真夏の夜の森。堕天者の闇満ちる
活発に動き、作業に勤しむ生徒たちを、オータムは微笑みながら見つめていた。夏祭り本番の今日、早朝から少年少女たちが集まって、出店準備を進めている。
とくに目覚ましい働きを見せるのは、オーガスタのいるお菓子作り班だ。かの元令嬢は、実行委員に名乗り出たこともあって、誰よりもはりきり、祭りの成功に貢献していた。
夏季の祭りは、女神教を国教とする地域に共通する行事である。"命"について、感謝を捧げる祭日。これは、昼と夜で分かれた二部構成となっており、それぞれで祈りの対象と趣きが異なる。
昼の部の祭りは生者に捧げられるもの。この時間、人々は大いに飲み、食べ、踊り、笑う。
「あ、ああっ、あの、オータム先生……ち、ちょっと、お時間、よろしいですか?」
「サマンサ先生! 下級生たちの準備が終わったんですね。俺に用事ですか? 遠慮なく言ってください」
人の出入りの激しい校舎内にて、身を縮ませて歩く若い女性は、教員の一人であるサマンサ。今年の春から教師となった彼女は、そばかすの散った顔をうつむかせて、同僚に話しかける。
慣れない授業を行う時のように、その態度は怯え腰だが、普段とは違う感情を胸に秘めていた。
頬を赤く染め、勇気を出してオータムと対する。
「ひ、昼の祭りのおしまいに、中央広場で踊りをやるんですけども……も、もし、よかったら、私といっしょに参加してくれませんかっ!?」
「それって、祭りの夕方にやる伝統行事でしたね。たしか、男女が組を作って踊るっていう……いいですね! 俺とサマンサ先生が参加すれば、生徒たちのお手本にもなれます!」
「え? ええ、そうです……そうですね」
「でも、申し訳ありません。俺、なるべく夜までに家にいるようにしてるんです。大したことはないんですが、持病の関係で……」
あっ、とサマンサは顔色を変えた。彼の身体が本調子でないことは、校長のフロストからも聞いている。
「だ、大丈夫なんですか? フロスト校長先生から、オータム先生は、昔、獣に襲われて、ひどい怪我をしたと聞いています。まさか、その時の怪我が……?」
「いえ、そういうわけじゃないんです。今は健康体で、普通に授業もできるんですけど、ひとつだけ困ったことがありまして」
重くなった空気を払拭するように、オータムは自分の髪を掻いて笑う。
「"夢遊病"……って言うんですかね。俺、朝起きたら別の場所にいることがよくあるんです。一度なんか、目覚めたら森の中にいたこともあって……」
今のところ症状は深刻でない。仕事も問題なくこなせている。
それに、治癒術士でもあるフロスト校長に相談したところ、平和に暮らしていけば、将来的に改善するとも言われていた。
かける言葉が見つからないまま、オータムは生徒に呼びかけられ、一礼したのち去ってしまった。
サマンサは微笑んで彼を送り出すも、不安な気持ちが晴れることはなかった。
◇ ◇ ◇
強く手を引かれ、オータムが連れてこられたのは調理場。そこではエイプル、メイ、リーネの上級生三人が、お菓子作りと販売に忙しく走り回っていた。
「ごめーん! 小麦粉ってまだあるー? 材料が足りなくなりそう!」
「今、追加分を持ってくるねぇ。はわわ……行ったり来たりで、目が回りそうだよぅ……」
「ご、ご注文は、五つでよかったですよね……? おつりは……えっと……」
彼女たちが考案した新しい菓子は好評を博し、本来の予想を上回るほど人を集めた。もはや少女たちの手に余る状態だ。
オータムをここまで引っ張ってきた生徒、オーガスタは、彼に協力を要求する。
「おわかりになって? 見ての通り、人手も食材も足りないのよ!」
「すごいな、ここまでの盛況ぶりは予測できなかった」
