を回っている。


 明日はメイといっしょに過ごすつもりであったが、その予定もたった今消滅した。エイプルはひとり枕に顔を突っ伏し、さみしい思いを噛み締める。


「休んでいるところごめんよ。ちょっといいかな?」


「ひゃあああっ! こ、この声は……博士!! そうだった、"ぬいはかせ"を連れてきてたんだった!」


 カーレル・シズネ町にいる博士との緊急連絡用に、少女たちは小さい彼を持参してきた。

 魔力の節約のために今までは活動せず、ただのぬいぐるみとして荷物に紛れていたのだ。



「話はすべて聞かせてもらったよ。どうやら、君だけは自由に動けるようだね。休暇中なのに悪いけど、明日は僕といっしょに行動してくれないだろうか」


「いったいどうしたの? 町でなにかあったの!?」


「"激走透過狸ステルスポコ"が脱走したんだ。おそらく君たちと同じ馬車に乗って町を出てしまった。首都のどこかにいることは間違いない!」


 ぬいはかせが状況説明を進めるうちに、エイプルからさみしい気持ちは去っていった。今はただ、真剣な表情で新しい問題に目を向ける。


 "魔法少女(略)"に状態変化できずとも、人々を守る使命は変わらない。

 エイプルは守護者の顔に切り替わった。



 ◇ ◇ ◇



 夏祭りの夜の夢を彷徨ったときから、メイの自身への不信感は募るばかりだった。

 "メイガン"と呼ばれる、戦闘民族の血を引く自分。あの夢の中で自身の正体を暴かれ、強者との死闘を求めるという、恐ろしい本性を突きつけられた。愛すべき義弟ラリィも、決闘の対象として見ていたことに気づかされた。


 悩み、苦しみ……それでも故郷への憧憬を捨てられないまま、今に至る。

 ラリィに手を引かれるまま、強引に連れ出されている。


「ねえ、ラリィ君……本当に大丈夫、なんだよね? その……私たちだけで、外出するのって……」

「ああ? だから何度も大丈夫だって言ってるだろうが! メイ姉は何も気にしなくていい、黙って俺たちについてこいよ」

「うん……」


 悪童三人組とメイがいるのは首都の中枢部。議会堂を中心に展開する国営施設の集合地帯、その一角にある"女神教"の総本部に向かっている。


 女神を唯一神として祀る女神教は、世界で最も多くの信者を有し、人々の心のよりどころとなっている。この国、エドラサルム=ジ・エラも例外でなく、国民は女神の教えを重んじ、教会は尊敬を集めていた。

 信仰の象徴である大教会の建築は、国家を挙げた事業であった。今日はその完成記念式典。議会の高官や、隣国から有名な剣闘士を招くなどして、盛大に祝われる。



 近隣諸国で最も美しい神殿。世界に比類なき大建築と謳われ、式典参加者の期待を煽っている。

 しかし、なぜ悪童たちがここに行きたがったのか、メイには理由がわからない。自由行動を楽しむよりも、この外出が養父母に見つかるのではと気が気でない。


 黙って手を引くラリィに困り果て、彼の仲間たちに助けを求めようとするも、ウェザーとエリュンストの関心は、また別件にあるようだ。


「あんな事件があったばかりなのに、今日の式典はよく中止にならなかったね。軍隊が総力を挙げて誘拐組織を追跡しても、首謀者おろか、幹部のひとりさえ捕まっていない状況なのに」


「簡単に予定を変えるのは議会のメンツに関わるんだろう。この式典のために宣伝費もかけたし、隣国から客人も招いている。ただでさえ現政権は批判を集めているんだ。支持率低下を防ぐために、議員たちも必死なのさ」


