-第08話- 羽ペンと剣
ポーラが、恍惚とし合うシビルとジェフの空間を見事打ち破り、二人の間で挟まれ気まずさを感じていた俺を、見事救い出してくれた。
「うん! お願いします!」と、そそくさと二人の間から抜け出した俺はポーラのほうへと駆け寄った。
この状況で俺が困っていることを、ポーラは察したのかもしれない…食事の前の一件でポーラは、シエラに対して過保護なのかもしれない。
仮に過保護だったとしても、この状況から救い出してくれたことは非常にありがたい。
だって、前世でボッチだった俺には刺激が強すぎる光景だもの。
「では、お嬢様のお部屋でおこないましょう」
「あぁ、宜しく頼む。道具は私の書斎の机の上に用意しておいた」
「かしこまりました。お任せください」
その後、ポーラと二階のジェフの書斎に立ち寄り、筆記用具と数冊の本を手にシエラの部屋へと向かった。
筆記用具は、まっ白な紙に鉛筆などとはいかず、ベージュ色の薄っぺらい、紙的な何かだった。実物の羊皮紙など見たことがないが、これが羊皮紙なのだろう。
ペンの代用品として鳥の羽を使うのは、前世で見た映画の作中で魔法使いの少年が学校で使っているのが印象的だったので、羽の用途はすぐに理解できた。
「では、始めましょう」
「おねがいします!」
ポーラはまず、ペンの先をナイフで軽くななぞり、インクを付け羊皮紙に文字の羅列を記載していった。
――そして細々した準備を整え終え、いよいよ授業が開始した。
ポーラが羊皮紙に書き込んだ文字は、まるでルーン文字のような棒状の記号で示されており、丸みが無い文字は俺にはてんで理解できない。だから、勉強しているのだけど……どれも形が似通って覚えるのに苦労しそうだ。
俺は勉強があまり得意な方ではないが、ポーラの教え方は非常に丁寧で、それでいて楽しい気持ちにさせるよう気配りがなされた授業になっている。
「ポーラ、こっちの文字はどういった意味なの?」
「こちらの文字は剣を表しています。昼間お嬢様が練習をされていた、剣術の型もこの文字の剣も大昔の賢者が広めたと言われいます」
文字に一文字ずつにそれぞれに意味があり、それに連なる逸話も含めて聞かせ、興味をうまい具合に引くように説明をしてくれる。
ポーラの説明によると、この世界で使われている言語は三種類あり、最も多くの人が利用しているのが、『賢者の言葉』という言語なのだとか。
その他の二つは、『龍の言葉』と『マナの言葉』と言う言語が使用されているらしいが、名前だけ聴くと厨二心をくすぐる名前だ。
「その、龍の言葉やマナの言葉は誰がつかっているの?」と、俺はポーラに興味本位で聞いてみた。
「主に、龍に仕える教会や、魔術に携わる者達が使用しております」
「龍に仕える教会っていうのは?」
「この世は常に、六柱の龍が世界を見守っておられるのですが、その龍に祈りを捧げ、崇めるための施設でございます」
この世界に来てから、『神』に該当するような単語を聞いたことがなかったが、龍がこの世界の神としての信仰対象として君臨しているのか……。
「――じゃあ、お食事の前のお祈りはその、六柱の龍へ捧げてるの?」
「いえ、人間族の大半の信仰は、火の化身たる龍『アエスターティス』へ捧げられております。」
「それなら、ポーラは違うってこと?」
「獣人族はひとしく、風を運ぶ龍『ベリス』を信仰しておりますが、私の今の信仰はアエス様へと改宗しております」
信仰対象は種族ごとに、異なるってことか…じゃあ残りの四柱の龍が他の種族とかの神様にってことになるが、『人間族』と『獣人族』以外にも他種族がいるってことか。
じゃあ、ファンタジー世界の王道のエルフやドワーフとか、魔人族なんてのもいるってことかな?
「そうなんだー…」
けど、普通に考えて種族ごとに神様が違うっていうのに、ポーラが人族の神様を信仰しているなんて、同族からは裏切り者扱いなんじゃないのか?