「当然よ、わたくしが考案したお菓子だもの。だからこそ、手が足りないから販売中止にするなんて、我が家の恥よ。先生なら、何か便宜を図ったりできるんじゃなくて?」
「わかった、すぐに食糧庫から追加の材料を持ってきてもらおう。手の空いてる班にも声をかけるし、俺もしばらくはいっしょに働くよ」
「よくってよ! じゃあ、調理場のほうは任せたわ」
お礼の言葉もそっちのけに、オーガスタはお客の対応に戻った。
彼女はまだ令嬢としての気質が抜けず、やや高慢な言動をとるが、オータムは気にしなかった。進んで皆と協力するようになるとは、転校初日の態度からは考えられないものだ。
ただ、品物を渡す際、欠かさず家名の宣伝をする様子には、さすがのオータムも顔をしかめた。
「少し気を張りすぎてないか、オーガスタ?」
「あら、急になんだっていうの?」
日没が近づくごとに町の喧騒は静まる。広場ではしっとりとした風情で、宵の踊りが行われている時分だ。
町の者から大好評を得たお菓子作り班は、昼と同じく賑やかに後片付けを行う。少女たちを最後まで手伝ったオータムは、盛況の立役者に話しかけた。
「君がとてもがんばっていたことは見ていた。だけど、ちょっと必死すぎというか……この祭りは、家の支持者を集めるための場じゃないぞ?」
「なんとでもおっしゃい! 言いがかりをつけてたって無駄よ。カーレル・シズネ町にあの行為を禁止する規則がないってことは調べ済みよ!」
「そうじゃない。君がお父さんを尊敬しているのはわかる。だが、今日のはやりすぎだ。家の人の許可を得ず、君が勝手にやったことなんだろう? だいたい、君のお父さんは本当に復帰を望んでいるのか? あの人は自ら進んで議長の席を降りたはずだ」
違うわ!! と、オーガスタは声を荒らげる。そこからの言い分は町に来た頃と変わらない。父は陰謀によって政界から追放されたのだと、彼女は思い込んでいる。
家族と首都に返り咲く。カーレル・シズネ町に住むことを受け入れてからも、オーガスタの望みは変わらない。
人々を獣から守っているのも、人の上に立つ一族なればこその責務。この理想だけが、彼女の原動力のすべてであり、誇りを保つための礎なのだ。
そんな、家名復興に固執する彼女から、オータムは危うさを感じていた。
「……そういえばオーガスタ。エイプルたちから聞いたが、君は隣国の剣闘士に憧れているらしいな」
「いきなり話が飛ぶわね……そうよ! なにか文句があって!? ルトワヘルムのラムザロッテさまこそ、わたくしが心から焦がれてやまない英雄なの!」
「具体的にどう憧れたんだ?」
「わたくしは、あのお方のようになりたいの! 強くて、麗しくて、すばらしい英雄になれるよう、今だって尽力しているわ!」
叫んだ言葉は若者らしい、壮大な理想であった。
オータムはふっと微笑んだ。試すような物言いになったことを謝るが、これらはすべてオーガスタを案じてのことだ。
「君はすごいな。憧れに近づきたいと思うだけじゃなくて、同じ英雄になるんだって決めているとは。そんな志があれば、どこで何をしたって成功するだろう……地位や肩書きになんてこだわることはない。そういうものは、君ががんばったあとで、勝手についてくる」
話の意味がわからないと、オーガスタは首をかしげるが、オータムは解説しない。
今は理解しなくていい。ただ覚えていてほしいとだけ真摯に願って、彼は言葉を贈る。
「今すぐ"特別な誰か"にならなくていい……オーガスタ、君はもっと自由に生きていいんだ」
大人だからこそ知っている。夢は美しいほど儚く、現実の厳しさには上限がない。
理想を失い、これまでの努力が無為になったとしても、彼女は立ち続けられるのか。オータムは確かめたかったのだ。
