-第16話- 森からの生還
――辺りには無数の爆発する蝶が飛び交い、雪の中から現れる根が次々と蝶に触れた瞬間に爆炎とともに無残にも消え去る光景が、延々と繰り返されている。
ジェフは、そこかしこで起こる爆発を気にもとめず、マリエットが焼き払った枯れ木の残骸へと歩いていく。足取りは軽く、休日に近所へ散歩に出かけるように、まるで魔物の存在など気にそぶりも無く雪の中を進んで行く。
「御父様はあんなに強かったんだ……」と、思わず口が開きっぱなしでポーラの存在を忘れていた。
「はい。しかし旦那様は常々、争い事は苦手だとおっしゃっておりますが、お嬢様が行方不明になられたと聞いて宝剣を手に私とともに捜索にでました」
いつものように、淡々とした口調でポーラは応えてくれた。その表情は先ほどの獣化が原因なのか疲れている様にも見える。
ポーラの話にもあったようにジェフは、アウトドアな人間では無く、どちらかと言うとインドア派な人物だ。性格も温厚で武力で物事を解決するより、話し合いで解決を求めるようなインテリタイプの人物だと思っていた。
しかし、目の前で枯れ木に向かうジェフの背中は、歴戦の戦士のように広くて力強さが漂っている。
屋敷の家族全員が、シエラの事を本当に大事だと思っていたので助けに来てくれたのだろう。シエラは本当に幸せ者だと思う。
もしも、俺がジェフやポーラの立場だったら同じことをきっとしてたと思う。――だけど俺は無力だ。
「――ラティ・ヒエ・サナ・オム・アクア……!」と、鈴がなるようなきれいな声が聞こえ「癒しの水……!」
またしても後ろから声が聞こえた。しかし、今回の声の正体は誰かははっきりしている。辺りの爆音に掻き消されそうな、弱々しい鈴の音を鳴らしたような小さな声で呪文を唱えた。
声の主が呪文を唱え終わると、マリエットの上から青い薄い光の粒が降り注いできた。
マリエットの血が止まった傷口に光が当たると、じょじょにそこから傷口がふさがっていく。
『マリィ……よかったよぉ…』と、シエラの不安から解放され、安堵のあまり情けなくすすり泣く声が内側から聞こえて来た。
『あぁ……シエラよく我慢したな。偉いぞ』
俺は、夢の部屋の中でずっと静かに耐えてたシエラに労った。まだ本当に小さな女の子なのに、苦境に弱音を吐かずに堪えていたシエラは、俺なんかよりもよっぽど強い。
「エレ! よかった……!」
「遅いですよ! 何をしていたんですか!」
俺とポーラは、雪深い針葉樹の隙間からやってきたエレノアに声をかけた。俺は安堵のため息を付き、ポーラは憤慨した様子だ。
エレノアはモジモジしながら、スカートの裾を握っている。
「……――遅くなり申し訳ございません。準備が……」
「言い訳をするんじゃありません!」
ポーラは、眉を吊り上げご立腹の様子でエレノアを叱った。エレノアはそれに対し肩を強張らせ、小さくなる。
メイドの中の規律なのか、ポーラはエレノアやマリエットに対しては若干厳しい態度をしばし取る事がある。
「……申し訳ございません」
「ポーラ、あんまりエレを怒らないであげて」
「しかし! ――はぁ……まぁ大事に至る前に事なきを得たので、これ以上は言いません。以後、気を付けるように」
エレノアは相変わらず無表情で、口数は少ないがバツが悪そうに眼をそらしている。
ジェフは爆発が周囲でおこるなか、焼け落ちた木を調べている。エレノアの到着に気付いたのかこちらを向いた。
「エレ! そっちは大丈夫かい!?」と、大声を張りこちらに大きく手を振っている。「地中の魔物をいぶりだす! そっちを頼む!」
横に立つエレノアが、大きく頷いた。
エレノアは背中に背負っていた杖を取りだし、呪文を唱え始めた。杖は某魔法学校の映画で主人公の少年が使っているような小さい杖では無く、大ぶりな黄色い宝石が杖の先端に取り付けられた木製の一三〇センチ程の長さの杖だ。
「……パリエ・アウ・イム・アル・ルペス」杖の先で、空に魔方陣を書きながら唱え「『石の壁』!!」雪へ杖の石突きを勢いよく立てた。
呪文を唱え終えたエレノアは、いつもの眠そうな目では無い。極限まで集中したその目は魔術に対する確固たる自信に満ちた目をしていた。
魔術を行使した結果はすぐにおこった。地鳴りともにジェフと、四人の間に頑丈そうな石の壁が隆起した。
『すごーーい!!』
「――うっあ!」
シエラと俺は、エレノアが魔術を使う姿を初めて見た。
俺もいつかは、エレノアのように魔術を使えるようになりたい。異世界生活を送る中であんなものを見せられたら、憧れないわけがない。
目を輝かせながら俺はエレノアを見ていたら、エレノアがこちらに向かって小さくピースをした。それに無表情だが少し口元も緩んでいるようだ。
それに気づいたポーラが、エレノアに軽くゲンコツを落とした。
「調子にのるんじゃありません」
「……す……すみません」
頭をさすりながら、少し涙目になっているエレノア。
壁の向こうからは、先ほどよりも大きな爆発音が響いた。それも連続して何回も矢継ぎ早に、爆発の音が重なっていく。
