不器用な姉弟の青い絆
さっきからずっと背中に張り付く、おどおどした視線に耐えきれず、ラリィは後方へ怒鳴った。
「なんだよてめー! いつまでもついてくんじゃねーよ!!」
「だ、だって……家から学校までの道、いっしょだから……」
大声を浴びたメイはしゅんと目を伏せる。話しかけたくて視線を向けていたが、彼の気に障ったらしい。
至極真っ当な返答をしたとおり、二人は同じ家に住む義姉弟。登校時は同じ通学路を使っている。普段は通学時間が異なるため、いっしょに歩くことはほとんどない。
しかし今日は違う。このあとメイたち上級生と、悪童含む下級生らは合同集会をすることになっていた。
集会の理由は、カーレル・シズネ町で近日中に行われる夏祭りについて話すためだ。これは町の合併後に、初めて行われる催しであり、町の大人たちは張り切って仕度を進めていた。
子どもたちもまた、お菓子の準備や装飾品の作成などを手伝う予定だ。
「ちっ! 集会とか、かったるくてやってらんねえええ! 剣の稽古時間が減るだろうが!」
「でも……しかたないよ、がまんしないと。ラリィ君だって……お祭り、楽しみだって言ってたし……」
「あれはてめーに言ったやつじゃねーから! かーちゃんと話してんのを盗み聞きしやがって」
「ごめん。ごめんね……そういうつもりじゃなかったの……たまたま、家の前にいたら、ミモザさんと買い物帰りに話してるのが、聞こえて……」
「なんで十軒先からの会話が聞こえんだよ! 意味わかんねーよ!」
ようやく二人の対話が成立したが、ラリィからの怒号にメイが萎縮して答えるという、非友好的な形となった。少年の威勢に押されて、メイはそうだねと、ごめんねの二句を繰り返すのみとなっている。
不毛なやり取りをしつつも足は止まらず、学び舎の前までやってきたとき、ラリィは急に道の端へ駆け寄った。
真剣な表情で植え込みを掻き分け……何かを拾って、ポケットにしまう。更に、あたりを探す仕草もした。
「ラリィ君、どうしたの? そこに、何かあったの……?」
「いちいち聞いてくるんじゃねえ! てめーには関係ないことだろうがあああ!」
「えっ、でも……ラリィ君! どこ行くの? 学校は……!?」
学校を目前にし、ラリィは道を逸れて走り出した。時々、足元を注意深く観察して、何かの痕跡を探っている。
また地面から何かを拾い上げた。今度は、つるりとした表皮が陽を反射するのを、メイは遠くから視認できた。
「……きのみ?」
それは、殻で覆われた小粒な木の種。秋の森によく落ちているのを見るが、初夏の街中にあるというのは珍しい。
「ラリィ君、集めてるのかな……?」
子供心についつい拾いたくなる造形をしているのはわかる。けれど、集会に遅刻する危険を冒してまで、集めに行くものだろうか。
工作の課題でも出ているのかと思い直し、メイは先に学校へと向かうことにした。
◇ ◇ ◇
集会では教員総出で夏祭りへの説明がなされた。フロスト校長が自ら教壇に立ち、上級生担当のオータム先生、下級生担当のサマンサ先生の二人を助手に、今年の祭りを解説した。
シズネ町で毎年開催される行事であったが、今回は二つの伝統を統合して行われる。シズネとカーレル、あるいは他の場所からやってきた生徒たちに、それぞれの文化や歴史について、わかりやすく語られた。
集会のあとは学級ごとに別行動とされた。上級生は追加の講義があるため教室へ。下級生はお昼前に解散、下校となった。
「例の回収作業は進んでいるか?」
「僕はこの通り。やっぱり町のあちこちに落ちているね。ラリィの方はどう?」
「……こんだけ」
ウェザー、ラリィ、エリュンストの悪童三人組は公園で弁当を広げながら、秘密の作戦会議をしていた。見せ合うのはきのみの入った袋だ。彼らは数日前からこれを集め、収穫を報告していた。