「前の最高議長が去ってから、議会は荒れるばかりだね。せめて軍隊だけは真面目に動いて、組織を壊滅してくれたらいいんだけど」

「そう簡単にはいくまい。追われて切羽詰まった組織なら、見境なく悪事を働くだろう」


 ふと、邪な気配を感じ取り、メイはウェザーたちの会話から注意を逸らした。

 何人かのこちらを伺う視線。まるで品定めをするようだ。



 思えば、保護者を連れず、子どもだけで式典に向かう自分たちは、人攫いにとって理想の獲物である。人の集まる状況も身を隠すのにちょうどいい。

 まだ組織が奴隷を求めているのなら、この機会に食いついてきてもおかしくない。


「ねえ……ラリィ君。みんなも、ちょっといい?」


 耳打ちして告げる内容は襲撃の予兆。魔の手が迫ると聞き、少年らは身をこわばらせた。

 だが、悪漢たちは運が悪い。よりによって異郷の戦闘民族を相手取るとは。


「お嬢様に引き続き、こっちにも厄介事が降りかかったか。念のため聞くが、メイねーちゃんだけで撃破は可能か?」

「うん……余裕だと、思う……」

「はあああ!? 向こうが何人いるかもわからねえってのに、大層な自信だな! ったく、これだからメイ姉はやべぇ女だぜ」

「ラリィ君……ごめんね。やっぱり……こんなお姉ちゃんは嫌だよね。普通のお姉ちゃんじゃなくて……ごめんね」

「謝らないでくださいよメイさん! 心強いに越したことはありませんから」


「ひとりで対処できるんなら、特に俺から言うことはない。戦闘はねーちゃんに任せるぜ。ただ、下手に騒いで人目を集めたくない。後処理の面倒さは、お嬢様の一件でわかっているはずだ」

「それならいい場所があるよ」


 一行はエリュンストの指す方向へ駆け出した。人混みを避けるよう、教会施設の裏庭に入り込む。



 今の振る舞いははたから見れば、好奇心旺盛な子どもたちが探検を始めたようにしか捉えられない。

 願ってもない愚かな行動に笑みを溢し、男は周囲にいる仲間を集めだした。


 組織にとって、これがエドラで行う最後の仕事となるはずだった。他国の狩場に好条件で参入するための任務。落ち目の組織には、国外脱出以外に進む道がない。




 大教会周囲の生垣はよく手入れされ、整然と配置されているが、その裏には建築のための資材や、作業工具が放置されている。期限に間に合わせるため、無理矢理片づけを終えさせ、やむなくここに隠したのだ。


 植木の隙間から入り込んだ男は、すぐに少年らの背を見つけ、警戒なく近づいていく。仲間たちも別方面から迫り、捕獲は容易いことのように思えた。


 死角から青髪少女の手刀を受け、地に沈むまでは。


「走れ!」


 駆け出した二人の少年を追い、人攫いのひとりは手を伸ばすが、角を曲がった先で頭に重い一撃を受けた。身を隠していたラリィに殴られたのだ。彼は手ごろな木材を木刀にし、囮に引っかかった者を一人ずつ潰していく。