この件は本人の事情もあるだろうし、今は深入りして聞くのも野暮か…ポーラも過去は語らないとジェフも言っていたし、無理に聞きだして嫌な思いもさせたくない。
「私も、昔は…」ポーラの顔に憂愁の影が差す。
「あっ…あーじゃあマナの言葉っていうのはどんなの?」
「――えっ……はい、マナの言葉は魔術を習う上での基礎言語です」
気まずくなるのは嫌だったので、とっさに話を勉強の方へ修正し、俺は質問を投げかけた。
「基礎言語? っていうのは?」
「魔術はマナを燃料に、媒体を使用し行使する術ですが、媒体となる道具に術式を組み込むのに使用する言語です。この屋敷のなかではエレノアが魔術に精通しております」
「エレノアは魔法が使えるってこと?」
「はい、この屋敷内で魔術が必要な事柄は全てエレノアが担当しております」
「エレノアって凄いんだー!」
俺はファンタジー世界には欠かせない魔法を知る人物が、身近にいると聞き、魔法が使えるのならば是非使ってみたいと前世から夢見ていたので、エレノアが魔術を使えるというのは吉報となった。
「はい、彼女の料理と魔術の技量は秀でた才能を感じます」
「じゃあ、マリエットは何かできたりするの?」
「………あの子は……そうですね、天真爛漫で………そ…ぁ……」
「げ……元気なんだね!」
やはり、マリエットの奴は根っからのアホの子らしい。堅物だが嘘を言えないタイプのポーラですら、言葉を詰まらせるレベルなのだから、相当なものだろう。
「申し訳ございませんでした…私とした事が…お嬢様にお気を使わせてしまい…」
「あー…き…きにしないで!」
「有難うございます… あの子も、もう少し落着きを持てば立派な従者として、一人前になるのですが…」
「ぁ…そ…そうだね!」
「話が逸れてしまいましたね。 ――お嬢様は魔術にもご興味がおありなのですか?」
俺の心の中を見透かしているんじゃないかと、疑うほどの観察眼をポーラは持っているようだ。
「少し興味はあって…」
「旦那様へご報告の必要がありますが、私からエレノアへ魔術についてお聞き致しましょうか?」
「――え? いいの?けど、後で直接エレノアに聞こうとおもってたんだけど」
「エレノアは口数が少ないので、お嬢様のお手を煩わせてしまうと思います」
確かに、エレノアとの二度の接触において、まともなコミュニケーションを取れていないので、仲介としてポーラが間を取り持ってくれたら心強い。
それに、ジェフへの口添えもしてくれると言うのであれば一人でジェフへ、なぜ魔術に興味を持ったかんて説明の手間も省けるだろう。
「じゃあ、おねがい!」
「かしこまりました。明日の朝にでも旦那様へのご報告とエレノアから魔術に関して聞いておきます。」
ポーラは実に頼りになるし優しい女性だ。俺の最初の印象は堅物な『人形』のような、表情を崩さない女性だと思っていたが、今日の勉強を教えてもらっている間も、わかりづらいが微かな表情の変化が見受けられた。口角を少し上げ優しい眼差しで楽しそうに教える顔や、過去になにかを背負い、それに苦悩する切なげな表情を俺は見た。
「ありがとう、ポーラ!」
「とんでもございません、当然のことです」
俺は今日の短い時間でだが、ポーラは信用にたる優秀な人材であることが良くわかった。ジェフやシビルが彼女の過去に付いて詳しく知らなくても、この屋敷の従者として誰よりも彼女の事を重宝しているかが、その真面目さと対応の迅速さを見れば誰の目にも明らかだ。
――それから勉強を再開し、俺は集中していたらあっという間に時間は過ぎていった。
「では、今日はここまでにしておきますか」
「うん! おそくまでありがとう!」
「ふふ、お嬢様は旦那様や奥様に本当に良く似てらっしゃいますね」
――初めて、ポーラの笑顔を見た。
「――どうして?」
「私は、旦那様や奥様に返しても返しきれないほどの御恩があります。それに、私のような使用人に主が礼を口にするなど、あってはならないことです。それなのにあの方達は私を使用人ではなく、家族と仰ってくださいました」
少し、遠くを見つめる切ない表情の白兎の美女を、俺は思わず見惚れてしまった。
――ポーラが今まで過ごした時間の中で、どれほどの恩義がジェフやシビルにあるかは知らないが、きっとポーラ自身が働くことで自分の恩を、少しでも返そうとしているのではないだろうか?