工作で使うのでも、収集して遊ぶわけでもない。これは、ある獣の被害を未然に防ぐために必要な活動なのだ。
「真面目に探してそれだけか? おまえ、この任務の重要性をわかっていないようだな」
「まあまあ、ウェザー。三人合わせたら結構な量だよ。ちゃんとうまく使えば、罠として機能するって」
「うるせえええ! 足りねえのはわかってる。けどよ、ぜんぶあの女のせいなんだ! 今朝からずっとあいつがくっついてきたから、ろくに集中できなかった!」
「……どうして不機嫌なのさ、ラリィ。今日はずいぶんと荒れているね」
「落ち着け、静かにしろ。それにしてもよく飽きないな。まだメイっていうねーちゃんにイラついているとは」
公園に来たときから、ラリィはずっと苛立っており、手で触れるものすべてに憤りをぶつけている。
まるで以前の彼に戻ったようだと、エリュンストは感じた。三人でつるむようになる前、ラリィは手のつけられない乱暴者として認識されていた。短気な性格のため、他の子どもたちと馴染めず、距離を置かれていたのだ。
理性的な行動がとれるようになったのは、ウェザーに敗北し、配下にされてからのことだ。
「ああもう!! 俺だってよくわかんねーけど……あいつ見てると、なんかむかむかすんだよ!」
「いい加減に慣れたらどうだ。たかが元暗殺者の美少女が突然おまえの義姉になって、いっしょに暮らすようになっただけだろうが」
「それ全然大したことじゃないよ、ウェザー。動揺してもおかしくないって」
「んなことはどうでもいい!!」
どうでもいいことなんだ……と、エリュンストは苦笑いで応じた。そうは言ったが、この春から彼の家庭は劇的に変化した。
両親が、裏社会で育った女の子を引き取って来たのだ。
「事情は理解しているはずだ。メイっていうねーちゃんは、首都でミモザさんたち夫婦を暴漢から救った。おまえにとって大恩人もいいところだ。なのにいまだ受け入れられないとは、おまえも器の小さいガキだな」
「ちげーよ! そんなんじゃねえ!! 俺が言いたいのは……ああ、くそ!」
言いたいことがまとまらず、ラリィはぐしゃぐしゃと髪を掻く。
ウェザーは小さくため息をついたのち、開きかけた弁当の包みを片付けて、立ち上がった。
「ラリィ、木刀を取れ。一戦やるぞ」
「えっ、今? 剣術の稽古はご飯が終わってからじゃ……」
「黙ってろ、エリュンスト。こいつが答えを出すには、この方が手っ取り早い。戦闘時なら余計な考えも失せるだろう」
「……ウェザー。おまえの戦闘条件は?」
「小道具もはったりもない。俺は、剣だけ使う。いいな?」
「ああ」
木刀を握りしめてすぐ、ラリィは打ちかかった。エリュンストは慌てて審判の立ち位置につく。
言葉に表すのが不得手な彼は、剣と拳でしか思いを伝えられなかった。また、受け止められる相手も限られていた。
そうして研ぎ澄まされた彼の動きには、確かに剣才の片鱗があった。
「……あいかわらずの強さだな。やはり正攻法では、おまえには勝てないか」
「いや、助かったぜ。おかげで、なんかわかった気がする」
そこまで、という鋭い声を受けて、ラリィはウェザーの喉元から木刀を退いた。模擬戦を経た彼は、すっかり落ち着いたようで、芝生の上で仰向けに寝転がり、青空を見る。
そして、ぽつりぽつりと本心を語り始めた。
「あいつがいなかったら……とーちゃんもかーちゃんも首都で殺されてた。助けられた礼に、あいつを引き取ったのもわかるけど……俺さ、あいつの……空を見てる姿が気に入らねえんだ。今にもどこかに流れて行っちまいそうで……」