「待ちやがれちくしょう!」


「ちっ、ふざけんなクソガキども。この……うおっ、わあああ!?」


 なおも追跡する者らは、配管の山の下敷きとなった。子どもだけとなめてかかった思考では、彼らの策を防ぐことはできない。

 逃走ならぬ、誘導順路もすでに完成していた。ウェザーとエリュンストは囮の役目を引き受け、悪党どもを罠へと誘い込む。


 辺りに転がる資材は、ウェザーの手によって武器と化した。追いすがる男らの頭上に降らせ、身動きを取れなくする。


「ウェザー、エリュンスト! 無事か!!」

「僕たちは大丈夫。でも……」

「思ったより敵が多い。離脱した方がよさそうだ」


 悪童三人組が合流し、暗躍するメイを待つまでは計画通りだ。しかし、想定より人攫いの数が多く、広範囲にまぎれているため、メイによる処理も遅れている。

 やむなく大教会前に逃れると決め、少年たちは資材置き場の出口を目指す。


「……ああ、っ!」


「エリュンスト!!」


 生垣に向かう途中、エリュンストが砂利に足を取られて転んだ。運悪く、ちょうど瓦礫から這い出てきた悪党が、少年を捕えようと迫る。


 とっさにウェザーが駆け寄り、足払いをかけ倒したが、決定打に欠ける。

 仕掛けた罠は使い切った。今転ばせた者を含め、追跡者が増えるのも時間の問題だ。複数の大人相手では、さすがのラリィも太刀打ちできない。

 いまだメイが戻らない以上、少年たちに残された道は、この場を出て助けを求めるしかなかった。


 仲間を確実に逃がすため、わざと捕まるか。

 ウェザーが自己犠牲の策を考慮し始めたころ、この場に新たな人物が足を踏み入れた。



「おーい。何やってんの?」



 その登場は、白雷が落ちてきたかのように見えた。


 生垣を飛び越えてきたのは、剣を背負った少女。磨き上げられた武装を纏って駆ける姿は、雷電を思い起こさせる。

 少年らの前に立ち、剣を構えた時にはもう、追跡者は地に伏していた。



 ◇ ◇ ◇



 不意打ちでは物足りない。皆、紙人形のように倒れていく。


 敵の狂騒に当てられたか、メイはふらふらと移動し、見晴らしのいい場所へ立つ。少年らを狙う隙を討つ、という目的から大きく外れ、身勝手な戦いを始めようとしていた。


「へへっ、へへへ! こいつぁ、可憐な……」

「これほどの上玉。いくらの値がつくか見当もつかんな」


「早く捕まえろ! 納期に間に合わねぇだろうが!!」


 式典の人込みにまぎれていた組織の構成員は、その多くが増援として呼ばれ、資材置き場に集っていた。そして、メイを目にし、吸い寄せられるように捕獲の手を伸ばす。

 だが、その行為は大火に飛び込む羽虫と等しい。


 羽交い絞めにしようという手を、身を静めて躱し、顎を蹴り上げる。同時に二人掛かりで掴みかかられるも、目にも止まらぬ突きで急所を穿ち、昏倒させた。

 倒れゆく様にも目をくれず、メイは次の敵を追い求める。


 彼女を囲む、男たちの愉悦の笑みが恐怖に変わるまで、数秒もかからなかった。

 ようやく命の危険を悟った者が短剣を抜くも、一瞬で叩き折られる。


「ひぃいいい!! あ、ああああ!」


「やめろっ、来るな来るなああああ!」


 紫瞳は闘争の悦びに爛々と光っている。

 悪党らは、自分たちがとんでもない化け物を相手にしていると知った。



 本来なら無用の戦い。相手にする必要のない者たちだ。

 でも、みんなを守るためだから……とメイは自身に言い訳し、いらぬ戦闘に没頭する。知らぬうちに、自身の本能に浸食されていく。


 今のメイは、夏祭りの夜の夢で見た"本当の自分(メイガン)"に近い。秘すべき本性を暴かれてから、彼女の中で脈打つ血は、欲望を増すばかりだった。



 もっともっと楽しく戦いたい。幾千の死闘を繰り広げよう。

 最高の英雄を打ち倒し、骸を捧げるのだ。あの懐かしき"至上の青"。聖泉に、祈りを込めて。


 源流からの響きに従い、メイは踊る。もはや本当の目的など脳裏にない。

 敵が戦意を無くし、逃げ惑う状況にも気づかず、殺戮の手を伸ばし……



「ちょっと、話が違うじゃない。女の子が悪い奴に襲われてるって聞いたのに、真逆じゃないの」



 ぶっきらぼうだが、凛と通る声。年若い少女のものだ。

 新手の登場を知覚した直後、地面に何かが通り抜ける。


 振り向けば、ひとりの少女の姿がある。メイやエイプルたちと同い年くらいだ。限りなく白に近い金髪と、青とも緑とも見える瞳が目を引く。若く、女でもあるが歴とした剣士だ。質のいい武具で身を鎧い、地に剣を刺している。