高まった活気は日没とともに降下する。盛況を名残惜しまず、人々の気持ちは次へ向かう。
昼の祭りは終わった。命を祭る集いは夜の部へと進む。
次の催しは深夜に行われることから、少女たちは一時的に解散、自宅で仮眠し疲れを癒していた。班活動が激務だったことから、夜まで体力が持たないと判断したためだ。
一度寝たら朝まで絶対起きない! と言うエイプルのために、仲間たちは"あるもの"を用意した。
「……いまさらのことだけど」
眠るエイプルに、ぎゅうぅと抱かれた"ぬいはかせ"は呟く。
「誰も、僕を男として見てないよね」
一応ながら、不死者"博士"もひとりの人間として生を受けた。それから紆余曲折あって永遠の命を手に入れたり、自分を量産したりするようになったが、基本人格は変わりない。
だが、そんな事情などまったく気にされず、現在彼は便利な目覚まし時計として扱われていた。
夜の祭りまでにエイプルを起こせばいいのだが、ぬいはかせは早めに起動した。布と綿という、やわらかいものしか詰まってない彼だが、獣探知の機能はある。
今夜、その部品が疼くような思いをした。
「!!」
「ふわぁ……ぬいはかせ、今動いた? うう……あと五分で起きるから……」
「どうか落ち着いて聞いてくれ。"黒き獣"の襲撃だよ。今夜の獣は、以前の僕を壊した相手だ」
「え? ……そんな、嘘でしょ!! 今日は、みんなのお祭りなのに……!」
闇をたなびかせて佇む姿を、恐怖とともに思い出す。人が変異した獣、"堕天者"。二度目の襲来だ。
陽が落ちたあとの祭日は、賑やかしい雰囲気から一転、静謐な思いに包まれる。
夜は、死者のための祀りを行うのだ。
前回と同じ、夜の森に闇が立ち込める。彼が暗所を好むかは不明だが、祭りの舞台から離れていたのは幸いだった。
少女たちは自宅にて襲来の第一報を聞き、移動中のうちに作戦を理解した。以前とは違い、闘志を研ぎ澄ませて、夜の闇に身を投じる。
「うわ、みなさんいつもと気合が違うっすね。"堕天者"ってそんなにやばい相手なんすか?」
「ジュディくん、こればかりは冗談じゃ済まないよ。彼の操る闇、"侵掠の黒靄"の魔法に飲み込まれたら最後、無となって消えてしまう。少しの油断が命の危険を招くことになるよ、わかるね?」
魔道具融合から日の浅いジュディは、堕天者との戦いを知らない。だが、仲間たちの物々しい様子は、能天気な彼女にも恐れを抱かせた。はいっす、という返事も普段より重い。
博士の指示により、エイプルは小玉の火球"蛍火"を発現し、暗い森の中を先導させる。
そして、ふよふよと漂う花火魔法は、木の上に照らせぬ影を見つけた。
「来たか。不死者と、その手駒」
以前と同じ、闇夜を固めたような色の武装。顔含むその半身は、暗がりのせいで見えない。彼の従える黒靄は、少女たちの魔法でも照らせないのだ。
できる限りの牽制と、情報収集をするように、博士は一歩進み出、話しかける。
「やあ、こんばんは"堕天者"。少し話さないかい? 君さ、昔……」
「ねえ!! なんで町を襲おうとするの!?」
「うおおおっ! びっくりしたっす!」
「急に大声出すんじゃないのエイプル!! こういう時は口を挟まないの!」
「だって!!」
エイプルは段取りを無視して呼びかける。町にやってくる獣の中で、彼が最も異質であり危険だった。
だが、"言葉が通じる"という点で、質問をぶつける価値は大いにある。
「あなただったら言葉でわかりあえる! まずは話して! なんで私たちを攻撃するの? あなたたちの……獣の、町に来る目的って何?」
「君は下がっててよ、エイプル。代表して僕が聞くから」
「こんな町に興味なんてねえ」
淡い"蛍火"の照明の中、堕天者は博士の前に降り立つ。口にしたのは、エイプルの問いに対する答えだ。
