第六十四話
「落ち着いたかしら?」
「ふぁい……」
突然泣き出した水精霊をなんとか宥めることが出来た。
水精霊というだけあって、涙の量が尋常ではなかった。ユーカが渡したハンカチも水浸しで、雑巾のように水が搾り取れるほど。
「それで、どういうことなの? 言うことを聞かないって」
「……そのままの意味よ。あいつら、大精霊の私の言うこと全然聞いてくれないの」
「バランスの調整が下手だから?」
「うん……」
水精霊は話した。
自分が大精霊として生まれ、ダンジョンに至るまでの話を。
彼女は、大精霊として生まれ、最初は森にある泉で過ごしていた。精霊、微精霊と共に自然のバランスを調整しつつ、面白楽しく……。
しかしながら、調整をしていたのはほとんどくらいがひとつ下の精霊達。
大精霊である彼女は、能力は高いのだがどうにも力の調整というものが苦手のようで、彼女が調整をしようとすると逆にバランスが崩れてしまうことが多かった。
それを避けるため、精霊は大精霊にバランスの調整は自分達に任せるように伝える。が、彼女も大精霊だ。素直に従うわけもなく、自分にだってできると何度も挑戦した。
「―――それでも、調整が下手なまま。ムキになってやったこともあったわ。その時は、水害が起こって大変だったわね……ふふ」
嫌な過去を思い出し、どんよりと沈んだ空気が漂う。
これはかなり重症だ。
それにしても、能力が高いのにバランスの調整が下手……高い能力を扱いきれていないので?
「ダンジョンに来てからは、何をしていたの?」
「ずっと、この泉から外の様子を眺めていたわ。私は、他の種族とは違って寿命とかないし。時々は、ダンジョン内の魔物相手に憂さ晴らしとかしているわね……」
「うわぁ……」
魔物とはいえ、なんだか同情してしまう。
この前出会った精霊は、彼女よりも表情も感性も豊かだった。彼女と違って、ダンジョン内から出られないという呪いがあったが、それでも楽しく過ごしていた。
ずっと一人で……。
今では、ダンジョン内からも自由に出ることが出来ているためもっと面白楽しく過ごしているはずだ。
それに比べ、目の前の彼女は位が下の精霊に邪魔だと言われ閉じ篭ってしまった。
精霊にも、人間達と同じで色んな性格があるんだとユーカとメアリスは実感する。
「どうする? メアリス」
「どうするもこうするも、私達は目的を果たすだけよ。こうしている間にも時間は過ぎて行くわ」
自分達が、ここに来た目的はジェイクを助けるため。
水精霊のこの状況を何とかしてやりたいところだが、その余裕は今のところない。明日には、ジェイクの体からマナが抜けて行ってしまうのだから。
そうだね、と頷きユーカは水精霊に声をかける。
「ねえ。落ち込んでいるところ悪いんですが……」
「ああ、わかってるわよ。ディーネの水でしょ。それぐらいならいくらでもあげるわ」
と、水が入った小瓶をユーカに渡す。
見た目はただの水にしか見えないが……いや、これって。
「それ、さっきあなたが絞った水じゃないの?」
そう、二人はしっかりと見ていた。
ユーカのハンカチに溜まった水。涙を小瓶に絞っていたところを。まさか、それがディーネの水だというのか? 確かに、水精霊の体の一部とは言っていたが……。
「ええ、そうよ。正直、私の体から流れる水だったらなんでもいいのよ。別に涙だからって、変わりはしないわ。大丈夫、心配しないで。いいえ、むしろ私を今心配して!」
「それは無理よ」
「で、でしゅよねぇ……」
一刀両断。
再び深い悲しみに包まれた彼女は、泉を人差し指でくるくるとかき回す。そんな姿を見て、メアリスははあっとため息を吐き、こう言う。
「あなた、心の底から自分の力をコントロールしたいって思ってる?」
「も、もちろん。でも、そう簡単にいかないから苦労しているのよ……」