命を救われた返礼にメイを引き取り、普通の女の子としての生活を与えたが、彼女は幸せそうに見えなかった。時々淋しそうに、あるいは何かを探しているように、空を仰ぐ。ラリィは、そんな仕草を見るのが嫌だった。
自分たちを捨てて、どこかに行きたがっている様子に、我慢がならなかったのだ。
オータム先生の追加講義で連絡されたが、上級生は夏祭りの料理作りを手伝うことになった。役割ごとに班分けし、それぞれ必要な作業にかかる。
エイプル、メイ、オーガスタ、リーネは食材を集める班に振り分けされた。なお、最近学校に通うようになったジュディは、学力の関係から下級生の授業を受けることになっている。
先に用事を済ませてくると言い、メイは別行動をとっていた。彼女を除いた三人は、料理の材料を取りに、町の穀物庫へ向かう。
「お祭りの実行委員長に立候補するなんて、オーガスタちゃんやる気だね!」
「当然の配役よ。これは支持者を集めるための足掛かりなの。お父様の娘たるもの、たとえ小規模の事業であっても、完璧に仕上げてみせますわ」
「うんうん。私も、夏祭りをずっと楽しみにしてたの。みんなで盛り上げていこうねぇ!」
「おー!」
祭りを手伝う生徒代表になると、オーガスタは教室で名乗りを上げ、皆から拍手を持って迎え入れられた。これもまた、家名を復興する活動の一環。まずは自分たち家族の、カーレル・シズネ町での信頼を高めようと考えたのだ
祭りの成功を望む少女たちは、エイプルを道案内に目的地を目指す。だが、その建物を見た瞬間、うきうきした気分は破られた。
「なによ、これ……?」
「え……なに、あの壁? ここには久しぶりに来たけど、こんなじゃなかったよ!?」
「……私、自警団の人を呼んでくるよぅ!!」
穀物庫には"黒き獣たち"の襲撃を受けた形跡があった。危険を察知し、リーネは助けを呼びに走る。周囲を警戒するエイプルとオーガスタだったが、近くに獣の気配は感じられない。
由々しき事態に、彼女たちは迷いなく"魔法少女(略)"を起動した。
エイプルは空に火球を撃ち上げ、博士と仲間たちへ緊急出動を要請する。実行犯はこの場にいないが、二人は痕跡を見ただけで、手強い敵だと確信した。早急に手を打たねばならない。
なにせ、穀物庫の壁一面に、"きのみ"がめり込んでいるのだから。
◇ ◇ ◇
そろそろみんなのところへ戻らなければと思い、メイは探索を中断し、教えられた倉庫街への道を進む。歩行に合わせて、手に持った袋がカラカラと音を立てた。
袋の中身は"きのみ"。彼女はこれの採集のために、エイプルたちと別行動を取っていた。
「これだけあれば……ラリィ君、喜んでくれるかな……?」
メイは満足そうに小さく微笑む。久しぶりに本気を出して探索を行った。
元暗殺者の技能を十分に発揮し、地を駆け、屋根を走り、短時間で町中に落ちているきのみを集めきった。それもこれも、義弟ラリィを喜ばせたいとの思いからである。
邪険にあしらわれているが、メイは決してラリィを嫌ってはいなかった。元いた暗殺組織のなかで、恐れられ孤立していた彼女にとって、冷たい態度を取られることも初めての経験だった。
種類が何であれ、自身に関わってくれることは嬉しい。だから、よくしてもらったお礼に、贈り物をしようと考えた。
「あ……ちょうどよかった……ラリィ君!」
「ああ?」
運のいいことに、メイは公園の外れを歩く義弟を見つけた。控えめながらも手を振って呼び止める。
彼は仲間たちと解散しており、家に帰る途中のようだった。そして、手に袋を提げている。膨らみからして、入っているのは大量のきのみだ
「あ、あのね……今朝、ラリィ君がきのみを拾ってるの見たから、私も集めてきたの……これ、あげるね」
「はあ? てめー何言って、え? まじかよ……」
