-第22話- 王宮魔導士長
研究室の扉をエレノアが開くと、様々な薬品や植物の匂いが廊下に流れてきた。なんとも形容しがたい、不快という程のものではないが、長いあいだは嗅いでいたいとは思えない匂いだ。
部屋の中は学校の教室ほどの広さで、窓はなく魔蓄光石の明りが灯されている。石作りの飾り気のない部屋には、木製の机の上にごちゃごちゃと乱雑に変な道具や、試験管やビーカー等の容器に怪しい液体が薄い光を放っていたりする。
そこには三名の白衣風のローブを着た魔導士おり、血走った眼でこちらを凝視する二名の男女と軽薄そうな笑みを浮かべた男がこちらを見ている。
軽薄そうな男ががこちらに歩み寄ってきた。長い金髪を後ろでポニーテールに結んだ、爽やかな顔立ちをした、俗に言うイケメン顔の細身の男だ。
「やあやあ! 待っていたよ! 思ったよりも早かったね。君がヴェルゴード子爵令嬢のシエラ君だね! 君のお父さんとは古い付き合いでね! それと、僕はそこのエレの師匠でもあるんだ! 君はエレの弟子のようだし、僕は君の師匠の師匠と言うことになるね!」
目の前まで寄って来て、いきなり膝を折り視線を俺の低い慎重に合わせたと思ったら、手の甲にキスをしてきた。
貴族風の男性が女性にする挨拶なのだろうが、今までにそんな事をされた経験もないししたこともない。何より、男にそんなことをされるとは思ってもみなかったので、気持ちが悪い……。
顔には出さないようにしていたが、顔が無意識に引きつるのを感じた。
「あー! 僕としたことが、肝心な自己紹介がまだだったね! これは失礼! 僕の名前はグレン ブロドリックだ! ここの責任者をしている! それとアガルム王国宮廷魔導士長を務めさせてもらっている!」
凄いマイペースな人物のようだ。それと言葉を発するたびに、かなりのオーバーリアクションで動き回る。相手はこちらを知っている様子だが、形式的に名乗らないと失礼にあたりそうなので、俺は名乗ることにした。
「ご丁寧に有難うございます、ブロドリック卿。ヴェルゴード子爵家の長女シエラと申します」
「うんうん! こんなに小さいのにしっかりしているね! さすが我親友の娘だよ! それに愛弟子が夢中になるわけだ! ははは!」
「――……師匠、中に案内をして……」
「おっと! これは失礼! ついつい夢中になってしまってね! さぁさぁ中に入ってくれ!」
「失礼します……」
部屋の中は匂いが一段と強くなり、長時間いたら酔いそうな匂いがする。白衣風のローブのブロドリック以外の二人は既にこちらに興味は無くなったのか、作業に戻っている。
「この部屋では日々様々な、錬金術や魔術による研究がおこなわれているんだよ。今おこなっているのは、魔石に関連した研究をおこなっているところなんだ。魔物が精製する魔石を人工的に作ることが可能ならば、人々は危険を冒さずとも安価に魔石の恩恵を得られるようになる!」
「ははは……えっと、凄い研究をなさっているんですね……」
「そう! 凄い研究をしているんだ! マナを一時的に一定量貯蔵できる魔石は、色々な魔道具を動かすには欠かせない動力源だ! 魔石の出力時の属性を変化させたりできれば、更に可能性も広がる! そう! 無限の可能性へとね!!」
前世でも一度スイッチが入ると、空気が読めなくなるタイプの人間は何度か接してきたが、ブロドリックも似た様なタイプのようで、軽い相槌でヒートアップしてゆく。
だいたい、四歳児に難しい話をしても理解されないだろう。伝えることが目的では無い、話したいだけのようだし。
「……師匠、その話は何度も聞いたから大丈夫。……それにお嬢様には難しすぎる」
ブロドックの研究の説明に、エレノアが助け舟を出してくれた。
「君がそんなに喋るなんて珍しいね? どうしたんだい? まぁいいか……。僕の研究の話はこの辺にしておくとしよう。それでわざわざ、シエラ嬢にここまで来てもらった要件なんだけどね。王都滞在中は僕が魔術の講師をしようとおもうんだ。ジェフに頼まれたのもあるし、孫弟子っていう響きもいいしね!」
「え? プロドリック卿が直々に?」
王国の宮廷魔術師のその長がみずから、魔術を教えてくれるというのは凄い事なんじゃないのか? しかし、大丈夫なのか? そんな暇そうな人物とは到底思えないし。
「……師匠、安請け合いして大丈夫? ……忙しいみたいだけど」
「なーに! 問題ないさ! 僕がいなくても優秀な彼らの睡眠時間を削ればどうにかなるさ!」
作業をしていた研究員二人が顔をガバッと顔を上げた。目が血走っていて『こいつ、何言ってんだ?』みたいな心の声が聞こえそうな表情をしている。
現状でも睡眠時間が足りないのか、目の下には真っ黒な隈を二頭飼いならしている彼らの心中をお察しする。彼らの安寧を俺が握っていると思うと、素直に教えてもらうのも気が引ける。
「いえ……そこまでして頂かなくても……」
「彼らの心配をしているのかい? 睡眠を削ると言うのは冗談だから安心してくれていい。それに魔術はなにも、派手に術を使えば上達するわけではないからね。なにごとも基礎訓練が重要だからね」
「それはつまり?」