爆発が起きるたびに空が一瞬だけ、フラッシュがたかれたように白く照らされる。
「御父様は――…大丈夫?」
「心配は無用です。旦那様は宝剣の扱いに熟達しております」
いつものように冷静に告げるポーラだが、不安なのか祈るように胸の前で手を結んでいる。
エレノアはそんなポーラの横で、懐から複雑な模様が入った布を取り出し、雪の上へ広げた。小声で詠唱をすると、布の上に火の玉が浮き上がった。
どうやら、マリエットが凍えないように暖をとるための道具のようだ。
それからしばらくは、ジェフが魔物と戦っているのか爆発音が壁の向こう側からこだましてくる。
爆発音が何度か響いたあと、夜空を真っ白に照らす強い光が射した。まるで世界中の時計が止まってしまったかのような、白く静寂な世界が広がった。
しかし、世界は止まってなどいない。物凄い地響きと全身をかき混ぜられるような、強い衝撃と轟音が体を突き抜けてゆく。
壁の縁より外は、爆風が雪を蒸発させながら後方へと流れてゆく。
極寒の世界は一転し、灼熱の爆風が吹き荒れる地獄へと変わり果てた――。
――……あれをジェフがやったのか? この壁の外にいたら完全に消滅するような威力の爆発を……。
爆風が過ぎさると、静けさがもどってきた。いつの間にかポーラが俺を庇うように抱きしめていた。
「大丈夫ですか? お嬢様」ポーラの声が頭上から聞こえた。俺はハトが豆鉄砲をくらったように放心状態だ。
「うん。有難う……それで今のも御父様が?」
「……そのようですね。旦那様はむちゃくちゃです」と、無口なエレノアはマリエットに覆い被さった状態で、苦言を呈した。
「エレ、不敬ですよ。口を慎みなさい」
「申し訳ございません……」
納得が行かないのか、エレノアは少し頬を膨らませた。確かにエレノアが言うように滅茶苦茶だ。周りは雪が消し飛び茶色の地面がむき出しになっているし、針葉樹の森は木が数本倒れ火が燻っている。
エレノアが魔法で作った石の壁も、効果が終りガラガラと音を立てて崩れた。
崩れた壁の向こう側は――、直径十メートルぐらいのクレーターが出来ており、穴の縁にジェフが佇んでいた。オールバックの髪型が少し乱れ、服の所々が汚れてはいるようだが、悠然と立つ姿からは怪我などは無さそうだ。
クレーターの中心には、黄色の丸いこぶし大の宝石のような物が転がっている。色は違うが、マリエットが魔物に投げた魔石と雰囲気が似ている。
――どうやら魔物の核の魔石があそこに転がっているという事は、魔物を倒したのだろう。
「旦那様!! 御無事ですか!」と、俺をエレノアへ預けジェフの元へポーラは駆けていく。
「これでやっと帰れるね……」と、俺は意識を失っているマリエットに小さくつぶやき、抱きしめた。
本当に長い一日だった。マリエットが魔物に串刺しにされたときは、もう駄目かとおもった。マリエットがいなければ、状況を飲みこめず魔物に殺されていただろうし、ジェフとポーラとエレノアが助けに来てくれなければ、あのまま俺は自分の命を使うところだった。
それに、シエラがいなければきっとマリエットが倒れた段階で、俺の心は折れていたとおもう。
誰か一人でもいなければ、今回の事件で俺かマリエットが死んでいただろう。不安と安堵の狭間にいくつもの『もしも』を想像して、全てがギリギリの綱渡りのような事をしていたと改めて自覚した。
複雑な感情が心の中で渦巻いて、胸を締め付けられたような思いに涙が流れて来た――。
「よく頑張ったね」と、近くに来たジェフが片膝を付き頭を撫でてくれた。
「……お嬢様は、魔術の天才です」と、エレノアが口数少なく褒めてくれた。
「御無事で本当に、なによりです」と、ポーラの声は少し湿っぽく心配をしてくれた。
違う、もっと上手くやれたはずなんだ。
俺に力があれば。
俺に魔術が使えたら。
俺に知恵があれば。
褒めて欲しいわけでも、慰めて欲しいわけでも、心配されたいわけでもない。素直に喜んでいいのかもしれないが、今は自分の無力さを痛感した。もっと治療の魔術を調べておくべきだったし、攻撃魔法も覚えておけば、マリエットをアシストできたかもしれない。
俺は大切な誰かを失う悲しみを、前世で体験してたのに……。今回は運よく助かっただけだ。もう、大切に思える家族の誰一人として失いたくはない。
――たとえ、シエラの影に潜む存在だとしても、シエラ以外に俺が知られていなくても、俺だけが家族だと独りよがりに思っていても、ヴェルゴート家の屋敷に住んでいる人たちに、辛い思いをしてほしくない。
だから俺は強くなりたい。……いや、強くならなくちゃだめなんだ。
まわりから、ガラスにひびが入るような音が聞こえてきた。魔物が維持していた結界が、発生元を絶たれたことで崩壊し始めたのだ。
燦然と輝く星々と、月明りに照らされた結界の破片がダイヤモンドダストのようにキラキラと輝きながら崩壊してゆく。
幻想的な風景と複雑な思いを胸に、長い一日の帰路に付いた――。