-第24話- エントランス
シエラとエレノアが騎士団に到着したのは、午後二時過ぎのことだった。今までの時計が無い生活と言うのは存外もどかしいく感じていのだが、時計で時間を確認した瞬間に心の穴を埋めるような充実感と安堵をえることができた。
それほどまでに、現代日本人として長く生きていた俺にとっては、時計で時間を知ると言う行為が当たり前になっていたことを思い知らされたのである。
ちなみに、時間を知れたのは食堂で振り子の無いホールクロックにシエラの目線が向いたときだ。古びたアンティーク調の重厚感のある、じつにお高そうな時計だった。しかし、ここで一つ問題が生じる。
前世の時計ならば事は簡単に解決したのだが、異世界の時計ともなると話は別だ。ダイアルの読み方はおろか、先入観に捕らわれ針が回る物だと勘違いをしていたのだから。
――時計は地球にあったものと似てはいるが、それは似て非なる物だったのだ。
しばらく一人で考察したすえに、食事が終わる前にシエラに頼んでプロドリック卿から時計の読み方について聞いてもらうことにした。分からなければ素直に人に聞くのが一番早い解決になる。人を頼り過ぎては駄目だが、時には甘えることも大事だろう。
シエラに頼むと早速プロドリック卿に時計の読み方を聞いてくれた。プロドリック卿は人に教えるのが好きなのか、教えている本人がとても嬉しそうに時計について語っていた。その説明も要点が纏まっていて、じつに分かりやすく簡潔なものだ。しかし、四歳児に教えるにしては小難しい内容が多く、聞いたシエラは常に首を傾げていた。
俺は最初、時計の針が回転すると思い込んでいたのだが、実はダイアル部分が回転する仕組みなっており、常に時針が天辺を指している状態で固定されているらしい。
――確か最初に時計を目撃した研究所でプロドリック卿は『時計の針が』では無く、『時計の針を』と言っていたので言い間違いでは無かったようだ。
ダイアルに描かれた六柱の龍が時刻を示し、絵柄が時針に重なった時にその時刻をあらわしている。数字で記載されていないのは、この世界の識字率と神格を持った龍に序列が付くことを避ける理由があるのだとか。
前世の感覚からすれば分り辛いことこの上ないのだが、宗教や文化が違えば時計の表現方法の違いなど些細なものなのだろう。肝心なのは時計としての機能であって、見づらさなどはそのうち慣れてしまう。
そして、肝心な時計の読み方については地球基準で考えるならば、時計のダイアルが一周するのが一日とプロドリック卿は言っていた。二四時間で換算した場合に六柱の龍が描かれているので、二四時間を六で割ると絵柄一枚分回るのに四時間となる。龍のシンボル同士の間には、目盛が一本刻まれていたので丁度二時間ごとの時間は分かるようになっている。
龍のシンボルの順番については、零時は『テンポリス』、四時は『アエスターティス』、八時は『アウトゥムヌス』、十二時は『テネブクス』、十六時は『ヒエマリス』、二十時は『ベリス』の順番だ。
人族の一日の起点は、日の出の時刻に近い『アエスターティス』を一日の始まりと置いている。他の種族も自分達の主神が描かれた時刻を一日の起点としているようで、時計の読み方はこの世界で統一されているようだ。
人族が崇拝する火神龍『アエスターティス』については、城の中にシンボルがあったり、アクセサリーの彫刻などの細かいところにと、随所に見られたのでなじみ深い物になっていた。
しかし、他の神龍については人族の領域内ではあまり話も聞かないし、絵柄やシンボルを目にすることは殆ど無かった。名前は辛うじて知っていたが、シンボルが描かれた物を見たのは時計が初めてだった。
神龍は魔法とも密接な関係があり無関係ではない。現状の修練や授業でも深い話も出て来ることが無かったので、プロドリック卿から魔術を教えてもらう際に聞けばいいか――。
◆
「たのもーー!」
シエラは大声で騎士団施設の門前で叫んだ――。
騎士団の施設は城の敷地内の裏手、つまりはアガルム山脈側に城と併設される形で建てられていた。常駐勤務の騎士たちの宿舎と、会議室や事務室等の複合的な役割も担っている。
施設の公式な入口は、城側と城下町側の入口の二ケ所があり、シエラが訪れたのは勿論、城側の入口からである。
「……――お嬢様、それはいったい……?」
道場破りでもするかの如く、腹から声を出して門の前に仁王立ちするシエラだが、これから剣術を教えて欲しいと頼むのに、明らかに入り方が間違っている……。
「それだと、普通に道場破りだと勘違いされるし、そもそもそれ日本語だから通じないと思うぞ」
俺は『夢の部屋』の中で顔を引きつらせつつ、シエラにアドバイスを送った。それ以前にどこでそんな言葉覚えたんだ?