「研究室の中でできることも多いから、ここに君が来れば研究の合間に指導ができる。悪い話ではないとおもうよ?」
確かに、魔力の基礎訓練は毎日欠かさずおこなっていて、場所に左右されることはない。馬車で王都に向かう途中も、馬車の中で修業をおこなえたほどだ。
「それじゃあ……あまりご迷惑にならないようでしたら、是非お願いします」
「うんうん! それと……、孫弟子になったことだし、これは僕からのプレゼントだよ」
彼はそう言って、懐から緑色の魔石のついた銀色のブレスレットを取り出した。
「何ですかこれ。錬金術の道具かなにかですか?」
見た目はシンプルなデザインのブレスレットからは、微かにマナが吸い寄せられるような感覚がする。
「これは僕の研究の成果の一つの『マナリミッター』と言う代物だよ。王国所属の魔術師や、国内の魔術協会の関係者には、既に着用が義務付けられた品だ」
ブレスレットの名前からして、魔術を扱う際のリミッターなのは分かる。しかも、王国所属や協会関係者の魔術師達は着用義務があるしなと言うのはいったい……。
エレノアとプロドリックは腕をまくってブレスレットを見せてくれたが、二人が付けてる物とは形が少し違っている。
「どういった物なんですか?」
「これは、オドの魔石化を防止するために作られた魔道具なんだ。マナを体内に取込過ぎてしまうと、オドが結晶化してし魔石になってしまうからね。マナを体外へ逃がすための装置というわけだ」
「人も魔物になってしまうんですか?」
動物や植物だけが魔物になるとばかり思っていたが、人間もその対象になるのは初めて知った事実だ。
「ああ……。僕たち人も動物の一つだからね。それに、魔術を行使するのに大量のマナを体内に入れなくてはいけない。マナの取り込み過ぎはマナ泉にいるの上で生活するようなものと同じだ」
恐ろしいことを聞いてしまった。今まで何のためらいも無くマナを取込、強化魔法を掛けたり魔術をしようしていた。
「そんなに不安がらなくても大丈夫だよ! 強化魔法ぐらいの魔術では魔石にはなりはしないし、君が使える魔術のマナの使用量でも魔物になったりはしないよ」
プロドリックは俺が不安そうな顔を見せたのを察し、心配ないと助言をくれた。俺はそれに安堵し、思わず息が漏れた。
「――そうですか……良かった……」
「しかし、これから魔術を覚えていくにつれてマナの使用量は格段に増えていくからね。その前に手は打っておいた方がいいからね。それと、このマナリミッターは最新の技術を盛り込んだものなんだ!」
「最新? 一体ほかとなにが違うんですか?」
「僕たちが今つけているマナリミッターは、オドのマナ許容量が飽和する前に魔石を通じて排出される仕組みになっているんだけど、君に渡したそれはマナを魔石内に貯蔵できるんだよ」
マナの貯蔵? それだけで最新の昨日だったり、凄い代物には到底思えないが……
「それはだけなのですか?」
「いやいや! マナの貯蔵だけなら従来の技術でも可能だよ。しかし、最新型は持主のマナの使用量に合わせて、マナを体内に補給できるようになっているんだ! それに、持主のオドに合わせて中央の魔石が成長もするんだよ!」
要は、体内で危険値にまで達したマナを自動的に魔石にため込み、今度は不足分を体に戻す仕組の外部ストレージみたいな扱いになるのか。しかし、成長するというのは良くわからない。
「成長っていうのは何ですか?」
「いいところに気付いたね! そう!成長と言うのはだね、オドのマナ貯蔵量は年齢や修練で増えてゆくんだけど、その魔石もそれに合わせて貯蔵量やマナの返還速度が上がるんだよ」
ストレージの要領は自信のオドに合わせて拡張されていくということか。つまり、オドが成長すればするほどストレージも増えて、マナが切れる心配がなくなるということか。
それに体内への返還速度が上がるというのは、用はゲームでいうSPの自動回復速度が上がるような物ととらえてよさそうだ。外部からのマナを集めるのはそれなりの精神的な集中が必要になるが、そのプロセスが無くなるだけで、利便性は大きく変わるということのようだ。
「こんな凄い物を貰っていいんですか?」
「まだ、試験段階の代物だし国の認可も降りていないから、僕たちは使えないんだよ。今僕たちが付けているマナリミッターは国の認可で義務付けられたものだから、それ以外は認められないんだ。君は正規の魔術師ではないから、その義務は生じないしね」
この男はどうやら、プレゼントと称した軽い人体実験を行いたいようだ……、俺としては今まで無くても困りはしなかったものだから、安全性さえ確保されていれば問題は無いが……」
「……師匠、それは安全なの?」
「ああ! 安全性は保障するよ! さすがに親友の娘に危険な代物を渡すほど、腐ってはいないよ!」
ジェフの事を親友と言っているが、果たして信用して良い物なのか……。エレノアの師匠ではあるけど、胡散臭い感じが払拭できない。
しかし、マナリミッターは現状では力不足で必要なくとも、いつかは必要になりそうだから、貰っておいて損は無いだろう……。
俺は、腕に通されているマナリミッターを見つめてため息をついた。