意外と答えてくれるんすね、と正直な感想をしゃべったジュディは、オーガスタに脇腹を小突かれた。
「ここの連中は、どいつもこいつも食いでが悪い。唯一、俺の糧に値するのは……貴様だけだった、不死者"学者"」
「驚いた。君の黒靄は、物体を取り込む能力まであるのかい? それが、変異した時に得た魔法なのか」
「白々しい物言いだな。だが、もう貴様にも用はない。前に壊した機体からは、何も力を感じなかった。本当に食うべきなのは……そこの、小娘どもの方だ」
殺気を向けられ、少女たちはどよめく。彼の目的は町でも、そこにある食料でもなかった。
「……っ! 魔道具との融合体、不死者の魔力を宿した彼女たちなら、取り込んで力にできると言うのか?」
「ああ。理解したなら、全力で抵抗しろ。取り込む価値があるのは強者だけだ」
「やっぱり駄目だみんな! 彼と戦ってはいけない!! ここは退いて……」
「逃げるな。町を焼くぞ」
博士は少女たちを庇うも、エイプルは不要と述べる。狙いが自分たちだけと聞き、逆に安心していた。少なくとも、今夜の祭りを邪魔されることはない。
予定通り正面から打倒し、捕獲すればいい。堕天者は町の者を人質に取る気はないようだ。
「大丈夫だよ、博士。町も、私たち自身もしっかり守るよ。誰も消させたりしない!」
「作戦通りにやりましょう! みんなで力を合わせれば、余裕で勝てるっすよ!」
「みんな……信じていいのかい?」
博士が問えば、それぞれの口調で肯定の返事がくる。
誰ひとり消させないため。居場所をくれた町を壊されないために、少女たちは戦う。命を賭ける決断を迷わなかった。
……ただし、オーガスタを除いて。
「では……行ってきます」
戦闘が開始される。ジュディはみんなで力を合わせて、とは言ったが、敵の前に立つのはひとりだけだ。
白魚の鰭のような……青く、透き通る装備が闇に漂う。最初に前に出て、"獣"に双剣向けるのは、メイ。
「……ほう」
相手がどんなに年若く、華奢な少女であっても、堕天者に侮りの色はない。
見かけだけで相手の強さを判断することはない。彼もまた、武を尊ぶ戦士であった。
◇ ◇ ◇
メイひとりに戦闘を押し付けたわけではない。四人の"魔法少女(略)"のうち、彼女が最も高い力量を誇る。そしてそれは、単騎でこそ輝く才だ。
先に立ち回り方を実践し、経験の乏しい仲間たちに、動きを学ばせる必要があった。
武器を持たず、徒手格闘の構えをとる堕天者だが、攻撃範囲は予測より広い。彼にまとわりつく闇が、威力を延長させるのだ。
さらに速い。敵の呼吸を読み、逃れられぬ隙を狩るのは、獣ゆえに成せる技。
短剣と拳の応酬が目にも留まらぬ速度で交差する。近距離に引き付けられれば即、闇を伴った重い蹴りが来る。
メイはそれを氷刃を犠牲にし受け止め、体勢を仕切り直すまでの一巡が、五秒もかからぬ合間に起こった。
手法を解析しながら、メイは再度斬り込む。
「もう一回……"青の短剣"っ!」
「脆いな。所詮は使い捨ての武器か」
魔法を纏った拳が掠り、それだけでメイの武器は砕けた。堕天者が常時発現する"侵掠の黒靄"は、触れるたびに刃を削っていく。ゆえに彼女は、何度も武器を作り出さねばならなかった。
窮地においては自らを"水晶の箱"で囲んで防護。踏み込むたびに地を氷結させ、自身の陣地を作る。
そこから氷槍を発現し、水弾の射出で回避を妨害。持ち得る技のすべてを繋げ、相手の撃破を目指す。
「多彩な技巧だが、すべて消し飛ばせば意味はない」
「っ……あなたの魔法……強力すぎ、です」
「じきに体感させてやる」
戦闘民族の血を引くゆえに、恵まれた戦いの才。育てられた環境も彼女の力を高めた。
……けれど、届かない。堕天者にあてた攻撃は闇に阻まれ、陣地も武器も消失していく。