 剣を引き抜いた瞬間、悪党たちが残らず倒れた。

 先ほど地を駆け抜けたのは雷魔法。状態変化へんしんしたオーガスタのものより威力は落ちるが、それでも恐ろしく高精度のものだ。


「あの、あなたは?」


「ただの通りすがりよ。それより、あんたのお友達が向こうで心配してたわ。さっさと戻ってあげて頂戴」


 それを聞いて、メイは動いた。

 義弟たちのもとへではない。今しがた現れた女剣士を手にかけるため、躍動したのだ。



 この刹那、メイの心は完全に本能に飲まれていた。



 これまでの人生において、何度も戦闘はあった。激しい戦いを経験してきた。だが、真に倒したい相手とは出会えなかった。

 不死者"博士"は論外。"黒き獣たち"、大切な仲間、義弟は……強者となり得る存在だが、まだ足りない。戦っても満たされない。


 けれど、彼女は違う。

 はじめて会った、最高の戦士。完成された英雄……聖泉へ捧げるに相応しい。


 メイは目の前の強敵を打ち倒すこと以外、もう何も考えられなかった。持ちうるすべての身体能力、技術を結集し、必殺の一刀を繰り出す。



 ガァン!!


 鎧の砕ける音とともに、衝撃波がメイを正気に返す。

 今のは渾身の刺突だった。仕損じるなどあり得ないのに。


 右足の武装を犠牲にし、彼女はメイの攻撃に蹴りをぶつけ止めた。愕然とするメイの隙を逃さず、殴る勢いで胸ぐらを掴み、乱暴に揺さぶる。麗しい出で立ちからは予想できない喧嘩戦法だ。

 膝をついたメイの首筋に、彼女の剣がひやりと触れた。



 彼女については、オーガスタから飽きるほど聞かされたので知っている。

 白金の髪を持つ、北方の雪国より招かれた剣客。闘技場では"雷光姫"との二つ名で呼ばれ、畏れられていること。この上なく強いと有名だが、ここまでとは……


「無駄だ、"メイガン"」



 彼女の名は、ラムザロッテ。


「あんたたちの"水"は、あたしに効かない」


 二百年前に実在したという、英雄の再来とも言われる戦士。隣国ルトワヘルムの花形剣闘士である。




「メイ姉!! おおーい、いるなら返事しろよおおお!」

「大声出さなくったっていいじゃないか、ラリィ。あの人が来てくれたんだから、過剰戦力にもほどがあるよ」


「おっ、向こうから来てくれたみたいね。ほら、しゃんと立って。それとも、あたしと本気で一戦やる気?」

「いえ……結構、です……」

「ふーん。あんた、メイガンにしては諦めがいいね。普通ならしつこく食い下がってくるのに」

「いいんです…………あなたに何度挑んでも、勝てる気がしませんから」


 よくわかってるじゃない。そう言って、ラムザロッテは凄みをこめて笑った。彼女たちほどの力量を持つ者なら、技を交差させるだけでも、実力を見極められる。


 確かにメイは戦いの才に恵まれている。戦闘民族の血を引くゆえに、体のつくりも頑丈にできている。

 だが、暗殺組織にいた時から今日まで、適切な習練を積まなかった。強者と渡り合うだけの技を磨かなかったのだ。闘技場で場数を踏み、対人戦を極めたラムザロッテに、勝てるはずもない。