「……何に使うかわからないけど、もらって? お友達と、いっしょに……集めてたんだよね?」
「違う!! 何してんだ、てめーバカか!? これじゃ計画が台無しになっちまう!」
どうして、と問いかける時間も許さず、ラリィは袋を奪い取った。自身の身体で隠すようにし、鋭く辺りを伺う。
叱責を受けたメイは動揺するも、すぐに周囲の警戒を開始した。事情は分からないが、彼の動作からして、危険が迫っていることは確実。
「逃げろ! 奴が来る、早く屋内に行けええ!!」
叫ぶと同時に、ラリィは袋を持って、メイから距離を取った。一足遅れて、彼女も敵の姿形と義弟の行動の意味を思い知る。
屋根を走る小動物の影は公園の並木に飛びついた。木から木へ飛び移り、生い茂る緑に身を隠す。居場所を見失わせたのちに、"極小の弾丸"が少年へと射出された。
初弾はラリィの服を掠り、立て続けに次弾が降り注いだが、彼は木刀で叩き落した。
敵は葉隠れからの狙撃魔法を得意とする獣。ラリィの足元にある、大量のきのみを奪取せんと、彼の撃破を図る。
少年がメイから離れたのは、彼女を獣の攻撃から守るためであった。
「……ラリィ、くん」
「何してんだてめー! さっさとどっか行けよおお! ちぃっ、この……」
メイの逃げる時間を稼ぐためにラリィは戦うが、彼女は義弟が心配で動けずにいる。正体不明の攻撃は続いており、手助けしようにも"魔法少女(略)"への状態変化なしでは難しい。
彼ら姉弟は不器用ゆえに、守る、守りたいとの気持ちがすれ違う。しかしメイは、心に別種の思いが芽生え始めていた。
「ラリィ君……わりと、戦えたんだ」
義弟はメイの予想以上に強かった。獣も場所を変え、緩急つけた狙撃によって、攻撃に慣れさせない。
けれど、ラリィの集中は相当だ。木刀を駆使し、最低限の動作だけで弾を受ける。ただの子どもにできるような芸当ではない。
元暗殺者であるからか、メイには強者を見極める直感がある。その感覚は、少年の才能が本物であることを告げていた。これから正しく磨き上げれば、どれほどの戦士に育つか、今から期待して止まない。
戦闘の愉しさに目覚めたメイは、こうも思ってしまう。
成長した彼と戦うのは、どんなにすてきなことだろうか……と。
攻防にしびれを切らしたのは獣の方だった。いつまでも受けるだけで、反撃が来ないことを悟り、大胆にも姿を現す。
それは、黒の毛皮に赤い縞模様が走ったリス。魔法発現時には右眼の前の時空が歪み、そこからきのみが射出される。姿を晒してからは攻撃方法を変え、ふさふさの尻尾を盾に強襲する。
素早く走りながら別の実を装填し、近距離からきのみを放つ。
今度は単発ではなく、穀物の散弾――
「いってぇ! あっくそ……!」
「ラリィ君……!! 大丈夫?」
「なんで逃げなかったんだよ、馬鹿かてめーは! おい、きのみは?」
介抱の手を払いのけ、ラリィは足元に置いていたきのみを案じる。穀物の一部が目に入ったか、手探りの捜索となるも、メイは彼を引き留めた。残念ながら、集めていたきのみは獣に奪われてしまった。
「いきなり襲ってくるなんざ……てめー、本当に根こそぎ拾ってきたんだな」
「ごめんね……ラリィ君に、喜んでほしかったから……ちょっと本気出して……」
「てめーはどこまで規格外なんだよ! そのせいで計画が台無しだ。奴は今頃、本命の穀物庫に向かって……」
獣の最終目的は、カーレル・シズネ町の穀物庫にある。ラリィがそちらに視線を向けたのと同じくして、謎の火球が蒼天に打ち上がった。エイプルによる"魔法少女(略)"の出撃要請だ。
「うわ、騎士の人らも気づいたみてーだな。行って、獣の特徴を教えてやんねーと」