彼はいまだ無傷である。
「心配だとは思うけど、もう少しだけ見ているんだ。実戦に出るのは、彼の動きを習熟させてからだよ」
「わかってるっすよ博士。初見であそこまで立ち回れるのは、メイちゃんさんじゃないと無理っす」
「あとちょっと! あとちょっとでわかるから、次は私が出る!」
博士は冷静に決定打を考える。それも、メイの体力が尽きる前に実行しなくてはならない。
一騎討ちの攻防は、多くの情報を観戦者に与えた。エイプルとジュディも、堕天者の戦いに適応しつつある。メイと交代して戦闘を続けることはできるが、博士はこの場での決着に臨んだ。
秘密裏に作戦を伝達する。これは一度しか通用しない戦法。
彼はなんとしてでもこの一戦で勝利し、少女たちの安全を早期に叶えたかった。
メイと堕天者の戦闘には一定の流れが生じていた。武器を壊された際、メイは追撃防止に氷壁を張る。その魔法を喰い破る瞬間のみ、彼は黒靄の操作に集中して、動きが鈍る。
同様の展開に入ったとき、後衛は動きを見せた。
交戦当初から発現され、夜の森を照らしていた照明、エイプルの花火魔法、"蛍火"が凄まじい音を出して爆ぜる。
「"大音声赤星"!」
「さらに風切り、"斬森刃"! 最大風力っすよ!!」
突如発生した爆音。堕天者は魔法操作の集中が削がれる。制御を失った闇は、ジュディの風魔法によって流された。
"侵掠の黒靄"は無効化できず、発現も止められないが、空気抵抗は受ける。堕天者の動きに合わせて、揺らめく様子がいい証拠だ。
「"万象改変機構"を起動する! とどめは君のものだ、オーガスタ」
「……なに?」
「君の魔法は最も攻撃威力が高い。風に流され、闇が薄くなった箇所を、雷撃で貫いてくれ。強化した攻撃なら彼を昏倒させられる。機会は一度しかないよ、急いで!」
「ちょっ……ちょっと待ちなさいよ! そんな……」
防壁を張った状態のメイなら、味方の攻撃から身を守れる。
遠慮なく、最高で最大の一撃を、敵に見舞えばいい。その刹那さえ見逃さなければ、仲間たちの勝利だ。
だが、オーガスタは動けなかった。
どうしても言い出せなかった。心の底から認めたくなかった。
この戦闘が始まってからずっと……彼女は皆についていけなかった。敵の動きも、戦いの展開も、何ひとつ理解できていなかったのだ。
「オーガスタ。もしかして、君は……」
「臆するなら最初から来るな。雑魚が」
「ひっ……!」
黒靄を纏い直し、堕天者はオーガスタに迫った。吐き捨てた言葉は、彼女の実力のなさを責めるもの。
「きゃあああ! いやああああ!! こ、来ないで……」
「やめろ! 彼女に手を出すな!」
「誰が出すか。腹の足しにもならん」
堕天者はメイとの戦いを放棄してオーガスタに近づくが、彼女から先に取り込もうと考えたわけではない。
接近され、反撃しようとするなら、まだ気骨がある。己が力とする価値がある。しかし、オーガスタは震えるだけだった。かつての戦闘で植え付けられた、獣への恐怖に支配されている。
博士は彼女を守ろうと走る。他の仲間たちが駆けつける前に、左手を闇へと突き出した。
「ああ?」
自ら黒靄に飲まれ、堕天者の身体に含ますのは"万象改変機構"。オーガスタを強化し損なった分だ。
何にでも変化できる武装を用い、博士は凝縮した爆風を発現した。
至近すぎる魔法に、堕天者も威力を殺しきれず、白と黒の人影は吹き飛ぶ。
「博士!!」
「ちぃっ……! また自爆しやがったか。だが、これで邪魔者はいなくなった」
背を地につけながらも、堕天者は重傷なく動ける。反対に博士は左腕を消失。残骸と化したように、微動だにしない。
事態を認識したエイプルは、あの日のように絶望を浮かべる。