「……それに、私の名前はメイです。"メイガン"じゃ……ありません」


 自身の変化を確認するように、メイは言う。敗北を期してから、本能からの声が遠ざかっていくのを感じていた。


 心折れ、戦いを諦めた者に、聖泉は輝かない。


 正式に名乗りを受けたラムザロッテは、これは失礼、と微笑み、戦意を消した。そして、少年たちへ手を振って居場所を知らせる。



「あんたたち観光客だって? 取り調べとか面倒だろうから、ここはあたしがぜんぶやったってことにするわ」

「やったぜええええ! さすがラムザロッテ、気が利くじゃねえか!」

「でも、式典は中止でしょうね。憲兵が殺到するだろうし、人込みに紛れた悪党を逃すわけにいかないから」


 えええー、と気落ちするラリィ。ラムザロッテは彼を励まそうと、剣がわりの木片にサインを書いてあげた。


「ラムザロッテさん……この度は、本当にありがとうございました。ご迷惑をおかけしたこと……申し訳ない、です」

「いいってことよ。あたしこそごめんなさい、手加減できなくて。腕、大丈夫?」


「お会いできて光栄です。今日の式典に出席するとは知っていましたが、直接お話しできるなんて……あのっ、僕と握手してください!」

「はいはい」

「わあああ!」


「そっちの子は? せっかくだし、あたしのサインとかいらないの?」


「……いいです。俺、フレイゼア派なんで」



 そっけない態度を仲間たちに非難された後、ウェザーはそろそろ憲兵が来るぞと、場所替えを提案した。

 メイは深々と頭を下げ、少年たちを引き連れ、歩き始めた。しかし、ラリィだけは我慢できず、数歩戻って大声を出す。


「なあラムザロッテ! 最後に教えてくれよ、あの噂ってマジなのか!?」


「やめときなよラリィ、失礼だよ」

「いいじゃねーか! いい機会だし、聞いてみたっていいだろ!」

「あんな与太話、ただの宣伝文句に決まっている……でもまあ、英雄がいたとしたら、ああいう奴のことを言うんだろうな」


 オーガスタはじめ、熱心な支持者ファンの間では有名な噂だ。生国、容姿、得意の雷魔法など……かの女剣闘士は、過去の大英雄との共通点が多い。


「あんたの前世が、"雷将ラムダディーン"だってのは本当なのか?」


 憧れに満ちた素直な問いをぶつけられ、ラムザロッテはゆっくり振り返った。

 剣を肩に担ぎ、豪快に笑って言う。



「だったらどうだっていうの?」




 人の波が引くまで、大教会の中で過ごすといい。式典に参加できなくなった詫びに、ラムザロッテはメイたちが内部を見学できるよう、計らってくれた。

 一行は裏口から側廊を抜けて、誰もいない中央塔に進む。

 

「わぁ……きれい」


 列席の果て、大司祭の立つ演台には、三つの薔薇窓から光が射す。嵌め込んだステンドグラスには、女神を讃える文言と、花と星の意匠が彫りこまれている。特徴的なのは、全面青色に塗り込まれていること。


「なるほど。だから、"青の神殿"か」


「うわあ。すごいなぁ」

「まだこんなもんじゃないぜ。夕暮れのころが、一番の見ごろらしい」


 すべてが青といっても、少しずつ濃淡を変えて配色されている。外からの光の強さによって、教会内部は海原、青空の中にいるような光景を見せた。そして、短時間で最も多くの色が見られるのは、日の傾ぐ夕方だと宣伝されていた。

 ラリィが、メイに見せたかったのはそれだ。


 近隣諸国で最も美しい神殿。この世界、すべての青がここにある……大教会完成式典の謳い文句だ。

 義姉の手を取り、司祭席の近くまで連れ出す。塔頂上にも濃い青のガラス窓があった。最も多くの光を浴びれる場所、三つの薔薇窓と天蓋からの光が重なる。



「なあ、メイ姉。ちゃんと……好きな色、見つけられたか?」


「え……?」


 カーレル・シズネ町に来たばかりの頃、メイはよく青空を眺めていた。ラリィなりにその理由を考え、出した結論がこれだ。

 彼女は故郷を探している。海辺か、どこかの泉のものか……青色の記憶を頼りに、ふるさとに繋がる景色を求めて、蒼天を仰ぐのだ。


 ラリィには、メイを故郷に連れて行くことはできないが、憧憬に一番近い色を見せてやるくらいはできた。


「もしも、今日見つけられなくてもさ。また俺がメイ姉をここに連れて来るから。メイ姉の探してる故郷の青色、見つかるまで付き合ってやる」


「ラリィ君。今日のこれって……全部、私のために……?」


「この国はメイ姉の故郷じゃねえけど……俺たちは家族だろうが! てめーは俺たちのところにずっといていいんだ! だからもう、これ以上寂しそうなツラするなっての!!」



 夕焼けの光が強まるとともに、大教会内部の青も彩度を変えていく。涙で潤んだ紫瞳でも、今ならば"聖泉の青"が見つけられるかもしれない。


 けれどメイは、薔薇窓にはもう目もくれず、愛おしい義弟を抱き締めた。



 生まれて初めての敗北と、家族からの不器用な優しさを受け、メイの故郷への未練は断ち切られた。

 戦いを求める本能も、神聖な光の中で、泡となって消えていく。

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