「大丈夫だよ、ラリィ君は休んで……あとのことは、私にまかせて!」
獣が浴びせる弾幕は、素材が穀物やきのみなため、当たっても体に影響はない。だが、数が多ければ話は別だ。先ほどの獣は、持てる"実弾"すべてを使っても、穀物庫の壁を破ろうと考えた。
町中に散らばる季節外れのきのみと、それが武器として射出されるのを見た少年三人組は、落ちたそれを集め始めた。獣が補給を必要とした頃、罠として活用するためだ。
「それなのに……私が知らずに、集めてしまったから……獣が焦って、ラリィ君からきのみを奪おうとしたんです」
「なるほどね。射出の魔法を使うリスか、僕も初めて聞く獣だ。とりあえず"狙撃栗鼠"とでも呼ぼうか。そして見立てによると、じきに全弾投入の勢いで穀物庫を襲うだろうね」
エイプルとオーガスタが見守る倉庫前に、ジュディを連れた博士が集まり、遅れてやってきたメイが事情を説明する。
「貴重な情報をどうもありがとう。では"万象改変機構"を起動するよ。これを使って、君たちに防弾加工を施そう」
「ちょっと、いいの!? 日に二つまでしか出せない魔道具なのよ。今使用することはないわ! きのみを投げつけられたって、当たらなければどうってことないじゃない」
「確かに、獣の特徴からして射出できるのはきのみだけ、"頬袋に詰め込めるもの"だけなんだろう。でもね、高速で飛んでくるから当たったら痛いよ? それに、節約の必要がないのなら、向こうも大盤振る舞いでやってくる。油断はしないようにね」
でも、と異議を唱えようとしたオーガスタの側頭にきのみが命中する。
気配も敵意も何も感じ取れなかった。どこから発射されるかわからないうえ、最も脅威なのは攻撃が見えないということ。
不意打ちの狙撃で気絶できないと知るや、"狙撃栗鼠"は連射を開始する。もとより、この日のために集めた実弾だ。穀物庫の壁さえ破ればいくらでも補給できる。
「ふおおおおお!! 速っ、見えないっす!」
「あたっ! あたたた……でも、強化かけてなかったら、もっと危ないんだよね」
「なによこれえええ! 避けるとかできる次元じゃないわ!」
「み、みなさんおちついてください……! 目が慣れてきたら、何とかなります」
「おばかなこと言わないでよメイ! そんなことができる人、いるわけないじゃない!!」
「あ、本当だ。慣れたら避けられるよ」
「いたっす! 向こうから撃ってきてるっすよ!!」
「なんでよおおお! あなたたち人間じゃないわ!!」
避ける、攻撃を返せるようになったが、相手は小動物。大振りな反撃では簡単に回避されてしまう。
エイプルの花火魔法は弾幕を焼却できるが、火球自体は"狙撃栗鼠"に届かず、音で撃退もできない。
「おっ! わたしにいい考えがあるっす! 姿さえ見えれば捕まえられるっすよ。どなたかーここまでおびき出してほしいっすー」
「わ、私が斬り込みます……! なので、お願いします。必ず捕獲してください……!!」
「気合いっぱいだねメイちゃん! 援護するよ!」
氷の短剣を両手に持ち、メイは降り注ぐきのみを切って落としながら突進する。戦い方なら義弟のを見て知っている。ラリィの勇ましい戦闘を、決して無駄にはしない。
メイは倉庫街の屋根を走り、標的が漆喰の隙間に入り込んでいるのを見つけた。
思わぬ接近に、散弾の装填も間に合わず、獣は背を向け走る。その逃走経路を短剣を投げて塞ぎ、今度はメイの水弾が獣を追い立てにかかる。
やむなく"狙撃栗鼠"は穀物庫前へ逃れた。最後のあがきとばかりに、高き穀物庫の壁に飛び掛かる。
手持ちの実弾ももうじき尽き、狙撃する側が逆に追われている。それでも、中にさえ入れば獣の勝利だ。貯蔵された穀物で籠城もできる。また……しばらく飢えることもない。