その言葉を聞き、メアリスはマジフォンを取り出す。
そして、どこかへとメールを送信する。
「どこに送ったの?」
「あなたも知っている人よ。っと、思ったより早く返ってきたわね」
送信をしてまだ一分も経っていないというのにもう返事が返ってきた。その返事を、じっと眺めふっと小さく笑う。
再度、メールを送り水精霊へと言葉をかける。
「三日後もう一度来るわ。それまで、自分でもなんとか力のコントロールをできるように努力していないさい」
「……」
返事は返ってこなかった。だが、メアリスは、返事を聞く前にその場から去って行く。ユーカは、慌ててメアリスの後を追い問いかける。
「ねえ、何をしていたの?」
「可哀想な精霊さんに、お節介をね」
「お節介……」
「それよりも、この水を早くクリスのところに持って行くわよ」
「う、うん!」
★・・・・・
ユーカとメアリスの二人がダンジョンへと向かった後。ジェイクは、エミリアを狙っている敵のことに関して考えていた。
自分達が護衛の任に就いてから、エミリアが狙ったのは他の者達。
命を狙っているいう殺し屋は、今のところ目だった動きを見せていない。
ちなみに護衛ということになっているが、殺し屋を見つけ出し捕まえてもいいと言われている。いや、むしろそうして欲しい。
アレクセイから、深く深く頭を下げられた。
「ネロ。聞いていいか?」
「なにかな?」
樹木の下で楽しく紅茶を嗜んでいるエミリアとアリサ、クリスの三人を遠くから眺めながらジェイクは問う。
元殺し屋としての意見を。
「もし、殺しの対象に護衛がついたら殺し屋まず……どう動く?」
「そうだね……色々とやり方はあるよ。一人では無理だと判断したら、仲間を集めて護衛を減らしつつ対象の命を奪う。または、辛抱強く対象を観察して、油断したところで命を奪う。他にもあるけど、後は護衛に構わず迅速に護衛ごと命を奪う殺し屋もいるかな」
なるほど……ネロの言葉を聞いてまた考え込むジェイク。
学園に通った最初の日の視線。
あれがおそらくエミリアの命を狙っている殺し屋。あれから、もう視線を感じ取ることが出来なくなってしまった。
おそらく、警戒しているのだろう。今は、じっと息を潜めて機会を窺っているというところか。
「そういえば、彼は仕事で来ているって言っていたっけ……」
「ん?」
「あ、ううん。なんでもないよ」
慌ててなんでもないと言うも、そうとは思えない。
「ちょっと! あんた達もそんなところにいないでこっちにきなさいよ!」
「太陽の日差しを浴びたほうがいいわよー」
エミリアとクリスの呼びかけに、小さく笑いジェイクは動く。
だが、ネロは。
「どうした?」
「……ごめん。ちょっと用事を思い出した。すぐ戻ってくるから! ごめんね!!」
「ネロ!?」
あんなに様子がおかしいネロは珍しい。
いったい何があったというんだ? 気になるが、自分もエミリアから離れてしまっては護衛が一人もいないことになる。
それだけは駄目だ。
「ねえ、どうしたの? ネロ、なんだか慌てて出て行ったみたいだけど」
エミリア達も気になったようだ。
ジェイクの隣に並び、心配そうに声をかけてくる。
「……ネロなら、きっと大丈夫だ。すぐに戻ってくる」
「なら、いいのですが……」
「ユーカ達も、もうじき戻ってくるはずだ。その時は、しっかり薬を調合してくれクリス」
「任せなさい! でも」
でも? 眉を顰め天を見上げるクリスに視線が集まる。
「何か……忘れているような気がするのよね。なんだろう……」
「お、お母さん。不安になるようなこと言わないで!」
「あははは。最近、休みなしで仕事していたからね。それに、これから調合する薬は大分古いものだから……よし! 二人が『ディーネの水』を持ってくる前にもう一度詳しく調べておくわ!」
紅茶を片手に、仕事場へと戻って行く。
大丈夫、なんだろうか?