『え!? セトの本でどうじょうに入るのにみんなこれ言ってたよ!』
夢の部屋にある俺の漫画本を見たようなのだ。最近になって『夢の部屋』について分かったことだが、あの部屋にある俺の私物のほとんどは、どうやら俺の記憶から精製されたもののようだ。ようだなどと他人事で、どうにも煮え切らない言い方になってしまうのは、俺が一度だけちらっと流し見たような、うろ覚えな内容でも、電子機器をはじめとした本のページまでしっかりと精製されていた。しかし、見ていないものまでは再現対象に含まれていないことが分かった。
例えば、死ぬ前夜に購入してから、一度も目を通していない雑誌の中身が全て白紙だったり、分厚い辞書の目を通していないページや、項目は歯抜けの状態になっていたのである。
こうした状況から推察するに『夢の部屋』の物は、俺とシエラの記憶から作り出されていることが分かった。
そして、シエラはいつの間にか日本語を読むこともできるようになっていた。普通の四歳児ではありえないのだが、漢字も含めて今ではそつなく読める。読めても意味までは理解していないみたいだが……。
逆にこちらの言語の読み書きは年相応で、ほとんどできない状態だ。
「本の中ではみんな言ってても、こっちでそれを言ったら変な子になっちゃうぞ」
『ふぇ~、しぇーら変な子じゃないもん!』
シエラは情けない声を上げたと思ったら、勢いよく反論してきた。エレノアは、先ほどのシエラの大声を発した言葉の意味が分からないのか、首を傾げながらシエラを覗き込んでいる。
「――先ほどの、『たのもー』とは何かをご注文なさるんですか?」
『それ、いわんこっちゃない。エレに変な子だと思われてるぞ』
俺は少しだけシエラに意地悪をした。シエラは最近では感情の起伏が以前よりも豊かになり、リアクションも観ていて飽きないので、時どき意地悪をして反応を見るのが楽しい。
『セトのイジワルぅ~』と、シエラは拗ねたような声を出すが、こんなやり取りも本心から嫌がるのではなく、どこか楽しんでいるような和やかなものだ。
「ふふ、意地悪して悪かったな。エレには適当に言い間違えちゃったって言えば大丈夫だよ」
ちょっとした意地悪はしても、大人としてフォローを入れてあげることが重要だ。子供でも冗談を冗談としてちゃんと捉えられるし、助言は素直に受け取ってくれる。無下に扱うことは、シエラからの信頼を無くしてしまう。
『わかったー! えへへ! セトありがと!』
俺の手に持ってるスマートフォンから、シエラの無邪気な返答が反ってきた。
「エレ! あのね!しぇーら間違っちゃったの!」
「――……さようでございますか。お嬢様のお間違えに気付かず、無粋な発言をしてしまい失礼致しました」
「んーん! しぇーらも間違えちゃってごめんね!」
エレノアはシエラの間違えだと言ったことで、これ以上の追及をしないだろう。それに、シエラも素直に自分の誤りを謝る姿勢は、大人でも簡単にできないことだ。素直な態度は貴族令嬢として、育ちの良さがうかがえる。
「――滅相も御座いません。……ではお嬢様。早速ですが中へ参りましょう」
エレノアはそういって、騎士団の練習場の門を開けシエラの手を引き中へと入っていった――。
騎士団の施設の中は、午前中に訪れた魔術師の研究所とは打って変わって、明るい雰囲気の部屋だった。変な薬品の匂いや、騎士団で働いているだろう筋肉達磨の汗臭さも全くしない。まるで高級ホテルを思わせる様なシックなデザインのエントランスロビーだ。
ロビーに備え付けられたカウンターには、若い女性の受付が二名執務をおこなっており、他に広めのエントランスには誰もいない。女性の二名は給仕をするような恰好では無く、スーツを思わせる服装をしており、右側に座っている女性はインテリな黒縁メガネをかけた真面目そうな黒髪の女性Aと、左側のユルフワカールな金髪を、後ろでポニーテールに結んだ優しそうな面持ちの女性Bだ。
「ようこそアガルヘイム騎士団へ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
黒髪の女性Aが建物に入ってきたエレノアに気付いて、話しかけた。受付をしている女性の応対は手慣れたもので、事務的な対応ではあるが機械的では無い。
「――……フリッグ第一師団長はいらっしゃるだろうか? こちらの要件は、少年義勇騎士団への仮入団の希望です」
エレノアはそういって、懐から丸めた羊皮紙を女性Aに手渡した。
女性Aは頭を軽く下げ、「かしこまりました。只今お呼び致しますので」と、扉の奥へと消えていった――。
女性Aを見送り、シエラとエレノアはエントランスにあるソファーへと向かった。シエラは革張りのソファーへ座り、傍らでエレノアは背筋を伸ばして立っている状態だ。
それにしても、『少年義勇兵団』とは大層な名前の組織の名前が出てきたものだ……。言葉の意味から捉えるならば、子供が志願して入る騎士団と言う事になる。騎士団と付くぐらいなのだから、子供の団員が多数所属しているのだろう。
「お待たせいたしました。団長がお見えになられましたので、こちらへどうぞ」
少しだけ待っていると、女性Aがやってきてエントランスの壁沿いにいくつかある、扉の一つへと案内された。
エレノアとシエラが扉を抜けると、そこは二人掛けのソファーと机がある応接間のような小部屋になっており、その扉より奥側のソファーには服の上からでも分かるような、体躯のいい中年男性が座っていた。
「やぁ、お嬢さんこんにちは。よく来てくれたね」
中年男性はシエラを優しい笑顔で出迎えた。その男性を俺は初めて見るのだが、なぜか初めて見る気がしない。誰かに似ている気がするのだ……。
投稿ミスで、本来乗せるはずだった箇所が抜けていましたので、修正投稿いたしました。
申し訳ございませんでした。