「逃がさないっすよ! 風編み、"獣籠"」
姿を晒された狙撃手に、ジュディの風魔法がかけられる。疾風を糸のように束ね、暴風の檻を発現し、"狙撃栗鼠"を閉じ込めたのだ。
目視できないが、透明な大気が獣の周囲で渦を描いている。脱出のため檻を射撃するも、跳弾したきのみは獣の頭部に命中、その後はぐったりして動かなくなった。
晩御飯を食べ終えてすぐ、ラリィは鍛錬してくると告げ、食卓から立ち去った。隣席のメイのことも完全無視を決め込み、声かけられても反応すらしない。
いつものことながらも、仕方のない子だと彼の両親はため息つく。
「まったくあの子ときたら、いつも問題ばかり起こして。ウェザー君たちと遊ぶようになってからは、ましになったと思ったんだけどねえ」
「今日はまた何か隠していたそうじゃないか。自警団長のオリバーさんに、直々に注意を受けたとか」
「あ、あのっ……でも、ラリィ君は今日……とってもがんばってたんです! 言葉にしたがらないけど……私を、獣から守ろうとしてくれたのは、確かで……」
ラリィの母ミモザと、父シーザーは驚いた。自己主張の乏しいメイの、このような態度は初めて見る。少しでも二人の親睦が深まったのかと思い、夫婦は顔を綻ばせた。
「もしよかったら、剣の練習がいつ終わるか聞いてきてくれない? あとで果物を切ってあげるわ」
「はい! わかりました……ミモザさん。ラリィ君、喜ぶと思います」
義弟のあとを追って外に出るメイ。その背を見ながら、ミモザは夫へ困ったように笑いかけた。
「まったくあの子は、いつになったら私たちのことを"お母さん"、"お父さん"って呼ぶのかしらねえ?」
「もうすぐさ。きっと……もうすぐだよ」
無心に木刀を振るラリィは、メイから見ても真剣で、近づきがたいと思うほど集中していた。けれど、彼女は伝えたかった。
「ラリィ君! その、今日は……作戦の邪魔しちゃってごめんね。でも、守ってくれて、ありがとう。本当に嬉しかったの」
「……べつに、あんなもん貸しにすらならねえ。このくれーでいちいち礼言うな、うぜえ」
「う、うん……ごめんね。余計なこと言っちゃったよね……」
「俺だってわかってんだよ。てめーは、俺よりはるかに強くて、家族の恩人なんだってこともさ。でも、俺自身には、てめーに返せることなんてなにも……なんにもねえ」
「そんな、こと……」
ラリィの本心を知り、メイはたじろいだ。彼の両親を助けたが、お返しを受けるなんて考えたこともない。もらってばかりなのは自身の方だと、彼女は思い込んでいた。
訂正しようと口を開きかけたが、何も言えなかった。
ラリィはまっすぐ自身を見ている。夏の夜の星明りに負けないくらい、明るい信念の光を、瞳に宿している。
「だけどな! かーちゃんと、とーちゃんも助けてくれた恩は、いつか必ず返すんだからな! 俺が、今より大きくなってからになるけど……だから、それまで絶対に逃げんなよ! 黙ってどっか行くなんて許さねーからな……"メイ姉"」
「!! あ……ラリィ君。今、私のことを……お姉ちゃんって……?」
「うるせえええ、調子乗んな! そんな言い方してねーだろ! これはその、便宜上のアレだ! んな深い意味も何も……バカかてめーは、泣くなよ」
「んっく、ぅ……うん。ごめんね……嬉しくて、つい……ありがとう、ラリィ君。私を、お姉ちゃんって言ってくれて……私を家族にしてくれて、ありがとうね」
深い情愛も注がれず、メイはずっと一人だった。自身の出自すら最近知ったばかり。何にも染まらず過ごしていたからこそ、ラリィのぎこちない優しさが胸に沁みる。
座り込んで肩を震わすメイを、彼女の"家族"はずっとそばに寄り添い、見守っていた。