「何を言ってるんだい?」
「え……!? 博士の声だ!」
真夏の森のどこかから、博士の無機質な声が降る。"次の彼"が既に起動しているのだ。
「君ねえ、不死者を舐めてもらっては困るよ。いくら戦闘が得意じゃないとはいえ、僕が獣ごときにやられるわけないだろう?」
「本当に鬱陶しい……戦う気があるなら来い! 何体だろうと消し飛ばしてやる」
「一、二体壊せたからってなんだい? 僕はいくらでもいるんだ。何度破壊されたって、みんなを守るのをやめないよ。君こそ、圧倒的物量で押し潰される前に、諦めた方がいい」
「糞が……いいぜ、今夜は退いてやる。だが、狙った餌を見逃してなるかよ。俺は力を高めねばならない。"魔女"を消し、あの忌々しい声を止めるために……」
人としての名残すら闇で覆い、消失するように姿をくらます。
その気配が遠く……"無"になった頃合いに、少女たちは警戒を解いて、その場にへたり込んだ。
木の影から、先ほどの声の主がとてとてとやってくる。
「やれやれ。やっと去ってくれたか。慣れないはったりなんてするものじゃないね」
「ぬいはかせ! さっきの声って、そっちのだったんだ。でも……また博士が、オーガスタちゃんを助けるために……」
「平気だよ。このくらいの損傷、大したことじゃない。さあ、いつまでひっくり返ってるんだい僕! さっさと起きないか!」
「うう……自分使いが荒いよ、僕……」
半壊ながらも博士は無事だった。小さい自分に叱咤されて、渋々立ち上がる。
あと確認すべきはオーガスタだけだ。見たところ外傷はない。尻もちをついたまま、顔を伏せている。心なしか、足が震えているようだ。
「オーガスタさんっ! 大丈夫ですか……立てますか?」
「うわあああああん、お嬢さまあああああ! よくぞ、よくぞご無事で!」
「行こっ、オーガスタちゃん! 今夜のことは気にしないで。またいっしょに訓練すればいいよ。それより、今からなら夜のお祭り、まだ間にあ……」
「さわらないでよっ!」
乾いた音をきっかけに、時が止まったようだった。振り払われたエイプルの手も、皆の体も硬直する。
「もういや!! 馬鹿にするのもいい加減にして! わたくしが一番の足手まといだってことくらい、最初っからわかってたわよ!! あなたたちはわたくしと次元が違いすぎるの! なんで、なんでっ……そんな高みにいるの?」
皆の前で本心をぶちまけるオーガスタ。これはもう絶叫に近い。
矜持と家名の誇りにかけて、今日まで耐えた。けれど無理だった。懸命に戦っても彼女たちに追いつけない。
飛べば落ちる。雷撃もうまく放てない。守られてばかり、助けられてばかりの境遇に、オーガスタの心は軋みを上げていた。
「オーガスタちゃ……」
「黙って! わたくしが一番許せないのはねえ、あなたの存在よエイプル!! 不死者は論外。メイやジュディはわかるわ。裏社会で育って、地獄を見てきたもの。けれど、あなただけ理解できない。なんで、普通の町娘のあなたが強いの!? 戦いの腕だけじゃなくて、その心も……」
人々を守る力はもちろん、獣すら慈しむ心を持つエイプル。彼女の存在は眩く、オーガスタが目指す"理想"に近い。
どんなときでも仰ぎ見ていた、かの英雄の在り方。父が失脚し、没落の憂き目を受けても、それがあったからこそ気丈に振る舞えた。
しかし、オーガスタが手にしたかった、英雄としてのすべてを、エイプルは兼ね揃えていた。
彼女の優しさに一度は救われたが、実力差を見せつけられてはたまらない。
「もうそばに来ないで! わたくしをこれ以上、みじめにしないで!!」
静止の声にも構わず、オーガスタは跳んだ。雷速で空を駆ければ、誰も追いつける者はいない。
その軌道は、零れ落ちる涙のようだった。