ジェフの食後の会話の中で『この家の者はみな家族だ』と、発言していたように、きっとあの夫婦はポーラも含めて皆を家族として受け入れ、恩返しや見返りなんて求めてないだろう。
「――どこが似てるの?」
「お嬢様も旦那様や、奥様と同じように優しきお心をお持ちであるところです」
優しいのは俺じゃなくて、シエラなんだろう。俺に言ってくれた言葉ではないが、シエラの真っ直ぐな性格や、優しさには俺も同感である。
俺も、あの夫婦やシエラのようなそんな人間性であれば、もっと人徳や人望を前世で集められただろう。と、そんな風に自分の望むものが口から微かに漏れた。
「そうだといいな…――」
「――今何かおっしゃいましたか?」
「んーん! なんでもないよ!」
「そうですか…? では、片づけを行います」
ポーラは俺が少しなにを言ったかを気になったようだが、区切りが付くといつもの凛とした表情に戻っていた。
片づけは早々に終り、初日の授業は無事に終了した。
俺は、今日だけでいろいろと情報を集めることができた。この世界の宗教や魔法のこと、それに一番の収穫はポーラの事が少しだけわかったことだ。
普段は凛とし無表情で大きく表情を崩さないが、喜怒哀楽もあり『人間族』と変わらない感情がある人物なのだとわかった。
シエラは、この屋敷の夫婦や使用人達にいたるまで、個性的で温かみのあるとても良い人物達に囲まれて、俺は正直羨ましいとおもった。
――俺は、シエラの影で過ごすしかなく。この家族には俺を知られるわけにもいかず、夜はシエラに成り切って過ごす以外に存在する方法が無いことが、今はすごく悲しく思う。
叶うならば、俺が俺として存在できる日がきた時は、この家族の一員になりたい――。
◇
授業の片づけが終ったあとは、俺はポーラに部屋まで見送られ、すぐに夢の世界へ行くことにした。
「――ット!!」
「ブッふぁ!!!」
目覚め?た瞬間に、俺の腹部へと砲弾が着弾したかとおもうような衝撃が広がった。俺は呻きながらそのまま、寝台の上で胎児のような姿勢でうずくまった。
「シ… … エ… ラ… おま…なにすんだ」
「セト、おきないんだもん!」
「もうちょっと、優しく起こしてくれ…」
シエラは、俺が目覚めなかったのがお気に召さなかったようで、寝ている俺の腹部へ飛び乗ってきたようだ。
俺が目覚めたのを確認したシエラは、寝台から降りて両手を腰に当て、足を大の字に開きプリプリ怒っている。
「やさしくしたよ?ぜんぜんおきなかったのセトだもん!」
「あぁ、起きなかったのは悪かったから、ごめんごめん…」
以前会社の先輩に、こんなことを言われたのを思い出した。『子供ができたら、朝は大変だぞ…毎日、格闘技の技かけられてるみたいだからな』と、子供ができる以前の問題の俺には、一生理解できないことだと思っていた。
「あやまったから、ゆるしてあげる!」
「これはこれは…ありがたき幸せ…」
「なら、よしよしして!」
今日はやけにお嬢様はご機嫌斜めだな…、俺はそのままシエラを膝の上に乗せ、頭を撫でておとなしく御機嫌を取ることにてっした。
「お嬢様、これで満足しましたか?」
「んー! もうちょっと!」
「仰せのままに」
そのまま、しばらく頭を撫で続けると次第に機嫌もよくなり、いつものシエラになっていった。
「セト~、今日ねジェイじぃにね、けんじゅつならったんだけどね…めちゃくちゃつよかったの…」
「まぁ、ジェイラスは爺さんだけど、体がゴツイシ強そうだよな」
「んでね、おじょうさまは『そしつ』があるから、つよくなるっていったんだけどね…」
まぁ、確かに昨日俺が剣道を教えたときも、呑み込みが早いし素人目にも素質があるのはわかるが、いくらなんでも大人には勝てないだろ…
「勝負でもしたのか?」
「うん… … でもねぜんぜんあたんなかった…」
「地道に努力してくしかないからなぁ…シエラも大人になればジェイラスにも勝てるようになるさ」
「かちたい!」
負けず嫌いな性格なんだな…小さい頃の俺みたいな性格だ……俺とは性別が違うから、きっと剣術なんかもある程度の歳になれば飽きてしまうだろう。
「勝つには毎日のコツコツとした努力が必要だぞ」
「うん!だから、セトとはやくけんじゅつのれんしゅうしたいの!」
それで、なかなか起きない俺にたいして、ご機嫌斜めだったのか…
「んじゃ、早速始めるか。」
「うん!!」
それから、俺達はまた昨日とおなじように、剣道の練習を始めた。